Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

Eric Benet "Heart of America"

2009-09-30 00:06:18 | エリック・ベネイ、アルバム外の曲
9/23、ニューヨークのセントラルパークで、無料コンサートが開かれた。
キャロル・キングも出演。入場人数の制限があったようだ。

入場無料のライブと聞き、ラフな物を想像していたが、
エリック・ベネイ、フォーマルなスーツを着ている。
歌った曲は、"Heart of America"
2005年、エリックが3rdアルバム、"Hurricane"をリリースした直後、
アメリカ南部はハリケーンカトリーナにより大きな被害を受けた。
プロデューサー、ウォルター・Aのもとに、
Eric Benet, Michael Mcdonald, Wynonna Judd, Terry Dexterが集まり、
すべての収益金をハリケーンカトリーナの犠牲者に捧げるべくレコーディングが行われ、
クワィヤーはハリケーンカトリーナの被災者達が参加した。

映像としてはテレビの生放送が、アメリカンモーニングで、
2005年の9月末にニューヨークの街頭ステージから行われ、放映された。

今回はナショナルパークの記念式典でもあり、この曲が歌われたようだ。

In this land we all are free
To agree to disagree
But in times of need
We find unity
It's the heart of America

この式典にふさわしい選曲。
しかしながら、エリックは久々に歌ったため、歌詞を一部忘れてしまった。
ファンクラブメンバー、Gabrielleが教えてくれた。
映像の1:19で、エリックは"To Share The Dream"と歌い、
バッグコーラスが違う歌詞を歌っていて、自分が間違ったことに気づき、
慌てて取り繕い最後はアドリブでまとめている。

歌いながらどうも落ち着かない様子のエリック。
思っていることが表情に出やすいエリック・ベネイ。
最初はデュエット相手の女性との相性が悪いのか、
何か問題があったのかと観ていたら、そういうわけでした。
エリックらしい一コマ。

この曲、けっこう好きなので、久々に映像で観られたのも嬉しかった。
まだアマゾン、HMVで売っている。
先ほど検索すると、アマゾンでは¥1500、HMVでは¥500???
そして購入するとそれは、未だに復興が進まないハリケーンの被災地への寄付となる。

今年の7月、ニューオリンズのエッセンスミュージックフェスティバルに行った折り、
被災地の見学をしてきたが、更地になったままの地域、修復が行われず半壊した家、
家の形はあっても、ガス、電気、水道などが行き届かず、無人になっている集落などを見てきた。

HMV、3点買いの割引があるので、何かのCD、DVDのお買物のついでにぜひお求め下さい。

Eric Benet & Kelly Levesque Central Park NYC 9 23 09

エリック・ベネイ&リサ

2009-09-29 08:45:23 | エリック・ベネイライブ(日本以外)
エリック・ベネイ、そしてエリックの娘インディア、彼女のマニュエラには
私からmyspaceでフレンドリクエストをして、アクセプトしてもらっていた。
昨日の朝、パソコンを開くとfacebookでエリックの姉リサから
フレンドリクエストが届いていた。
たいへん光栄な事だと思い、もちろんアクセプトする。

リサのページにはエリックと久々に歌った9/18、ミルウォーキーのライブ、
Gerard Reunionでの写真や動画がたくさん載せられていた。
エリックベネイは姉とBenetでかつて組んで歌っていた"Rainy Days Monday"
"Only Want To Be With You"などを歌い、
20代の頃にボーカルをしていたGerardのメンバー達、
ミルウォーキー時代の仲間達とコンサートを行った。

ファンクラブのメンバーのダニエルがこのライブのために、
ミルウォーキーまで出掛けた。
エリックの叔母さん達や従兄弟、兄弟、お母さんとも会う事ができて、
とてもアットホームな雰囲気だったようだ。

ライブ中、エリックはいつもの如く、他のアーティストの演奏中も、
盛り上げたり、休むことなく、いろいろな場面に登場している。
ライブの後も全員のサイン会があり、さすがに終わった後の写真の表情を見ると、
ライブ前と較べて、かなり疲れが出ているようだ。
ライブの後、エリックはトロントへ向かった。

収益はすべてビシー・ベッキー・スミスの癌治療の費用に充てられる。
ベッキーの全快を祈る。

ベッキーとエリック


Eric Benet&Lisa "Rainy Days and Monday"
P9180410

I Wanna Thank You

2009-09-28 10:22:26 | 私の日々
7/25に予約した時点でMAZE featuring frankie beverlyのライブ、
このような形で迎えることになるとは思ってもいなかった。

主人の母が17日の夜遅くに亡くなった。
病気療養中ではあったが、みんな元気になると信じていた。

母が亡くなる数時間前に私は「ありがとうございます」という言葉を言った。
すると母は「何を言うのよ。」みたいな言葉を返してくれた。
帰る時、「また明日来る」と伝えると、もうほとんど喋れなかったが、
一生懸命、何か言おうとしていた。
たぶん、「だいじょうぶだから。無理しないでね。」
そんなことを言ってくれようとしていたのだと思う。
家に帰った途端、病室に付き添っていた主人から危篤の知らせを受け、
病院に戻ったが間に合わなかった。

