Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

シャルダン展ー静寂の巨匠@三菱一号館美術館

2012-10-30 19:00:37 | 私の日々
日本で初のシャルダンの個展。
フランスはもとよりアメリカやスペイン、ロシア、スコットランド等から、
美術館だけでなく、個人所有の作品まで38点が集められた。
1699年に生まれ1779年に没したジャン・シメオン・シャルダン。
没後に忘れられていた画家の存在を表舞台へと導いたのは、
フェルメールをも再評価したトレ・ビュルガーだった。

開催場所は三菱一号館美術館。
19世紀末に英国人建築家コンドルにより設計された建物。
ニコライ堂や鹿鳴館も設計したコンドルは日本で生涯を終えている。
既に解体されていた三菱第一号館、2010年にコンドルの初期の設計に基づき現地に復元された。
19世紀のイギリス・アンティーク調の美術館の中で、シャルダンの作品を観ることができる。

入口付近で貸し出していた音声ガイド。
借りるかどうか迷ったが、借りてみて正解だった。
ヘッドホーンをしていることで複数で連れ立ってきている人たちの話声からも、
遠ざかることができるし、この音声解説、館長や学芸員のコメント、
その当時に重ねるクラシック音楽も入る。

「今、あなたがこれらを観て美しいと言えるとしたら、
シャルダンがそれらを観て美しいと思い、描いたら美しいと考えたからだ。」
というプルーストの言葉の引用から始まる。

初期の静物画、ありふれた台所道具、日常に使う質素な物が描かれている。
二点で対になる作品もいくつかある。
それぞれが分散して所有されている場合が多いので、
このように対になって観る機会は稀なことなのではないだろうか。

静物画から風俗画、人物を描くようになったシャルダンの作品。
「食前の祈り」は三つの作品があるそうだ。
ルイ15世に献上されたもの、自分のために残した一枚、
そしてエカテリーナ女帝に捧げられたもの。
それぞれルーヴル、エルミタージュ美術館が所有している。
較べて見ると女装して祈りを捧げる弟に注ぐ眼がルーヴルの方は優しげで、
エルミタージュの方は姉独特の年下の兄弟へ向けるちょっと尊大な表情にも取れる。
母の面差しにも違いが感じられる。
それにしてもフランスとロシアにある同じ構図の作品を、
東京で二つ並べて鑑賞できるとはなんと贅沢な楽しみだろう。

「羽を持つ少女」(個人蔵)
ラケットと羽を持つ無邪気な美しい少女像。
これを買って持っている人の気持ちがわかるような気がする。
この作品には当時、こんな詩が付けられたそうだ。
「気がかりも悲しみもなく、欲望にも心騒がれず、ラケットと羽が楽しみのすべて」
しかしながら、当時の風俗画のモチーフには意味づけがあり、
ラケット、羽は遊び、スカートに下がる鋏や針刺しは労働を意味したとも取れ、
すべてが円錐型にまとめられていること、青白茶に色が統一されていると説明が入る。
人物にも物にも優しい目線が注がれている。
この作品のレプリカも展示されていたが、同じものを描いていても、
その空気感や心が表現されていない。

当時は歴史画が最も格が上とされ、また風俗画は静物画よりも収入になるため、
シャルダンは風俗画を中心に描くようになる。
しかしながら、名誉も金銭も得て二度目の結婚をしたシャルダン、
再び、静物画へと戻っていく。
前期の静物画と異なるのはその調度品が再婚相手が貴族の未亡人だった故、
豪華になっていることだ。

「カーネーションの花瓶」
この絵の美しさにはしばらく立ち止まって眺めてしまった。
ほんの一房の花束を花瓶に指した絵なのだが、何ともその様子が瑞々しくエレガントだ。
花瓶の下に散った花が描かれているが、解説によると、
かつてはこれによって「儚さ」が表されたが、
この時代ごろからはフレッシュさを表現する手法になったとのこと。
この絵の画像をここに添付しようとしたが、画像では実物に描かれていた花の持つ
香しさが全く伝わって来ない。

シャルダンから影響を受けた画家としてミレー、マルケ、セザンヌの作品が展示されていた。
マルケはシャルダンの模写を作成するとルーヴル美術館に申請した記録が残っているそうだ。
模写を描くのにルーヴルに届けを出すというのを興味深く聴いた。

今回の呼び物の作品「木いちごの籠」
「『木いちごの籠』にも『食前の祈り』と同じ重い心の瞑想を思い出す」
というジイドの言葉が紹介されている。
木いちごの籠を描いても、そこには深い感情が乗っているということだろうか。
籠の後ろに描き残しとも言えるむらがあるが、
それはあえて実在感を強調するためだったと学芸員の解説にある。

細部だけでなく、絵から離れた時に感じられる独特の構図、
それが円錐形や楕円形、円筒形の連なりだったり、統一感のある色調であったり。
最初の頃からの静物画が途中に風俗画を描いたことで、
後期では更に奥行のあるものに変化していった様子。
風俗画の中に描かれる人物へ向ける暖かな視線。
対象をなす「肉のある料理」「肉のない料理」などの作品の面白さ、
二つの同じテーマの作品、これらを一堂に鑑賞することができた。

