Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

Eric Benet & Nile Rodgers

2014-11-09 11:39:02 | NILE RODGERS & the CHIC organization
昨日は寝ようと思ったところでトップの画像をみつけてしまった。
Nile Rodgersはこんなキャプションを付けてエリックをタグ付けしてこの写真をアップした。
"Eric Benet & Nile Rodgers on the Soul Train Awards red carpet.
He is my boy and it was such a surprise to see him."

エリック・べネイとナイル・ロジャース、二人の付き合いは、
ナイルが創設したチャリティー基金、We Are Family Foundation,
発展途上国や恵まれない子供達を援助しているが、
2008年のその記念パーティーで今はエリックの妻であるマニュエラ、
数年前のサンダンス映画祭でナイルと知り合ってから交流を続けていた彼女の内助の功により、
エリックべネイはCHICと共にステージに上り、デビッド・ボウイ"Let's Dance"を歌った。
映像中でナイルも言っているが、この曲を演奏するのは、
最初にデビッドとレコーディングした時、次は日本の武道館でナイルのパートナー、
バーナード・エドワーズが亡くなる前の晩に最後の演奏をした時、
そして三回目がこの日のエリックとの共演になると話している。
この頃はまだバッシングの名残りがあり、
アメリカでエリックのパーフォーマンスが今ほどなかっただけに、
ナイル・ロジャースがエリック・べネイを使ってくれたことがほんとうに嬉しかった。

"Let's Dance" by Nile Rodgers & CHIC ft. Slash & Eric Benet


エリックとナイルの関係、このエピソードにはまだ先がある。
2011年、3月11日の震災の後、エリックべネイの4月中旬に予定されていた来日、
キャンセルとなった。
本人だけの問題ではないから仕方がないこととわかってはいたが、
その時のエリックの対応、日本宛のお見舞いのメッセージを出してくれなかったこと、
などに残念な気持ちはぬぐえなかった。

4月早々に来日してくれるナイル宛に「来てくれるのを楽しみに待っている」
とツイートしたところ「すぐ行くからね」とツイートが返ってきて、
その後、ナイルはエリック宛てに「Yo Bro.元気でやっている?
僕は日本までちょっと慰問に行って來るけれどね。」とツイートした。
そして私には「エリックにちゃんと言っておいたからね。」
みたいなメッセージをナイルは送ってきた。

エリックべネイはナイルからのツイートに返事をしなかった。
しばらくしてエリックはナイル宛に「もし日本に行ってたらすれ違いだったかな?
日本で会えたかもしれなかったね。」とツイートした。
そこに私は割り込んで「二人で今度一緒に来て共演してくれたら嬉しいんだけど。」
とツイートすると、
エリックは私とナイル宛に「いいね。ぜひそうしたいな。」と返してくれた。
3・11の後にエリックに対してわだかまりが残っていた私は、
このツイートで胸の中の氷が溶けていった。
日本で二人が競演することなど有り得ないのに同意してくれたエリック。
でもほんとうに二人が東京で一緒にパーフォーマンスをする、
そんなことがあっても良いとその時は夢を描けた。

ソウルトレインアウォード、トップの画像はレッドカーペット上だが、
放映は11月30日と友人から教えてもらった。
エリックはいったいどんなパーフォーマンスをするのだろうか。
エリックべネイのFBページの内容から
フランク・シナトラの"Me & My Shadow"かもしれないと予想している。

Nile Rodgers"Le Freak"

2014-05-01 12:07:37 | NILE RODGERS & the CHIC organization
Nile Rodgers & CHICが上海のフェスティバルに出演した。
応援するアーティスト達がちょっと手を伸ばせば届くような距離、
アジアの国に来ていると思うと落ち着かない。
今年のナイルのグラミー三冠の快挙は嬉しいが、
来日は遠くなってしまったのだろうか。

屋外でのフェスティバル、キーボード奏者のリチャードが始まる前と
コンサート中の写真、FB上にアップしている。




"Le Freak"が出版されたのは2011年の終わり頃。
ナイル・ロジャース宛に「読みたいけれど日本で買えるのかしら?」とツイート。
「アマゾンで買えるよ、ありがとう。」とお返事が来る。
2012年のCHICの来日では感想を伝えると、
「良くわかってくれたね。お利口さん(笑)」とハグ、本にサインもしてくれた。

今日から5月。
今年の4月が何となく物足りないのは、一昨年までの恒例行事だったCHICの来日、
昨年からなくなってしまったからかもしれない。
2011年には震災でダメージを受けた日本を心配し、4月の定例の来日だけでなく、
5月のマカオでのコンサートの帰りに東京に寄り、一日だけのライヴを行ってくれた。

桜の終わる時期にはいつもナイル・ロジャースが日本にやってきてくれていた。
なぜそれが4月だったのか。
知らない方もいらっしゃるかと思い、あらためて以前に訳した
Nile Rodgers"Le Freak"の要約を掲載します。

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1996年の4月、日本はまさに桜の季節だった。
春の暖かな陽気の中、まだ残っている美しい桜の時期に自分が間に合ったこと、
"Sakura"は短い期間しか花が咲かず、日本人にとって神聖な意味を持つ、
とナイル・ロジャースは綴っている。

武道館でのコンサートとJTの企画で2時間枠のテレビ番組の収録があること、
ナイルは浮き立つような気分で親しいアーティスト、このコンサートに相応しい人達、
へと声を掛けてメンバーを集めた。
そして新しいCHICのメンバー編成もした。
もちろん昔ながらのパートナー、バーナード・エドワーズも一緒だ。
このことがこれからの新しいCHICへの最初のステップとなる予感もしていた。
今までにない素晴らしい演奏ができるという実感もあった。

事態が悪くなったのはその24時間後だった。
「少し横になりたい。点滴とかできるかな?元気になれるように。」
とバーナードが言った。
プロモーターとエージェントに話すと医師が呼ばれる。
「コンサートはキャンセルして直ちに入院してください。」
と告げられ、ナイルもコンサートを延期して日を改めるようにプロモーターと話す。
しかしバーナードは譲らなかった。「医者と話したい。」
バーナードはコンサートは行うこと、終わり次第病院へ行くと医者を説得し、
点滴を打ってもらった。

プロモーターも延期しても問題ないと言ってはくれたものの、
バーナードが「ここまでわざわざやってきて、寝てろって言うのか?」
"The show must go on"と譲らなかった。

コンサートはダンサーも含め、優秀なアーティストも備え、
舞台装置も完璧なものになる。
普段は感情的にならないバーナードも始まる前に既に感極まり涙していた。

曲の途中でバーナードとアイコンタクトしようとすると彼は舞台にいない。
どうしたのかと思いつつ演奏を続け、もう一度探すとバーナードはステージにいた。

休憩の時にバーナードから「実は気絶してしまったんだ。
そして一旦、舞台の袖に運ばれて、名前を呼ばれて意識を取り戻したから、
また演奏に戻ったんだ。」

その時に自分はただ話を聞いていた。
バーナードの口から具合が悪いとか、弱音は一つも出なかった。
「さあ、残りのショウをがっつり行こうぜ!」と言われて、
「もちろんさ!」とナイルロジャースは答えた。

