Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

Verdict Will Kill Artists' Creativity

2015-03-22 19:51:43 | Weblog
ロビン・シックの「ブラード・ラインズ」"Blurred Lines"
マーヴィン・ゲイの"Got to Giive It Up"の盗作であるとして、
マーヴィンの家族が訴えを起こし、これが勝訴し、
ロビンとファレル・ウィリアムズ側が730万ドルを支払う、
という判決が出たのが3月10日。

これに対しファレルは昨日、Financial Timesのインタビューに応じた。
「創作するという作業はそれがファッションであり、デザインや音楽でも、
インスピレーションを受けて、作り出すもの。
例えば部屋の中にある物を見渡してもすべてが何かや誰かから、
インスパイヤーされて作られているはず。
この判決を肯定してしまってはエンターテイメント・ビジネスは、
もはや何も創造しえない。」と答えている。

この件に関して様々なアーティストがコメントしているが、
我らがエリック・べネイはかなりな拘りを示して、
既に何度か自分の意見を投稿している。

エリックは全面的にファレルとロビンを支持している。
エリックの意見では曲は歌詞とメロディーで作り上げるもの、
それが違っている以上、コピーでは有り得ない、
その曲の持つ「グルーヴ感」というのは、真似しようもなく、
"Blurred Lines"におけるそれはファレル達の独自に作り出したもの、
また業界の歴史を振り返ってみれば、
70年代には類似している曲が多くあったこと、それに続くディスコ時代でも、
その傾向は続いたのだから今更、このような判決が出るのは不服としている。
「この裁判が勝訴するのなら、スモーキー・ロビンソンはマーヴィン・ゲイを、
"Ain't That Peculiar"が"Goin' to a go-go"のコピーだって訴えるべきだよ。」

エリックべネイも"Love & Life"の"You're the Only One"に始まり、
次作"Lost in Time"では70年代をテーマにしているので、
シンガー&ソングライターの立場としては譲れない。

エリック・べネイ、更に"Got to Give It Up"の共同制作者、
ジャック・アシュフォードがこの判決に納得できないとして、
コピーでは有り得ないとする見解を紹介している。
それはやはりエリックと同様に「グルーヴは曲自体のもの」という意見だった。

一方、一昨年までナイル・ロジャース&CHICのキーボード奏者をしていたセラン、
彼がマーヴィン側が正しいと投稿していたのは意外だった。

Je ne suis pas Charlie

2015-01-12 18:27:31 | Weblog
"Je suis Charlie"が拡がり、"Nous sommes Charlie"(We are Charlie)
「ペンは剣よりも強し。」といったスローガン、
「武器は使わずにネットであなた達を追い詰める」といったバナーを見るにつけ、
自分の中でだんだんと違和感を覚え始める。

そこに来て"Je ne suis pas Charlie"(I'm not Charlie)
というトップの画像が10日の朝方からアップされた。
アメリカのジャーナリストが発信したものだ。

シンガポール在住のセネガル生まれで子供の時にフランスに移住し帰化した女性と
フランス語圏で仕事と生活をする日本人女性が早速、この画像を投稿している。
日本人の女性に対しては彼女の人柄や周りの人が穏やかだからか、
「身の危険を感じている状況にいるフランスの人々の気持ちを考えると、
どうかと思う。」という程度で収まっているが、
フランス人の女性のウォールには非難のコメントが集中した。
彼女は「人それぞれに考え方があるはず。」と反論しているが、
それに対して「それは正論だがそんなことを言っているような状況ではない。
あなたのことをフランス人だと思っていたけれど、間違いだったんだね。」
とまで書かれている。

10日にフランス政府公式機関である語学学校に行くと、
献花台が設けられていて、フランス国旗は折りたたまれている。
中庭では"Je suis Charlie"の札を持った講師たちが、
公開するための写真撮影を行っていた。



授業の中でも講師がそれまで批判していた安倍首相に対して、
フランスへの弔意を署名して表してくれたことへの感謝、
また11日にパリで行われるデモ、テロリストから更なる攻撃を受ける危険が伴う中に、
参加する人々への勇気を讃え、できれば自分もそこにいたかったと締め括った。

そういったものに触れていく内に、
何となくしっくりこない想いが沸々としてくる。
校内でも翌日には多くの人が集まって"Tokyo est Charlie"(Tokyo is Charlie)
とプラカードを持った記念撮影が行われた。



私のどうもすっきりしない気持ちと言うのは巧く表現できないが、
今朝、エリックべネイの投稿を見て、まさしくその通りだと思った。
Eric Benet:
"The killing of 17 victims in 3 despicable terrorist acts this week
prompted a unity march of 1.5 million people including 40 world leaders in Paris.
Well done.
Maybe it's just me but did anyone else hear about Nigeria?
2000 civilians including women and children were massacred by terrorists this week.
Can somebody tell me why nobody is marching for those victims?
Any world leaders planning a trip to Lagos or Abuja this week?
Too busy?
Bad flight connections?
Just asking. Imagine the statement we could make."

「パリにおけるテロリストの攻撃に対して世界40か国のリーダーを含む
多くの人が集まり行進したのは、立派なことだと思う。
でもナイジェリアで先週に2000人の市民が虐殺されたのに、
そのことには皆、無関心なのか?」

年末にはアメリカで無防備のアフリカ系アメリカ人が警官により射殺されたことに対して、
"Black Life Matters""Black Lives Matter"と多くのアフリカ系アメリカ人が怒り抗議し、
日本でもデモが行われた。
これには共感できたが、今回のフランスの人々に広がっている急速な連帯感には
ついていけない気持ちが残る。

シャルリー・エブドのスタッフが二人日本に滞在し、福岡と東京で取材した風刺画を見た。
皮肉の中にもユーモアもある。
こんなものを描かれたからといって日本人は殺意までは感じない。
殉職した警察官達の人種も白人、アフリカ系、アラブ系、男性も女性もいる。
犠牲者やその家族達を悼む気持ちももちろんある。
でも今回のフランス人達の熱気がフランスらしくないという印象は否めない。

Je suis Charlie

2015-01-08 20:47:01 | Weblog
"Je suis Charlie"
フェイス・ブック、ツイッターなどでフランス系の人々が、
このバナーを挙げ始めた。
#JeSuisCharlieとハッシュタグされた投稿も多く見かける。
8日、パリで起きた風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)
襲撃事件に対する怒りや追悼の意思表示だ。

