Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

RIP マヤ・アンジェロウ

2014-05-29 09:34:05 | 私の日々
Maya Angelouが亡くなった。
86歳だった。
画像はオプラの番組に出演した折のもの。
追悼の気持ちを込めて過去のブログを掲載します。
以下の内容を読むと楽観的な人物に思えてしまうかもしれないが、
波乱万丈の人生、苦労を重ねた中でこの一つ一つの言葉が生まれていることを
忘れてはならない。
ご冥福をお祈りいたします。

2010年5/7のブログ
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20100507

マヤ・アンジェロウ(ウェイトレス、ダンサーを経て作家、詩人となり、
公民権運動にも参加。クリントン元大統領の就任式典では自身の詩を朗読、
マイケル・ジャクソンの追悼式でもクイーン・ラティファが、
マヤのマイケルを送る言葉を読み上げた)
Dr. Maya Angelouは、数年前の4月、彼女の70歳+何歳かのお誕生日に、
オプラ(黒柳徹子のアメリカ版、更に突っ込みと辛口あり)の番組に出演した。

オプラは彼女に「年齢を重ねて行くことをどう思う?」と尋ねる。
マヤは「それはエクサイティングよ!
いろいろな体の変化がある。ほとんど毎日ね。たとえば私の胸とか。」
彼女のバストがウエストの位置につきそうな様子に観客は涙が出るほど笑った。
マヤはこういうユーモアのセンスのある賢い女性なのだ。

Maya Angelou、マヤは言った。
「どんなことが起きて、それがたとえ悪いことでも、人生は続いて行く、
そして次の日はきっと良くなるってことを私は学んだ。

次の3つのことにどう対処するかでその人の人となりがわかる、ということ。
雨の日、ロストバケージ、絡まったクリスマスツリーの電球のコード。

両親に対しては、失った時からずっと懐かしい存在になるということもね。」

「生活をするということと、人生を送るということは違うということも。
人生は時としてあなたに二度目のチャンスをくれることも。
あなたは、あなたの人生をずっとキャッチャーのミットにしてはいけない、
自分から投げることも必要だということ。」

「心を開いて何かを決めた時、それは正しい決断だった。」

「たとえ苦しいことがあっても、心も苦しむ必要はないということ。」

「毎日人と接して、ふれること、
みんな、心からのハグ、気持ちを表してくれる人が欲しいものよ。

そして、まだまだ学ぶことがたくさんあるということも学んでいる。」

「あなたのしたことや言ったことを人は忘れるけど、
そのことでどのように自分が感じたかを人は忘れない。」

**********

さてこの文章を5人の影響力のある人に送って、そして自分も共感するなら、返事をちょうだい、
きっと良いことが起きるわよ、そして他の女性も元気づけてあげられる。
もしやらないと・・・・あなたのパンツのゴムが切れてくるぶしまで下がっちゃうからね!

[みんなのパンツを落とそうと思ってこれを送ったんじゃないのよ、
自分の大切な友達とこの言葉を共感したいと思って送ったの。」
と昨年、ニューオリンズのエッセンスでルームメートだったリーサからこんな携帯メールが来ました。

で私もこれを最後まで読んで下さった方達と分け合いたいと思います。

2010 5/7

Eric Benet"From E to U" 到着!

2014-05-27 20:00:36 | エリックべネイ2014年来日
エリック・べネイに関しては、HMV、amazon、TOWER RECORDS、
合わせて予約するようにしている。
それはその時によってどの会社が早く宅配するかが異なり、
幾度となく悔しい想いをしてきているので。

今朝、amazonから「発送済み」のメールがあり、
明日かなと思っていたら、帰宅するとHMVからの不在連絡票が。
ほどなく佐川急便の再配達で受け取った。

包装部分をうかつにも破ってしまったが、
今回はここにポイントがあると気づき、再び上から写真を撮る。

しかし改めて思うことは日本のワーナーって凄いなと。
エリックべネイが2年間アルバムを発表しないでいたら、
日本の人気曲、全米のヒットチャートで上位になった曲を集め、
カバーアルバムを作ってしまったとは。
りっぱなライナーノーツと歌詞、訳詩も付いている。

ブルーノートにおいても必ずエリックべネイを日本に招く、
という使命感を持った方がおられるかと思っているが、
ワーナー・ミュージック・ジャパンのエリック・べネイに賭ける
情熱がこのアルバムからほとばしる。

Eric Benetのライヴを観てから10日余り。
アルバム発売後の来日が良かったのにと最初は思っていたが、
エリックが帰ってしまった喪失感をこのアルバムが埋めてくれる。

Eric Benet Japan & Korea Tour 2014 Background Story

2014-05-26 14:41:02 | エリックべネイ2014年来日
画像はエリックの付き人Bのアップしたブルーノート東京、
5/11, 2ndのスタートする瞬間を待つエリック。

5/10に来日、5/11・12・13のブルーノート東京、15日のブルーノート名古屋、
5/16の横田基地でのライヴを終え、翌17日には日本を発ち、
18日はソウルオリンピックパークにてのコンサートに出演した。

W-indsがEric Benet"Sometimes I Cry"をカヴァーした曲「夢で逢えるのに」
をリリースしたこと、
5/28にエリックべネイの日本限定カヴァーアルバム"From E to U"が発売されること、
などから来日中にはテレビやラジオ、その他多くのインタビューも受けている。
今回の来日中のライヴ以外の日常をクローズアップしたい。

まずは朝食。
ベジタリアン、ビーガンを基本としているエリック。
ホテルの朝ごはんでもベーコンや卵は避け、果物を中心に食べている。
コーヒーも飲まず、カフェインは取らないように心がけている。