後半もバーナードはエネルギーに溢れていて、
輝くばかりの演奏を聴かせた。
会場は満員、テレビのカメラも何台も置かれ、
観客もアーティストも何もかも素晴らしかった。

コンサートは3時間に及んだ。
ホテルへ戻った時に病院へ向かうようにバーナードへ言ったが、
「今は疲れているから、ただ部屋で眠りたい。」
ナイルは食事に出かける時にもう一度バーナードへ電話する。
何かいるものはないのかという質問に「大丈夫だ。横になりたいだけだ。」
とバーナードは答える。

その晩、眠っていたナイルは突然、衝撃を感じて飛び起きる。
時間は1:33だった。
地震かと思ったナイルは一緒に休んでいたパートナーの女性を起こす。
彼女は違うと思うと言ったが、テレビで情報を確認した。
どこにも地震があったというニュースは流れていなかった。

翌朝「バーナードさんのお部屋にモーニングコールを掛けているのですが、
応答がありません。」とフロントから電話があり、
「すぐ近くの部屋だから僕が起こしに行くよ。」とナイルはバーナードの部屋へ向かう。
応答がないので、ハウスキーパーに部屋を開けてもらう。

そこでナイルがみつけたのは、ソファーで横になってつけたままのテレビの前にいる
変わり果てたバーナードの姿だった。
ソックスに凝固した血液の塊がある。
ナイルは駆け寄り、起こそうとする。
しかしバーナードの頬に触るとコーヒーテーブルのように冷たかった。
何が起きたかと理解したナイルは取り乱し泣き崩れる。
ハウスキーパーはなすすべもなく、警察が呼ばれた。
混乱した気持ちの中にもナイルの心の中で「ずっとバーナードの世話になってきた。
今度は自分がその恩を返す番だ。」という覚悟のようなものが定まってきていた。

その時期、当時アメリカ大統領だったビル・クリントンが来日していた。
時が重なったこともあり、事態は複雑になった。
また日本ではエバーミング(遺体の防腐処理)などをしないために、
どのようにしてバーナードの家族へ遺体を渡せるかなどナイルは悩む。

検死が終わり、鑑識から報告が上がってくる。
死亡推定時刻は午前1時から2時と言われて、
ナイルは「地震のあった頃なのか?」と尋ねる。
英語の堪能な刑事に1:33の出来事を話した。
刑事は言った「日本は地震が多いので、小さな地震も細かく観測されています。
その時間には地震はありませんでした。
それはきっとお友達があなたに別れを告げにやって来たのです。」

警察署からホテルへと戻るために駐車場にいた時だった。
刑事がナイルのところへやって来る。
「お友達のところに行ってあげて下さい。」意味が分からないナイルは聞き返す。
「こちらに来て、お友達に会ってあげて下さい。
そして好きなだけ一緒にいてあげて下さい。」

小さな部屋へと案内されるとそこには祭壇が作られていた。
棺に入ったバーナードの様子をガラス越しに見ると、白い着物を着せられていた。
最も悲しかった日、その終焉は荘厳なまでに美しかった。

エピローグ:"We Are Family"

バーナードの死から14年が過ぎた。
いつも彼が一緒にいてくれると感じながら時は過ぎていった。
彼の死は受け入れるすべもなかったけれど、ただひたすら前進あるのみだった。
このような悲劇的な出来事はまた酒へと走らせてしまうというのが通念だ。
しかし、むしろ自分は反対に、バーナードの死を通して、
自分はしっかりしなければいけない、決して飲んではいけないと決意は固かった。

ずっと忙しかった。
貧しいところからスタートして、不自由しない生活ができるまでになった。
自分にとって「生きている」という実感は、音楽抜きには考えられない。

2001年9月11日、シアトルからニューヨークへと嵐の中、ナイルは飛行機で帰宅した。
家に戻ると彼女のナンシーが「たいへんなことが起きている。」とテレビを指した。
犠牲者の中にずっとナイルのポートレイトを撮ってきてくれた親しいカメラウーマンがいた。
ナイルの電話は鳴り続ける。
「"We Are Family"を使ってアメリカ全土を癒してほしい。」と依頼があるが、
あれはシスタースレッジに書いた曲だし、
その時点では自分の中では全くそんな気持ちにはなれなかった。

ダイアナ・ロスを始め、パティー・ラベル、ルーサー・バンドロス、
クイーン・ラティファ、ポインター・シスターズ、そしてシスタースレッジ自身、
多くのアーティスト、俳優、女優からも支持を受け、
"We Are Family"のレコーディングがニューヨークで始まった。
ただアーティストが集まるだけではなく、
愛と平和への願いが込められた作品にしたかった。

引き続きLAでもレコーディングが行われることになり、
飛行機に乗るとその日のクルーたちは皆、
あの嵐の日にナイルが乗った9/11の飛行機の時のメンバーだった。
彼らからあの日以来、初めてのフライトだと聞き、ナイルはそれぞれとハグした。

レコーディングの様子はスパイク・リーが監督したメイキングフィルムに収められた。
その他に子供たちだけのヴァージョンもコマーシャル映像監督に依頼して作成した。
この作品は2002年のサンダンス映画祭でスタンディングオベーションを受けた。
子供たちのヴァージョンも子供番組の三大ネットワークで放映される。

そこから"We Are Family Foundation"がスタートした。
最初は小さなプロジェクトだったが徐々に大きくなり、
アフリカ、中央アメリカ、ネパールなどに学校を17校立ち上げた。
今後も生活物資、基本的に安全な環境、教育環境の充実へと貢献していくつもりだ。

"We Are Family"をSister Sledgeのために作曲した時、
この曲が自分にとってこんなに大きな意味を成す結果になるとは想像もしなかった。
このプロジェクトのお祝いの会を開催した翌週、
自分はローマのコンサートへと旅立つ予定だった。
イタリアへと向かわなければならない日、主治医からナイルは告げられる。
癌がみつかったから治療を優先して欲しいと。
自分にはしなければならない仕事があるとナイルはドクターに話す。

ナイルには94年から座右の銘としているGrim Reaperの言葉がある。
Yesterday's history,
tomorrow's mystery,
today's gift,
that's why they call it the present.

人生は与えれた贈り物だ。感謝で受け止めないと。
「毎日を今日が最後だと思って生きよう」という言葉もスローガンにしている。
だからローマへと向かい、素晴らしいライヴをやってきた。

家に戻った日は空に雲一つない11月の初めて霜が降りた日だった。
寒くてひやっとする空気は身が引き締まる思いでむしろ心地良い。

これから感謝祭を家族で祝うためにラスヴェガスへと向かう。
義父のボビーがいなくなって寂しくなったけれど、家族の集まりは欠かせない。
一時期、家族と離れたこともあったが、こういう時間を大切に思っている。
今年は自分の癌の告知もあり、母に心配を掛けたくないので、
この家族の集まりを中止しようかとさえ思った。
しかしそんなことは問題ではないという結論に達するかもしれないと思い直して、
今年も祝うことにした。

明日は感謝祭だ。

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2001年に9月11日を経験した後、感謝祭で家族で集まることにしたというプロローグから始まり、
翌日の感謝祭を祝うという2010年で"Le Freak"は終わっている。