美術館を出た後も18世紀のフランスにタイムスリップしたまま、
簡単には戻って来られない気分だ。
そして無性に木いちごが食べたいという衝動に駆られた。

ナンネル・モーツァルト

2012-10-25 18:00:06 | Weblog
クラシック音楽がテーマにされた映画をここのところ続けて観ているが、
この作品「ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路」は、
モーツァルトの姉が10代で家族と演奏旅行をした部分に焦点をあてている。

マリア・アンナ・モーツァルト、愛称がナンネル。
ヴァイオリン、ピアノ、作曲にも秀でた才能がありながら、
当時は女性が作曲家になる、作曲家になるために勉強をすることも、
全く考えられなかった。
演奏旅行中も弟がヴァイオリン演奏をする時にはピアノ伴奏者として、
弟、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに注目が集まるように自分は存在を消している。
ヨーロッパを演奏して周るために何十時間も馬車に揺られていく。
この時代の旅のたいへんさもまた印象に残る。

両親と弟と4人で演奏旅行中に立ち寄った修道院で、
ナンネルは幽閉されるようにして修道院で暮らすルイ15世の末娘たちと交流する。
この時に年齢が近い王女と親しくなるが、この二人の打ち解けていく様子が、
とても可愛らしい。
王女はナンネルのことを親しみを込めて「ナナ」と呼ぶ。
二人はそれぞれにその時代に生きる女としての運命を淡々と受け止めていく。
解説によると演じる二人は監督ルネ・フェレの娘達だった。

ナンネルは王女から王太子の音楽教師への恋文を預かったために
ヴェルサイユ宮殿で王太子とも会うことになる。
従者の配慮でナンネルは男装させられる。
この辺りはもう「ヴェルサイユの薔薇」めいた世界へと誘われる。

王太子への恋心から15歳にして親元を離れ、音楽の個人教授で収入を得ながら、
ナンネルはパリに留まる。
昔の女性は大人だったと思わずにはいられない。
女性が学ぶこともままならぬ時代。
ナンネルは男装して学校に通う。
王太子の勧めで作曲もする。
彼女の託した譜面から王太子のサプライズとして王宮でオーケストラが管弦楽を演奏し、
ナンネルもヴァイオリンで途中から演奏に加わる。
映画の中では実際にナンネルが作曲した曲がいくつか復元されているようだ。

王太子との叶わぬ恋に破れ家族の元へと戻るナンネル。
一方王女も音楽教師が父の腹違いの子、自分の母親違いの兄弟と知り、
修道女になる。
この部分に不思議と悲壮感はない。

家族と共にまた馬車で旅をしていくナンネルの姿で映画は終わる。
その後も名前が表に出ることはなく、
普通の女性として生涯を終えたことが説明として加わる。

王太子を演じたクロヴィス・スワン、
他の登場人物と違い一人だけ屈折した心境を情感豊かに演じている。
ナンネルを演じるマリー・フェレ、描かれるナンネル像も、
言葉少なくあえて感情を抑制している様子に好感が持てる。

オバマ再選に向けて

2012-10-23 21:24:26 | エリックベネイの愛と人生
オバマ大統領対ミット・ロム二ーの最後のテレビ討論会が終了し、
エリック・べネイやアメリカのファン達もオバマ再選へと向けて、
真剣に取り組んでいる。

選挙のキャンペーンサイトに掲載されたエリックの写真。
唇の上にある文字は"Your vote is your voice"とある。

フロリダで行われた討論会後の調査では、
オバマを優勢とみる視聴者が約55%に対し、
ロムリー約24%と最後のディベートはオバマの勝利とされた。

エリックのツイートも政治関係のことが中心になっている。
期日前投票が既に始まっているのか、もう投票を済ませた人もいるようだ。

いずれにせよ、大統領候補の討論会を観て、
この人をぜひ当選させたいと思う政治家がいる、
誰に投票すべきか熱くなれるというのは羨ましい。

エリックべネイのfacebookを観ていたら、見過ごしていたこの写真を見つけた。


エリックの姉リサが投稿した父親の写真だった。
若い頃の写真だと思うがEric Benetの面影がある。
「お父さんの笑顔、笑い声、いかにものジョーク。
暖かくて優しくて、面白くて何もかも懐かしい。」とリサ。
「アフリカ系アメリカ人が大統領になる、こんな時代をお父さんに見せたかった。」
とつぶやいたエリックの映像を思い出した。

初秋の昼下がり

2012-10-21 08:24:22 | 私の日々
2010年の10月、3度目の挑戦として始めたフランス語学習。
最初は学生の時、次は卒業して5年目位に半年ほど、そして一昨年から、
かつて学んだのと同じ学校に通い始めた。

今年の10月で2年が経ったことになる。
その割に期待していたほどの成果は出ていない。
やればやるほど難しくなっていく。
文法が複雑で動詞の変化が多岐に飛んでいる。
単語に女性形と男性形があること、代名詞の使い方などもややこしい。
その上、大学生の時と違い、覚えたことをその傍から忘れていく。

最初は土曜日の午前中、次に日曜の午後の時間帯を取った。
その後、クラス閉鎖に伴い月曜の夜のクラスへと移動したが、
平日の夜の6時半から9時半という時間帯、
夏の暑さ、冬の寒さ、夜の眠さ、午後9時も過ぎると目も霞んで来るし、
記憶力も更に低下してくる。
クラスメートもそれは同じで励まし合いながら頑張った。