続くブルーノートでのリハーサル。
観客の入っていないブルーノートで黙々とクルー達とリハーサルに励む。
時には後方の席に座って全体を眺めたりしている。









11日2nd開始寸前、通路で佇むエリックべネイ。
ライヴの始まる前の緊張感が伝わる。


エリックべネイ、色男のように言われるが、
実際に会うとけっこう天然系、面白い面もたくさんある。
'92の姉のリサと組んだアルバム"Benet"
かつてはこれを封印していたエリック、最近インタビューで答えている内に、
「ここに自分の原点があった。」という結論が出てしまった。
今回、このアルバムをサインに差し出すと、
「またまた、ずいぶん古いものを持ってきたね。」と言われて、
「ほんの5年前でしょ?」と返すと「いや4年前だ。」とサインしてくれた。


ライヴ期間中に受けたインタビューの一つがFMよこはま、Aja Aja Friday
にて5/23に放送された。
その中で"From E to U"、リリースの経緯、
「R&Bシンガーではあるけれど、それ以外の分野の曲も聴いてきた、
これを機会に自分の好きな曲を自分なりの解釈で歌ってみたいと思った。」

前日にエリックのライヴを初めて観たというJune&Kyo-hey。
アルバムの中でどの曲が好きかとエリックは尋ねる。
"After the Love Has Gone"との答えに「それはクールだね。」とエリック。
ライヴ期間中のタイトなスケジュール、海外でのツアー、
緊張をほどきリラックスする方法はと聞かれ、
「スコッチ。」と答えるエリック。
「いや、今のは冗談。まずたくさんの水を飲むこと、
そして休息も良く取ること。最後にほんの少しのスコッチもね。」



エリックの曲が大好きでずっと教科書のようにCDを思い聴いてきた、
毎日エリックの歌を練習している、
そして初めて観たライヴに感動の余り、終了後近くのラーメン屋さんで、
"Hurricane~~!"と歌ってしまった。
すると周りのお客さん(おそらくライヴを観ていた人達)が一斉に振り返る。
そして「観たからといって誰でも歌えるようになるもんじゃないんだからね。」
と笑われたという話、エリックにすごく受ける。
「今の"Hurricane"というところ、中々巧かったよ。」と言われ、
「朝からその一言のためにずっと音を取っていましたから(笑)」
「ライヴで感動と勇気をもらい、これからも頑張ろう、
歌っていこうと刺激を受けて本当に感謝しています。」との言葉に
満足そうにうなずくエリック。

「日本は大好きな国。
今回のアルバム発売も日本にファンがいてくれるお蔭と感謝している。
また機会を作って戻ってきたい。」
「また来てください!」との言葉に「アリガトウゴザイマス!Absolutely!」
と締めくくるエリック。
「ライヴでもインタビューでもいつも楽しそうにしている。
音楽に対する情熱も感じた。」と二人は話していたが、
彼らのエリックを尊敬する気持ち、真面目な中にもユーモアのある受け答え、
エリックをとても和ませたからだと思う。

別のインタビューになるが"From E to U"、
誕生の経緯としてワーナー側が提案する楽曲をいくつかリストアップして来て、
その中からエリックが自分の好きな曲を選んだ。
しかし"Almost Paradise"に関しては好きな曲ではなく、
ワーナーがエリックと日本の女性歌手のデュエット曲として選んでいた。
結局は韓国の歌手とのデュエットになったが仕上がりを聴き、
あらためてこの曲が好きになったと話していた。

さて日本でのツアーを終えて韓国へと向かったエリック。
本番前にちょっと寛ぐ一時もあったようだ。


ソウルオリンピックパーク、大箱では楽屋も大きい。
ここで身支度を整えると共に歌やダンスをさらったりできる。


ソウル市内のクラブ、一人、物思いにふける様子をBが捉えている。
エリックべネイ、スターのオーラを消そうとしているが、
内側から自ずと輝きを放っている。

Eric Benet 5/18 @ Seoul Olympic Park

2014-05-24 13:08:52 | エリックべネイ2014年来日
16日、金曜日の横田基地でのライヴを終え、
エリック・べネイが会場を後にした時間は12時を回り、
既に17日へと日付が変わっていたと思う。

その後、早朝5時に出発、
名古屋を経てソウル、しかも市内から遠い側の空港へと向かう。
このようなスケジュールになったのは、
既に韓国側とブルーノートで決められていた旅程に、
後から横田基地でのライヴが入ったからだろうか。

付き人のBが上げたトップの画像を見て仰天した。
ここまでの規模の会場だったとは。
今回は韓国のアーティストが中心、そして最後のトリがエリック。
日本では歌わなかった曲、"The Last Time""Still With You"
などの動画が上がってくるにつけ、落ち着かない気持ちになる。
はっきり言って羨ましい。
しかしこの規模の会場で韓国語の歌をスタンディングで聴きながら、
エリックの出てくるのをじっと待つだけの根性があるかと言えば、
気力も体力もないことは否めない。

ノリノリの"Spanish Fly"の映像、
エリックがふざけて"Awww....!"叫ぶ様子に爆笑する。
帽子に続き、サングラスをステージ上に無造作に投げると観客が沸く。
余りのリアクションにちょっと照れ笑いしているのがわかる。

"Still With You"の動画では歌に感動するとともに、
一緒に歌う韓国の観客達、歌詞を把握していることに驚く。
動画を観ていると、
エリックべネイ、韓国へと足繁く通うだけの理由がわかる。

Eric Benet - Spanish Fly @ 2014 Seoul Jazz Festival


Eric Benet - Still with you @ 2014 Seoul Jazz Festival


Eric Benet - The Last Time @ 2014 Seoul Jazz Festival

Eric Benet 5/16 2014 @ Yokota Air Base

2014-05-21 19:43:19 | エリックべネイ2014年来日
新宿の待ち合わせは6時半。
そこから中央線で立川、青梅線で福生へと向かう。
8時過ぎには横田基地に着いている予定。
エリックべネイ、この日の出番は9時半。

事前にパスポートか、免許証+そのピンコードが必要なことは教えて貰っていた。
ピンコードがどうも思い出せないと伝えるとそれなら必ずパスポートをと念を押されていた。
下りの中央線、混雑が不安などと話しながら乗り込み、
立川で乗り換えて青梅線では座ることもでき、一段落した時に私は突然気づいた。
「パスポートを忘れた!」
私以上にご一緒したお二人の方がよっぽど気が動転したと思う。
ここまで来て入れなくなる可能性が高くなってきたから。