昨年の来日時のインタビューで「なぜ日本をそんなに贔屓にしてくれるのか?」という質問に、
「一般的にアーティストが突然に亡くなったりすると、
ドラッグ絡みとか犯罪者的な扱いを受けがちだ。
バーナードの死に対し日本の警察は紳士的に扱ってくれ、人々も敬意を払ってくれた。
日本のファン達も心を痛め、私やバーナードのために気持ちを寄せてくれたから。」
とナイルは答えている。

Nile Rodgers "Le Freak" part.1 http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20111207

Nile Rodgers "Le Freak" part.2 http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20120306

Nile Rodgers "Le Freak" part.3 http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20120417

今年のSt. Emillion Jazz Festival

2014-03-25 12:25:59 | NILE RODGERS & the CHIC organization
昨日、南フランスで行われるSaint Emillion Jazz Festivalが、
今年の開催期間を7/19(土)、20(日)と発表した。
http://www.sudouest.fr/2014/03/24/le-festival-de-jazz-prepare-son-troisieme-millesime-1501999-2830.php

フランス語読みにするとサンテミリオン、英語表記だとセイント・エミリオン、
今回は開催が3回目となる。
過去に招待したアーティストとして、
2012年には、Dee Dee Bridgewater, Michel Portal, Zakir Hussein, Earth Wind and Fire,
昨年は、Chick Corea, Ernesto Tito Puentes, Minino Garay, Nile Rodgers & CHIC,
そして今年の出演者はまだ未定とのこと、
しかしトップ画像が昨年度のCHICになっている。

FB、ツイッター、両方で「今年もCHIC、ナイル・ロジャース、フォラミ、キンバリー、
リチャード、ジェリーを呼んで欲しい」と書き込む。
目を離していた隙にフォラミから「知らなった!教えてくれてありがとう。
去年、ここで買ったワイン、飲まずに取っておいたんだけれど、
今年も行けるなら飲んじゃうわ!」みたいなコメントが来ている。
するとベルギー人のCHICファンが「彼女は『そうあって欲しい』と書いているのであって、
『出演が決まった』とは書いてないよ。もちろん僕もそう願っているけれど。」
と私の拙いフランス語を英語に訳してフォラミに伝えてくれている。

その男性からは「サンテミリオン、行ったことあるの?去年は素晴らしかった!」
とツイートが来るので「まだ一度も行ったことがないの。
でも最高のワインと音楽でしょう?行ってみたいなぁ。」とお返事。

St.Emillion、ボルドーに行きさえすればすぐ近くなのかと思っていた。
毎年ボルドーに行く知人に聞いたところ、ボルドーから車で1時間半余り、
自分でも調べてみたが電車も本数が少なく、そこから更に車でないと行きつけない。
中々難易度が高いフェス。
それでも海外の屋外でのミュージック・フェスティバル、
しかもワインと音楽がセット、魅力は大きい。

フォラミ、昨年はCHICとしてツアーで世界中を回った。
スコットランド→イタリア→アイルランド、フランスもパリから始まり、
ヨーロッパを移動し、また南仏。
その間、マスクとサングラスをして移動中に寝ている写真も投稿され、
強行なツアーに疲れも出ているのかと心配した。
サンテミリオン、フォラミにとってホッとする一時が過ごせ、
南フランスの夏の陽光を楽しめた忘れられない場所なのかもしれない。

グラミー賞、リハーサルでの"Get Lucky"

2014-03-21 12:36:08 | NILE RODGERS & the CHIC organization
昨日見つけた2014年度グラミー賞においてのお宝映像、"Get Lucky"のリハーサル風景。
残念ながら今朝には削除されてしまっていた。

本番との大きな違いはパーフォーマンス中心であることが一つ、
オンエアされた映像では客席のスター達の表情を映し出すショットが挿入されている。
しかし必見だったのはそれぞれのアーティストの観客向けではない素顔が映し出されていたこと。

スティービーはやはり周りの状況を把握するのが難しい。
三人の歌のハーモニーが調和せず、
ナイルとスティービーに挟まれて両方の様子を見ながら、
心配げな表情のファレル、どうしたら良いのか、
ほんとうに巧くいくのかなと不安な様子が伝わってくる。
どうやったらスティーヴィーにわかってもらえるかと試行錯誤しながら、
歌っているようだ。

ファレルってこういう人だったんだと驚いた。
いつも自然体でひょうひょうとしたキャラ、
のんびりしているようにみえるけれどこんなに気を使っているんだと。
ますますファレルのファンになった。

リハーサル中、まだ空席は目立つがリハーサルから見学している大物もいる。
その中でびっくりしたのはポール・マッカートニーだった。
その上、リハーサルなのに関わらず、スタンディングで大きな拍手を送っている。
ポールっていい人なんだなぁ。ほんとうに音楽が好きなんだと思った。

オンエアされた映像と比べてみる。
スティーヴィー、リハーサルでは大丈夫なのかと危うげな様子だったが、
本番ではやはり抜群のスターのオーラが輝く。
ナイルも安定したギターを聴かせ、スティーヴィーの歌もファレルと調和。

"Get Lucky"にCHIC"Le Freak"のリフを挟み、
そこからスティーヴィー・ワンダー"Another Star"へと進行していく。
圧巻のパーフォーマンス、終わった後のファレルのほっとした表情も見逃せない。

Pharrell & Nile Rodgers BRIT Awards 2014

2014-02-21 10:22:27 | NILE RODGERS & the CHIC organization
BRIT Awards 2014に出演のためにロンドンを訪れていたナイル・ロジャース。
インターナショナル・グループ部門でのダフト・パンク"Get Lucky"での受賞、
ナイルがステージでトロフィーを受け取る画像。

その後、Pharrell Williamsと共に"Get Lucky""Good Times""Happy"
のパーフォーマンスがある。
欲を言えば"Good Times"をもう少し聴きたかったような気もするが、
ここに少しでも挟まれたことに感謝。
"Good Times"の歌詞、"Happy days are here again"からファレルの"Happy"
へと移行していく。
Nile Rodgers、グラミーの時もだったが、
とにかく嬉しそうな様子が表情から体全体から伝わってくる。

Pharrell & Nile Rodgers perform 'Get Lucky/Good Times/Happy' | BRIT Awards 2014


「ナイルは今回のグラミー三冠を心から喜んではいない。
自分ではなくダフト・パンクの歌だから。」
と書いている音楽関係の専門家の意見を読んだが、それは違うと思う。

かつてナイルは行きつけのコーヒーショップで"We Are Family"が流れてきて、
「これは僕の曲なんだよ。」と言ったのに冗談かと思われてしまった。
いったんはそのまま引き下がったが、やはりはっきりさせようと思い、
きちんと説明してわかってもらい最後はハグして別れた、
とナイルは2010年のブログに書いていた。

作曲者、プロデューサーのこういうエピソードは多々ある。
"My Girl"のイントロの部分が流れて来た時、ジェームズ・ジェマーソン、
やはりダイナーにいて「この曲は僕の・・・」と言い掛けてやめてしまった、
どうせ信じて貰えないんだろうと思ったんだろうと同席したアーティストが、
インタビューの中で話していた。

私も最初はナイルが今回のグラミーへのノミネート、
特に思い入れがないのかと思っていた。
しかしグラミーでのパーフォーマンス、受賞する時の様子を見て、
ほんとうに喜んでいる様子が節々に出ている。
今まで賞とは余り縁がなかったナイル、
昨年一年間は海外でも多くの都市でコンサートを行い、一気に活躍の場を広げた。
製作者としてだけでなく、パーフォーマーとして各地で知名度が上がったこと、
間違いがない。
またこの映像でもそうだが、ファレル・ウィリアムスはいつもナイルを立ててくれている。
「ナイル、ロジャースに拍手を!」と始まり、最後も「ナイル・ロジャースでした!」と結ぶ。
グラミーでも受賞の都度、ナイルに感謝の言葉と態度を表していた。

BRIT Awardsのアフター・パーティーではお馴染みのCHICのメンバーが駆けつけ、
ナイルと一緒に出演している。
周りの人たちに支えられてナイル・ロジャース、ロンドンで至福の時を過ごしている。
それはナイルの人柄と今までナイルが周囲にいつも惜しみなく、
自分の持てるものを与えてきたからに他ならない。

アフター・パーティーでのNile Rodgers

おめでとう、Nile Rodgers!!