平日の午前中の時間帯にレベルと私の都合に合うクラスがあり、
今年の4月からここに移った。
授業が終わるとすぐに学校を離れ電車に乗ることもあるが、
時間のある時は校内に留まり、併設のカフェでサンドイッチやパンを摘まみ、
そのまま図書館で勉強したりしている。

また平日のランチタイム、神楽坂周辺は「この値段でここまでやるのか?」
という飲食街が和洋中と控えている。
ずっとこの時間帯で通って来ているクラスメートの中には、
こういうお店事情に精通している人がいて生徒だけでなく、
先生も加わり一緒にランチすることもある。

一方学校を離れた人達ともメールやface bookを通して連絡を取り合っている。
フランスやセネガルに仕事や勉強のために旅立った人、
結婚してフィンランドに住む人もいる。
若い女性達が各国でがんばっている姿を見るのは頼もしい。

学校の隣にあるブラッセリー、初夏の頃はオープンエアのテラスが一杯になる。
さすがに真夏には屋外で食べる人もなく、店内のみ。
秋になってきてまたテラス席がセッティングされているが春ほどには混雑していない。
2階の図書館からその様子を見下ろしている内に、荷物はそのままで教科書と辞書だけ持って、
一人で食事をするためにレストランへと向かうことにする。

フランス人のレストラン・マネージャーとここの庭で放し飼いにされていたカラス、
ジェイコブの話になる。
怪我した子烏を保護して手当てをしながら、スタッフ達が育てた。
皆に可愛がられていて餌も貰い、自分を人間だと思っていたようだ。
しかし悪戯盛りとなり近隣からも苦情が出るようになり、
郊外に広い庭を持つ知人に引き取ってもらったという。
カラスというと毛嫌いする人がいるが、ジェイコブはとても可愛かった。
マネージャーがジェイコブの話をする時にはいつも懐かしそうな優しい目をする。

ワンプレートランチを頼んで、運ばれてくるまでの間、
教科書を開き、単語を調べ始める。
すぐにサラダが来たので教科書を閉じる。

秋の日差しは柔らかで、もう少しするとこの暖かさが遠ざかって行き、
寒さがやって来るのかと思うと、この時期の気候は何とも言えず愛おしい。
春先よりも初秋の陽光の方が私は好きかもしれない。

隣の席では日本の女性二人が子供の塾の人間関係、
嫉妬や欺瞞に満ちた話を声を潜めてしている。

学校の庭園は緑が豊かで樹齢の高い木がうっそうと茂っている。
桜や梅や椿の木もあり、季節感が豊かだ。
庭にオブジェが置かれてそのまま作品展になることもある。
校舎も古い建築物を補修しながら使っていて趣がある。

駅から遠いけれども、ここの学校を選んで、
やはり正解だったと思いながら、エスプレッソを飲みほし、
再び図書館へと戻って行った。

金子三勇士・としま区民芸術祭@東京芸術劇場 9/16

2012-10-20 09:02:04 | ピアニスト 金子三勇士
画像はハンガリーに里帰りした際に友人と街角で談笑する金子三勇士。

9/16、金子三勇士「題名のない音楽会」での出光音楽賞受賞コンサート、
リスト・ピアノ協奏曲第1番、第4楽章の放映を観終った後、
その日の午後の予定がなくなったこともあり、
金子三勇士がゲストで出演する豊島区民芸術祭、豊島区管弦楽団演奏会、
日曜に電話が通じるだろうかと思いつつ、連絡してみる。

東京芸術劇場にて開演1時間前より、当日券が出るとのこと。
早速向かうことに。
家から湘南新宿ラインで池袋は一本。
30分弱で着く予定が、駅に着くなり信号点検のため電車は不通とのこと。
他の経路で行くことも考えたが30分以内に復旧と聞いたので、
そのまま駅で待つ。
開演30分前には何とかコンサートホールに着くことができた。

当日券は¥800。
左右と中央、3ブロックに分けられているが、ステージに向かい右側前方に空席が目立つ。
視界音響共に良い中央付近を中心に席は埋まり、
前方ではピアニストの指が見える位置左側がふさがっている。
受付の人に勧められてC列右から3番目を選ぶ。

ほどなく開演となり、金子三勇士がステージに登場。
挨拶したところまでは見えたが、ピアノに座ると、
私の位置から見えるのは三勇士の前頭部と足元のみ。
同じ列の私の左側、ほとんどが空いているので真ん中付近まで、そっと移動。
それでも視界に変化はない。

吉村隆・大河ドラマ『平清盛』組曲
組曲の中にピアノはないが、ドラマ中に挿入される曲の中に、
左手のピアニストとして知られる館野泉氏の演奏されたテーマがあるそうだ。
今回は特別に金子三勇士のためにピアノの部分が編曲で加えられたのこと。
荘厳で大河ドラマに相応しいスケールの大きい曲。
金子三勇士、左手のみの演奏。
そして待機時間が長い。
しかし、頭のてっぺんの髪の毛がちょっと、そして靴しか見れないのは、
残念なものがある。
本人に連絡すればアーティスト枠のチケットとかを調達して貰えたかと思うが、
本番前に煩わせたくないのと、あえて自分自身でできる範囲で応援したいというのが、
私のスタンス。
またそのプロセスを楽しんでもいるつもりだ。