Mちゃんが「ピンコードは三回までトライできる。
3回間違えるとロックされてしまう。
ピンコードを間違えた場合を考えて、
三通りの組み合わせを今から考えておいた方がいい。
4桁の数字の繰り返しの可能性が高いと思う。」
Yさんから「免許証の更新をしたのはいつ?
その時の状況からどういう数字にしたのか思い当たらない?」
それぞれが親身になってアドバイスしてくれる。

福生の駅から横田基地まで向かう私の心中はもう暗澹たるものだった。
しかしその中でここで帰ることになるのだったら、それも運命のめぐり合わせ、
きっと仕方がないことなのかもしれないなどと思い直していた。
こうやってエリックべネイに向けて心を一つにできる仲間たちと会えて、
横田まで一緒に来れた、それだけで充分満足しようと自分を納得させつつ、
どうか物事が巧く運んでほしいと祈りに近い気持ちでいた。

免許証だけでピンコードのチェックがないことを願いつつ、
ゲートでチェックインの手続きを待つ。
やはりピンコードは必要になる。
一度目、失敗。
二度目、やはり違っていた。
基地の職員から「後一度間違えたら、入れない。」と告げられる。
Yさんが私のパスポートの番号は控えてあると伝える。
私も何とか救い上げてくれる方法はないのかと尋ねるが、
はっきりと拒絶された。

皆にゆっくり考えるようにと言われて、他の人達を先にしてもらう。
Mちゃんが「たぶん4桁の数字の繰り返しだと思う。」
と耳元で言ってくれているのが遠くに聞こえる。
まるで深い霧の中に一人佇んでいるようだ。
意を決して4桁の数字の繰り返しを2回押し、エンターキーを押す。
手は震えている。
職員から「大丈夫です。」と告げられた時にはもう"Almost Paradise"
(5/28に日本先行発売されるEric Benet"From E to U"のシングルカット曲)
天にも昇る気持ちだった。

Mちゃん、Yさん、Jさんと歓声を上げてハグ。
皆さん、ほんとうにごめんなさい、いろいろと心配をかけてしまって。
こういう時って本人以上に周りの人は気を使うと思う。
皆が一緒に祈ってくれたお蔭です。

その後、基地の中のクラブへと向かいつつ、
要所で記念撮影をしてるが、私の笑顔はもう完璧に突き抜けて
別世界に行ってしまっている。
たいへんな難関を突破することができただけに喜びも格別だ。
基地の中へとエスコートしてくれた関係者に"You got lucky"と言われる。
そう、今年の私の合言葉は"Get Lucky"だった。

クラブの中に入る時にチケットを手渡すと引き換えに入場のバングルをしてくれる。
中に入ると席は一見空いてるように見えたが、
近くに行って座ろうとすると「友達の分の席取りをしている。」と言われて、
ようやくたどり着いた席は中央でも最も後方。

一人のアフリカ系アメリカ人女性が相席させてくれないかと言って來る。
待ち時間に彼女に「エリックべネイのファンなの?」と聞くと、
「そうねぇ、2009年に彼がここに来た時も観たけどね。
あなたはファンなの?」と聞かれるので持っていた『True Eric Benet Fans』
と書かれエリックの顔がプリントされたバッグとそこにしてもらったサインを見せる。
「東京のショウも観たの?」と聞かれるので「うん、3回。」と言うと驚かれる。
「ニューオリンズにも観に行ったのよ。」と言うと倒れんばかりにのけぞってる。



彼女の友達の女性がやってきて話し始める。
そして私に「ねぇ、あのバッグ見せてあげて?」と言うので見せると
やたら受けて笑われる。
次にやってきた彼女の男性の友達にも「あれ、見せて!」と言われる。
彼はおやおやといった表情で苦笑いしているので
「あなたはハリー・ベリーのファンなの?」
と聞くと「そういうわけじゃないけどね。」
彼女はその後も「ねぇ、あなたのバッグちょっと貸して。」と言うので渡すと、
別の席に持って行ってそこに座っている友人たちに
「私と同じテーブルの人達はエリックの大ファン、凄いのよ!」と見せて、
笑いを取っている。

ちょっと複雑な想いが沸いてくる。
Yさんに「エリックのファンってそんなに珍しいの?
何か変なのかなぁ?」と聞くと「これだけのファンが来てるって受けてる、
それだけのことよ。」と慰められる。

前座のバンドのパーフォーマンスが始まった。
日本で活躍する知ってる顔ぶれ、フィリップ・ウーなどもいる。
時間は10時を回った。
一瞬暗くなると共にエリック・べネイの登場。

この辺りで私たちは席から前に作られたスタンディングのスペースへと
突進する。
この時、Jさんは同席の女性に「私達のバッグ、見ていてくれる?」
と頼んでくれた。
彼女は責任を持ってずっとその役目を果たしてくれた。

歓声と共に迎えられたエリック、「皆、どこの出身?
西部?南部、中西部、東部、それとも?
ミルウォーキー、ウィスコンシン(エリックの出身地)の人もいる?」
地名にまつわるジョークも続く。

セットリストはほぼブルーノート東京と同じだが、
"Almost Paradise"はなく、しかしながらずっと聴きたかった曲"I Wanna Be Loved"
を聴くことができた。
場内は撮影自由。
エリックは最前列の人達のカメラ、携帯を取り上げては自分と一緒の写真を撮ってあげている。

そしてファンサービスもたっぷり。
スタンディングの人達の手を取り、跪き歌う。
私にも気づいて手を差し出してくれた。


何だろう、この解放感。
心からエリックべネイのライヴを楽しんでいる。
こんなことは5年振りくらいかもしれない。
この日、私は一つ決めていたことがあった。
これを最後にエリックのライヴを観るのはやめようと。
しかし基地の中でライヴを観る内に自分の中で変わってくる気持ちがあった。
一ファンとしてこれからも見守り続けて行けばいいんだと。


