日本で初のシャルダンの個展。
フランスはもとよりアメリカやスペイン、ロシア、スコットランド等から、
美術館だけでなく、個人所有の作品まで38点が集められた。
1699年に生まれ1779年に没したジャン・シメオン・シャルダン。
没後に忘れられていた画家の存在を表舞台へと導いたのは、
フェルメールをも再評価したトレ・ビュルガーだった。
開催場所は三菱一号館美術館。
19世紀末に英国人建築家コンドルにより設計された建物。
ニコライ堂や鹿鳴館も設計したコンドルは日本で生涯を終えている。
既に解体されていた三菱第一号館、2010年にコンドルの初期の設計に基づき現地に復元された。
19世紀のイギリス・アンティーク調の美術館の中で、シャルダンの作品を観ることができる。
入口付近で貸し出していた音声ガイド。
借りるかどうか迷ったが、借りてみて正解だった。
ヘッドホーンをしていることで複数で連れ立ってきている人たちの話声からも、
遠ざかることができるし、この音声解説、館長や学芸員のコメント、
その当時に重ねるクラシック音楽も入る。
「今、あなたがこれらを観て美しいと言えるとしたら、
シャルダンがそれらを観て美しいと思い、描いたら美しいと考えたからだ。」
というプルーストの言葉の引用から始まる。
初期の静物画、ありふれた台所道具、日常に使う質素な物が描かれている。
二点で対になる作品もいくつかある。
それぞれが分散して所有されている場合が多いので、
このように対になって観る機会は稀なことなのではないだろうか。
静物画から風俗画、人物を描くようになったシャルダンの作品。
「食前の祈り」は三つの作品があるそうだ。
ルイ15世に献上されたもの、自分のために残した一枚、
そしてエカテリーナ女帝に捧げられたもの。
それぞれルーヴル、エルミタージュ美術館が所有している。
較べて見ると女装して祈りを捧げる弟に注ぐ眼がルーヴルの方は優しげで、
エルミタージュの方は姉独特の年下の兄弟へ向けるちょっと尊大な表情にも取れる。
母の面差しにも違いが感じられる。
それにしてもフランスとロシアにある同じ構図の作品を、
東京で二つ並べて鑑賞できるとはなんと贅沢な楽しみだろう。
「羽を持つ少女」(個人蔵)
ラケットと羽を持つ無邪気な美しい少女像。
これを買って持っている人の気持ちがわかるような気がする。
この作品には当時、こんな詩が付けられたそうだ。
「気がかりも悲しみもなく、欲望にも心騒がれず、ラケットと羽が楽しみのすべて」
しかしながら、当時の風俗画のモチーフには意味づけがあり、
ラケット、羽は遊び、スカートに下がる鋏や針刺しは労働を意味したとも取れ、
すべてが円錐型にまとめられていること、青白茶に色が統一されていると説明が入る。
人物にも物にも優しい目線が注がれている。
この作品のレプリカも展示されていたが、同じものを描いていても、
その空気感や心が表現されていない。
当時は歴史画が最も格が上とされ、また風俗画は静物画よりも収入になるため、
シャルダンは風俗画を中心に描くようになる。
しかしながら、名誉も金銭も得て二度目の結婚をしたシャルダン、
再び、静物画へと戻っていく。
前期の静物画と異なるのはその調度品が再婚相手が貴族の未亡人だった故、
豪華になっていることだ。
「カーネーションの花瓶」
この絵の美しさにはしばらく立ち止まって眺めてしまった。
ほんの一房の花束を花瓶に指した絵なのだが、何ともその様子が瑞々しくエレガントだ。
花瓶の下に散った花が描かれているが、解説によると、
かつてはこれによって「儚さ」が表されたが、
この時代ごろからはフレッシュさを表現する手法になったとのこと。
この絵の画像をここに添付しようとしたが、画像では実物に描かれていた花の持つ
香しさが全く伝わって来ない。
シャルダンから影響を受けた画家としてミレー、マルケ、セザンヌの作品が展示されていた。
マルケはシャルダンの模写を作成するとルーヴル美術館に申請した記録が残っているそうだ。
模写を描くのにルーヴルに届けを出すというのを興味深く聴いた。
今回の呼び物の作品「木いちごの籠」
「『木いちごの籠』にも『食前の祈り』と同じ重い心の瞑想を思い出す」
というジイドの言葉が紹介されている。
木いちごの籠を描いても、そこには深い感情が乗っているということだろうか。
籠の後ろに描き残しとも言えるむらがあるが、
それはあえて実在感を強調するためだったと学芸員の解説にある。
細部だけでなく、絵から離れた時に感じられる独特の構図、
それが円錐形や楕円形、円筒形の連なりだったり、統一感のある色調であったり。
最初の頃からの静物画が途中に風俗画を描いたことで、
後期では更に奥行のあるものに変化していった様子。
風俗画の中に描かれる人物へ向ける暖かな視線。
対象をなす「肉のある料理」「肉のない料理」などの作品の面白さ、
二つの同じテーマの作品、これらを一堂に鑑賞することができた。
美術館を出た後も18世紀のフランスにタイムスリップしたまま、
簡単には戻って来られない気分だ。
そして無性に木いちごが食べたいという衝動に駆られた。