最初の曲が終わり、幕間に入場してくる人たちがいる。
その隙に席を立ち、周りの様子を見ると、右ブロック中央付近に空席が一列あるので、
そこに移動する。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調
このピアノ協奏曲の特徴としてオーケストラの演奏からピアノへと導かれるのではなく、
いきなりピアノから始まっていく。
先ほどの席とは違い視界も音響も抜群だ。
思い切って移動して良かったと胸を撫で下ろす。
第三楽章のフィナーレではオーケストラと共にピアノがグルーヴ感たっぷりに
軽快なメロディーを奏でる。
爽快な印象を残してエンディングを迎えた。

この曲の公開初演は1808年、ウィーンにて交響曲「運命」と「田園」と共に、
上演されたそうだが、この二つの交響曲に挟まれて演奏されたピアノ協奏曲、
として歴史に残る作品といえる。

演奏をホワイエで待ちながら、年配の女性がご一緒しているお友達に、
金子三勇士についてレクチャーしているのが聞こえてきた。
「6歳でね、一人でハンガリーに行ったのよ。
もちろんおじいさんやおばあさんがいたとしても凄いことよ。
それも天才だからこそだと思うの。」

演奏終了後、後ろの席の老婦人が「NHKで聴いた時も良かったけれど、
やっぱり生は素晴らしいわ。」と繰り返しているのが聴こえてきた。
金子三勇士、着実にファンが定着してきている様子に聞き耳を立てながら、
思わず顔が綻ぶ。
この日の演奏と共に満たされた気持ちで家路についた。

「ショパン 愛と哀しみの旋律」

2012-10-19 08:00:27 | 私の日々
昨年に公開されたポーランド映画。
言語はポーランド語ではなく英語。
映画を観ることでショパンの名曲の数々をたっぷり聴くことができる。
そしてずっと謎だったショパンの生涯の節々の選択、
その時々のショパンの想いがこの映画を通して少しわかった気がした。

2010年はショパン生誕200年の年だった。
ポーランドでは数々の関連イベント、
そして4年に一度のショパンコンクールも行われた。
私はこの年にショパンコンクールに行くつもりで、
まずは国のことから知ろうと思い、ポーランド大使の講演会に行った。
「ポーランド大使ヤドヴィガ・ロドヴィッチ講演会」2009年10/7のブログ
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20091007

そしてこのコンクール観戦に個人ですべてを手配するのは不可能と気づき、
HISがポーランド大使館で行った旅行説明会にも行った。
この時はHISやポーランド大使館側からの説明だけでなく、
ゲストの三枝成彰氏、ピアニストの清塚信也さんからの
ショパンにまつわるお話と演奏も興味深かった。
「ショパンイヤー2010説明会」2009年10/23のブログ
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20091023

この時にショパンは20歳頃からずっとパリを拠点に生活していたので、
ポーランドにはショパンを偲ぶ足跡が少ないのではと感じたのと、
なぜジョルジュ・サンドのような華やかな女性がショパンと10年も連れ添ったのか、
と疑問に思った。

ショパンの心臓が安置されている教会があると三枝氏の説明にあり、
仰天していたところ、清塚さんの説明でそれはショパンの遺言であったこと、
それほど望郷の念が強かったと理解した。
観光名所の一つであるショパンの生家に置かれるピアノはYAMAHAで、
それは「日本から来る方が多いので日本に敬意を表して。」との説明には苦笑。

また清塚信也が13歳でショパンの遺作・舟歌を練習の課題に選んだ時に、
ピアノの師から許しを得られず、19歳でポーランドの地に立った時に、
その土地の空気感や景色を見て、またショパンの苦悩や人生を思い、
初めてその意味がわかったということ、
ずっとショパンコンクールに挑戦し続けて良い結果が出ないまま、
遂には参加の年齢制限を超えてしまった時に改めてまた、
ショパンの曲を好きと思えるようになったというお話も、
子供の頃からショパンへの熱い想いを抱き続けてきて、
人生の長い時間をそれに費やしてきた一人のピアニストの生き様に
胸を打たれた。

その後、ポーランド大使館内でベストとは言えないコンディションのピアノで、
清塚信也は説明も交えながらショパンの代表曲を弾いた。
13歳で弾かせてもらえなかったという舟歌を彼が弾く時に、
ピアニスト清塚信也と作曲家ショパンが重なり、
目頭が熱くなった。

前置きがだいぶ長くなったが、この映画「ショパン 愛と哀しみの旋律」
を観たことでショパンの人生やなぜ、そのようなことにと思っていた部分、
映画で脚色化されてデフォルメされたところもあるのかもしれないが、
共感することができた。

ショパンがたどり着いたパリはコレラが蔓延していて、
暗く、またパリで頭角を現すことのできないショパンの心も暗澹たるものだった。
ある社交界の花形の貴族の夫人のパーティーで最初にリストがショパンの曲を弾き、
拍手喝采を浴びたところで、ショパン本人も演奏せざる負えなくなる。
リストの後で弾くことに躊躇いながらも、ショパンは自分の個性を出す演奏をして、
初めて脚光を浴びる。

