Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

金子三勇士NEWインタビュー

2011-03-30 00:00:23 | ピアニスト 金子三勇士
金子三勇士、ハンガリーのライターがハンガリー語で行なったインタビュー、
英訳が掲載されたので翻訳してみた。

「Miyuji Kaneko-キシュマロシから誕生した素晴らしい才能」
Interviewed by Gabriella Kovacs 3/5/2011

http://www.kisdunaujsag.hu/index.php?option=com_content&view=article&id=293%3A-miyuji-kaneko-outstanding-talent-from-kismaros&catid=75%3Amveleti-teruelet&Itemid=59

ずっと長い間、金子三勇士と会い、彼がどれほどの才能に溢れているかを実際に確かめたいと思ってきた。
娘の通う学校には彼の写真が飾られている。
それを毎日見ながら、私はこの日が訪れるのを心待ちにしていた。
Facebookを通して彼と連絡が取れ、遂にインタビューすることができたことに感謝している。

金子三勇士(Miyuji Kaneko)
1989年9月22日に日本の群馬県高崎市で日本人の父とハンガリー人の母の間に生まれる。
3歳でピアノを弾き始め、6歳でCs.Nagy Tamasne教授の元でピアノを学ぶため、
ハンガリーへと移る。
1997年にはハンガリー国内の連弾コンクールにて優勝。
2001年には第9回ハンガリーピアノソロコンクールにて優勝。
11歳でブタペストのフランツ・リスト・ミュージック・スクールへ入学。
Eckhardt Gabor教授、Kevehazi Gyongyi教授、Wagner Rita教授に師事。

現在は東京音楽大学にて三浦捷子氏、迫昭嘉氏、清水和音氏のレッスンを受けている。
2009年においてはシャネル・ピグマリオンデイズのアーティストに選ばれ、
2010年からはジャパンアーツコーポレーション、スタンウェイアーティスト。

2005年 7月 バラッシャジャルマット国際音楽コンクール グランプリ優勝(ハンガリー)
2005年10月 コンツェルテウム国際ピアノコンクール優勝(ギリシャ)
2006年 1月 シンメルUSASU国際ピアノコンクール優勝(米国)
2008年 3月 第3回バルトーク国際ピアノコンクール優勝(ハンガリー)
日本、ハンガリー、アメリカ、中国、フランス、ドイツ、オーストリー、
スイス、ルーマニア、チェコ、ギリシャなどで演奏活動を行なう。
http://miyuji.jp/ より)

Gabriella Kovacs
「あなたの写真が娘の通うVilcsek Gyula Primary Schoolの入り口の左に飾ってあり、
私はいつもそれを眺めているのですが、
あなたにとってのキシュマロシの思い出とはどのようなものでしょう?」
Miyuji Kaneko
「僕が母方の祖父母のいるキシュマロシのBorzsonyligetに移ったのは1996年でした。
Vilcsek Gyula Primary SchoolにてEmilia先生のクラスで17人の生徒と共に学び始めました。
日本で幼稚園を終えた後、
このような形で新しく学校生活を始めることは自分にとって大きな環境の変化でした。
最初はこの新しい環境に自分が適応できるか心配もしたのですが、
それは全く危惧に終わりました。
級友たちも先生方も自分をとても暖かく迎えてくれました。
ハンガリー語で学び、友人達と校庭で遊び、先生方と話す、
そして美味しい給食を食べたことも懐かしい思い出です。」

G.K 「その後、キシュマロシとは行き来はありますか?知り合いと連絡を取ったりとか?」
M.K「キシュマロシで過ごした日々のことは決して忘れられません。
今でもEメールやfacebookを通してみんなと連絡を取ってます。」

G.K「おじいさまやおばあさまを訪ねたりするのですか?
ハンガリーにホームシックになったりしませんか?」
M.K「残念ながら祖父は他界しました。
祖母にはハンガリーやヨーロッパの国をコンサートツアーで訪れる機会に会っています。
祖父母に対しては、ハンガリー語の習得を含めていろいろと感謝しています。
16年間を二人と共に過ごしました。
10年間のハンガリーでの生活、そしてその内の6年間はキシュマロシで。
お陰さまで毎日、音楽の仕事と日々の生活のために忙しくさせていただいてますので、
ホームシックになっている時間はありませんが、
ハンガリーもまた(日本同様)自分の祖国であると思っていますし、
いつも帰ることが楽しみな国でもあります。」

G.K「音楽との関係はどのようにできあがったのですか?
誰かが手助けしたのでしょうか?」
M.K「3才の時、ピアノを弾き始めました。
その頃、祖父母からバルトークの作品でコチシュが演奏する『子供のための演奏曲』をプレゼントされ、
これを毎日、聴いたことで大きな影響を受けたと思います。
その後祖母の指導のもと、ピアノを学びました。
ハンガリーに移ってからはバルトーク小学校でCs. Nagy Tamasne,
Falvaine Sisak Agnes、Laszlo Fazekasから指導を受けました。」

