Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

オレンジ色の水

2014-10-31 16:54:47 | 私の日々
アメリカ人の男性と結婚してスイスに住む友人から一時帰国していると連絡がある。
ロシア出身で今はスイスに住む仕事仲間も交えて、夕食を共にしようと誘われる。

「アレクサンドルはとてもエネルギッシュで素敵な人よ。
ぜひ、紹介したいわ。」と言われて、
ウォッカをがぶ飲みする体格の良いロシア男を想像し、
私は少し引いていた。
友人から次に貰ったメールに「アレクサンドラはコンラッドに泊まっているので、
そこで待ち合わせをしましょう。」とあり、
最後が「ル」ではなく「ラ」で終わっていることに安堵する。
男性ではなく、女性だったのだ。

待ち合わせに最初に現れたのはスーだった。
中国系の女性で今はイギリスに住んでいて、仕事がアレクサンドラと一緒だと言う。
「干し柿を買いたいんだけれど、築地市場に行ってみたら閉まっていた。
どこで買えるかしら?」と尋ねられる。
タイ人の友人も柿が大好きで、
日本に來るとたくさん買ってスーツケースに詰め込んでいた。
日本では柿や干し柿は今一つ人気がないだけに意外に思う。

アレクサンドラは登場した。
胸の開いたシックな黒いドレスに豹柄のスカーフ。
まさにパンサーを思わせる女性。
どこに連れて行こうかと思案していたら、
もう既に何度か前を通って入ってみたいお店があると連れて行かれる。
店頭には魚介類の入った水槽が置かれている。

河豚のコースなどの案内が書かれているが、値段も妥当なので入ることにした。
最初通されたお座敷、靴を脱ぐのが苦手かと思い、
テーブル席に変えて貰おうとすると、畳の方が良いと言う。
スイスでは飲めないお酒、食べられない物を食べたいと頼まれる。
私の選んだヒレ酒、ふぐ刺し、ふぐのから揚げなど一つ一つに感嘆し、
写真や動画を撮りたがる。
メニューにある写真からイカの活造りを選んだのは彼女自身だった。
お通しに出た白子ポン酢、英語で意味を説明すると、かなり受けていた。

「もっと違う種類のものも食べたり飲んだりしたい。」と、
近くにあった水槽の貝類を指さすので、
冷酒、ホタテのバター焼き、サザエのつぼ焼きなどを頼む。
サザエには歓声を上げ、自分の胸に引き寄せて写真を撮っている。
芋焼酎はお湯割りを頼むと「匂いだけで味はお湯ね?」
それでも器が気に入ったと喜んでくれる。

最後はうどんすきで〆る。
二人とも食べ物に関心が高く、こちらもメニューを選ぶのが楽しかった。
アレクサンドラは自分たちのためにオーダーしてくれた感謝から、
私の分を持ちたいと言ってくれるのを丁重に辞退する。
こんなことで人に喜んでもらえるなら、こちらこそ嬉しい限りだ。

アレクサンドラとスー、二人とも物理学で博士号まで持ち、
今は製薬会社に勤めている。
スーは香港に生まれたが、返還の時に一族郎党上げて英国へ移住したと話す。
英国ではお湯を沸かすやかんが石灰質で白くなるのに驚いたそうだ。

アレクサンドラは樺太で育った。
「故郷は何もない所だった。でも魚介類だけは豊富だった。
だからこういう食べ物にはノスタルジーを感じる。
子供の頃に大きなボトルに入った飲み水が届くの。
最初にそれはオレンジ色をしている。
2週間待つと浮いている物が沈むから、上澄みを飲むのよ。」
笑いながら話していたが、アレクサンドラの飲み水さえ不自由な生活、
スーの家族全員でイギリスに移ってからの苦労に思いを馳せる。

平和な日本に育った私には想像もつかないが、
大人から見れば困難に思えることも、子供の時には、
水がオレンジ色をしている、
と面白がって捉えられる感性が備わっているのかもしれない、
などと別れた後に思ったのだった。

偶然の出会い

2014-10-25 00:00:32 | ピアニスト 金子三勇士
歩いてきて、靴屋のウィンドーの前でふと立ち止まると、
横に人の気配がする。
柔らかで優しげなオーラが漂っている。
振り向くとそこにピアニストはいた。

「後ろから見ていて、もしかしたらと思ったから。」と悪戯っぽく微笑んでいる。
偶然の出会いと久々の再会に嬉しさが全開となる。
「青森から帰ってきたの?」
「ちゃんとご飯、食べてた?」
もうりっぱな青年になっているのに、
いつまでも最初に会った時の痩せていた少年のイメージが抜けない。

偶然に会うのは思い返しても、知り合ってから8年の間に4回。
そしてその内の二回が今年。
6月に私は目の前をサングラスを掛けて早足で歩いて行く彼を見つけて、
やっとの思いで追いつき、声を掛けた。
今度は彼の方が私を見つけてくれた。