昨年の夏にボルドーを歩いていて雨が降ってきた時に、
持っていたスカーフを頭に巻きつけて歩き始めた途端に感じた人々の射るような視線、
それまで街を歩いていても人に見られていると思ったこともなかっただけに、
強烈な印象として残っている。
東洋系の私の顔立ちと無地のスカーフが禁じられているブルカをまとっていると、
人々に見られていたと気づいたのはしばらくしてからだった。

エリック・べネイのファン繋がりで知り合ったIはイスラム教徒だが、
「ほんとうは一日に5回、お祈りをしなければならないけれど、
私はあんまり敬虔な教徒ではないから。」とはにかんで笑った。
ニューオリンズでパリで一緒に過ごしたIは、
優しく思いやりのある女性だった。

ベルギーを2007年に訪れた際にお世話になったE、
もともとは貴族出身の彼女は数年前から強烈なイスラム教批判をFBでも始めて、
Eの「フランス語圏からイスラム教徒は出ていくべき。」という攻撃的な姿勢に、
両親がチュニジアからの移民でパリに住んでいるイスラム教徒のIのことを思うと、
共感できないばかりか、胸が痛んだ。

時事問題を得意とするフランス語教師も、
フランスにおけるイスラム教徒との対立やイスラム圏における女性差別をテーマにした。
イスラム教徒がブルカをかぶることを禁じる法律が可決したのは、
宗教の弾圧ではなく、彼女らを身の危険から守るためだと言う話題も出た。
フランス人の宗教観、仏教に対しては平和的なイメージがあるのに対し、
イスラム教に対しては恐怖心を感じるとも語っていた。

イスラム教徒とテロリストは切り離して考えるべきだとは思っていたが、
今回の出来事でフランス語圏の人々の感じていた危機感が、
更に明確な悲劇として記されてしまった。

Carole KingもEric Benetも"Je suis Charlie"のバナーを掲げ、
キャロルは追悼の意、エリックは言論の自由とフランス語でコメントを書き込んでいる。

"Je suis Charlie"="I'm Charlie"
言論の自由が脅かされること、テロの攻撃を受けることは他人ごとではない、
と意思表示をしている。

フランス関係機関などでは半旗を上げ、追悼の祈る会や集会が今日、行われている。

Pharrell Williams, a Priceless Surprise

2014-02-25 18:53:24 | Weblog
ファレル・ウィリアムズ、突然にファンのもとを訪れて喜ばせ、
泣かせる映像をSNSでみつけた。
見ただけで状況は一目両全だが、詳細を検索してみた。
http://www.examiner.com/article/pharrell-makes-preschool-teacher-and-class-happy-with-surprise-appearance

場所はロンドンでファレルの大ファンであるクイーンという女性が、
3~4歳の子供のためのプログラムを行っている。
その中でファレル"Happy"を一緒に歌って踊る場面、
この一ファンとしての活動をドキュメンタリーとして
撮影が行われることになっていた。

A Priceless Surprise for Pharrell Williams' fan Queen


ここにファレルが登場し、そしてまたその後にマスターカードが、
コマーシャル"Priceless Surprise"としてこの場面を使うことになった。
"priceless"という単語、改めて辞書で引いてみる。
「金では買えない、たいへん貴重な、素晴らしい、信じられない」
と記載がある。

ファレルはファンを突然訪問して喜ばしている自分が
Priceless Surpriseをしているのではない、
ファンであるクイーンが自分の曲のスピリットを受け継ぎ、
子供達をインスパイアーしている、
その行為自体が"Priceless Surprise"なのだと結んでいる。

グラミー賞の時も常にナイル・ロジャースや周囲の人に敬意を表していたファレル、
彼の謙虚さとキュートさがぎゅっと詰まった映像。

Pharrell Williams gives his fan a Priceless Surprise

Andrea Bocelli & David Foster: White Christmas

2013-12-23 11:21:45 | Weblog
デビッド・フォスターが演奏しアンドレア・ボチェッリがフルートの演奏、
英語、イタリア語で歌う「ホワイト・クリスマス」
数年前に撮った映像だがデビッドはとても気に入っているそうだ。

二人ともそれぞれ白のセーター、カーディガンを着て、
周りの装飾も白に統一されている。
クリスマスの色、赤だけではなく白も良いものだと歌と共に思う。

この二人の信頼関係、そうとうなものがある。
約8年前になる「アメリカンアイドル・シーズン5」、
コンテスタントの指導役、メンターとして二人で登場した際に、
息の合った掛け合いを見せた。

その中で一人の候補者を前に「アンドレア、彼女の髪の色は何色?」
と聞く場面がある。
視覚障害者のアンドレアに向かってデビッドは何を言い出したのか、
見ている側も驚くが、
アンドレア自身も一瞬間があり「何だって?」と聞き返す。
同じ質問をゆっくりと繰り返すデビッドにアンドレアはにっこりと答える。
「ブロンドだね。」
彼女の持つ雰囲気からブロンド美人であることはアンドレアなら察しがつくはず、
とデビッドは自信を持って彼に聞いたのだ。

今年は既に東京圏でもいち早く初雪が観測されている。
寒さゆえにむしろ冬の美しさの輪郭がくっきりと際立ってくる。

Andrea Bocelli & David Foster: The Performances \ White C...