G.K「ハンガリーから日本へと戻って音楽の勉強を続けるにあたってどのような変化がありましたか?」
M.K「日本に戻った時には大きな違いを感じました。
祖国であるにも関わらず、言葉や文化を充分に知らなかったのです。
今、東京で5年目の生活に入り、ようやく離れていた間の溝が埋められつつあると感じています。」

G.K「日本とハンガリーの音楽教育の違いはなんでしょう?」
M.K「音楽においても教育においても両国の違いは明らかです。
ハンガリーでは個性的、荒削りであっても応用性が大切にされることに対して、
日本では正確で細かい点が重んじられます。
自分自身としてはそれぞれの文化の良いところを学び、中庸を保ちたいと思っていますが。」

G.K「度々演奏すること、それは負担になりませんか?
それとも音楽家の生活の一部として取り組んでいます?」
M.K「自分は一度も自分の演奏や音楽に関する仕事を重荷に感じたことはありません。
これが私の仕事ですから。
喜びと感謝で受け止めています。
世界中のコンサートホールで演奏し、毎日、練習して新しい曲を学ぶ、
メディアと音楽を通して関わる、どれもわくわくするような素晴らしい体験だと感じています。
今シーズンは平均すると一週間に一回の割合でコンサートがあります。
もちろんこれは割合であり、数週間休んで、一週間ステージが続くこともあります。
21世紀のクラシック音楽の演奏者としてインターナショナルなキャリアを築こうと努力するためには、
当然のことだと思っています。」

G.K「日本や世界のコンクールの優勝者として、
新しい曲の演奏をすることはチャレンジですか?」
M.K「コンクールに優勝することは大きな挑戦ではありません。
優勝者にふさわしい演奏をし続けることに意味があります。
演奏会には評論家やプロの演奏家も来ますが、
もっとも大切なことは(一般の)観客が演奏を楽しんでいるかどうかです。
観客の共感を得られるような演奏をすることが自分の役目だと思っています。
そして私は単なる演奏者に過ぎません。
何世紀にも渡って受け継がれてきた偉大な作曲家達の曲を仲介する立場であると思っています。
想像性を保ちながらも作曲家の意図に忠実に曲を再現することが
自分に課せられた役目だと思っています。」

G.K「今、キシュマロシで学んでいる子供たちにメッセージはありますか?」
M.K「音楽を愛すること、
音楽は人間にとって有史以来、ずっと存在し続けているなくてはならないものです。
数千年にもわたって受け継がれて来ている音楽の恩恵という喜びが彼らと共にありますように。」

エリックの沈黙

2011-03-29 00:00:36 | エリックべネイ、2011年来日へ
画像は昨年のブルーノート東京でのNile Rodgers。

エリック・べネイの来日が延期になった。

今回の地震に対してのコメント、ツイッタ―で「日本の人達のために祈っている」
私も個人的に「とても心配している。くれぐれも気を付けてね。」
とメールを貰ったが「日本に行く」とは書かれていなかった。

その後、来日延期になりそうだと最初に知ったのは
日本に同行することになっていたキーボードプレイヤー、JRのfacebookの書き込み、
今回、エリックのライブを観るために日本に来ることになっていたパトリーナからのメッセージ、
アメリカのファンクラブの会長からの連絡だった。

多くのアーティストが日本に対してのメッセージ、コメントを寄せてくれている。
気持ちを表してくれている。
それなのにエリックはちょっと冷たいんじゃないかと思い始めた。
夫に文句を言うと「それがエリックのスタイルなんだよ。
今までいろいろあったし、ブルーノートがまだ日本に来るようにページに出しているし
(昨日のお昼頃にやっとブルーノートから延期の連絡が入りました)、
あえて『行けなくてごめん』なんて立場上、コメント出せないんだよ。」と慰められる。

夫は続ける。
「それにちょっと前までは慣れない映画撮影をしていて、
その上次はクルーズの仕事が続けて入っていて、
きっと船の上ではメールや携帯が使えないんだよ。」
そうか、そんなものかなぁと神妙に納得する。

エリックの来日が延期になり次々とアーティスト達の来日がキャンセルになる。
その中で日本に来てくれるというナイル・ロジャース。
自分の癌が体内から消えたことが検査でわかったのに日本の人達のことを思うと、
素直に喜べないとまでブログに書いているナイル。

ツイッタ―でNile Rodgers宛てに「地震の後、一番嬉しかったニュースはナイルが癌から解放されたということ。
日本に来てくれて"Good Times"(ナイルの曲)良い一時を一緒に過ごせるのを楽しみにしているわ!」
とツイートすると一時間後にダイレクトメッセージが来た。
「どうもありがとう。すぐに行くからね。」

それから30分ほどしてナイルからまたダイレクトメッセージが届く。
内容は「・・・・・(笑)」みたいな感じ。
なんだろう、これって?
とナイル・ロジャースのツイッタ―のページをチェックすると、
私に最初にダイレクトメッセージをくれた後、
エリックべネイ宛に「よっ、ブラ。どう?元気でやっている?
僕はちょっと日本まで平和の祭典をしに行ってくるけどね。」みたいなツイートをしている。

私のツイッタ―のプロフィールを見ればエリックのファンだということは一目瞭然。
私宛の二つ目のナイルからのダイレクトメッセージは「エリックにちゃんと言っておいたからね。」
そういう意味だとわかった。
ナイルっていい人だなぁ。

そうだ、韓国へ行こう!