"Sometimes I Cry"を歌う前のエリックと目があった。
「この曲に自分を重ねる人もいるだろうね。」

英語が母国語の人達、エリックの呼びかけに対して言葉が返ってくる、
しかしある意味、この日に基地外から来た日本のファン達の方が、
強烈なファンであることは間違いはない。
エリックもそれをわかっていて日本のファン達がここまで来てくれたのを、
みつけては嬉しそうな表情をする。


ブルーノート東京から名古屋へと行き、そして横田へと来たエリックべネイ。
翌日の早朝には韓国へと立ち、
ソウル・オリンピックパークという大箱でのコンサートを控える。
疲れている中に一つ一つの歌に気持ちを込め、
来てくれているファン一人一人へとコンタクトする。
一生懸命の余り、シャツの片方の襟がベストの中に入ってしまっているのに気付かない。
エリックの声、笑顔、時折に見せる照れた表情、
ステージでの動き、リズムに合わせて踊る様子、
ちょっと天然がかったところ、何もかも大好きだ。



"You're the Only One"を最後にステージを離れたエリックべネイ。
"Georgy Porgy"と共に返ってくる。
場内はほぼスタンディング。
私達にバッグを託された女性が一人でテーブルの横で踊っているのが見える。

終了後、その場を離れて戻ってくると、控室への扉の前で人だかりがしている。
エリックが出てきて写真撮影などに応じていた。
Mちゃんは既に写真を一緒に撮ったそうだ。
Mちゃんはこの日、私達が基地のライヴに行けるようにと、
手を尽くしてくれ、自分がブルーノートで観る分は見送っていた。

私も近寄りエリックに声を掛ける。
その時にエリックが言ってくれたこと、決して忘れない。
ハグしてくれて、今回初めてのカメラ目線の2ショット。
Jさんがすかさず撮ってくれる。

楽屋へと戻っていくエリックを皆で見送る。
この後でご一緒の二人の方、
Jさん、Yさんがエリックとの2ショットを撮ってなかったことを知った。
二人とも「疲れているところを悪いと思ったから。」と。
もう私の役割は終わったけれど、ほんとうのエリックべネイファンの心は、
必ず引き継いでくれる人たちがいると確信したのだった。

I love you, Eric Benet!

True EB fan for life

Eric Benet 5/13 2nd @ Blue Note Tokyo

2014-05-14 19:41:32 | エリックべネイ2014年来日
トップの画像はブルーノート東京のHPより

平日、火曜日のセカンドショウ。
そしてこの日は東京最後の夜となる。
それだけに見逃せない、想いを残したくないという大勢のファンが詰め掛けた。
観客の中にいる久保田利伸、w-inds. Chanel、Fox JapanのAkoをエリックが紹介。

この日のエリックの服装はピンクがかったパープルのストライプのシャツ、
インナーにグレーのTシャツ、グレーのジャケット、拘りのあるシューズ、
(銘柄が把握できずにすみません)いつものようにキーチェーンがジーンズに。
熱くなるにしたがって少しづつ、ジャケットを取り、サングラスを外す。


セトリ、初日との違いは"Chocolate Legs"がなくなったこと、
その代りにこれからのカヴァーアルバムに含まれる"Almost Paracise"
を聴くことができた。
レコーディングされたものを聴きながら生で聴くことを楽しみにしていただけに、
"Almost Paradise"には感激。

"Sometimes I Cry"
客席からも声援、叫び声が飛び、最後はスタンディングオベーション。
やはり今回のライヴのハイライトはこの曲に間違いない。
CDではなく、ぜひ一度生でこの曲を聴くためにライヴに足を運んでほしいと思う。

同席した方は北海道からとのこと。
ご一緒したファンの仲間、Korinさんもこの日は岡山から駆け付けている。
もちろんライヴの間は前方のエリックに視線を集中させているが、
ふと後方を振り返ると大勢の方がスタンディングで歓声を上げている様子に嬉しくなる。



ライヴ終了後、初日はワーナーブラザースの意向により、
カヴァーアルバム予約者のみサイン会の参加権あり。
その上、サインはカヴァーアルバムの予約と引き換えに渡された写真だけ、
という厳しい条件だった。
翌日からブルーノート東京の現場担当者、広報担当者の尽力により、
持参した物、すべてにサインがOKと条件が変わる。

今回、この件を通してブルーノート東京の関係者の配慮、
普段からアーティストとファンとの懸け橋となるべくして奮闘して下さっている方々
がいることを改めて認識した。
お名前をイニシャルでも挙げても良いものかわかりませんので、
あえて書きませんが、ほんとうにありがとうございました。

エリックべネイ、私の個人的な状況を察していてねぎらいの言葉を掛けてくれる。
ここまで一ファンに心遣いのあるアーティストがいるかと感無量となる。

今回のバックボーカルのキャンディス、既にNe-Yoとの契約が成立しているとのことだが、
初日も歌詞カードを手に持ちながら、歌っていた。
エリックは「いきなりバックコーラスになって沢山の歌を覚えきれなくてね。」
とフォローしていたが、アメリカのオーディション番組「アメリカンアイドル」
でも歌詞を忘れた人は即、失格とされるだけにプロとしての認識の甘さを感じた。
それでも一旦ツアーが始まってしまい、そこでくじけさせてしまっては、
最後まで続かない。
彼女を父親のような目で見つめて励まして歌わせているエリック。
最終日では楽譜のように立て掛けたスタンドからキャンディスは歌詞を読んでいた。

やはり最後までエリックべネイ、愛と優しさが一杯のステージで私達を満足させてくれた。
恒例の集合写真と共に東京3日間のライヴの幕は閉じた。


Eric Benet 5/11 1st & 2nd @ Blue Note Tokyo

2014-05-12 18:00:25 | エリックべネイ2014年来日
これからエリック・べネイのライヴに行く方はご自身の判断により、
以下の投稿をお読みください(ネタバレ満載)