2014-01-27 20:45:03 | NILE RODGERS & the CHIC organization
グラミー賞発表の前日、私は2011年にWOWOWで放映されたドキュメンタリー、
「ノンフィクション・ナイル・ロジャース 魂のスタート アゲイン」を観ていた。
翌日の"Get Lucky"の快挙を祈るような気持ちで。

そこでいろいろなことを思い出した。
2011年の震災の後、多くの、いやほとんどのアーティストが来日をキャンセルする中、
ナイルロジャースはすぐに日本に向けてのメッセージを発信し、
「必ず行くから頑張って待っていてくれ。」と呼びかけてくれたこと。
日本のことが心配の余り60時間以上眠らずに
「大切な日本のブラザーやシスターにこんなことが起きるなんて。」
と狼狽する様子。

そしてナイル自身も癌の手術をして3ヶ月足らず。
東京でのライヴ、ほんとうに大丈夫なのかと私達も世界のファン達も危惧した。
しかしナイルはやってきてくれて、皆をチアーアップしてくれた。
来日に向けてコネチカットの家の周辺をウォーキングするナイルの姿が、
このドキュメンタリーでは映し出されていた。

今にして改めて思うこと、私達もナイルに支えられたけれど、
術後のナイルにとっても「何がなんでも自分は日本に行き、皆を励ますために演奏する。
それができるのは自分しかいない。」
という気持ちがナイルの病を克服する原動力になったのかもしれない。

グラミー賞、アカデミー賞、スカイパーフェクトTVで、
寸前のレッドカーペットと終了後のインタビューは観られるのに肝心の中継が観られない。
エリックべネイがグラミーにノミネートされた2009年、
これはすべてWOWOWが独占しているためと知り、その時からWOWOWを視聴することに。

WOWOWでの午前9時からの中継の前に8時からレッドカーペット上のインタビュー、
また今回の見所などの案内の放映がある。
その間、グラミーのオフィシャルサイトでレッドカーペット、楽屋裏など、
4つの画面が映し出されている。
ツイッター、フェイスブックでのグラミーサイト、
多くのアーティストがグラミーに向けてするコメントなども見逃せない。
7つの画面のひとつを見ている内に大切な何かを見損なったりするのは毎度のこと。
2012年にはエリックべネイのレッドカーペットインタビューを見失っている。

始まる前にみつけたのはレイラ・ハサウェイのツイート、
「パパがいてくれたら。でもママが一緒にいてくれるから。今日は素晴らしい日。」
レイラのパパはもちろんダニー・ハサウェイ。
そこに応援のツイートがジョディー・ワトリーから。
「パパは天国から見てくれているわよ。頑張って!」
まもなくレイラの受賞が発表され、そこにレディシも「おめでとう!」のツイート。

アメリカのブラジルの日本の一緒に見守る仲間達とゲキを飛ばすツイートが飛び交う。

なんやかんやでもう中継が始まる前から自分の中で凄いテンションに入っていた。
今晩10時からの字幕版ダイジェストを観る方もいるかと思うので、
感動したポイントをさらっと。

もちろんDaft Punk"Get Lucky"の快挙とパーフォーマンス。
受賞でナイルロジャースと一緒にステージに上がる度に、
「これは偉大なレジェンド、ナイルのお蔭だ。」と感謝を言葉にするPharrell Williams。
"Get Lucky"のパーフォーマンス、
CHICの"Le Freak"とスティーヴィー・ワンダー"Another Star"がマッシュアップされる。
客席ではビヨンセがポール・マッカートニーが、ヨーコ・オノがスティーヴン・タイラーが、
歌いながら踊っている。

ロビン・シックがシカゴとコラボしたのも熱くなった。
"Does anybody know what the time it is"から始まり、"Saturday in the Park"
私が初めて友達と行ったコンサートは中学三年の時、武道館のCHICAGOだっただけに感慨深い。
そこからRobin Thicheの"Blurred Lines"へと繋がっていく。

アメリカンアイドルの審査員で最近親しみを感じているキース・アーバン。
審査員の時とは全く違った表情を魅せるパーフォーマンス。

そして14歳の時から大好きだったキャロル・キング。
70歳を過ぎた彼女がパーフォーマンスに登場する。
ステージにキャロルがいるだけで嬉しい。
ピアノ二台のデュオ、シンプルで逆に新鮮だった。

クラシックピアニスト、Lung Lung、ランランが出てきた時には、
私の応援する日本のピアニスト、金子三勇士君、
彼がグラミーに出る日も来るかなどと興奮の種は尽きない。

ナイル・ロジャースはヒット曲をたくさん生み出しているのに、
意外にアメリカで知名度、人気度、評価が低い。
そんなナイルの長い間の苦労が報われる今日のグラミー。
エリックべネイが二度敗れたグラミーの日には悔し涙だったが、
今日は喜びや感謝の気持ちで観ていて胸が一杯になった。


シドニーのCHIC

2013-12-07 22:53:20 | NILE RODGERS & the CHIC organization
オーストラリアを訪れているNile Rodgers & CHIC、
シドニー・オペラハウスからのコンサートがネットで日本時間19時より中継され、
日本からも閲覧することができた。

19:10頃におもむろにメンバーとステージに登場したナイル・ロジャース、
ステージの後ろの席を振り返り「後ろに観客がいるって初めてなんだ(笑)」
こんなに大きな会場の二階席までぎっしりと人が入っている。
それなのに日本ではブルーノートでCHICを観ることができるのはなんて贅沢なのだろう。
ナイルは日本の観客に甘い。別格の待遇にしてくれている。

「皆、パーティー、"Good Times"への準備はできてるかな?」とナイル。
Everybody Dance
フォラミとキンバリーはシルバーと黒で統一したコスチューム。
Dance Dance Dance
I Want You Love
「この歴史あるオペラハウスでの初めてのコンサートだけれど、
またぜひ来たいね。
僕は作曲家でアレンジャーなので他の人の曲もたくさん作っているんだよ。
自分の曲だけでなく、マドンナやダイアナ・ロス、デビッド・ボウイの曲も。
ではダイアナの曲をメドレーで聴かせるね。」とナイル。
I'm Coming Out
Upside Down