2011-03-28 00:04:15 | エリックべネイ、2011年来日へ
地震の後もずっと次々と混乱が続いている日本。
各国の大使館の対応、本国から日本へ旅行する人に対してのガイダンスに注目していた。
だんだんとこれはエリック・べネイの来日は難しい、
またこういう状況で来させるのも気の毒なのではないかと
自分の中でも何を考えているのか良くわからなくなってきていた。
予感がしていたので19日の朝に来日が延期されたと知った時には、
覚悟もしていたゆえに淡々と受け止めたつもりだった。

それが数日経つ内に何ともあきらめきれない、
これで終わって良いのだろうかという気持ちが自分の中で湧きあがって来た。
ある朝起きた私は「そうだ、韓国へ行こう!」と思い立った。

私はとんでもない考えに取りつかれたのだろうか?
エリックのライブを東京、横浜で7ショウ観るつもりでいた。
そのエリック預金を使えば韓国往復のエア、ホテル、コンサート代はまかなえる。
時間的にも羽田から2時間半のフライト、羽田から着く金浦空港から市内までは約40分。
コンサートチケットさえ押さえられれば無謀な計画とはいえない。

羽田から15時の飛行機がベストだが、それに乗るとソウル到着は18時少し前。
ライブの開始時間は20時から。
空港で日本からの乗客に対して厳しい検査があるかもしれないし、
飛行機が少しでも遅れればとても夜8時のライブに間に合わなくなる。
それでは何のために行ったのかわからない。
また今の日本が不安定な時期、フライトは週単位で時刻表が決まる。
そして当日、フライトの時間が変わることもある。
したがって多少飛行機が遅れてもコンサートに間に合う時間帯のフライトを選びたい。

その前の飛行機は13時過ぎ。
ところがこの便、3月はあっても4月にはない。
4月のタイムテーブルだと15時の前のフライトは12:20しかない。
この便に乗るためのチェックインは10:20になるかと思うが
ギリギリで11時前には空港に着けそうだ。

値段を調べるとその更に前の12時のアシアナ航空のフライトよりも
12時20分の大韓航空のフライトは2万円も高くなる。
「20分のために2万円・・・」何とか頑張って12時のフライトに乗りたい。

コンサートチケットはどうしよう?
韓国通のEさんにメール。調べてもらうことに。
Eさんも一緒に行けるかもしれない。

会場のHPを見るとハングル文字ばかりで英語のサイトにジャンプできない。
しかし様子を見る内に渋谷アックスのような余り大きめでないスタンディングの会場だとわかってきた。
この規模なら日本のライブがなくなれば、LAからここだけに行く採算が取れずに、
日本と同時に消滅する可能性が高いと思えてきた。

そこで一反あきらめかけたが、日本語でもう一度検索してみる。
すると韓流スターのファンの方のページにこの会場の詳細があるではないか。
1700名収容できる会場とある。
それならキャンセルもないだろう。

翌日、Eさんからもやはり15時のフライトで着いてから会場に向かうのでは、
交通渋滞もありやや難しいと教えていただく。
また会場は市内中心部からは多少離れているが、韓国はタクシーが安いので、
ホテルからタクシーで行くのが良いとのアドバイス。
かなり盛り上がって来てアメリカのファンクラブの代表、トロイリンにも
「私と夫とEさんとで韓国に行くからね。エリックがアジアに来ているのに見逃すなんてできないわ!」
と書いて送った。
エリックに会えたら日本のファンに向けてのヴィデオレターも撮るぞとテンションが上がってきた。

翌朝起きるとトロイリンからメール。
「韓国のライブも延期になったのよ。残念ね。新しい日程が決まったらすぐに連絡するわ。」
がっかりもしたが、東京のライブがなくなった時から余り失望しないように、
こういうこともあるかと自分を抑えていたので「そうか・・・」という感じだった。

それでもたった3日間だけだったが「韓国にいくぞ!」とテンションが高くなっていたおかげか、
少し元気が出てきた。
ソウルまでは2時間半余りのフライト、一泊でも羽田からなら行けることもわかったから、
次回はぜひ、エリックの人気の高い熱い国、韓国でのライブも体験してみたい。

ブルーノートのスケジュールを見ると

2011-03-27 09:57:08 | エリックべネイ、2011年来日へ
エリックのオフィシャルページからもファンクラブのサイトからも、
ジャパンツアーは既に削除されている。
それなのにブルーノートのページを見ると未だに予約を受け付けていた。