Xファクター シーズン3 トップ13

2013-11-18 17:47:31 | Weblog
今回はモータウン特集。往年のファンとしては期待感が深まる。
今回からは一般視聴者の投票が始まる。

前回決まったファイナリスト達、
女性:ライオン、カヤ、エローナ
男性:カルロス、ティム、カリート
25歳以上:ジェフ、リリー、レイチェル
グループ:レストレス・ロード、アレックス&シエラ、スウィート・サスペンス
このメンバーに加え、前回脱落したジョシュ・リーバイが呼び戻されることに。

オープニングは女性達のジャクソン5の"ABC"に始まり、男性の"I'll Be There"
とモータウンのメドレーが続いていく。

ケリーがモータウンの特徴として「デトロイトの一軒家で次々と名曲が生み出されていった。」
と解説をするが、それに加えたいのは現在の機械的なサウンドと違い、
バンドがセッションしながらの生の音作りを原点としたということだ。

ジョッシュ・リーバイ、15歳。
ジャクソン5"Who's Lovin' You"
パウリナの熱心な指導を受けるが、トップバッター、そして前回脱落したということもあり、
出だしは緊張感が取れない。
しかし審査員達からは概ね好評。若さとアイドル性を感じる。

サイモンを除く女性審査員達はそれぞれモータウンの雰囲気たっぷりの装い。
ケリーはピンクのオーガンジーに刺繍とスパンコールの入ったドレスが良く似合っている。
パウリナはラメ感のあるゴールドのドレス。
デミは黒いドレスに髪をアップにしゴールドとホワイトのアイメイク、
シックなイメージで作り上げたはずが普段の可愛らしさが損なわれている。

レイチェル、25歳、ナッシュビルのバーテンダー。
"This Old Heart Of Mine"
カントリーが得意の彼女らしさを曲に添えてアレンジをした。
今回の仕上がりはともかく歌と美貌で将来有望かとみたが、
無難に終わっていてファンをがっつり掴むだけの魅力は充分あっただろうか。

カルロス、高校生がよりによってマーヴィン・ゲイ"What's Going On"
を選曲した。
かつてコットンクラブにファンクブラザーズ(モータウンのバックバンド)
が出演した時にこの曲が生まれたエピソードを聞かせてくれたが、
突然に閃いたマーヴィンの呼び出しに休暇中だったメンバー達が集められ、
一気に作り上げたそうだ。
ベトナム戦争下でアメリカの将来を案じた反戦、平和への賛歌。
この曲は安易に手を付けて欲しくなかった。
マーヴィンは淡々と歌っているが、そこに込められた意味は深い。
難病と戦いながら歌に意欲的なカルロスは応援したいものを持つ少年だけに、
表面的な歌に終わってしまったのは残念だ。
メッセージ性のある曲にまで昇華されていない。

レストレス・ロード、それぞれが田舎町で育ったカントリーボーイ達。
コモドアーズ"Easy"
ライオネル・リーチーの名曲をかなり端折り、サビの部分を先に持ってきている。
これは歌に関係ないから仕方がないが、聴かせどころのギターのソロの部分も消去、
曲のメインとなる旋律のみになっているのは時間の都合もあるかと思うが、
この曲のファンとしては不完全燃焼。
それでもソロのパートの音程を外したもののハーモニーとしては美しい仕上がりに。

エローナ、17歳、大学へと資格試験の勉強を続けながら歌も頑張っている。
フィリピンから移住してきて養ってくれた両親への感謝の念も深い。
シュープリームス"Baby Love"
そつなく歌えていたが、ダイアナ・ロスの長所を抜かれたような印象が否めない。
元気溌剌だが、曲の魅力が削がれてしまった。

ジェフ・グード、37歳のシングルファザー。
ライオネル・リッチー"Say You, Say Me"
ロック専門の彼が曲の持ち味を生かしつつ自分らしさも出し切った。
ピッタリの選曲、声の伸びも良く、音程のブレもない。
ようやく待っていた歌を聴かせてくれた。

アレックス&シエラ、フロリダから生まれた最強のカップルがずっと勝ち抜いてきている。
"Grapevine"「悲しい噂」
モータウンの中でもポップス寄りの新しい曲ではなく、
オーセンティックな曲に挑戦してくれたことが嬉しい。
特にアレックスのソロの部分は曲のエッセンスを捉えていて、
アレックスのこの曲への情熱が伝わってくる。
シエラの愛らしさが曲に優しい味わいを添える。
この二人は観ているだけでも周りを和ませるオーラがある。
ジェフに続いて最高のパーフォーマンスを二人は聴かせた。

カヤ、16歳。
テンプテーションズ"My Girl"
この時代の雰囲気も出しながら、歌い上げる部分を強調し、彼女の実力を見せつけた。
歌の才能が断トツに光る。優勝候補と思わせる。
ジェフ、アレックス&シエラ、カヤと秀逸なパーフォーマンスが続く。

カリート・オリヴェーロ、イリノイ出身の24歳。
アップテンポの曲をバラードにする不安を語る。
シュープリームス"Stop In The Name Of Love"
原曲を基に自分らしさを全面に出してきているが、不思議なことに全く違和感がない。
原曲のファンから聴いても申し分ない出来栄え。

リリー・マクラウド、54歳。
前回にわざとらしい演出をするなとサイモンに言われたため、
ジーンズとタンクトップで歌いたいと希望するが、
ケリーの説得でゴールドのドレスで歌うことに。
スティーヴィー・ワンダー"All Is Fair In Love"
外見は美しく完璧にこの時代そのものを模っている。
オーソドックスな曲を忠実に歌っているが、
欠点がない代わりに斬新さも特筆すべき点もないまま終わってしまった。
同世代として応援したい彼女だけにサプライズがないのが残念。

今回大半の人に言えることだが、ブリッジの部分を排し、
メインになる旋律のみを生かしている。
時間が限られているゆえ仕方がないこととは思うが、
聴いている側としては梯子を途中で外された印象になる。

スイート・サスペンス
"You Keep Me Hanging On"
楽しいパーフォーマンスに仕上がっていたが、なぜかこの日の中で最も未熟に感じた。
それでも審査員達に好評なのは、業界的に売れ筋の魅力を彼女達が備えているのだろうか。

ライオン・ペイジ、フロリダ出身の13歳。
私にとって3本の指に入る名曲、"Ain't No Mountain High Enough"
マーヴィン・ゲイとタミー・テレル、あるいはダイアナ・ロスのヴァージョンがあるが、
ライオンはそのどちらにも寄らず自分の世界を作り上げた。
手の不自由さをものともしない強くて努力家の彼女らしい。
しかしエンディングのアレンジに疑問が残る。

ティム、24歳。
オーディションではマイクが震えて落ちそうになっていた青年が堂々と、
マイケル・ジャクソン"I'll Be There"
マイケルの歌は難しいがティムは原曲の美しさを大切に自分のスタイルを貫く。
この人も応援したいと思うものを持った人。
前回、サイモンに「葬儀屋のスタッフみたいだ。」と言われたことを気にしていたが、
今回は「ダニー・オズモンドみたいにファンとそうでない人が分かれるタイプ。
ジョシュ・グローバンのようなスタイルを目標にしろ。」とあくまでも優しいサイモン。
サイモンのコメントを集中して聞くためにイヤホーンを外すティム。
自分の才能を見せるチャンスを生かし切った。