He's the Greatist Dancer
We Are Family
ホーンセクション達は後ろの観客の方も向いてアピール。
Soup for One

Like a Virgin
フォラミのしている革とレースの黒の手袋が可愛い。

「17年前に亡くなったバーナードと書いた思い出の曲。」
とナイルは"Thinking of You"を紹介する。

Lost in Music
Notorius

CHIC Cheers
My Forbidden Lover

「さあ、更に次のレベルへと行くよ。」
"Let's Dance"
"Le Freak"
観客の歌を聴きたいと振るナイル。
二階席の後ろまで全員が総立ちの会場。

「子供の頃、マイルス・デイビスのライヴに行き、彼が15分近く沈黙する様子、
カッコイイと思ったよ。
でも沈黙よりも曲の方がずっといい、その曲を作り出している人達を紹介しよう。」

「どこのバンドにも変な奴がいる、それがラルフだ(笑)
それと対照的でクールのなのがセラン。
僕は3年前に癌の告知を受け、活動を控えるように医者に言われたけれど、
今は完治してこうやって活動している。
きびしい数年間の後で今年は最高の年になった。」
観客から大きな拍手が沸く。

「さあ、パーティータイム。」と"Good Times"
観客達が次々とステージへと上がってくる。
6歳くらいの男の子がベースのジェリーと向き合って熱心に踊っている。
ジェリーはベースを弾くように促すが、お行儀の良い少年はまさかジェリーのベース、
触れていいとは思いもしないようで自分でエアベースを作って弾き始めるのが可愛い。

最後は全員で"Get Lucky"
振りを付けながら歌って踊っている。
メンバー達の楽しそうな様子、後ろの観客へも体を向けて挨拶。
最後はナイルが一人残って踊りながら観客の声援に応えている。
クルー達の弾けっぷり、観客の熱狂、臨場感のある映像、
家で堪能することができた。

Nile Rodgers & CHIC 11/10 2nd @ Blue Note Tokyo

2013-11-12 17:45:48 | NILE RODGERS & the CHIC organization
画像はセカンドに登場するなりナイル・ロジャースがカメラで私達、
観客を撮影したもの。
一昨日の興奮と熱狂、ナイルの優しさが写真から伝わってくる。
最初はツイッター、次にはFBにもナイルがアップしたのでここにも公開させて頂きます。

毎回、聴きたいと思った曲を違う展開で繰り広げてくれるCHICのライヴ。
日曜日ということなのか、あるいはショウがこなれてきてのか、
ぐっとくだけて、掛け声が多く掛かる。
場内に英語堪能な方、英語が母国語の方が数人いたこと、
ライヴの楽しみ方をよく心得ている方が多かったという感じ。

セランが婚約したという告知をナイルはライヴ中に行った。
歓声に涙ぐみつつ笑顔で応えるセラン。
ファンの代表からブーケのプレゼント。
婚約者はフィリピンの女性。
最後の"Good Times"の時にはステージに一緒に登場。
ショウが終わった後も彼女を案内してきて
自分の仕事していたキーボードを見せている様子が微笑ましい。
"Congrats!"「おめでとう!」と次々に声が上がる。

ラルフのことをナイルが「日本の『最高!』じゃなくてアメリカの『サイコ』だからね。」
と紹介する。アメリカの『サイコ』とはご存知かと思いますが、
"Psycho"、ヒッチコックの映画のタイトルにもなっていますが、
かなり危ない人のことですね。
日本に仕事で来ると演奏や演技の終わりに「サイコー!」と掛け声が掛かり、
驚いたという話を聞いたことが。
「彼は朝、鏡を見ると自分を『デビッド・ボウイ』だって思うんだ。」
とまたナイルはお約束のジョークを。

最後の"Get Lucky"は演奏のみで観客への振りはなし。
ギターを持ちつつ退場、最後はギターを弾きながら楽屋へと。
前回のブログで「ぜひ、覚えて!」と書いてしまってすみませんでした。
この日のセットリストには"Soup for One"がなかった。

今回もステージに上げていただきましたが、
ステージに乗ってみるとアーティスト達の真剣さ、
それを支えるスタッフ達の必死の様子がわかる。
フォラミも自分のダンスと歌を続けながら、
ステージに上がってきた人達の様子にも目を配っている。

男性の方達の意見を聞くと、人柄的にはフォラミ、でも歌と魅力はキム。
しかしフォラミは美貌も歌も確実にレベルアップしている。

ナイルとジェリーのセッションがぐっと深まっている。
近くで観る機会を二度得て、ギターやベースを一日2回のショウで連続して弾き続ける、
そのたいへんさを垣間見た。

早い順番を取って下さったAちゃん、Mr.Y、J.Iさん、Yukaさん、
ほんとうにありがとうございました!

そして先ほどフォラミがこんなツイートを日本語で。
「私たちは、日本に残された2番組を持っている。
私は最後のショーが終わったときに悲しいことするつもりです。」
その意味を図りかねて心配な気持ちでいる。

Nile Rodgers & CHIC 11/7 2nd @Blue Note Tokyo

2013-11-08 10:57:20 | NILE RODGERS & the CHIC organization
トップの画像はキーボードのRichard Hiltonが観客の様子をFBにアップしたもの。
chanparaさん、フランス人の友人のNさん、私の名前をメンバーと共にタグ付してくれていた。
いつも心遣いが優しいリチャード。今回は愛妻を帯同していて今日がお誕生日。

昨年年末以来のナイル・ロジャース&シックのライヴ。
2011年の震災直後から同じメンバーで来てくれているだけに、
ナイルを始めクルー達、ベースのジェリー、キーボードのセランとリッチー、
ボーカルのキム、フォラミ、ドラムスのラルフなどへの親しみは増すばかり。
ずっと同じメンバーでツアーもしているので曲の完成度も更に深まっていると
昨日感じた。
海外諸国では数千人が埋まるコンサート会場でパーフォームしているのに、
日本でブルーノートで観られることはほんとうに"Get Lucky"(今回の新曲)の心境。

当日、朝からFolamiは日本語で「『良い時間』を過ごす準備はできてますか?」
「『私達は家族』です」などCHICの曲のタイトルをツイートしてくれていて、
感激する。
私も「朝から激しく雨が降っているけれど、東京にナイルやフォラミがいると思うと、
心の中は陽が射している」とフォラミ宛てにツイート。
夜からのライヴへと気持ちは盛り上がる。

8時過ぎにブルーノートに着くと外で煙草を吸っているSさん、Aさんとお会いする。
ロビーではフランス人の友人達が既に整理券を持って待っていた。
2011年のCHICのライヴで知り合い親しくなったNさん、今はシンガポールに住んでいるが、
この日のライヴのために東京までやってきた。
在日フランス人の友人達を誘って総勢8人での鑑賞だそうだ。

この日からブルーノートでは新しいバーコーナー"Bar BACKYARD"がロビーの奥にオープン。
早速、入ってみるがまだ木の香りもするほど出来立てのお洒落な空間。
壁面のタイルにはアーティストの肖像画。
テーブル席とカウンターがあり、また整理番号は備え付けの画面に表示され、
呼び出しに遅れることないように配慮されている。

1stから観ていたchanparaさん、Sakiちゃんとロビーで待ち合わせ。
二人の上気した表情から1stがどれだけ素晴らしかったかが想像できる。

お二人が早い順番を取って下さったお陰で席は正面最前列のステージに向かい右。
ちょうどナイルとフォラミとの間になる。
開始時間が近づいてくるとワクワク感から凄いテンションに。