それどころか、以前は「他メンバー未定」となっていた詳細、
しっかり他のクルーの名前が書かれている。

Eric Benet(vo)
エリック・ベネイ(ヴォーカル)
Jon Rych(key)
ジョン・リッチ(キーボード)
Leah Vladoeski(vo)
リー・ヴラドエスキ(ヴォーカル)
John Johnson(g)
ジョン・ジョンソン(ギター)
Afton Johnson(b)
アフトン・ジョンソン(ベース)
John "Stixx" McVicker(ds)
ジョン“スティックス”マクヴィッカー(ドラムス)

そうか・・・今回はバックボーカルもギターもちゃんと来る予定だったんだ。
久々にしっかりとしたバンド構成だっただけに残念さがつのる。

しかしこれだけきちんと書かれていると「ひょっとしたら来ることに変更?」
という疑いさえ出てきてしまうのだが。

白蓮の咲く道

2011-03-25 20:41:37 | 私の日々
タクシーに乗りながら外を眺めているとまるで並木にぶらさがるようにして、
大輪の白蓮の花が咲いている。
その道沿いに満開に咲く様子に目を奪われた。
運転手さんも同じ気持ちだったようで「白蓮が咲く時期だったんですね。
今、初めて気づきました。」
「白蓮って今頃?桜の後のような気がしていたけど。」
「いえ、こぶしと白蓮、木蓮は桜の前ですね。」
花が咲いているのに目に入らない、そんな今日この頃だった。

その後、いろいろな花々が目に入って来た。
電車に乗っていると桃色の花が満開だ。
桜や桃がまだなら、梅の遅い品種だろうか。

歩いているとどこに咲いているのか、
沈丁花の香りもしてくる。
見上げれば今は花盛りの時期。
そしてもうすぐ桜の季節もやってくる。

ブルーノートに寄せられた海外のアーティスト達からの励ましのメッセージ。
コメントを伝えた後で「さくら」の演奏をするアーティストが二人いた。
デイブ・コズはサックスでジョバンニ・ミラバッシはピアノで。
メッセージで「桜を見て日本の人の気持ちが和むと良いのだけど。」
と伝えている人もいた。

これからどんな形で影響が出てくるか先のことはわからない。
でも桜を愛でる心は失いたくない。
それは日本人が長い間たいせつに積み上げてきた文化でもあるから。

Eric Benet-Sail Away

2011-03-23 23:18:11 | エリック・ベネイ未発売の曲
「さまざまな嘘や風の囁きに妨げられて
誰がほんとうの友達かわからなくなる
皆それぞれの名前は知っていても
ほんとうの姿を知ることはない
勇気と孤独のために祈りたい
心の中に獅子が存在していると信じたい

船出をしよう
飛び立とう
走り出そう
殻を破ろう

壁がみな崩れてきて、街が盗人に溢れていても
その中であきらめてはいけない
血を流しても笑顔は忘れないで
心の中に暖かさがあれば不可能なことなどない
なんで愛を恐れるんだろう
それでは決して理解し合えない
まだ無邪気な心があると信じたいから
勇気と孤独のために祈ろう

僕達は居場所を見つける
僕と君だけの
それは遥か彼方ではなく君の瞳の中
今とは違うところ、僕達は最高の場所をみつける
最も強い愛だけが生き残ることができるから」

2008年に"Love&Life"の発売日が定まるとともに、
エリック・ベネイ、myspaceに自身のプロフィールページ以外の
ミュージックページを作成した。

そして、トップにこの"Sail Away"、
そしてその他、"Better&Better"に含まれていた曲の内、
3rdアルバム"Hurricane"、4thアルバム"Love&Life"にも収録されなかった
数曲がアップされた。

この"Sail Away"を始め、その他の曲もとても人気が出て、
Newアルバム、"Love&Life"に収録されていると期待されてしまった。
そのためエリックはこれらの曲をミュージックページから外している。

アーティストで自身も歌うJadaが、"Sail Away"の感動を、
作品にしたのがこの映像。
曲の雰囲気に合った画像ととエリック・ベネイの過去の写真とで綴られている。

"Sail Away"は、本来、Eric Benetの3rdアルバム"Hurricane"
6曲目に収められる予定だった。
日本でも受けそうなこの曲。
なぜ外されたのか理由はわからない。

Tavis Smileyとエリックのインタビューの中に、
新曲を発売する前にリサーチを行うという話があった。
"Hurricane"のアルバムの中には、静かな語り口の曲が何曲かある。
アルバムの中の同系のトーンの曲を減らすために、
この曲は削除されたのだろうか。

最初、"Hurricane"日本版ではボーナストラックが1曲、付く予定になっていた。
残念ながらその話は流れてしまったが、
それが、この"Sail Away"だった可能性は多いにある。

"Hurricane"は、本来のエリックベネイの持ち味と違うと言われ、
アメリカのファンから余り支持を受けなかった。
日本でも同様の感想を持ったファンはいるようだ。
しかしながら、アジアの国、日本、そして特に韓国で、
"Hurricane"は、愛されている。