ここで、ショパンとリスト、決して仲が悪かったわけではないということも想像できた。
お互いに自分にない部分を持つ相手を尊重し合っていたはずだ。
また暗いイメージだったショパン、この後の場面でリストの演奏を真似して、
ダイナミックな振りを付けてパーフォーマンスするシーンもある。
手足が長く大柄で手も大きく、社交的なリスト、一方シャイで人前に出るのを好まないショパン。

ハンガリーで音楽教育を受けたピアニスト金子三勇士、
リストの演奏を得意としていた金子が日本への帰国に至ってから、
日本で人気のあるショパンの演奏に一つ一つ取り組んで来るのを見守って来たので、
このリストとショパンの対比は個人的に興味深かった。

ショパンの曲も2009年から金子三勇士が、
いろいろな曲に挑戦するのを聴いてきたので、映画を観ていても、
ほぼ全曲に聴き覚えがあった。

その後、ジョルジュ・サンドの求愛を受け入れて一緒に暮らすようになるショパン。
この時のショパンの生活はサンドに囲われているような状態で、
またサンドの息子には毛嫌いされ、娘には恋心まで抱かれる。
静養のために滞在したマジュルカ島でも雨が続き、借りた屋敷も荒れていて、
こういう環境でショパンの名曲の数々が作られたと思うと、
ポーランドを旅立つ時に作曲した「ピアノ協奏曲」以外は鬱屈した精神状態から、
生まれたように思えてくる。

イヴ・サンローランのパートナー、ピエール・ベルジェが
「憂鬱さがあったからこそ、彼の素晴らしいコレクションが生まれた」
とドキュメンタリー映画"L'amour de feu"の中で言っているが、
ショパンに関してもそれは同じなのだろうか。

サンドがショパンを離さなかった訳も映画を観て分かるような気がした。
偉大な才能にほれ込み、自分がそれを庇護してるというところに喜びというか、
執着していたように思う。

サンドが画家を目指しながらも簡単に多くの作品を描き上げる息子に、
「ショパンをごらんなさい。同じ曲も何度も書き換え時間を掛けて、
根気よく作っている。」
しかしながらそのピアノの音をずっと聴かされるサンドの家族、
特にショパンが嫌いな息子にとってこれは苦痛以外の何物でもなかった。
自分の娘との仲を疑ったサンドはショパンと決別する。
映画ではこれは誤解だったという含みを持たせている。

最後、病厚くショパンはポーランドから看病のために姉を呼ぶ。
ショパンを看取った姉はショパンの心臓の入ったカバンを持って国境を越えていく。
弟の看病のためにフランスに渡り、本人の遺言とはいえ、
心臓を持ち帰る姉の心境はいかばかりかと思った。
心はポーランドに、それでもフランスに留まり続けたショパン。
志半ばにして帰ることは自分が許せなかったのだろうか。
現世から旅立ち、心臓と共に魂も母国へと帰国できたショパン。
長い苦しみから解放されてようやく楽になったのかもしれない。

バースデイのエリック・べネイ

2012-10-17 09:48:18 | エリックベネイの日々&KyteVideo
キャンドルを吹き消そうとしているのか、炎に炙られているのか、
そんなお誕生日の一こまをEric Benetは投稿した。

そして「親父に似てきたな。親父に会いたい。」とこの一枚。


エリックの父はミルウォーキー警察署の警察官だった。
2005年頃のインタビューで「お父さんは何をしていたの?」
と聞かれて、警察官と答えた後、エリックは少し得意そうに"Detective"と付け加えた。
私は各国の刑事物のファンでアメリカ系の警察ドラマも良く観るが、
警察官はいわゆるユニフォームを着る制服組と私服組に分かれる。
「ディテクティヴ」(刑事)というのは制服組で経験を重ねた上に、
資格試験に合格して初めてなることができる。
だからエリックがちょっと鼻を膨らませた気持ちがわかる。

エリックのお父さんはクラシック音楽、チャイコフスキーやベートーヴェンも好きだったそうだ。
三人の姉と一人の兄、両親に囲まれて音楽の絶えない家に育ったエリック。
以前、ファンクラブのみのチャットの時に一人が「お父さんの思い出は?」と尋ね、
「辛くて言いにくいことを聞いてしまったかしら?」
エリックは答えた。
「病院のベッドに横たわっている親父の脇の椅子に座っている内に眠ってしまった。
ふと気が付くとお父さんが起きて僕に毛布を掛けようとしていたんだ。
自分が病気でたいへんな時にさえ、息子に注いでくれる深い愛情に胸が一杯になった。」

そしてオバマ大統領の就任式に向かうタクシーの中でエリック・べネイは
アフリカ系の運転手に向かって話しかける。映像に撮りながら。
「こんな日が来ることを君は想像した?」
そして「僕はこの日をお父さんに見せたかったな。」

誕生日の前日、エリックはDCでのパネルディスカッションに参加した。


その場の映像を投稿してくれているファンがいて部分的に見ることができたが、
エリックは「50~60年前、僕達、ブラックは人間として扱われていなかった。
それが今や大統領がアフリカ系となる時代になった。」と話している。
また結婚について聞かれて「この人と結婚すれば自分を完璧にしてもらえる、
なんていうのは間違っているね。
問題なのは自分自身だ。自分を完成させるように磨くことだ。」
エリックの発言に拍手喝采。

誕生日に自分の写真を撮りながらお父さんを想ったエリック。
エリックが最初のレーベルを解雇され、UPSとスタジオエンジニアの仕事を掛け持ちしていた
最も不遇の時代に亡くなったエリックの父。
今の自分の幸せと成功、今の時代をお父さんに見せたかった、
そんな風にエリックべネイは思ったのかもしれない。

エリックべネイ、お誕生日おめでとう!