この翌日、結果発表という予定が、一般投票に不手際があったとのこと、
急遽、一人一曲ずつ新たな曲に挑戦することに番組の内容が変更される。

Xファクター シーズン3 スタート

2013-10-02 15:15:09 | Weblog
X ファクター シーズン3が帰ってきた。
しかもきっちりとFOXチャンネルで。
今回の審査員達、もはや「アメリカンアイドル」では聞けないサイモン・コーウェルの毒舌に加え、
前回に引き続き穏やかなデミ・ロヴァート、デスティニーズ・チャイルドのケリー・ローランド、
ラテン系のアイドルで時々スペイン語のコメントが飛び出すパウリナ・ルビオ。

今回の分野は前回とは少し異なり、ボーイズ、ガールズ、オーバー25、グループ。
この25歳以上というカテゴリー、いつも30歳以上でも良いと私は思ってしまうのだが、
上限がないというのが振るっている。

第一回目の放映は各オーディション地からのハイライト。
まずLA、スペイン系のカリート・オリヴェーロ、
シカゴ生まれ23歳のバリスタ(コーヒーショップ店員)
リアーナ"Stay"を歌い、外見に負けず劣らず堂々とした歌いっぷりで、
審査員ばかりか客席に向かってもアピールし合格。

続くサウスキャロライナ、チャールストン。
アフリカ系のリリー・マクラウド、54歳。
ニューヨーク出身で今はオーランド在住。
黒のジャンプスーツで登場し、シーシー・ワイナンズ"Alabaster Box"
この曲を聴くのは初めてだったが圧倒される。
アフリカ系にはほんとうに年齢不詳の若々しい人がいる。
その反対もあるけれど。
「歌を知らない人もあなたは惹き込んだ。」とケリー。
歌だけでなく、メイク、ファッションにも自分らしさ、個性が出る。
この年齢だからこそ、歌える、似合う、と思わせるだけのものがある。
4つのYESで合格。

ニューオリンズからはアレックス&シエラ、21歳と22歳のカップル。
曲はブリトニー"Toxic"
曲名を聞いた時には顔をしかめた審査員や観客。
二人が歌い出すとうっとりと聴き入る。
シエラから始まりアレックスがバックアップ。
二人のハーモニーが余りに素晴らしいだけに、アレックスがソロを取った時に、
がっかりすることが心配になるが、もう充分それぞれ一人でも歌えるだけの力量があり、
納得の出来栄え。
また仲睦まじい様子も微笑ましい二人。

チャールストン、ジャクソンビルからは13歳のライオン・ペイジ。
関節硬縮症という病気のために手が不自由で右目もほとんど視力がない。
ステージ前の映像が紹介される。
「自分だって娘をステージへ送り出すのは怖い。
でもチャレンジしたいという気持ちを応援してあげたい。
ダメだったら私が抱きしめて慰める。」
と緊張しながらも気丈に振舞う母親の姿。
ライオンの明るく屈託のない様子の陰にはこうして支えてきた母がいる。
曲はキャリー・アンダーウッド"Blown Away"
曲名の通り迫力の歌で観客達を感動の嵐に巻き込む。
笑顔で審査員のコメントを聞くライオン、楽屋で号泣する母。
4つのYESを貰い合格。
"We are so proud of you..."と泣く母に頷くライオン。

涙と笑いと感動の中に「X ファクター シーズン3」はスタートした。

フロリダの善意

2013-07-19 20:49:36 | Weblog
スタンド・ユアー・グラウンド・ロウがいかにアフリカ系アメリカ人にとって不利なのか、
きちんと説明された記事を読みたいと思っていた。

"Black People aren't Allowed to Stand Their Ground"という記事、
サブタイトルには"In Florida, the stand your ground law only benefits you if you are white"
とあり、詳しく例を挙げて解説してある。
http://quietmike.org/2013/07/18/black-people-arent-allowed-to-stand-their-ground/

一方、スティーヴィー・ワンダーに続き、その他のアーティストも
フロリダでの演奏、それどころかフロリダへの滞在、フロリダ産の商品を買わない、
そんな動きが始まってきた。

アメリカの企業でフロリダに本拠地がある会社をAからZまでリストにして
ボイコットを勧める投稿がある。
それに反論したのはエリック・べネイのファン繋がりで2009年のニューオリンズ、
エッセンスで会ったL。彼女はフロリダ在住だ。

トップの写真は"Stand Your Ground"法を改正するべきとして抗議のために、
月曜からフロリダ州知事の部屋の前に座り込む人々の様子。

いつもは穏やかなL、「普段は余り自己主張したり投稿したりしないのだけれど、
今回はこのままにはしておけないと思ったの。」
彼女は続ける、「皆が怒るのももっともだと思うけれど、
フロリダの住民たちも納得しているわけではないし、
何とかしようと思っていることを分かって欲しい。
州の法律は間違っているとしてもその矛先を住民にまで向けないでほしい。
スタンド・ユア・グラウンド法を認めるのはフロリダだけではないのだから。
これこそ、罪のないフロリダの人々に対するインジャスティスになってしまう。」と。

トレイヴォン・マーティンの両親、彼の死を無駄にしないために奔走した人々も
フロリダにいることを忘れてはならない。
このままではトレイヴォンの周囲の人々の生活、
仕事を脅かすような本末転倒の事態を招きかねない。

Stand Your Ground

2013-07-16 20:31:12 | Weblog
ケベックのジャズフェスでのトレイヴォン・マーティンに関してのスティーヴィー・ワンダーのコメント、
Quebec, Le Huffington Postに掲載された記事を音楽評論家 吉岡正晴氏のツイートで知り、
原文を読んでみた。

フランス語の記事の中であえて"stand your ground"という部分だけ英語が使われている。
この意味が測り兼ね、フランス語が私よりも堪能なNさんにも読んでもらう。
カナダだから英語が入っているのだろうかという私の愚問に、
ケベックについても詳しい彼女は、
現在フランスでは英語的な表現、例えば"week-end"とかが一般化しているのに対し、
ケベック人は英語表記を避け、フランス語を使うことに拘りが強いので、
ますます不自然ということを教えてくれた。