フランスはもとよりアメリカやスペイン、ロシア、スコットランド等から、
美術館だけでなく、個人所有の作品まで38点が集められた。
1699年に生まれ1779年に没したジャン・シメオン・シャルダン。
没後に忘れられていた画家の存在を表舞台へと導いたのは、
フェルメールをも再評価したトレ・ビュルガーだった。
開催場所は三菱一号館美術館。
19世紀末に英国人建築家コンドルにより設計された建物。
ニコライ堂や鹿鳴館も設計したコンドルは日本で生涯を終えている。
既に解体されていた三菱第一号館、2010年にコンドルの初期の設計に基づき現地に復元された。
19世紀のイギリス・アンティーク調の美術館の中で、シャルダンの作品を観ることができる。
入口付近で貸し出していた音声ガイド。
借りるかどうか迷ったが、借りてみて正解だった。
ヘッドホーンをしていることで複数で連れ立ってきている人たちの話声からも、
遠ざかることができるし、この音声解説、館長や学芸員のコメント、
その当時に重ねるクラシック音楽も入る。
「今、あなたがこれらを観て美しいと言えるとしたら、
シャルダンがそれらを観て美しいと思い、描いたら美しいと考えたからだ。」
というプルーストの言葉の引用から始まる。
初期の静物画、ありふれた台所道具、日常に使う質素な物が描かれている。
二点で対になる作品もいくつかある。
それぞれが分散して所有されている場合が多いので、
このように対になって観る機会は稀なことなのではないだろうか。
静物画から風俗画、人物を描くようになったシャルダンの作品。
「食前の祈り」は三つの作品があるそうだ。
ルイ15世に献上されたもの、自分のために残した一枚、
そしてエカテリーナ女帝に捧げられたもの。
それぞれルーヴル、エルミタージュ美術館が所有している。
較べて見ると女装して祈りを捧げる弟に注ぐ眼がルーヴルの方は優しげで、
エルミタージュの方は姉独特の年下の兄弟へ向けるちょっと尊大な表情にも取れる。
母の面差しにも違いが感じられる。
それにしてもフランスとロシアにある同じ構図の作品を、
東京で二つ並べて鑑賞できるとはなんと贅沢な楽しみだろう。
「羽を持つ少女」(個人蔵)
ラケットと羽を持つ無邪気な美しい少女像。
これを買って持っている人の気持ちがわかるような気がする。
この作品には当時、こんな詩が付けられたそうだ。
「気がかりも悲しみもなく、欲望にも心騒がれず、ラケットと羽が楽しみのすべて」
しかしながら、当時の風俗画のモチーフには意味づけがあり、
ラケット、羽は遊び、スカートに下がる鋏や針刺しは労働を意味したとも取れ、
すべてが円錐型にまとめられていること、青白茶に色が統一されていると説明が入る。
人物にも物にも優しい目線が注がれている。
この作品のレプリカも展示されていたが、同じものを描いていても、
その空気感や心が表現されていない。
当時は歴史画が最も格が上とされ、また風俗画は静物画よりも収入になるため、
シャルダンは風俗画を中心に描くようになる。
しかしながら、名誉も金銭も得て二度目の結婚をしたシャルダン、
再び、静物画へと戻っていく。
前期の静物画と異なるのはその調度品が再婚相手が貴族の未亡人だった故、
豪華になっていることだ。
「カーネーションの花瓶」
この絵の美しさにはしばらく立ち止まって眺めてしまった。
ほんの一房の花束を花瓶に指した絵なのだが、何ともその様子が瑞々しくエレガントだ。
花瓶の下に散った花が描かれているが、解説によると、
かつてはこれによって「儚さ」が表されたが、
この時代ごろからはフレッシュさを表現する手法になったとのこと。
この絵の画像をここに添付しようとしたが、画像では実物に描かれていた花の持つ
香しさが全く伝わって来ない。
シャルダンから影響を受けた画家としてミレー、マルケ、セザンヌの作品が展示されていた。
マルケはシャルダンの模写を作成するとルーヴル美術館に申請した記録が残っているそうだ。
模写を描くのにルーヴルに届けを出すというのを興味深く聴いた。
今回の呼び物の作品「木いちごの籠」
「『木いちごの籠』にも『食前の祈り』と同じ重い心の瞑想を思い出す」
というジイドの言葉が紹介されている。
木いちごの籠を描いても、そこには深い感情が乗っているということだろうか。
籠の後ろに描き残しとも言えるむらがあるが、
それはあえて実在感を強調するためだったと学芸員の解説にある。
細部だけでなく、絵から離れた時に感じられる独特の構図、
それが円錐形や楕円形、円筒形の連なりだったり、統一感のある色調であったり。
最初の頃からの静物画が途中に風俗画を描いたことで、
後期では更に奥行のあるものに変化していった様子。
風俗画の中に描かれる人物へ向ける暖かな視線。
対象をなす「肉のある料理」「肉のない料理」などの作品の面白さ、
二つの同じテーマの作品、これらを一堂に鑑賞することができた。
美術館を出た後も18世紀のフランスにタイムスリップしたまま、
簡単には戻って来られない気分だ。
そして無性に木いちごが食べたいという衝動に駆られた。