2012-10-15 08:50:09 | エリックベネイの日々&KyteVideo
10/15はエリック・べネイのお誕生日。
生まれた年が1969年と1966年となっているデータがあるが、
正しくは66年。今日からエリックは46歳だ。
まだアメリカは14日の夜。今頃エリックはDCでのイベントを終えた頃だろうか。

45歳はエリックにとって激動の年となった。
レーベルからの独立、アルバムのリリース、ベビー誕生。
46歳をエリックはどんな年にして行くのだろう。

自分のレーベルから新しいアーティストを育てる、
映画のシナリオを書いていると言っていたから、
それが映画化されるかもしれない。
また役者として映画に登場するかもしれない。

でも私達が楽しみなのはやはりシンガー&ソングライターのEric Benet。
新しいアルバム、そして来年には来日も期待している。
更なるエリックべネイの活躍を願ってやまない。

PS
先ほどエリックべネイに「お誕生日おめでとう」とツイートしたところ、
早速お礼のツイートが来ていました。しかも日本語で(笑)日本式の絵文字付で。

Eric Benet‏@ebenet
“@aktebf: @ebenet as you know, Japan is already 15th October now. So HAPPY BIRTHDAY ERIC!!! Have a fantabulous day!!” ありがとう^^

エリックとマニュエラからナイルへのグリーティング

2012-10-14 00:00:23 | エリックベネイの日々&KyteVideo
ナイル・ロジャースへのバースデイメッセージ集、
part.1~3まで2時間を越える。

一人1分に満たない人も多い。
何でエリックべネイは参加しなかったのかな?
エリックはともかくマニュエラはNYのナイル・ロジャースの出版記念、
サイン会まで身重の体で出向くほど仲が良い。
映像を送らなかったのだろうかと思いながら、
もう一度、ヴィデオを観返してみた。

見逃していたのを見つけました!
「もう撮るけれどいいかな?」懐かしいエリックの声。
マニュエラがルチアを抱いている。

ナイルに向かってお誕生祝いのコメントをそれぞれ。
ルチアの声をまねたエリックの一言には笑える。

9/19のNile Rodgersの60才のお誕生日以前に撮り送った映像。
まだ夏の日差しを感じるEric BenetのLAの自宅。
家族でゆっくりと寛いでいる雰囲気が伝わってくる。
エリックがカメラのセルフタイマーをセットしてマニュエラとルチアの位置を定め、
自分が後から加わっている。

べネイ家が登場するのは映像の1:32:37頃です。
http://nilerodgers.com/blogs/planet-c-in-english/2386-i-m-still-freaking-out

ナイル・ロジャース還暦祝い

2012-10-13 00:29:43 | NILE RODGERS & the CHIC organization
画像は生まれたばかりのナイル・ロジャースと14才の彼の母親。

9/19はナイルの誕生日だった。
イギリスに向かう機上の人だったナイル。
業界の名だたる人々がナイルにビデオレターを送った。
ナイルのブログにパート1から3までが掲載されている。

観ているとそれぞれが趣向を凝らしていて面白い。
イギリス風の庭園を歩きながら、自宅のリビングでペットと一緒に、
お祝いに歌う人たちもいれば、ナイルの本を掲げる人もいる。
パイロットが操縦の合間に寄せたメッセージもある。

「とても面白かった!素晴らしい人ばかりね。」
とナイル・ロジャース宛にツイートすると、「全部で2時間以上あるんだよ。」
とDMを貰った。
そこで「もう誰かから聞いているかとは思うけれど、
日本では60歳のお祝いは特別で赤いちゃんちゃんこ(着物みたいなもの)
を着るのよ。」とこちらからもDM。

ふと年末の来日にナイルが赤い帽子とセットでこれを着るところを想像したが、
やはりナイル・ロジャースには似合わない。
いつまでも60歳という年齢を感じさせないでいて欲しいと思う。
でもナイルのことだから赤いジャケットを着て登場するかもしれない。

最近、エリックべネイとナイルロジャースの両方が、
LAのアップルストア付近で偶然会ったことをツイートしていた。
エリックはマニュエラも一緒だったらしい。
2008年にマニュエラが二人を会わせてエリックはナイルの慈善イベントで
"Let's Dance"を歌った。

それにしてもナイル・ロジャース、いつも忙しい。
世界中を飛び回っている。
検査のために病院に短期滞在したと聞いているが、本人はあくまでもポジティヴ。
年末の来日、ブルーノート東京のカウントダウンウィークで演奏できること、
楽しみにしてくれているようだ。