お約束の"Hangin"で全員がステージへとやってくる。
ほぼノンストップ、時々Nile RodgersのMCが入る。
Everybody Dance
Dance Dance Dance
I Want Your Love
I'm Coming Out-Upside Down
Greatest Dancer-We are Family
Soup for One-Lady
Lost in MUsic
Notorious
Chic Cheer
My Forbidden Lover
Le Freak

ナイルも時々順番を忘れるらしく、セットリストを確認しながらプレイしている。
途中で「ギターをずっとノンストップで弾いたからチューニングが必要になった。
ちょと時間が欲しい。その間、バンドのメンバーは曲を演奏しているから、
皆も歌っていて。」

セットリストになかったのに後半でいきなりドラムスのラルフに、
"Let's Dance"の歌と演奏を振ってきた。
「僕には双子の兄弟がいてね。デビッド・ボウイというんだけれどね。
これから彼の曲を歌うからね。」とお決まりのジョーク。

この日のセカンド、何度もナイルとジェリーの演奏が炸裂する、
フォラミとキムのコンビも呼吸が完璧にマッチしている。
1stにはなかったそうだが、私の大好きな曲"Soup for One"がセカンドには含まれていた。
"Notorious"も昨年聴いた時よりもぐっとインパクトが強くなっている。

演奏の内容とは外れるが、今回、衣装にぴったりの化粧ポーチのようなもの、
白でそれぞれ違うデザインのものをフォラミとキムはステージに持ってきていた。
そこでちょっとした合間に後ろを向いてリップグロスを塗ったり、
ティッシュを出したり、ファンを出して扇いだり。
キムとフォラミの衣装はすべてコーディネートされているといつも感心するが、
きっと「ステージに小物を持って行けるバッグが欲しい」とどちらかが言い、
デザイナーが作ったんだなとニンマリ。

アンコールの"Good Times"では私もフォラミに手を取られ、
ステージに上げていただく。大勢の人達がステージへと登壇してくる。
凄い人数と熱気。
席は別だったがフランス人の友人たちとステージで一緒に踊れたのは嬉しかった。
しかしこの間、数人のナイルの後方の女性たちが手を伸ばし、
演奏中のナイルの髪を手に取ったり、触ったりひっぱったりを何度も。
これはちょっと良くないと思いましたよ。
何しろ、演奏している最中だし、勝手に人の体を触るのはどうかなと。
演奏以外の状況で本人と向き合った時に断ってから触らせていただきましょうね。



皆がステージを降りた後、最後は"Get Lucky"になる。
youtube動画のイギリスのライヴを観ると最後にナイルがステージを去ろうとした時に、
観客の皆がコーラスを始める様子がアップされている。
感極まったナイル、ステージから離れずにこれを涙ぐみながら見ていた姿に、
私も映像を観ながら泣けた。
それなのに今回最後にこの歌を振られて客席から返せなかったのが、
他の曲は全部歌えるだけに、ナイルにちょっと申し訳なかった。

ナイル・ロジャース、一人で最後までステージに残り、
今回はギターでこの曲を弾きながら楽屋へと引き上げていく。
これからNile Rodgers & CHICを観に行く方、
ぜひ"Get Lucky"を覚えて一緒に歌ってくださいね。
ナイルはちょと風邪気味だそうなので、これから行く方達が歌ってくれたら、
きっと風邪なんて吹き飛んでしまうはず。

これ、先ほど日本語でツイートしたら早速ナイルがリツイートしてくれてましたから、
皆さん、マジで取り組んで下さい!(笑)

AさんがベースのJerry Barnesが若かりし頃、妹と組んで出したCD数枚を持ってきていて、
ライヴ終了後にそれを見せると、ジェリーはほんとうに嬉しそうに周りの人にまで、
アルバムを見せて説明していた。
中々聴き応えがありそうなので私も購入してみるつもり。

早くから順番を取って下さったchanparaさん、sakiちゃん、
ほんとうにありがとうございました。


Folami

2013-08-01 09:24:39 | NILE RODGERS & the CHIC organization
画像はボルドー、Saint Emillion Jazz Festivalにてワインカーヴを訪れたフォラミ。

CHICのメンバー達はナイル・ロジャースと共にハードなヨーロッパツアーを行なっている。
各地で屋外のライヴ、大観衆の前での演奏となり、たいへんな盛り上がりだ。
地方自治体主催のイベントも多く、入場無料、あるいは前方には席があり、
後方は観覧自由といった形であったり。

メンバー達、それぞれが写真をアップしているが、
ワインで名高いボルドー、フランスの地方都市独特ののんびりしたリゾートっぽい雰囲気、
アイルランド、一見荒涼とした景色の中にある味わい、人々の暖かさ、
いろいろなものが画像を通して伝わってくる。

フランス、ボルドーからアイルランド、そこからイタリアへと着いた昨夜、
フォラミはこんなツイートをした。
「一日がかりの長い移動だった。無事にここまで私を運んでくれたドライヴァー、
パイロットに感謝。」

このツイートを昨日の朝見つけた時に、何だかジーンときてしまった。
フォラミ、きっと疲れているんだと思う。
それでも無事に到着して一日を終えられること、自分の移動に携わる仕事をしてくれた人、
感謝の気持ちでその日を締め括ろうとしているフォラミ。
思わず「そういうあなたが大好きよ!」とツイートすると早速お返事が来た。

「フォラミちゃん」、私達日本のファンは親しみを込めて、
シックのメンバーの中でも、彼女のことだけはなぜか「ちゃん」付けで呼ぶ。
東日本大震災の後でも当り前のように日本に来てくれて、
お礼を言うと「大丈夫よ。LAで育ったから地震なんて平気。」
と言ってのけ、被災地へと寄付までして帰って行ったフォラミ。

優しい心遣いや日々努力している姿がSNSから浮かび上がる。
11月のブルーノートでの再会が待ち切れない。

カウントダウン

2012-12-31 12:02:15 | NILE RODGERS & the CHIC organization
画像は日本の年末年始を彩るために来日してくれたNile Rodgers & CHICのメンバー達が、
成田に到着した時の様子。
28日からライヴが始まり、今日のカウントダウン、
元旦はお休みで二日のショウが最終日となる。

ツイートやフェイスブックを見ているとメンバー達はみんな早起き。
時差のせいなのか、あえて早く起きているのか、それはわからないが、
セランは6時から2マイル~4マイル、ホテルの周りを走っているし、
フォラミは音楽を聴いたり、口遊んだりしている。
ナイルはブログをアップしたり、ファンのツイートに返事を書いたり。

来日中の生活もナイルロジャースはラジオ出演、
ラルフは来日期間中、渋谷西武で
自分が社長をしているラルフの祖母のレシピーで作ったクッキーの販売に
時間のある限り、立ち会っているようだ。
一方、リチャードは今回は妻同伴。
今までも他のメンバーがパートナーを連れて来ていたこともあった。
それぞれに日本滞在を充実させている。