定刻になると場内に流れる曲はEric Benet 3rdアルバム"Hurricane"の中の"My Prayer"
緊張感と共に静まった場内に登場したエリックべネイ、
グレーのジャケット、ジーンズ、赤のスエードのスニーカー、
グレーのベスト、表はチェック、裏はドッド柄、グレーのTシャツを身に着け、
"Love Don't Love Me"の曲を歌いながらステージへと歩み寄る。
続く曲は1st アルバム"True To Myself"より"Spiritual Thang"

軽快な曲で雰囲気が整ったところでエリックは切り出す。
「今日は母の日だね。だから何か特別なことを用意したかった。
すべてのお母さんのためにこの曲を僕は贈ることにした。」
2ndでは「自分のお母さんにも捧げるからサングラスをして歌うなんて、
間違ってるね。」とここでサングラスを外す。
エリックが母の日のために選んだ曲は"Wind Beneath My Wing"

1stでもこの曲にはこみあげてくるものがあったが、
2ndでエリックの目に光る涙を見た。
エリックのお母さんは今、入院生活を送っている。
家族の愛に支えられながら頑張っているエリックの母。
ミルウォーキーにいるお母さんのことを思いながら歌うエリックの気持ちが、
切々と伝わってきて聴いている側も涙。

そこから思いっ切り雰囲気を変えて、
愛の衝動を歌った曲、4thアルバム"Love & Life"から"Hunger"
そしてキレキレのファルセットを聴かせる曲"Chocolate Legs"

「僕の1stアルバムから知っている人いる?」
2ndショウではここで1stアルバムのジャケットの写真のポーズ、
頭を片手で抱える仕草を見せる。
1stアルバム"True To Myself"から"Femininity"
この曲は女性の繊細な心の内を歌った曲でアメリカの女性達にはダントツの人気曲。

3rdアルバム"Hurricane"から"Pretty Baby"
バックコーラスのキャンディスが曲のブリッジの部分を支える。

「いつもライヴの中ではラテン調の曲を入れて歌うのを、
楽しみにしてるんだ。
皆も立ち上がってサルサを踊ってみて。
ちょっとやってみるけれど合っているかな?」とサルサのステップを踏むエリック。
4thアルバム"Love & Life"から"Spanish Fly"
この曲がライヴで歌われたのは2007年のブルーノート東京が初めてだった。
続く国際フォーラムでの東京ジャズフェスティヴァルでもこの曲を歌っている。
その時は一緒に公演したマイケル・パウロのバンドが
更にラテンの雰囲気を盛り上げていた。
歌詞はとても恥ずかしくて訳せない。

"Don't Let Go"
「夫婦やカップルが関係を維持していくのは難しい。
それでもそれをやり遂げた人たちの姿は美しい。」
観客に一緒に"Don't let go"と右に左に中央にと移動して歌わせるエリック。

「僕が初めてグラミーにノミネートされた曲。
その時はタミアと歌ったが今日はタミアがいない。
代わりに歌うのはキャンディス。彼女はとっても可愛くて歌も巧いんだよ。」
とエリック。
2ndではここでなぜかスティーヴィー・ワンダーの"Isn't She Lovely"
をエリックが歌い出し客席も巻き込んでのコーラスとなる。
そして2ndアルバム"A Day in the Life"から"Spend My Life With You"
エリックはほんとうにデュエットに長けている。
初めての相手もリラックスさせて長年の恋人のように寄り添い、
愛の世界を作り上げ、相手を立てつつ良さを引き出していく。

「70年代、80年代に活躍した素晴らしいアーティスト達、
アース ウィンド&ファイアーとか、メイズ、フランキー・ビバリー、
そんなサウンドを作ってみたかったんだ。」
6thアルバム"The One"から"News for You"

そして最も渾身の力を込めてエリックが歌う曲、
5thアルバム"Lost In Time"から"Sometimes I Cry"

1stではちょっとしたアクシデントが。
予定外に前半で"Sometimes I Cry"のイントロが流れ、
それに客席が反応してしまい(というか私達)
セットリストの予定よりも早めに歌うことになった。
やはりこの曲の魅力には抗えない。
じっと聴き入り、最後のシャウトが終わると満場の拍手で包まれる。

そこでまた「今回はもう一つ、ラテン、メレンゲの雰囲気の曲で、
楽しくしようと思ってね。」
2ndアルバム"A Day in the Life"から"Why You Follow Me"
客席にもマイクを向けると、"Why you follow me!"と皆コーラスを返す。

「僕の曲の中でトップ10を数週間維持してくれた曲。
そして皆もこの曲は知ってるよね。
コーラスを手伝ってくれる?」
4thアルバム"Love & Life"から"You're the Only One"
この曲もライヴで披露されたのは世界に先駆けて、
2007年のブルーノート東京だった。
その後、ストリングスを付けてアルバムへと収録され、
この曲の人気から次の作品"Lost In Time"へと懐古調の雰囲気がつながった。

客席からも"You're the only one I want, you're the only one I need in my life!"
とコーラスが返ってくる。
ここでいったんステージから離れたエリック。
「もっと聴きたい?」と日本語がバックステージから聞こえてくる。
そう言えばジャケットを脱ぐ時にも、日本語を最前列の人に教えて貰い、
「暑い。。。」と言っていた。
また「ありがとうございます!」も日本語で。

戻ってくるのはお約束の曲、"Georgy Porgy"
皆さん、きちんと覚えていて
"Georgy Porgy pudding pie, kissed the girls & made them cry"
と返していました。
ここでバンドの紹介となる。
以前からも度々書いていることだが、バンドの紹介、
その間に休んでいたり、自分は他の人に歌わせて引っ込んでしまう人もいる。
エリックはずっと一人一人の楽器や歌に合わせてリズムを取り、
音に身を委ねて踊っている。

2年振りの来日、期待を裏切らないステージをエリック・べネイは見せてくれた。

エリックべネイ、東京到着!