ヴェガスのエリックべネイ

2012-10-12 07:12:11 | エリックベネイの日々&KyteVideo
ラスヴェガスを訪れているEric Benet。
"Hangin'out w some of my fine felt friends ! "
「素敵な着ぐるみの僕の友達と」と題して、この画像をアップしてきた。

セサミストリートに詳しい人達が早速、Piggy, Karmit, Gonzo,
そしてFozzyがいる、Big Birdはいないのね、などとコメントを付けているが、
私はその道に明るくないのでどれが誰なのやら。

そしてこんな写真もあり。

着ぐるみの動物たちと一緒の時とは表情が違う。
困っているような満更でもなさそうな。

バーにある美しいシャンデリアの写真もアップしていた。
ヴェガスで仕事だけでなく、余暇を楽しむ余裕もあったようだ。


Mr.A's Mixtape

2012-10-11 00:06:20 | エリックベネイの曲
Mr.Aから頂いたEric Benetのアルバムとアルバム外の曲を集めたディスク。
Jeff Lorber"Don't Forget The Love"から滑らかに始まっていく。
他のアーティストのアルバムの中のエリックべネイの声をキャッチ。
エリック・べネイがメインで歌っているのもあれば、バックコーラスで
ほんのちょっと参加の物までバランスよくブレンドされている。

昨日の"Over the Rainbow"からの流れで今晩はこれを聴いています。
"Grandma's Hand"はビル・ウィザースの曲は哀愁がこもった感じがするが、
エリックが歌うと優しくて暖かい雰囲気だ。

アルバムに入っている曲もこうやって他の曲とミックスして聴くと、
また違った印象になる。

エリックは不遇時代に他のアーティストのアルバムにバックで良く登場していた。
Youtubeで検索して聴いてみると、中には"ha~~"としか声が入っていないものまで、
あったりする。
順調に仕事が入ってきてアルバムを出せるようになってからも、
請われれば他のアーティストのアルバムにゲストで参加していた。
またアルバムに入らなかった曲、未発売に終わったアルバムに含まれていた曲もある。

"Bring It On"は私も持っていない曲だった。
"Act Like You Want It"ほんのちょっとの参加というところが良い。
"Running"もこのセットリストで聴くと思わぬ部分を発見した。
"Sweet Dreams"もエリックの幅広い才能が輝いている。
"We Gonna Ride"はNajeeが加わるとサウンドが抜群に厚くなる。
The Roots"Why"は秋の夜長にピッタリな感じの曲だ。
"The Otherside of the Heart"ジャジーなデュエットを、
エリックはゆったりと歌い上げる。
"Spend My Life With You"はエリックではなくKirk Whalumという心にくい演出。

Mr.A、自宅でエリックべネイ、ミニコンサートを楽しませていただきました。
こうやって多分野の曲を歌いこなしているのを聴くと、
やっぱりエリックは歌が巧いと唸りたくなる。
才能だけでなく、努力も凄くしているということがわかる。

Mr. A、どうもありがとうございます!
ご自分の一番好きな曲は真ん中に入っている"I'll Be There"
そして最後の"I Wanna Be Loved"なのでは?

Don't Forget The Love-Jeff Lorber
Superwoman- Boney James
Love, Patience & Time
Say Love-Jeff Lorber
When I'm With You-David Samborn
I'll Be There
Bring It On-Jeff Lorber
Running
Act Like You Want It-Somethin' For The People
Sweet Dreams-Wayman Tisdale
Grandma's Hands
We Gonna Ride-Najee
Why-The Roots
The Other Side Of The Heart-Jeff Lorber
Spend My Life With You-Kirk Whalum
I Wanna Be Loved

Over the Rainbow

2012-10-09 07:47:08 | エリック・ベネイ、アルバム外の曲
Jimmy Sommers & Eric Benet Over the Rainbow


2009年5月に発売されたJimmy Sommersのアルバム"The Stands Still"
2曲目にEric Benetの歌う"Over the Rainbow"が収められている。
2009年6/21のブログ
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20090621

昨日、Youtubeで最近アップロードされたエリック・べネイの映像を検索すると、
この曲の雰囲気にあった風景とエリックの写真がはめ込まれた動画をみつけた。

久々に聴くと初秋の夜にゆったりとした調べが耳に心地よい。
「虹のかなたに」
ジョディー・ガーランドの主演した『オズの魔法使い』のテーマソング。
「虹の彼方には、雲や雨が晴れ、
青い鳥のいる場所がある」
美しい言葉が散りばめられている。

スタンダードなナンバーとして親しまれている曲。
エリックベネイ、歌詞とメロディーを愛おしみながら、
シンプルな曲をエリックならではの歌に仕上げている。

しばらくはジャズ・ミュージシャンとの共演はないとのことだが、
これからもこういう他のアーティストのアルバムへのゲスト出演、
ぜひ続けて、いろいろなジャンルの曲を聴かせてほしい。

連休明けの今朝。
空はどんよりと曇っている。
そんな朝にも爽やかな気持ちを運んでくれる曲だ。


マサ小浜スペシャル、Inter FM『ソウルフレンズ』で放送

2012-10-07 16:51:37 | その他のライブ
10/1に目黒ブルースアレイで行われた「マサ小浜スペシャル v.8」
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20121002
本日10/7、インターFM「ソウルフレンズ」にて午後2時半より30分間、
ライヴの様子が紹介された。