Eric Benet"Hurricane"のアルバムが好きな方は、
きっとこの"Sail Away"も気に入るはずだ。

「歌詞を教えて!」と頼むと、ファンクラブのメンバーのDanielleが、
「20分待って!」と返事があり、書き止めたリリックを送ってくれた。
ニューオリンズでダニエルに会った時、
「聴いては、止めて、書いては聴いて、がんばったのよ。」
ダニエルが教えてくれた歌詞を訳してみた。

今の気持ちにフィットする気がして、
昨日この映像をfacebookにアップロードしたら、
アメリカの何人かのファン達から「この曲が好き」とコメントを貰った。
先ほど、エリックの姉リサからも「私もこの曲、好きなのよ」とコメントがあった。

"Sail Away"、改めて聴いてみると、
どこか違う遠い所に行こうとしているのではなくて、
今の場所を心次第で変えられるとエリックは歌っているようだ。

'SAIL AWAY' by: Eric Benet

4月のエリック・べネイの来日について

2011-03-21 19:02:02 | エリックべネイ、2011年来日へ
ブルーノートが公式に発表するまでブログで書くのを待とうかと思っていた。
しかしメールでもお問い合わせをいただき、自分が知ってしまったことを、
このままにしておいては、いつも読んで下さっている皆さんに申し訳ない。
残念ながら今回のエリック・べネイの来日は延期となる模様だ。

Mさんから「この状況を感じさせるのは心苦しい。来て欲しいけど複雑な心境です」
といった趣旨のメールをいただいた。
やはりほんとうのファンの方々はみんな、同じ気持ちでいるのだなぁと思った。

海外での日本の現状の報道はエスカレートしている。
この状況の中で来ることに対してクルーメンバーやその家族達も不安を募らせていた。
エリックにしても家族や周りの人々は安心して日本に送り出す気持ちにはなれないだろう。

ブルーノートの方達は観客やアーティストの協力を得て、
節電、安全も心掛けながらライブが行えるようにと前向きに努力している。
海外からアーティストが心配なく来られる平和な日本になることを願ってやまない。

また私としてはエリックとは一生の付き合いだと決めているので(私の方が勝手に)
この度の来日が延期されても次の機会へと楽しみを繋ぎたい。

エリックのファンクラブのメンバー達は自分だけでなく、働いている職場や学校などで、
日本への募金を呼び掛けてくれている。

Eric Benet-Sing To Me

2011-03-19 00:00:23 | エリックベネイの曲
Sing To Me

「僕の心と魂、そして人生を君の存在がすっかり変えてしまったってこと
君にどう言ったらいいだろう
言葉が見つからないよ

君の優しさは僕の苦しみを癒し
君と一緒にいると僕はより良い人になれる
どうしてなんだろう

君の瞳の中に永遠の曲がある
そして僕には君の歌が聴こえる
音も言葉もなくても君の曲が聴こえる
聴いたこともないような優しいメロディー

今の世界は邪悪なものだらけ
少しでも良くしようと愛を探して
皆その中で道を見出そうとしている

でも僕たちは大丈夫 前へ進める
君の愛のセレナーデがあるから
僕たちにはずっと ずっと ずっと
続けていくだけの強さがあるって
僕は知っているよ

それは、音も言葉もなくても君の曲が聴こえるから
聴いたこともないような優しいメロディー
その余りの優しさに僕は泣いてしまう
そこにほんとうの愛を信じることができるから

君の曲が聴こえる
そこに僕たちの愛を見つけることができるから
どんな困難も乗り越えることができる
君がいるから 僕は 今日もそして明日も
もっと頑張り続けることができる

だから君のことが大好きなんだよ」

エリックのこの曲を作った時の気持ちを考えながら、歌詞を訳してみた。

エリックベネイの3rdアルバム、"Hurricane"を聴かれていない方,
セカンドアルバム"A Day In The Life"などのイメージが強い方は、
この4thアルバム"Love&Life"中の"Sing To Me"に驚かれるようだ。

エリックは好きな音楽の守備範囲が広く、
R&B以外のアーティスト、ビートルズやクイーン、
そしてジェームズ・テイラーなども挙げている。

音楽好きの3人の姉と一人の兄、
それぞれの好みの違う曲を聴きながら育ち、
20歳前後からアメリカントップ40を演奏するバンドで、
いろいろな曲を歌ってきたので、楽曲がバラエティーに富んでいる。

この曲を最初にYouTubeの画像で観た時、
ギターを手に歌う姿にエリックべネイがジェームズ・テイラーのファンだったこと、
思い出した。
インタビューでエリックは、
「もし楽器の演奏が得意ならギタリストやキーボードの名前が、
僕のアルバムに書かれてないはずだよ。」と謙遜しているが、
ギターやピアノも作曲の時は使うし演奏もできる。

EricBenet"Sing To Me"ライブ映像ではフォーキーなテイストだったが、
"Love & Life"の中ではアルバム全体とバランスが取れたポップな雰囲気だ。
歌詞が恋人に歌っているようにも聴こえるが、
娘インディアに捧げる歌。
存在そのものがメロディーアスでリリック、
いてくれるだけで自分は良い人間になれる、と歌っている。