2014-05-11 09:46:50 | エリックべネイ2014年来日
昨日の夕刻、エリックべネイは成田に到着した。
その他各地から東京へと向かったクルーたちとも合流し、
ブルーノートからの迎えのバスに乗り込む。


都内のホテルに着くと付き人のBは早速、バーで一杯やっている。
エリックもここにいるのかって?
たぶん部屋で休息を取っていることと思います。
タバコが写真に写っているから。
エリックが一緒の時にはあり得ないことなので(笑)


「日本庭園を見学しているよ。」とトップの画像。
もう既に起きていて朝食をすませたようだ。
画像の後ろには菖蒲が写っているのが見える。

朝食は外のテラスにて。ツツジの花が満開だ。
清々しい空気感が伝わってくる。
今回の滞在が緑があるこのホテルで良かったと思う。


エリックべネイの来日、暑かったり寒かったりの時期が多かった。
2年前に続く5月の来日。
気候の最も良い季節を楽しんでくれている様子が嬉しい。
その爽やかさがステージにも広がっていくはず。
今日から始まる東京3日間、6公演、きっと素晴らしいライヴになる。
そしてそれが名古屋や韓国の公演にも繋がっていく。

Eric Benet、明日からBlue Note Tokyoにてライヴ

2014-05-10 11:03:38 | エリックべネイ2014年来日
エリックべネイ、既に東京へと向かうチェックインがTLに上がっている。
その他のクルー達も次々とそれぞれの地元の空港からチェックインしている。

明日から始まるブルーノート東京のライヴ、
どのようなステージを魅せてくれることだろう。
実に2年振りの来日となる。

既にライヴで歌う予想曲をいくつか掲載してきたが、
もう定番の曲で常連の方はご存知でも初めての方もいらっしゃるかと思い、
まとめて総ざらいします(笑)

Chocolate Legs
エリックの4thアルバム"Love & Life"より。
「今の世の中は不況、ストレスを感じることが外界には満ちている。
そんな時に家に帰ると暖かい愛情で包んでくれる人がいたら、
どれだけ気持ちが安らぐことだろう。」というメッセージが込められた曲。
"Wrap your chocolete legs around me"
「チョコレート色の脚で僕を包んで」という部分を一緒に歌います。
「私の脚はチョコレート色じゃないんだけど?」という質問に対し、
エリックべネイ「チョコレートでもいろいろあるでしょう?
ホワイトチョコとか、モカとか、キャラメルとか。
ワサビ味のチョコなんかもあるかもしれないし(これは日本のファンに対してか?)」
と答えている。

I Wanna Be Loved
3rdアルバム"Hurricane"より。
この曲は好きな曲だが、ライヴでは意外に削られてしまう。
それなのにエリックが歌う時は思いっ切り客席にコーラスを振ってくる。
男女二手に分け"Wanna be loved"
"Be loved by you"と二部合唱を要求するエリック。
しっかりと応えて歌い返したい。
というか久々でこの曲を聴いてみたい。

もう一曲、今はリミックスヴァージョンも出している曲、
6thアルバムから"Runnning"
これも歌う予感がしているが、まだライヴでは聴いたことがないので、
どの部分を歌うのやら。

今回はバックボーカルも連れてくるので楽しみなのはデュエット曲。
先日、エリックのファンの皆さん達とランチをしていたら、
聴こえてきたのは5thアルバム"Lost in Time"から、
フェイス・エバンスとのデュエット"Feel Good"
これも歌うかもしれません。
そして定番のデュエット曲、タミアとのデュエットでグラミーにノミネートされた
"Spend My Life With You"
プロポーズやウェディングソングとしてタイムレスな曲となって定着している。

忘れてはならないのはアンコールの一曲目。
"Georgy Porgy"
どうして英語が母国語でない日本でこんなコーラスを皆にさせるのかと
いつも思いますが、皆さん、しっかりと唱和してくれています。
"Georgy Porgy pudding pie, kissed the girls & made them cry"

毎回用意してくれるサプライズ曲。
今回はいったい何の曲を歌ってくれるのだろう。
おそらくは5/28に発売されるカヴァーアルバム"From E to U"の中から?
楽しみは尽きない。
もう30時間後には私達の目の前でエリックべネイは歌っている。

Eric Benet"From E to U : Volume 1"

2014-05-02 19:24:28 | エリックべネイ2014年来日
"I have a new covers album,
and I did that's actually pretty amazing if I do say so myself.… "
とエリックべネイはトップの画像をインスタグラム、ツイッターに掲載した。

タワーレコードのサイトでも今回のカヴァーアルバムの詳細が。
http://tower.jp/item/3532278?kid=psmsotw

タイトルは"From E to U :Volume 1"
今回のタイトルに「1」と付けられているのなら、
次回に「Volume 2」がリリースされる可能性も充分にある。

1.アフリカ / Africa-TOTO
2.風立ちぬ / Ride Like The Wind -Christpher Cross
3.パラダイス~愛のテーマ/ Almost Paradise(Duet with Ailee)
4.アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン / After The Love Has Gone-Earth Wind & Fire
5.ホワット・ア・フール・ビリーヴス / What A Fool Believes- The Doobie Brothers
6.モア・ザン・ワーズ / More Than Words-Extream
7.君は完璧さ / Do You Really Want To Hurt Me?-Culture Club
8.エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ / Everytime You Go Away-Hall & Oates
9.オープン・アームズ~翼を広げて / Open Arms
10.サラ・スマイル / Sara Smile -Hall & Oates
11.スルー・ザ・ファイア / Through The Fire-Chaka Khan (ボーナストラック)

アルバムのリリースは5/28とされているが、
3曲目、韓国の女性シンガー・Aileeとのデュエット曲"Almost Paradise"
Youtubeで聴くことができる。

カヴァー曲、エリックべネイの好みと日本での人気曲を選択したとのこと、
4曲目の"After the Love Has Gone"、ボーナストラックの"Through the Fire"、
この2曲は2005年からライヴの時に、
デビッド・フォスターのスニペットとして歌うのを聴いてきた。
今回、フルヴァージョンで聴くのが待ち遠しい。