前回の"Masa's Lounge"の時の放送、その音源をネット上で聴けるようにしたところ、
今までにない多くのアクセス数を記録したとのこと、
今回もラジオを逃した方達も後程、ネットで聴けるはず。

音楽評論家・吉岡正晴さんより、このマサ小浜のライヴについての説明。
目黒ブルースアレイにて「マサ小浜スペシャル」というタイトルでライヴを8回、
(マサズラウンジも含めると9回)行なって来て回を重ねるごとに完成度が高まっていると。

30分の枠の中でどの曲が聴けるかと思っていた。
吉岡さんもそうとう迷われたそうだ。
できれば1時間でも放送したいくらいだと。
当日も「どれが良かった?」と尋ねて下さったが即答できず。
「エリックべネイ2曲は別として。う~ん。」とうなったまま答えられなかった。

その後、ラジオを聴きながら振り返ってみて
ブルースがマサ小浜やこの時のメンバーにぴったりはまり、
おまけにジーノ日野賢二の父、日野皓正も飛び入りで加わった"Stormy Monday"
ギターを落とした後のチューニング、レッド・ツェッペリンのメドレイ、
これが最初は軽く始めたのがマサ小浜がどんどんと弾き出し、そこにドラムスや
ベース、キーボード、歌まで加わってしまって圧巻だった。
そして意外なことに「赤いスイートピー」の優しい音色が後々まで印象に残った。
(エリック・べネイ二曲は別として)
放送されなかった曲ももう一度、全曲通して聴き返してみたい。

放送された曲は:
George Benson"Turn Your Love Around"
James Ingram"100 Ways"
Seiko Matsuda "Akai Sweet Pie"

バックグラウンドに流れた曲は:
"Stormy Monday"
"Purple Rain"

お話の中ではとても4人だけで演っているとは思えない音が作り上げられていること、
選曲が多岐に渡っていて誰にでもなじみやすい、それでいて曲の中にいろいろな仕掛けがあり、
コアなミュージックファンにとっても魅力が尽きないものがあると。

ライヴの中にいろいろなコーナーがあり、「マイケル・ジャクソンコーナー」
「昭和歌謡コーナー」そして更に「エリック・べネイ」もほぼコーナー化(?)して、
今回は2曲も演奏したことなど。

観たライヴをラジオで聴くと純粋に音のみが浮かび上がってくる。
そしてその場にいて雰囲気を知っているだけに感慨深い。
マサ小浜のギターの調べが鮮やかに甦る。
力強さと繊細さ、様々なテクニックに彩られた豊穣な音の洪水だ。
こうして聴いてみるとマサ小浜、まさしく天才ギタリストだと思う。

吉岡さんから「赤いスイートピー」では途中からジョー"I Wanna Know"
に変わっていくと説明があり、「こういうところがファン心をくすぐるんですよ。
お客さんたちも歌っていたけれど、音に入ってなかったですね?」

はい、私達付近のテーブルはほとんどクワイヤー。
大合唱となっていましたが、途中から余りの美しいハーモニーに聴き入り、
ジーンとなってしまったら、サビの部分でマサさんは「あれ、歌わないの?」
という表情でにっこりと客席に視線を送っていました。

次回の「マサ小浜スペシャル」第9回、もう既に日程が確定したそうだ。
12/6(木)、またブルースアレイでマサ小浜の演奏が聴ける。

Go and see, my love!

2012-10-05 17:15:23 | Weblog
映画「グランブルー」のラストシーン、ジョアンナはジャックに向かって、
"Go and see my love!"と叫ぶと海中へと送り出す。
字幕では「行って私の愛を見てきて。」
本来は「行って見てきて、愛しい人。」と訳すべきだったらしい。
しかしこの偉大なる誤訳はこっちの方がずっと映画に合い、
しっくりきて浸透してしまった。
愛しているからこそ、相手を送り出したジョアンナ。

「グランブルー」には4つのヴァージョンがある。
長い方から、完全版、フランスオリジナル版、国際版、アメリカ公開版。
アメリカ版はラストが変わってしまっているそうだ。
最初に観たのは国際版だったが、ジョアンナとの出会いの部分が短く、
二人が愛し合っているというよりも彼女が強引に追っかけたという印象があった。
完全版は無駄なシーンも多く長すぎる。マニアのためのものだ。
それぞれ英語、仏語のヴァージョンがあるので、この誤訳と言われるシーンも含めて、
今一度、仏語でフランスオリジナル版を観返してみた。

フランス語版でもやはり英語で"Go and see my love"と言っていた。
久しぶりに見るロザンナ・アークウッドの顔はほんとうにイルカに似ている。
出会いのシーンで「君はイルカに似ている。」とあるが、
これは短縮版にはないそうで、その方がダイレクトでなくて良かったという人たちがいる。

もともとイルカが好きだったが、この映画を観たことで、
自分もいつかイルカと泳いでみたいと思うようになった。
何年かして実際に一緒に泳ぐ機会が巡ってきたが、やはり映画のようにはいかない。
イルカの方が大人で人間に付き合って遊んでくれている気がした。