あなたにとっても、そういう存在ってありませんか?
恋人ということではなくて、友達や家族、ペットかもしれませんね。


Eric Benet - Love Patience and Time

2011-03-18 00:00:23 | エリックベネイの曲
Eric Benet - Love Patience and Time LIVE


"Love Patience and Time"は、
エリック・べネイの曲の中でも辛い時を過ごしている人々への応援歌。

"Love Patience and Time"
イラク戦争で片足を失った若者がいた
彼は座り込んで酒を飲み、
自分ができなくなってしまった事を考えていた

彼に笑顔がもどって元気になるまで
しばらく時間がかかったと聞いている
マラソンに出たら2年続けて優勝したそうだ

人生で避ける事のできない嵐がある
希望は人生で迷った時に照らしてくれる灯火
あきらめないで、きっと乗り越えられる
There's a storm that you're gon'have to ride in your life
Hope is the beacon that saves when you're lost in your life
just hold on and you'll go with the tide

愛すること、受け入れること、時がたつこと、
With love, patience and time,
そんなに時間はかからない、きっと良くなるから
and it won't take long and it's gonna be alright
心の中には強い力があるから
That power is strong in your heart and mine

父親に愛された事のない女の子、可愛い子を知っていた
彼女は何で男の人はみな自分に冷たくなるのかと思っていた
すっかり心が冷え切ってしまう前に
父親のした事を許せば
その時彼女は今まで夢見ていた愛を知るだろう

自分の事を責める話がある、人がいる
でも迷ったりしないで
過去の事にとらわれないで放っておけばいいなんて
それもうそ

僕達が思っているよりもずっと世界は広がっている
神の愛と光が導いてくれる
何もかもきっと良くなるよ

国の指導者達は銃を取れと言う
自分達と違う立場の人を殺さなければ世界は変わらないと
血と恐怖が世界をひとつにすると
でも僕は、こう思っている
愛すること、受け入れること、時がたつこと

アメリカからの真心

2011-03-17 00:00:23 | Weblog
アメリカのエリックべネイファンクラブのメンバー、Silawnが「日本のために何か寄付をしたい、
どの団体が良いかしら?」とファンサイトにスレットを立てた。
Kathyが「日本のメンバー達に聞いてみるわ。」と返事をしている。

Kathyからほどなくメッセージが届いたので、自分達はiTunesを通じて赤十字に寄付したことを伝えると、
「赤十字では末端の被災者に行き届くとは思えない。他の団体はないの?」

他の組織を捜すとほとんどは受け付けた寄付をまとめて赤十字に託している。
 
アメリカにいるYukiさんが"Keiro"という団体をKathyに伝えたようだ。
がこの団体も日本の赤十字に送っていると内容を読むと書いてあり、
Silawnは疑問に思ったようだ。

アメリカの赤十字どころか日本の赤十字も納得できないとは、
今までにハリケーン・カトリーナの時などによっぽどの不祥事があったのだろうか。

宮城県のサイトを見ると寄付を募っているが、日本の郵便振替が中心。
カードなどの寄付も受け付けていないし、英語のサイトもない。
できればアメリカからクレジットカードなどで直接、送れるものが望ましい。

小規模の団体や個人で寄付を受け取るところも教えていただいたが、
自分はともかく人にまで薦めてしまっても良いかどうかまでは判断がつかない。
でも教えて下さった方達、ほんとうにありがとうございます!

結局、それぞれ自分の州など身近な場所で受け付けている募金を使うことにしたようだ。

昨夜の時点ではブルーノートは3/17まで、コットンクラブは3/18まで、
ビルボード東京は4/2までお休みと発表になっている。

昨夜遅くに英国大使館が行った会議の内容が発表されたが、
今まででの各国政府の発表と較べると非常におおらかなものとなった。
核の専門家であるジョン・ぺディントンが電話で会議に参加し、
チェルノブイリとは全く異なった状況であり、日本政府の対応を肯定し、
ブリティッシュスクールも学校閉鎖をする必要はないとするものだった。
日本経済新聞のサイト
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE3E4E2E6808DE3E4E2E1E0E2E3E39494EAE2E2E2;at=DGXZZO0195570008122009000000
英国大使館の本文
http://ukinjapan.fco.gov.uk/en/news/?view=News&id=566914282

日本への渡航

2011-03-16 00:00:23 | エリックべネイ、2011年来日へ
最初に目に入ったのはフランス政府の日本滞在自国民への対応だった。
それは直ちに東京を離れろ、という過激な物だった。
その後のアメリカ政府は水、食料、通信の面から、
(これは日本のたいへんな時に迷惑を掛けないようにというようにもとれるが)
日本への渡航を自粛、それは緊急の任務のない政府要員にもと指示された。

エリック・べネイは昨日、ツイッタ―で「日本の人達のために祈っている」とコメントした。
http://twitter.com/ebenet
しかし、来日できるかはこれからのアメリカ政府の対応、
余震や被爆の心配がなくなりアメリカ政府の来日規制が解かれないことには叶わない。
facebookでも「とても心配している。」という内容のメッセージを受け取っている。