夜もすぐ眠ってしまう人もいれば、中々寝付けない様子のメンバーもありで、
ほんとうにアーティストのタフさには頭が下がる。

昨日は3日目、ホテルに帰って一番疲れが出た時なのではないだろうか。
それも今日のカウントダウンでは明日は休みということもあり、
きっと燃え尽きるほどの強烈なステージとなるはずだ。
いつも一時間半~45分近くのスタンディングになるCHICのライヴ、
終わった後は一緒に歌って踊って楽しむだけに皆、
ライヴを観つつ運動もたっぷりしたような爽快な表情になる。

今日はビルボード、コットンクラブ、あちこちのライヴハウスで、
カウントダウンへと向けてアーティストが観客が今年最後の一時を共に集う。
私が行くのはずっと応援してきたクラシックピアニスト・金子三勇士君が出演する
オーチャードホールでのジルベスターコンサート。
テレビ東京にての放映もあるのでこちらも録画予約した。

皆様もどうぞ、良いお年をお迎え下さい。

Nile Rodgers インターFMに生出演

2012-12-30 18:33:46 | NILE RODGERS & the CHIC organization
来日中のナイル・ロジャースがインターFM"Soul Seaching"に今日の午後2時から、
約一時間出演、ナイルのプロデュースした曲と
音楽評論家・吉岡正晴氏によるインタビューを聴くことができた。

2時に番組のサイトに合わせると既にDuran Duran"Notorious"が聴こえてくる。
もしかして予定よりも早くから番組が始まっていたのではと焦る。
次がダイアナ・ロス"I'm Coming Out"
そして今日のゲストは"Mr.Good Times"との紹介があり、
ナイルロジャースの登場。

この番組に出演するのは2004年、2011年と今回で3回目だそうだ。
吉岡氏からの早速の質問、「ロックの殿堂入りに7年連続でノミネートされたのに、
今年もノミネートのみで終わってしまったのは、どうしてなんでしょう?」
「キッスとかも殿堂入りを果たせてないし、ビートルズタイプの曲が好まれて、
自分のような音楽は評価されずらいのかもしれない。
最も人を楽しませることを目的として曲を作っているから、特に気にはしていないよ。」
ナイルと親しい吉岡氏だからこそ、尋ねることができる質問。

次の曲はお馴染みのシスタースレッジ"We Are Family"

「去年も4月と5月、今年も4月とそして今回年越しのカウントダウンに来日してくれた、
度々日本に来てくれる理由は?」
「観客がいろいろな楽曲を喜んで聴いてくれるからだ。
アメリカではヒットしたダンスミュージックが中心になるが、
日本ではインストの曲や、たとえば『ノートリアス』みたいな、
僕らしさのある曲も皆、楽しんでくれる。

昨日、ギターの音源が外れるハプニングがあったのだけれど、
その時にバンドのメンバーがアドリブで曲を作って聴かせていたら、
それもすごく受けてね。そういうのが楽しい。」

曲はデビッド・ボウイ"Let's Dance"

リスナーからの質問
「ギターをグルーヴ感を出して上手く弾くためにはどうしたら良いのか?」
「いろいろなアーティストの曲を良く聴くこと、
そしてコピーしてみることも大切だ。
また一緒に他のアーティスト達と演奏することもレベルアップにつながる。
例えばブーチーなんかと一緒にやってみたら絶対に上手になるよ。」
そんなことが簡単にできたら良いのだが・・・

パーソナリティーのマーヴィンからの質問
「ナイルが育った環境の中で学生時代にNYの学校のオーケストラで、
クラリネットを学んだことの影響が大きいと何かで読んだけれど?」
「クラリネットを学校で教わり、自分の家でも練習した。
その時に楽譜の読み方を覚え、オーケストラと演奏することも経験した。
クラリネットから共通点のあるギターへと気持ちが移り、
母親にねだってギターを買ってもらったことから人生が変わったよ。」

"Good Times" rappers delight
CHIC vs Sugar Hill Gang

ナイルの書いた本、"Le Freak"の紹介になり、
そこから企画したミュージカル"Freak Out"では、
自分の人生を文章だけでなく音楽で表現したと語る。

ナイルの"He's the Greatest Dancer"をアレンジした
ウィル・スミス"Getting Jiggy Wit It"
ヒット曲に詰まったらナイルの曲からサンプリングすれば、
必ずあたるという話題になる。

最後に日本をここまで贔屓にしてくれる理由として、
「バーナードが亡くなった時に、日本の警察はほんとうに丁寧な対応をしてくれた。
普通、ミュージシャンが死ぬとドラックとかアルコールとかで、
偏見の目で見られる。
ところが、きちんとしたリスペクトをバーナードの死に対して、
はらってくれたことがほんとうにありがたかった。」

このことについてはナイルの著書"Le Freak"のチャプター14に詳しく書かれている。
"Le Freak"14章とエピローグを要約した4/18のブログ
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20120418

このブログのカテゴリー"NILE RODGERS & the CHIC Organization"の中で、
"Le Freak"全体の要約も掲載しています。
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/c/356cc3522cfd0f405bc8e6c0b00b0121

最後の曲はナイルのプロデュースしたモータウンソング"Dancing in the Street"
デビッド・ボウイとミック・ジャガーが歌っている。
この曲、今度、CHICのライヴで聴いてみたいと思った。
でも全体のバランスからすると挟むのが難しいだろうか。
もう一度、CHICのライヴを観に行きたくなる。

そして"Le Freak"も日本語訳が出て多くの人に読んでほしいと思った。
そこにはアフリカ系アメリカ人として、アーティストとしてのナイル・ロジャースの人生、
アメリカの20世紀後半の歴史や音楽史が生き生きと綴られている。

Nile Rodgers and CHIC 12/28 2nd @Blue Note Tokyo

2012-12-29 12:36:57 | NILE RODGERS & the CHIC organization
"That's why I sing, thank you Nile!"とコメントを添えてヴォーカルのFolamiは、
この画像をアップした。
まさに言葉と画像の通り、観客がいて、ひっぱってくれるナイルがいることで、
それはクルー達を力づけ、歌い、演奏する原動力となる。

昨日、2ndショウを観るために5時過ぎにロビーに到着する。
1stを観るために既に入場しているchanparaさんとお会いすることができたが、
1stで正面中央をゲットできたそうだ。

私のセカンドの入場番号は10番。
4月の来日の時、前日から並んだ人もいてたいへんな席取り合戦があった時と較べると、
意外に拍子抜けした。
年末に仕事がまだ忙しい人達、あるいはこの日、パースエージョンズ、アル・マッケイ、
フィリップ・ウーとライヴが重なったためか、お馴染みの顔ぶれも見当たらない。

整理券ゲット後、食事に外に出るが、この時期にお店に入れるかと心配していたものの、
予定していた近くのレストラン2軒はもう年末年始休暇に入っていて、
骨董通り沿いの青山バルに入る。
スペイン風小皿料理、ブルーノートでライヴを観る前に既に何回か、ここに寄っているが、
ライヴの時間に間に合うようにセッティングしてくれて、
料理もお酒も美味しくリーズナブル、スタッフも感じが良いので気に入っている。