そこで今、仏語を教わっているアメリカ在住経験のあるフランス人教師にこの件を尋ねてみる。
この文章、私が読むとスティーヴィーはフロリダ、そして世界中の正当防衛を認める場所で
今後演奏しないかに取れる。
"Je ne jouerai plus jamais en Floride a t-il dit, ou nul part ailleurs dans le monde
ou une loi <stand your ground> existe..."
正当防衛、仏語なら"la legitime defense"英語でも本来なら"self-defense"のはず。
"stand your ground"とは、
アメリカにおいてフロリダ、テキサスなどの州で認められた特殊な法令、
過剰防衛とも取れる法律であり、これは黒人に不利、白人に有利であるとは先生の説。

裏付けを取ろうと英語で検索してみたが、法律の説明の英文は難しい。
アメリカで約半数以上の州がこの法に則り、またいくつかの州はこの法について、
独自の見解を持つということが分かった。
身の危険を感じた時に武器の使用を認めるとあるが、
自分のテリトリー(家や車)との定義がある説明もあり、今回の事件に適用されたのが、
釈然としない部分もある。

スティービー・ワンダーが言及したのは、アメリカ国内のフロリダ州、
その他、"stand your ground"に従う州での公演を行わないつもりだということのようだ。

コンサートの内容やスティービーの紹介を伝える記事の中での最後のパラグラフ。
「スティーヴィーがサングラスを取り、涙を拭き、感情を露わにする。
『人は持ち物や外見でなく、その人の心や魂で評価されるべきだ。』
そしてトレイヴォン・マーティンについて触れ、
『もうフロリダや<スタンド・ユア・グラウンド>法を認める州で今後僕は演奏しない。』
との言葉に観客達に感動の波が広がる。
続くスティーヴィーの曲、"Happy Birthday"はマーティン・ルーサー・キングと、
終わりのない差別の犠牲になった少年のために捧げられた。」

http://quebec.huffingtonpost.ca/2013/07/15/stevie-wonder-festival-ete-quebec_n_3597555.html?utm_hp_ref=divertissement

トレイヴォン・マーティン射殺犯無罪に・・・

2013-07-15 10:54:10 | Weblog
昨年2月にフロリダで一人の少年が射殺された。
トレイヴォン・マーティン(17歳)はコンビニに雑貨を買いに行き、
その時に地元の自称・自警団、ジョージ・ジマーマンに怪しげに見えたとの理由で
後を付けられ、もみ合いになり撃たれた。

この時にアフリカ系アメリカ人の人々は1953年に無残に少年が惨殺された時と、
今も何も変わっていないじゃないかと抗議のデモやトレイヴォンが来ていたフード付のパーカー、
アーティストも皆、これを着ることで問題提起を表した。
一人一人が自分もトレイヴォンになりえたと。

チャカ・カーンの呼びかけでエリック・べネイもTrayvon Martinのトリビュートソング、
昨年に参加している。
冒頭の「母親は泣いている」という部分に始まり、後半で一人づつフーディー、
パーカーの頭を覆う部分を脱ぐ部分にエリックの姿がある。

Chaka Khan ft. Eric Benet, Kelly Price, Luke James & More - Super Life (Trayvon Martin Tribute)


昨日、トレイヴォンを射殺したジマーマンが無罪判決を受けた。
このことでアフリカ系アメリカ人のアーティストも人々も怒りとアメリカの司法に対しての
不信感を露わにしている。

行き場のない気持ちから「デクスター」(アメリカのテレビシリーズで野放しにされた
残忍な殺人犯を独自に制裁するキャラクター)がジマーマン無罪の新聞をじっと見ている、
そんな画像もアップされている。

昨夜はスターチャンネルでラナ・ターナー主演の「悲しみは空の彼方に」"Imitation of Life"
が放映されていたが、1959年の映画で描かれていた差別、
日常的には存在しないかにさえ思えるが、根深いところで変わっていないのかと
今回のKKK団もどきの殺人犯(ヒスパニック系とのことだが)の無罪判決の報道に驚くと共に
憎しみの連鎖へと発展しないかが心配される。

メモリアルデイ

2013-05-28 08:18:40 | Weblog
メモリアルデイ、アメリカにおいて従軍兵士、戦争犠牲者を悼む日と知ったのは、
10数年前だろうか。
5月の最終週の祝日のこの日、アメリカが喪に服する日かと思ったら、
"Happy Memorial Day"の挨拶が飛び交い、気候の良い時期でもあり、
週末のバーベキューなどを皆楽しんでいる。

日本でも終戦記念日は戦争や犠牲者を振り返る日というよりも、
夏休みの旅行シーズンとなっていて、本来その時期である先祖を懐かしむお盆のしきたりさえ、
影が薄くなってきている。
アメリカにおいてのメモリアルデイもそんなものなのかと思っていた。

ところが今年のメモリアルデイはなぜか違う。
「楽しいメモリアルデイの週末を!」などというグリーティングは少なく、
従軍兵士を偲び、国に仕える兵士たちを称え感謝するという雰囲気が強い。

それがなぜなのか、私はわかりません。

独立記念日にアメリカに滞在していたことがあるが、この日も案外さっぱりしていた。
反対にキング牧師の生まれた日、町中に祝福するメッセージが書き込まれていて、
その時の私は「今日は何の日?」なんて思ったのを覚えている。

Make it right!