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仏大使館…自国民に外出自粛の呼びかけ
読売新聞 3月15日(火)14時12分配信

在日フランス大使館は15日午前、福島第一原発での一連の事故を受け、
「10時間ほどで弱い放射線が東京に到達する恐れがある」として、
都内に滞在する自国民に外出を控えるよう勧告、
さらに、「パニックに陥らず、家の窓を閉じよう」と呼び掛けた。

同大使館はこれに先立ち、東日本で強い余震発生の恐れがあるとして、
直ちに東京を離れるよう仏国民に求めていた。
英紙フィナンシャル・タイムズによると、東京からの退避勧告を出したのはフランスが初めて。

ほかの各国でも、日本への不要不急の渡航の自粛を自国民に求める動きが加速している。

米国務省は13日に自国民への勧告を発表し、
水、食料の不足や交通、通信などの問題から、日本への不急の渡航を自粛するよう求めた。
緊急の任務がない政府要員にも訪日を見合わせるよう指示したという。
日本に滞在中の米国人については、在日米大使館は「日本の治安当局の指示に従うように」と求めている。

韓国外交通商省も日本への渡航自粛を勧告した。

週末が明けて

2011-03-15 00:00:00 | Weblog
スイスに住んでいる友人から添付ファイル付きのメールが来た。
被爆から身を守るための手引きが添えられていた。
その上で「自治体や保健所でヨウ素剤(ヨウ化カリウム)を
保管しているので入手しておくのも良い」と書き加えている。
海外の報道がエスカレートしているのか、私達に危機感がないのか。

昨日は週明け。
最寄りの駅は電車が通っていないと事前に知ってはいたが取敢えず行ってみる。
駅にシャッターが下りているのを見るのは初めて。
駅員が二人、対応してくれているので、この近くのJRの別の路線駅に行くか、
都営地下鉄線の駅に行くのとどちらが良いか相談する。
都営線は50パーセントの運行、JRの方がまだ動きがあると聞き、
別の駅までバスで出る。

駅ビルは閉まっているし駅は暗くエスカレーターも動いていない。
来た電車もたいへんな混雑で一台は見送った。
何カ所か移動するために電車を乗り継いだり歩いたり。
品川では京急線がホームの入場制限を行っていて、
改札に長い列ができている。
動いているはずの電車がしばらく来ない駅もあった。

被災地の様子をテレビで見ていると息を呑むばかりだ。
外に出ると街の様子は全く変わらない部分にも明らかに違ってしまった様子にも、
どちらにも驚かされる。

ライブハウス、数か所から来るメールニュース、どこも今週後半まで休みと決めたようだ。

ナイル・ロジャースの日記

2011-03-14 00:00:00 | NILE RODGERS & the CHIC organization
ナイル・ロジャースがfacebookのページに「日本の人々のために祈る、もうすぐ行くからね。」
とスレッドを立てたのは昨日だった。

今日見ると「日本の様子が心配でずっとテレビを見続けている。
少しでも早く行って日本の人を自分の愛と音楽で癒してあげたい。」
これを読んで涙目になってしまった。

ナイル・ロジャースは癌の闘病中で病をおして4月に来日する。
そのために朝のウォーキングも重ねて体力作り、免疫力をあげるために頑張っている。
4月はナイルのパートナーのバーナードが武道館のコンサートの後、
日本のホテルで亡くなった辛い季節。
日本に来ることで日本のファンと共に過ごすことで自分は癒された、
そして癌であることがわかってからも日本の人々が自分を力づけてくれた。
だから早く日本に行ってみんなとこの気持ちを分かち合いたい、と記している。

http://nilerodgers.com/blog/planet-c-blog-roll/282-walking-on-planet-c-together-in-japan

地震から二日後

2011-03-13 00:45:15 | Weblog
facebookを見ていると自分がfriendやlikeとしている人の関連ページのコメントに、
びっくりするようなものを見つけてしまう。

昨年滞在した都市、マサチューセッツ州S市のファンページに一人が「日本の人のために祈ろう。」
とスレッドを立てると「津波が来るかもしれないハワイやサンフランシスコはどうなるの?
日本は自業自得でしょう?」みたいなことを書きこんでいた人がいて唖然とした。

他の人のページでも「神が罰を下した。」
またアメリカのニュースキャスターの中にも不遜なコメントをした人がいるらしい。
英語が母国語ではないので余りにも酷いことが書かれていると、
こんな状況の中にこんなことを書き込んでいるなんて、もしかして私の勘違いかと最初は疑う。

それがほんとうに悪意だと分かった時、残念であると思うと同時に、もし一人の日本人と友達だったら、
一人でも日本に好感を持っている知り合いがいたら、絶対にそんなことは書けないだろうと思った。

S市の住民でも毎年、日本人のホームステイを引き受けている人はプロフィールを日本の国旗にまで変えて、
応援してくれている。
私が滞在した家のご夫婦からもお見舞いメールを頂いた。