また"Almost Paradise"もとても良い感じに仕上がっていて、
全曲通して聴くのが楽しみ。
そして今回の来日ではこの中から数曲、歌う予定なのではという気がしている。



Nile Rodgers"Le Freak"

2014-05-01 12:07:37 | NILE RODGERS & the CHIC organization
Nile Rodgers & CHICが上海のフェスティバルに出演した。
応援するアーティスト達がちょっと手を伸ばせば届くような距離、
アジアの国に来ていると思うと落ち着かない。
今年のナイルのグラミー三冠の快挙は嬉しいが、
来日は遠くなってしまったのだろうか。

屋外でのフェスティバル、キーボード奏者のリチャードが始まる前と
コンサート中の写真、FB上にアップしている。




"Le Freak"が出版されたのは2011年の終わり頃。
ナイル・ロジャース宛に「読みたいけれど日本で買えるのかしら?」とツイート。
「アマゾンで買えるよ、ありがとう。」とお返事が来る。
2012年のCHICの来日では感想を伝えると、
「良くわかってくれたね。お利口さん(笑)」とハグ、本にサインもしてくれた。

今日から5月。
今年の4月が何となく物足りないのは、一昨年までの恒例行事だったCHICの来日、
昨年からなくなってしまったからかもしれない。
2011年には震災でダメージを受けた日本を心配し、4月の定例の来日だけでなく、
5月のマカオでのコンサートの帰りに東京に寄り、一日だけのライヴを行ってくれた。

桜の終わる時期にはいつもナイル・ロジャースが日本にやってきてくれていた。
なぜそれが4月だったのか。
知らない方もいらっしゃるかと思い、あらためて以前に訳した
Nile Rodgers"Le Freak"の要約を掲載します。

************************************************************************

1996年の4月、日本はまさに桜の季節だった。
春の暖かな陽気の中、まだ残っている美しい桜の時期に自分が間に合ったこと、
"Sakura"は短い期間しか花が咲かず、日本人にとって神聖な意味を持つ、
とナイル・ロジャースは綴っている。

武道館でのコンサートとJTの企画で2時間枠のテレビ番組の収録があること、
ナイルは浮き立つような気分で親しいアーティスト、このコンサートに相応しい人達、
へと声を掛けてメンバーを集めた。
そして新しいCHICのメンバー編成もした。
もちろん昔ながらのパートナー、バーナード・エドワーズも一緒だ。
このことがこれからの新しいCHICへの最初のステップとなる予感もしていた。
今までにない素晴らしい演奏ができるという実感もあった。

事態が悪くなったのはその24時間後だった。
「少し横になりたい。点滴とかできるかな?元気になれるように。」
とバーナードが言った。
プロモーターとエージェントに話すと医師が呼ばれる。
「コンサートはキャンセルして直ちに入院してください。」
と告げられ、ナイルもコンサートを延期して日を改めるようにプロモーターと話す。
しかしバーナードは譲らなかった。「医者と話したい。」
バーナードはコンサートは行うこと、終わり次第病院へ行くと医者を説得し、
点滴を打ってもらった。

プロモーターも延期しても問題ないと言ってはくれたものの、
バーナードが「ここまでわざわざやってきて、寝てろって言うのか?」
"The show must go on"と譲らなかった。

コンサートはダンサーも含め、優秀なアーティストも備え、
舞台装置も完璧なものになる。
普段は感情的にならないバーナードも始まる前に既に感極まり涙していた。

曲の途中でバーナードとアイコンタクトしようとすると彼は舞台にいない。
どうしたのかと思いつつ演奏を続け、もう一度探すとバーナードはステージにいた。

休憩の時にバーナードから「実は気絶してしまったんだ。
そして一旦、舞台の袖に運ばれて、名前を呼ばれて意識を取り戻したから、
また演奏に戻ったんだ。」

その時に自分はただ話を聞いていた。
バーナードの口から具合が悪いとか、弱音は一つも出なかった。
「さあ、残りのショウをがっつり行こうぜ!」と言われて、
「もちろんさ!」とナイルロジャースは答えた。

後半もバーナードはエネルギーに溢れていて、
輝くばかりの演奏を聴かせた。
会場は満員、テレビのカメラも何台も置かれ、
観客もアーティストも何もかも素晴らしかった。

コンサートは3時間に及んだ。
ホテルへ戻った時に病院へ向かうようにバーナードへ言ったが、
「今は疲れているから、ただ部屋で眠りたい。」
ナイルは食事に出かける時にもう一度バーナードへ電話する。
何かいるものはないのかという質問に「大丈夫だ。横になりたいだけだ。」
とバーナードは答える。

その晩、眠っていたナイルは突然、衝撃を感じて飛び起きる。
時間は1:33だった。
地震かと思ったナイルは一緒に休んでいたパートナーの女性を起こす。
彼女は違うと思うと言ったが、テレビで情報を確認した。
どこにも地震があったというニュースは流れていなかった。

翌朝「バーナードさんのお部屋にモーニングコールを掛けているのですが、
応答がありません。」とフロントから電話があり、
「すぐ近くの部屋だから僕が起こしに行くよ。」とナイルはバーナードの部屋へ向かう。
応答がないので、ハウスキーパーに部屋を開けてもらう。

そこでナイルがみつけたのは、ソファーで横になってつけたままのテレビの前にいる
変わり果てたバーナードの姿だった。
ソックスに凝固した血液の塊がある。
ナイルは駆け寄り、起こそうとする。
しかしバーナードの頬に触るとコーヒーテーブルのように冷たかった。
何が起きたかと理解したナイルは取り乱し泣き崩れる。
ハウスキーパーはなすすべもなく、警察が呼ばれた。
混乱した気持ちの中にもナイルの心の中で「ずっとバーナードの世話になってきた。
今度は自分がその恩を返す番だ。」という覚悟のようなものが定まってきていた。