旅先で思わぬ素晴らしいピアノに出会ったこと、
以前にもそのピアノを弾いたことがあったが、
今回は会場の名前が違っていたので、
またそのピアノを弾く機会に恵まれたとは、
行くまで気づかなかったことなど話してくれた。
「だったらまた弾きに行かなくちゃね。」と言う私に、
にっこりと頷いてくれる。
「ところでAさんは元気なんですか?」と私の顔を覗き込む。
「元気よ。」と答えると安心した表情が返ってくる。
大人になったなぁとまぶしいばかりに見上げる。

別れ際に彼が広げた腕にフワッと私は体をゆだね私達は自然にハグした。
頭一つ上に彼の顔がある。
コンサートなどの晴れ舞台で会う時は私もヒールを履いているが、
この日はプールから出てきたばかりでスニーカー、
こんなに身長差があったんだと気づく。

寒い土地から戻ったばかり、たくさんの荷物を抱えている。
笑顔で手を振り別れるが、体付きもがっしりとして、
アーティストとしても人としてもりっぱに鍛え上げられていることが、
実感として胸に迫ってくる。

フランスに行く私の乗り換えを心配して、
シャルル・ドゴールでの乗り継ぎの仕方や待ち時間の過ごし方など、
度々メールでアドバイスをくれていた。
彼は小学生の時から一人で飛行機に乗り、日本とハンガリーを行き来してきた。
ピアノばかりか旅のスペシャリストでもある。

その日はプールで泳いでから、まっすぐ家には帰らずに、
近くで食事を取り、その後も周辺をのんびりと散策していた。
彼の方も新幹線で寝過ごしてしまい、終点の東京駅から戻ってきて、
その駅で降りたことを後程にツイートから知ることになる。
お互いの時間軸がぴったりと重なる、しかも最もふさわしいタイミングで。
そんなことが時の流れの中、
何かに導かれてふと起きるのかもしれないと今になって思い返している。

旅の始まり

2014-10-24 17:47:17 | ボルドーへの旅
それは今年の初めのフランス語の第一回目の授業でのことだった。
先生の「今年の旅の予定が決まっている人は?」との問いかけに、
何人かが答えた。
70歳過ぎた女性の一人がブラジル、もう一人はパリにアパルトマンを借りてひと月、
そして私の隣の席にいたT子さんは「ボルドーへ。」と。

次に先生は「まだ旅の予定が決まってない人の行きたい場所は?」
と全員に端から振った。
どこも行く当てのなかった私は「T子さんと一緒にボルドーへ行く。」と答える。
すると先生は「T子とT男(先生は自分の名前をもじってこじつけた)とボルドーへ行く。」
と私に言い直させ笑いを取る。

その後、T子さんとは良く一緒にお昼を食べたり、お茶を飲んだりした。
彼女の旅の予定が順調に決まっていく中で、
私も「自分だったら?」とシュミレーションをしていく。
彼女の旅のスタイル、欲張って乗り換えで通るパリで降りたりせずに、
ボルドーだけ10日間で行って來る、
お友達と二人で以前にフランス語を教わり、
今はボルドーへと帰っているL先生の家の近くにホテルを取り、
語学のレッスンを受け、観光に案内してもらい、食事もそこの家でする、
という話に共感した。

6月に入り、出発間近となったT子さんから、
L先生のアドレスを教えてもらったので、取敢えずメールだけ送ることにした。
先方からはすぐに返事が来た。「8月の末か10月なら空いているけれどどう?」
私の場合は一人なのでぜひ、そこの家に泊まるように、個室には浴室が付いているとある。
また授業の進め方などの提案があった。

8月の末、飛行機は取れるかと席の確認をネットでしてみる。
飛行機が苦手な私は一番前の通路側の席が空いているのを見て安心した。
先生の家を出た後、どうするかを考え、市内のホテル選びが始まる。
「三部屋のみ、優しい女主人、猫二匹、美味しい朝食」
と書かれたプール付のペンションに惹かれた。

6月中に航空券と先生の家を出た後のホテルの予約をした。
L先生、T子さんは2年も教わったそうだが、私はたったの6時間のみ。
それでも素晴らしい教師だということは良くわかった。
それだけでは向こうには私の印象は残ってないと思うが、
2011年3月の震災の後にフランスに帰っていたL先生とパートナーのMが、
品川駅で成田エクスプレスから降りてきたところで私は偶然に鉢合わせした。
二人ともとても心細そうで日本に戻ってきて大丈夫なのかと心配していた。
その後、二人と学校で顔を合わせると挨拶するようになったのだった。

言霊、ものごとは言っているとその通りになるという説があるが、
私は今までそんなことを信じたこともない。
しかし新年早々の授業で言ったことが形になっていく、
LとMとの出会い、T子さんと会わなければ、そこに繋がらなかったことなど、
人の縁とはつくづく不思議なものだと思う。
また自分よりも若い人ではなく、70歳過ぎた女性が、
旅へと一歩一歩計画を進めていく様子は出不精になっていた私を、
多いに刺激したのだった。