フランスでレストランをやっている友人からまず安否の問い合わせ、無事と知らせると
「食料を送ろうか?」
スイスの友人からもメールが来た「無事だと信じいるけど何かできることある?」

日本にゆかりのあるアーティストたちが次々と哀悼の意と心配する気持ちを表現してくれている。
一方、これから来日の決まっているバンドのクルーたちは率直に日本に行くことの不安、
またその周囲の人も、「ほんとうに行って大丈夫なの?」などと書き込んでいる。

被災地の被害状況は拡大しているが、その他の地域は安全であることを海外の人に伝えるようにしている。


昨日の地震

2011-03-12 11:31:25 | Weblog
昨日の地震、それぞれの場所でたいへんな思いをされたことと思います。
みなさま、お元気でしょうか?
東京近郊の方は疲れも出ていることかと思いますが、
引き続き、お気を付けてお過ごし下さい。
東北方面の方には一刻も早い救助と復旧を願うと共に、
お見舞い申し上げます。

私は家に一人でした。
家にいたのは幸いのような、そうでなかったような状況でした。
ブラインドが窓に叩きつけられるように揺れ始め、
家の中の二台のパソコン、液晶テレビなど薄型の物、給水機などの上に重心がある物、
今にも倒れそうな状態が続き、キッチンの収納扉が次々と空き始めました。
パニクった私は何と食器棚を抑え始めたのです。
食器が惜しかったわけではありません。
ただ「これが倒れたらたいへん!」と思ったらしいのです。
何をやっているのだろうとはっと我に返り、さてどこが一番安全なのだろうかと。

ダイニングテーブルは食器棚に直撃されそうだし、ソファーの下は窓に近いから、
ガラスが割れたらたいへんだし。呆然と立ち尽くしていました。
いや、立っていられずによろよろと動いていたのだと思います。
そのうち、何か自分の中で覚悟のような物が定まり、気持ちが落ち着きました。

海外の人が日本で地震に合うともう真っ青になります。
私たちはある程度慣れていて、それはこれくらいの揺れだったら大丈夫だろうとか、
後もうちょっとで収まるだろうという経験があるからです。
しかし昨日のはそのすべてを超越したすごさでした。

あの揺れの中で一人でいて、また携帯、電話はもとよりメールも連絡が取れない。
夫とは初期の揺れの直後に連絡をとることができましたが、
築70年の家に住んでいる高齢の両親とは連絡が取れないまま。
両親の住んでいる千葉県が津波圏内とテレビに出てきたではないですか。
実家の横には川もあります。
だんだん心配がつのっていました。

電気と水が止まっていなかったので、テレビを見つつ、
またパソコンも落ちてしまった人もいたようですが、
家のは問題なかったので付けていると、アメリカからたくさんのお見舞いのメールを貰いました。
その内、夫とも連絡が取れなくなり、実家のこともますます心配に。
アメリカの人達とfacebookでやり取りしているのに東京近郊の家族の安否が確かめられない。
不安な気持ちをそのままfacebookに書き込むと、「あなたのために祈っているから。」
「一緒にいてあげたい。」などと暖かい気持ちをみんな、メッセージやコメントで運んでくれて、
ほんとうに元気づけられました。
その内、夫ともfacebookを通して連絡が取れました。
渋滞にはまって3時間経過していると書いてきました。

夜10時半頃でしょうか。
こちらからは「その地域の連絡はできません」状態だった電話が、
母の方から掛かってきました。
両親、上の弟の家族、それぞれ無事であること、下の弟は台湾の空港で足止めされて、
テレビで日本の様子を見ながら恐怖のどん底だったようです。
甥は遠足のまま、バスで徹夜、上の弟も徒歩で3時間かけて家に帰ったと聞きました。

土曜の午前中に通っている仏語学校の仲間達から連絡がパソコンで廻り始めました。
一緒に昼食をしたりする人達10人と作った連絡網。
それぞれ、家に返れずに職場や友人の家に留まっている人、歩いて帰った人、
地下鉄が動き始めたようなので、そろそろ帰ってみようと思う、などなど。
家に帰ったらテレビが倒れて壊れていた、お気に入りのグラスが割れていた、
シャワーを浴びようとしたら出ない、などもまた連絡が入りました。
家も昨日、お湯はでませんでした。
今日は最後のレッスンだったのに休校。

12時少し前に家に夫が帰宅。
いつもは車で30分ほどの距離に6時間掛かったとのこと。
私も飲まず食わずだったことに気づき二人で深夜の食事をして休みました。

今日の午後の仕事の打ち合わせもキャンセルになったので、
家でテレビを観ていますが、被害の様子は阪神大震災の時と同じに、
思っていた以上のようです。
引き続き、みなさん、どうぞお気を付けてお過ごしください。

エリックの婚約者のマニュエラが日本に向けての募金を呼び掛けています。
アメリカのfacebook friends達は引き続き、
日本に祈りを向けるとステータスを出してくれています。
私も共に祈りを運びたいと思います。
いろいろと考えさせられる一日でした。