2013-03-29 18:02:21 | Weblog
テレビを付けるとBSでアメリカのエレン・デジェネレス(Ellen DeGeneres)ショウをやっている。
エレンの番組、エリックべネイもゲストで出演したことがある。
また2009年、「アメリカンアイドル」でエレンが審査員を務めた時には、
トップ10から脱落していった候補者を毎回翌日の彼女のショウに呼んで、
心境などを聞いていた。

これはアメリカで昨年放送された番組の再放送だと思うが、
映し出されたのはブラッド・ピットの「メイク・イット・ライト」についてだった。
ニューオリンズを2005年8月に襲ったハリケーン・カトリーナ、
その復興住宅を支援するブラッドの立ち上げたプロジェクトの取材とインタビュー。

2009年にニューオリンズを訪れた時に被災地を巡るツアーに参加し、
このブラッド・ピットの建てている住宅地も見学してきた。
高床式、ソーラーシステムなどを備えた近代的な住宅、
現地のガイドさんは「年寄りには住みずらそうだな。
この辺りは平屋が建っていてポーチがあり、近所と気軽に行き来していたから。
でもブラッドはやってくれている。行政は何もしてくれないのに。」
と話してくれた。

2009年のニューオリンズの旅行記・ハリケーン被災地を訪問した時のブログ:
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20090710

この後、2011年の年末にニューオリンズへ旅行した際に、
復興の状況を実際に確かめたくて再度私はこの地を見学している。
2009年には数軒が建築中、私の背の高さほどの灌木が植樹されて、
まだ職人さんたちが家を作っている段階だった。
2011年には実際に入居している人々も見かけ、更に家々の建築が進んでいた。

番組中でBrad Pitt"Make It Right"の説明がある。
水が流れ込み犠牲者が出て家が崩壊したのは、
堤防が水をせき止めるのに足りるだけの強さがなかった、
保険に入っている人にも充分な保険金が支払われなかった、
そういう間違ったことを正す、という意味であるということ。
MAKE IT RIGHTのサイト:http://makeitright.org/?isDirect2=true

ブラッド・ピットが歩いていると地域の人から声がかかる。
「久しぶりじゃないの!」
「それは僕が悪いんだよ。」とブラピ。
しばらく来られなかったことを素直に謝っている。

ブラッド・ピット、ニューオリンズのフレンチクオーターにも家を購入したと聞いたが、
ニューオリンズが好きというだけでなく、これも町興しに貢献するためかと思う。
2009年には高級住宅地でも空き家が目立ち、売家や貸家の立札が出ていた。
外見はりっぱに見えても良く見ると窓は打ち付けられ住む人のないまま放置された家もあった。
高級住宅地でさえこの状態、貧困層の住む地域では電気、上下水道の設備が整わないままなのか、
そのままゴーストタウン化していたり、町の跡形さえなくなっているところもあった。
2011年にはこういう地域にも人の気配が感じられ復興が進んでいることが実感できた。

ブラッド・ピット、募金を募るパーティーも開催し、
妻のアンジェリーナ・ジョリーと6人の子供達と共にニューオリンズの家にも滞在したようだ。
大袈裟な気負いもなくニューオリンズが好きで何か自分のできることをしたい、
そんなブラッド・ピットの自然体でチャリティーをする姿に好感が持てる。
後からエレンもニューオリンズ育ちであることを知った。

街を行く人々が気軽に声を掛け合う親しみやすいアメリカ南部。
番組を観ながら、ニューオリンズ市の今後の復興を願うと共に
震災後2年経った東北の地の現状に思いを重ねる。

アカデミー賞授賞式 2013

2013-02-25 17:10:00 | Weblog
ずっとスカイパーフェクトTVを視聴してきて、
なぜアカデミー賞やグラミー賞の入場の映像、終了後のインタビューはあっても、
本番、授賞式の様子は観られないのかと思っていた。
自分がうっかりして見逃したのかとさえ思ったりもしていた。
2009年にエリックべネイがグラミー賞にノミネートされた折に、
これはすべて日本ではWOWOWが独占中継をしているためと知り、
この時から迷わずWOWOWも加入することにした。

さて第89回アカデミー賞、WOWOWのチャンネルで放映が始まり、
レッドカーペットの入場の様子が映る。
日本人二人のインタビューアーがハリウッドスター達のインタビューを始めるが、
隣にライアン・シークレストがいるのがわかり、そちらの様子が気になって仕方がない。
たぶん先行要員がいて日本からの取材に応じて欲しいと頼み、
WOWOWのブースに連れて来るのかと思うが、やはり大物は逃しがちになる。
またレポーターの女性が女優のドレスに対して"Nice"と言ったのには、
参ったなという感じだ。

スカパーに画面を変えるとライアンがインタビューしている生映像をやっていた。
ライアンのことを知っていて親しみをしめすスターたちもいるが、
全く知らない相手もいる。
そういう中での突撃のインタビューになるから、
これはライアン・シークレストであっても、間違いや混乱を招かざる負えない。
かつて生まれた赤ちゃんのことを聞くのに"He""She"ではなく"It"と尋ねてしまったり、
女優のドレスのデザイナー名を知らなかったりもありで叩かれた。

スカパーの生中継の方はアメリカのテレビ番組、レポーターの他に、
ファッションの専門家が4人待機している。
女優やドレスの在り方、ヘアスタイル、メイクについての解説が詳しく入る。
ジョーン・リバース、辛口、毒舌の評論家だがその娘も活躍していて、
この中継のメンバーにいる。

今年の旬なドレスはビーズ系、色は自然色。
それぞれの人種にとって肌に馴染む色が映える。
アースカラーのドレスに古典的なジュエリー、
真紅なリップのみがアクセントなどが今年らしい。
一方アン・ハサウェイの薄いピンク、
シャーリーズ・セロンの白なども美しかった。

画像はディオールのドレスのシャーリーズ・セロン

ビーズや刺繍、装飾のない黒はインタビューアーやスタッフの女性の着る色のようだ。
ジェーン・フォンダの黄、余りにも浮いた感じがする。
レッドカーペット上での赤は映えないとされるが、
それでもパーフォーマンスのある人は別として、
プレゼンテーターとして選ばれているなら、
同じドレスで陽光の下での入場、劇場のライト下でのステージ、
どちらにも印象を残すことを考えなければならない。

ジェニファー・アニストンのドレスと髪型をアメリカのテレビのコメンテーター達が、
一斉に非難する。
髪型がそっけないと言うが、この髪形は彼女らしいスタイルなのでは?
ドレスが赤で特に飾りもないストラップレスがプレゼンテーターにしては平凡、
と言われていたが、確かに中継が始まると同じようなドレスの人が会場では何人もいる。


ジェニファー・ハドソンのスタイリストがジェニファーはパーフォーマンスもあるが、
自分はノミニーではないので、控えめにしたいと話していたことを紹介する。
ストラップレスなどは好みではなく、着ていてリラックスできることが基準だそうだ。
スタイリストの選んだ10着のドレスの中から試着しヘアメイクまで試すのに一着に付き3時間。
ようやくジェニファーが入場とパーフォーマンス用のドレスを決めた時に、
スタイリストの男性は泣いたそうだ。