ブルーノートのロビーに7時過ぎに戻ると、
ベースのジェリーが出てきていて観客たちと記念撮影をしたり会話をしたり。
「調子はどう?」と尋ねると「絶好調だよ。初日はいつもね。
3日目位から少し疲れてくる(笑)」
「今日は雨だけれど腰痛の具合は?」
「もう重いベースをずっと持っているから万年の職業病。
でも今回は全然大丈夫だよ。
だけどナイルのエネルギーが少し弱っていてね。」
「それなら私達がナイルにエネルギーを送るわ。」

毎年家族でCHICを観に来ていたのに、
シンガポールへ引っ越ししてしまって来られないフランス人家族からの挨拶を伝える。
「あの一家は子供の小さい時からずっと家族で来てくれていてね。
一緒に歌ったり踊ったりする姿を見るのが微笑ましかった。
会えなくて残念だけれどフェイスブックでは繋がっているからね。」

入場が始まった。
番号は10番だったのにもかかわらず、団体が多いのか、
席は2列目の後ろの角になる。
最初、4月の時よりも活気がないかに思われた客席。
始まる間際には満席。立ち見も出ている。

いつもの通りの"Hanging"でメンバー達が登場。
最初からオールスタンディング。
そしてここからはいつもの期待した通りのナンバーをやってくれる。
"Everybody Dance""Dance Dance Dance""He is the Greatest Dancer"
"I Want Your Love""Chic Cheer" "Soup for One""My Forbidden Lover"
"Open Up""We Are Family"""I'm Cominig Out""Upside Down""Like a Virgin"
"Let's Dance""Le Freak""Good Times"
4月の来日で演った回となかった時があった"Notorious"
ライヴで聴くのは今回が初めてだった"Lost In Music"もセットリストに入った。
今ここでおさらいをしつつ私の大好きな曲"Thinking of You"が入ってなかったような?

ナイルの少しのMCが挟まるくらいで、ほとんどノンストップ。
演奏されている曲を聴きながらコード進行から次の曲が何なのか、
わかるのが嬉しい。
私もかなりCHIC Freakの部類に入ってきた。

何回かナイルはギターを弾きつつ、ヴォーカルに歌わせずに
客席に振った。"Le Freak""Good Times"

ジェリーのベースとナイルのギターが白熱する。
ナイルの体調を心配していたジェリーが元気づけようとしている気持ちが伝わってくる。
ナイルもどんどん気持ちが乗ってきている様子だった。

キンバリーの歌の迫力に一瞬ほろっとする。
フォラミのいつものスタイリッシュな様子に見とれる。

退場していくクルー達を感謝の言葉で見送る。
キンバリーと握手、フォラミからは頬にキス。
ナイルは私とはハグ、年上の友人には彼女の手を取ってうやうやしく、
手にキスをしてくれた。

メンバー達が退場した後もいつまでも拍手が鳴りやまない。
楽屋にいてもきっと聞こえているだろう。
この日はこの後続くライヴへと大事を取ったのか、サイン会、写真撮影などはなし。
昨日からカウントダウンまで、そして一日休んで1/2の公演。
ライヴに行く観客たちの声援がナイルとクルー達にエネルギーを与え、
最後まで素晴らしいライヴを見せてくれるはずだ。
そしてもちろん、私達もCHICのライヴから大きなエネルギーを貰っている。

Nile Rodgers and CHICがやって来る!

2012-12-27 12:43:23 | NILE RODGERS & the CHIC organization
Nile Rodgers、そしてCHICのメンバー達が、
フェイスブックやツイッターで続々と日本への出発したことを投稿している。

画像はミラノでのライヴ。
ミラノから帰り、数日自宅に滞在したのみで、
皆、日本へと向かっている。

ここ数年CHICは、ナイルのパートナーで日本で客死したバーナードの命日に合わせ、
毎年4月に来日しているが、
昨年は東日本大震災の影響でアーティストの来日が続々とキャンセルになる東京のために、
4月の翌月、5月にもマカオのライヴの帰りに寄って一日だけのライヴをしてくれた。

今年の4月の来日、また来年までナイル達と会えないのかと思ったら、
明日からのライヴ、年末のカウントダウン、そして年が明けて1/2が最終日。
年末年始を日本のファンと共に過ごしてくれる。

先日、ライヴ仲間の方達と会った時に、
ここ2年続いている今のシックのメンバー、今までで一番愛着があるという話になる。

サッシーな感じで情熱的に歌い上げるキム、
ちょっと気取った感じ、でもほんとうは優しいフォラミ、
二人のヴォーカルの絶妙のコンビネーション。
ナイルをさりげなくサポートするベースのジェリー。
ステージではクールだけれどオフの笑顔がチャーミングなキーボードのセランは、
ジェリーに誘われて昨年から参加している。
心遣いの細やかなキーボードのリチャード、
豪快で今はサイドビジネスのクッキー販売にも日本で熱心なラルフ。

昨年の震災後の4月初めのコットンクラブの初日。
キムの歌う「上を向いて歩こう」に多くの観客は涙した。
ライヴの後に楽屋から出てきたメンバー達。
その日の朝、大きな地震があったこともあり、来てくれた感謝と共に、
「怖かったでしょう?」とフォラミに言うと
「私はLA育ちだから地震には経験があるのよ。」なんて言ってくれた。
やはりたいへんな時に来てくれたメンバー、
こちらも感謝の気持ちを忘れることはないし、
メンバー達の結束も深いはずだ。

明日から始まるCHICのライヴ、
今のところ、予定している日は一日のみだが、
年が明けたらまた1/2の最終日、行きたくなってしまいそうだ。

ナイル・ロジャース還暦祝い

2012-10-13 00:29:43 | NILE RODGERS & the CHIC organization
画像は生まれたばかりのナイル・ロジャースと14才の彼の母親。

9/19はナイルの誕生日だった。
イギリスに向かう機上の人だったナイル。
業界の名だたる人々がナイルにビデオレターを送った。
ナイルのブログにパート1から3までが掲載されている。

観ているとそれぞれが趣向を凝らしていて面白い。
イギリス風の庭園を歩きながら、自宅のリビングでペットと一緒に、
お祝いに歌う人たちもいれば、ナイルの本を掲げる人もいる。
パイロットが操縦の合間に寄せたメッセージもある。

「とても面白かった!素晴らしい人ばかりね。」
とナイル・ロジャース宛にツイートすると、「全部で2時間以上あるんだよ。」
とDMを貰った。
そこで「もう誰かから聞いているかとは思うけれど、
日本では60歳のお祝いは特別で赤いちゃんちゃんこ(着物みたいなもの)
を着るのよ。」とこちらからもDM。

ふと年末の来日にナイルが赤い帽子とセットでこれを着るところを想像したが、
やはりナイル・ロジャースには似合わない。
いつまでも60歳という年齢を感じさせないでいて欲しいと思う。
でもナイルのことだから赤いジャケットを着て登場するかもしれない。

最近、エリックべネイとナイルロジャースの両方が、
LAのアップルストア付近で偶然会ったことをツイートしていた。
エリックはマニュエラも一緒だったらしい。
2008年にマニュエラが二人を会わせてエリックはナイルの慈善イベントで
"Let's Dance"を歌った。

それにしてもナイル・ロジャース、いつも忙しい。
世界中を飛び回っている。
検査のために病院に短期滞在したと聞いているが、本人はあくまでもポジティヴ。
年末の来日、ブルーノート東京のカウントダウンウィークで演奏できること、
楽しみにしてくれているようだ。