その時期、当時アメリカ大統領だったビル・クリントンが来日していた。
時が重なったこともあり、事態は複雑になった。
また日本ではエバーミング(遺体の防腐処理)などをしないために、
どのようにしてバーナードの家族へ遺体を渡せるかなどナイルは悩む。

検死が終わり、鑑識から報告が上がってくる。
死亡推定時刻は午前1時から2時と言われて、
ナイルは「地震のあった頃なのか?」と尋ねる。
英語の堪能な刑事に1:33の出来事を話した。
刑事は言った「日本は地震が多いので、小さな地震も細かく観測されています。
その時間には地震はありませんでした。
それはきっとお友達があなたに別れを告げにやって来たのです。」

警察署からホテルへと戻るために駐車場にいた時だった。
刑事がナイルのところへやって来る。
「お友達のところに行ってあげて下さい。」意味が分からないナイルは聞き返す。
「こちらに来て、お友達に会ってあげて下さい。
そして好きなだけ一緒にいてあげて下さい。」

小さな部屋へと案内されるとそこには祭壇が作られていた。
棺に入ったバーナードの様子をガラス越しに見ると、白い着物を着せられていた。
最も悲しかった日、その終焉は荘厳なまでに美しかった。

エピローグ:"We Are Family"

バーナードの死から14年が過ぎた。
いつも彼が一緒にいてくれると感じながら時は過ぎていった。
彼の死は受け入れるすべもなかったけれど、ただひたすら前進あるのみだった。
このような悲劇的な出来事はまた酒へと走らせてしまうというのが通念だ。
しかし、むしろ自分は反対に、バーナードの死を通して、
自分はしっかりしなければいけない、決して飲んではいけないと決意は固かった。

ずっと忙しかった。
貧しいところからスタートして、不自由しない生活ができるまでになった。
自分にとって「生きている」という実感は、音楽抜きには考えられない。

2001年9月11日、シアトルからニューヨークへと嵐の中、ナイルは飛行機で帰宅した。
家に戻ると彼女のナンシーが「たいへんなことが起きている。」とテレビを指した。
犠牲者の中にずっとナイルのポートレイトを撮ってきてくれた親しいカメラウーマンがいた。
ナイルの電話は鳴り続ける。
「"We Are Family"を使ってアメリカ全土を癒してほしい。」と依頼があるが、
あれはシスタースレッジに書いた曲だし、
その時点では自分の中では全くそんな気持ちにはなれなかった。

ダイアナ・ロスを始め、パティー・ラベル、ルーサー・バンドロス、
クイーン・ラティファ、ポインター・シスターズ、そしてシスタースレッジ自身、
多くのアーティスト、俳優、女優からも支持を受け、
"We Are Family"のレコーディングがニューヨークで始まった。
ただアーティストが集まるだけではなく、
愛と平和への願いが込められた作品にしたかった。

引き続きLAでもレコーディングが行われることになり、
飛行機に乗るとその日のクルーたちは皆、
あの嵐の日にナイルが乗った9/11の飛行機の時のメンバーだった。
彼らからあの日以来、初めてのフライトだと聞き、ナイルはそれぞれとハグした。

レコーディングの様子はスパイク・リーが監督したメイキングフィルムに収められた。
その他に子供たちだけのヴァージョンもコマーシャル映像監督に依頼して作成した。
この作品は2002年のサンダンス映画祭でスタンディングオベーションを受けた。
子供たちのヴァージョンも子供番組の三大ネットワークで放映される。

そこから"We Are Family Foundation"がスタートした。
最初は小さなプロジェクトだったが徐々に大きくなり、
アフリカ、中央アメリカ、ネパールなどに学校を17校立ち上げた。
今後も生活物資、基本的に安全な環境、教育環境の充実へと貢献していくつもりだ。

"We Are Family"をSister Sledgeのために作曲した時、
この曲が自分にとってこんなに大きな意味を成す結果になるとは想像もしなかった。
このプロジェクトのお祝いの会を開催した翌週、
自分はローマのコンサートへと旅立つ予定だった。
イタリアへと向かわなければならない日、主治医からナイルは告げられる。
癌がみつかったから治療を優先して欲しいと。
自分にはしなければならない仕事があるとナイルはドクターに話す。

ナイルには94年から座右の銘としているGrim Reaperの言葉がある。
Yesterday's history,
tomorrow's mystery,
today's gift,
that's why they call it the present.

人生は与えれた贈り物だ。感謝で受け止めないと。
「毎日を今日が最後だと思って生きよう」という言葉もスローガンにしている。
だからローマへと向かい、素晴らしいライヴをやってきた。

家に戻った日は空に雲一つない11月の初めて霜が降りた日だった。
寒くてひやっとする空気は身が引き締まる思いでむしろ心地良い。

これから感謝祭を家族で祝うためにラスヴェガスへと向かう。
義父のボビーがいなくなって寂しくなったけれど、家族の集まりは欠かせない。
一時期、家族と離れたこともあったが、こういう時間を大切に思っている。
今年は自分の癌の告知もあり、母に心配を掛けたくないので、
この家族の集まりを中止しようかとさえ思った。
しかしそんなことは問題ではないという結論に達するかもしれないと思い直して、
今年も祝うことにした。

明日は感謝祭だ。

*****************************************************************

2001年に9月11日を経験した後、感謝祭で家族で集まることにしたというプロローグから始まり、
翌日の感謝祭を祝うという2010年で"Le Freak"は終わっている。

昨年の来日時のインタビューで「なぜ日本をそんなに贔屓にしてくれるのか?」という質問に、
「一般的にアーティストが突然に亡くなったりすると、
ドラッグ絡みとか犯罪者的な扱いを受けがちだ。
バーナードの死に対し日本の警察は紳士的に扱ってくれ、人々も敬意を払ってくれた。
日本のファン達も心を痛め、私やバーナードのために気持ちを寄せてくれたから。」
とナイルは答えている。

Nile Rodgers "Le Freak" part.1 http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20111207

Nile Rodgers "Le Freak" part.2 http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20120306

Nile Rodgers "Le Freak" part.3 http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20120417