パートナーを伴っている人も多いが、インタビューに付き合う連れの人の気持ち、
かつてハリー・ベリーがノミネートされていた時のエリックべネイの心境を、
聞いている。全く別の業界ならともかく同業なら複雑なものがあるようだ。

スカパーでは引き続き入場者インタビュー、ファッションチェックが続くが、
WOWOWでは授賞式の中継となる。
これは日中は同時通訳、夜のダイジェスト版では字幕となる。
字幕づくりが吹き替えよりもいかにたいへんな作業かということがわかる。

今回のアカデミー賞授賞式、日本公開作品やそうでなくてもストーリーに共感できる、
役者や監督に対して日本でも知名度がある物が多く、例年になく楽しめた。
ミュージカル部門のパーフォーマンス、やはり今も上映中の「レ・ミゼラブル」
圧巻だった。
主要なキャストがほぼ全員総出でのパーフォーマンス。
映画の感動が甦ってくる。
子役の少年だけ欠けていたように思ったが。


アン・ハサウェイ、「プリティー・プリンセス」で初めて観た時から、
何か応援したいと思うものがある人だった。
それがりっぱな女優として開花した姿を観るのは嬉しい。
助演女優賞受賞のスピーチも素直な感動が出ていた。
「最も役に身を投じたという意味で彼女が相応しかった。」
との斎藤工のコメント、頷けるものがある。

ドレスはプラダ、寸前で予定していたヴァレンチノから変更したそうだ。
どのデザイナーのドレスを着るかは事前にアメリカのテレビ番組には、
情報として入っていて、リストにあるものとは違ったことから混乱が生じたようだ。

それにしてもパーフォーマンスのある人はそのためにドレスを着替えたのに、
客席には最初と同じドレスを着てまた戻っているのに今回気づいた。
デザイナーとの契約の問題とかあるのだろうか?

作品賞のプレゼンテーターはジャック・ニコルソンとホワイトハウスから、
ミシェル・オバマが参加。
この様子では「リンカーン」になってしまうかと思いきや「アルゴ」

ベン・アフレック、ゴールデングローブ賞の授賞式の時から、
「アルゴ」の快挙に若い頃のやんちゃさは消え、大物の風格が漂っていた。
今回、作品賞受賞のスピーチにマット・デイモンと初めてこの地を踏んだエピソードもあり、
「タキシード、貸衣装で借りなきゃと思っていたら、アルマーニが提供してくれたんだ。」
と無邪気に話していたその頃の様子を思い出す。
その後の約15年は呼ばれて観ている側だったと話す。
二度とこの場に立つこともないだろうと思っていたことも。
何の得にもならないのに自分を助けてくれた人に感謝しているということも。

コマーシャル時代も含めて子役としてスタートした人がこのように再び成功を収める姿、
感激を語る姿には胸を打たれた。
WOWOWにコメンテーターとして招かれ、様子を見守る三谷幸喜が涙ぐんでいる。
脚本、演出、監督、作品を作り上げるたいへんさを知っている人ゆえに、
ベンに感情移入できる部分があったのに違いない。

衣装デザインの部門で受賞は逃したものの日本女性、石岡瑛子さん(故人)が、
ノミネートされていて昨年に亡くなった映画人の中にも紹介されていたことも印象深かった。

Disco Funk 70's & 80's ClimacoVideoDiscoMix

2013-02-14 17:05:11 | Weblog
Disco Funk 70's & 80's ClimacoVideoDiscoMix


70年代、80年代のディスコ、ファンクに造詣が厚く、
素晴らしいレコードのコレクションも持っているMr.Y。

今日も空はどんよりと曇り、寒さも厳しい。
そんな朝にいきなりMr.Yがフェイスブックにアップロードしてくれたこの映像、
観ていると急に目の前の雲が開けて光が射してきた。

懐かしいクール&ザ・ギャング、CHIC、シャラマー、シェリル・リン、
パトリス・ラシアン等々。
曲の繋がり方、映像の組み合わせもとても良い。
聴きながら口遊み、首を振り始めた私、次は踊り出してしまいそう。

やはりこの年代の音楽は良かったなと。
そして聴いていて、今でも楽しい雰囲気が伝わってくるのは、
懐かしいと思うだけでなく、
音楽そのものにタイムレスな力が込められているからに違いない。

Mr.Y、ありがとうございました!
Happy Valentine's Day!!!

Bobby Womack UNSUNG.

2013-02-02 15:38:13 | Weblog
"Unsung"(世に知られていない、充分に評価されていないの意)
昨日アップしたブログのアイザック・ヘイズの逸話、
今日見るとyoutubeの映像が既に消去されている。
いくつか残っているとMichikoさんから教えていただいた旧シリーズの内、
スライ&ファミリーストーンズ、アトランティックスターも消えてしまっていた。
これでは動画が観られる内に少しでもエピソードを書き留めておきたいと思い、
残っていたボビー・ウーマック分に慌てて目を通す。

ボビー・ウーマックの生涯は"Across 110th Street"の歌詞そのもの、
「生き残るには強くなれ、生きるか死ぬかを選ぶのは自分だ。」
栄光と挫折の繰り返し、絶望から音楽を通して何度も立ち上がっていった姿に感動した。
ボビーにとって音楽は至福であり、苦難から脱出する手段でもあった。
最後のソウルマンと言われるボビーだが、
いろいろなジャンルの曲にソウルフルなテイストを加えたという点で、
最初のソウルマンだったとも言われる。
ソウル、ポップ、R&Bのシンガー、ソングライター、プロデューサー、ギタリストだった。

ボビー・ウーマックはオハイオ州クリーブランドで5人兄弟の真ん中として
1944年に生まれる。
父は聖職者で両親は教会のコーラスで歌っていて子供達も加わる。
その後、他のコーラスとも組みゴスペルグループとして演奏活動をするようになる。
ツアーではやはりゴスペルを歌っていたアレサ・フランクリン、
マーヴィン・ゲイ、サム・クックとも一緒になった。
50年代終わりに兄弟5人で独立することになり、このことは父を悲しませる。

ウーマック・ブラザーズではヒットがなかったが、
グループ名をヴァレンティノズに変えた後、アルバム"Do It Right"の中の
"I'm Looking for Love"がヒットチャートに上る。
「急に女の子たちに追いかけられるようになってびっくりしたよ。」
とボビーは懐かしそうに笑う。
"It's All Over Now"はローリングストーンズがカヴァーしヒット、
初めてボビーは多額のチェックを手にした。

64年、サム・クックがダウンタウンLAのモーテルで射殺死体となって発見される。
サムの謎の死に衝撃を受けながらも彼の家族を慰めている内に、
サムの未亡人、バーバラへの同情が愛に変わる。
サムの死から4か月後、21歳になったばかりのボビーは29歳のバーバラと結婚した。

このことはファンや業界のひんしゅくをかった。
多くの人からのバッシングを受け、仕事も追われた。
過激に反応したサムの身内からバーバラと共にホテルの一室に呼び出され、
危険な状態にまで追い込まれたが、バーバラの機転で事なきを得た。
スランプからコカイン、最初は少しだったが、だんだんと依存するようになる。

他のアーティストに楽曲を提供しながら3年が過ぎた頃、
"California Dreaming"でボビーは返り咲いた。
「木の葉はブラウン、空はグレー、こんな冬の日はカリフォルニアを夢見る」
この時のボビーの気持ちそのままのような曲。
「とうとうサム・クック未亡人の夫ではなく、『ボビー・ウーマック』
として人から認識されるようになった。」

1971年、ボビーは5年連れ添ったバーバラと別れる。
その別離を基に書いた"That's the Way I Feel About Cha"
この曲でボビー・ウーマックは70年代ソウルシンガーとしての立場が確立された。
後にジョージ・ベンソンがカヴァーしてヒットする"Breezing"など
精力的に楽曲を制作していく。
左利きのギタリストとしてもボビーは独特の持ち味を出している。

1972年、初めて映画のテーマ曲"Across 110th Street"を書き、
自分でも歌った。
この曲は後にタランティーノ監督の映画「ジャッキー・ブラウン」
リドリー・スコット監督の作品「アメリカン・ギャングスター」でも使われる。
実体験に基づく重みがこの曲に彼の声に込められている。

カントリーソングだったジム・フォードの"Harry Hippe"
これを最初にカントリー調に歌い、そこにソウルなフレーヴァーを添えて
自分の曲にしていく映像が挿入されている。
ヒッピーな生き方をするハリーの歌、これを人々はボビーと一緒に組んでいる弟、
ハリーのことを歌ったのかと思ったそうだ。

1974年、またしても悲劇がボビーを襲った。
ある晩、弟のハリーが突然訪ねてきたガールフレンドと争いになり刺殺されたのだ。
場所はボビーの自宅で病院に搬送される途中にハリーは息を引き取った。
ラジオのインタビューがオンエア中にこの知らせを受けたボビーは、
その晩の演奏はとてもできないと中止し、ツアーもキャンセルした。
クリーブランドの両親をLAに呼び寄せ、悲しみを分かち合い、
共に過ごすことでお互いの傷を癒そうとする。

その後、ボビーはドラッグにますますはまっていった。
カントリー&ウェスタンのアルバムを制作したが、
レーベルからは評価されなかった。
1975年、ボビーはハリウッドをドライブしていて、
歩いていた女性レジーナに声を掛ける。
メキシカンレストランで語り合った後に
いきなりプロポーズし、2人は結婚。
2年後に子供を授かるが突然死という不幸にみまわれる。
これも夫婦でコカインさえやってなければ避けられたとボビーは話す。

70年代でキャリアが終わったかに思われたボビー、
81年に"If You Think Your Lonely Now"
妻と電話で喧嘩になり、電話を一方的に切られる様子を歌にした。
アルバム"Poet"は高い評価を持って受け入れられる。
デビッド・T・ウォーカー「彼はいつも困難からそれを歌にして立ち上がっていく」

3年後、アルバム"Poet Ⅱ"をリリースし、
パティー・ラヴェルとのデュエット"Love Has Finally Come At Last"
はR&Bチャートのトップ10入りする。
ツアーではアルトリーナ・グレイソンと組み、この曲を歌った。
映像が素晴らしい。
私生活でも妻との間に娘と息子を授かり、
前妻との間の息子ヴィンセントも二人を可愛がった。

しかしながら90年代に入り、
レーベル間の争いに巻き込まれ音楽活動に支障をきたす。
また21歳だった息子ヴィンセントは自殺してしまう。
抑うつからのピストル自殺だった。

20年間ドラッグを用いそれを隠すこともなかったボビー、
「とうとうドラッグに自分の人生を乗っ取られてしまった。」
ジーナとは離婚、「2人ともドラッグ漬けで
このままではお互いにダメになると思った。」とジーナ。
「自分は強い人間だと思っていたけれど、今度ばかりは打ちのめされ、
とてもステージには立てない。
もう何もする気になれないと感じた。」とボビー・ウーマック。

映像は2011年のレコーディング風景へと変わる。
15年振りでボビーは新しいアルバムの制作へと挑んでいる。
ある女性との間に二人の幼い息子もできた。
家族と音楽が彼を支え、糖尿病や二回の前立腺癌の手術も乗り切った。

別れた妻や子供達とも家族としての交流は続いている。
前妻のレジーナ「彼が私を必要とすることがあれば、
喜んで手助けをするわ。だってずっと私達にそうしてくれて来たんだから。」
ボビーも「今までかかわった女性のことは肉体的には一緒にいなくても、
決して縁を切ったつもりはない。何かの時には力になるつもりだ。」

「音楽を通して人と触れ合うことができる、
人の心の中に自分の魂が生きることで、
自分も生かされ、生き残っていくことができる。
音楽はすべてを一つにすることができるからね。」とボビー。

昨年の来日後も癌で手術をしたと聞く。
あらたな病も見つかったと今年になってニュースが入ってきたが、
ボビーは負けないはずだ。
あの時はボビーのことを何もわかっていなかった。
このドキュメンタリーを観た後で
昨年のボビー・ウーマックの来日を迎えたかったと思っている。

Bobby Womack UNSUNG.


タミー・テレル UNSUNG,
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/e/91fe99b4d88558916b97d50c0d451b10

アイザック・ヘイズ UNSUNG.
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20130201