お彼岸や友引、いろいろな事情が重なり、通夜、告別式は25、26日となった。
日が伸びた分、一つ一つの準備が丁寧になり、亡母にも納得して貰える葬儀、
となったと思いたい。

そんな状況だったので、フランキーのライブはほとんどあきらめていた。
葬儀に至るまでの日々、"I Wanna Thank You"の歌詞が何度も心の中に浮かんだ。
「陽の光であり、いつも支えてくれた、いくら感謝してもしきれない」
まさに"I wanna thank you, thank you, thank you"そんな思いだった。

主人がフランキーのこの曲を聴きたい、母を想って歌いたいと言う。
葬儀はこの日と重なったが、初七日も過ぎているし、母も喜んでくれるだろうと。

26日の開演は8時。
告別式、火葬、初七日法要を終え、主人の実家にご位牌とご遺骨、遺影を飾り、
お線香を上げ、家に戻ったのは6時頃。
さすがに白い服は着れず、喪服ではないが黒い服に着替えて、コットンクラブに向かう。

席に案内してくれたOさんから「最初から総立ちになりますよ。お陰様で大盛況です。」

8時を廻ってもフランキーは登場しない。
ライトが暗くなりアナウンスが入り、拍手。
しばらくすると、またライトがつく。
Oさん曰く、「ちょっと忘れ物したみたいで。なにしろ63歳ですから。
白いキャップが楽屋に20個くらい並べてあって、その時の気分で違うのを選んでます。」

だいぶ遅れてフランキーは登場した。
間に1日オフが入っても、4日間のライブ、
全身全霊で熱唱するタイプのシンガーには厳しいと思う。

最初は少し声が出てないようだったが、だんだんとフランキー節に。
なにしろバンドがタイトで、息がぴったり合っている。
確か45年、と言ったかな? 長い付き合いのメンバーもいる。

この日の記憶は余り定かではない。
アンコールの"I Wanna Thank You"
もちろん、一緒に歌い二人とも泣いた。
しかし、"Joy & Pain"
フランキーは観客に「もっと心の底から歌って。」
「もっと力強く、気持ちを込めて。」
"Joy & Pain, Sunshine & Rain"
繰り返し、このフレーズをオーディエンス一体となって歌っている内に、
「辛い時もあるし、嬉しい時もある、陽が射している日もあって、
雨の日もあって、それが人生、それでいいんだ。」
とメッセージを受けた気がした。

そして"Happy Feeling"
どんな時も幸せな気持ち、感謝の気持ち、
苦しい時でも、そのなかでありがたいと思える心でありたい、
そんなことを思った。

一生忘れられないライブになった。
母は気配りの人だったから、これは偶然ではなくて、
この日に悲しんでいるだけではなくて、
Mazeのライブに行けるように道をつけてくれていた、
そんな風に思った。

Giant shoot

2009-09-17 09:02:53 | エリックベネイの日々&KyteVideo
Giant magazineの撮影風景。ソウルシンガーというシューティング特集。
Musiq Soulchild、John Legendは、インタビューも。

Musiq、セーター、スーツ、コートとそれぞれスタイルのある物を着こなしていく。
カメラマン、スタイリストのセンスが抜群。
エリック・ベネイ、残念ながらインタビューと撮影風景ははないが、
最後はエリックの曲、"Weekend Girls"で終わるこの映像。

昨年撮られたこの時のいくつかのショット、エリックはお気に入りのようで、
プロフィールに何回か登場した。
その日に撮影されたEric Benetの写真19カット。
http://www.rexfeatures.com/search/?kw=eric+benet+august+24&search_newest.x=0&search_newest.y=0&search_newest=search_newest&iso=GBR&viah=Y&lkw=eric+benet+august&stk=N&sft=&search_oldest.x=-1
MusiqやJohn Legendと較べると、服装が簡素過ぎるような・・・
ちょっと手を抜かれているように思うのは私のひがみかな?

ところで、Raphael Saadiq、スケジュールを見ると、6/26~7/1まで、
ブルーノート東京に出演して、7/5にはニューオリンズのエッセンス、
ルイジアナスーパードームのラウンジで2ショウ。
自分が実際にエッセンスに行ってみて、
東京→ニューオリンズへの距離、
熱気溢れるラウンジでのエリックベネイのショウ、
体感しただけに感心する。
やはりアーティスト達はタフだ。

Musiq Soulchild、来週末からのビルボードライブ。
10月はJoe、11月はBobby Brown、Johnny Gillも控えていて、
日本の秋をソウルフルに彩ってくれる。

John Legend, Musiq, Raphael Saadiq, Eric Benet: Giant shoot

COCO AVANT CHANEL

2009-09-16 09:07:10 | Weblog
『ココ・アヴァン・シャネル』上・下巻
エドモンド・シャルル=ルー著
加藤かおり・山田美明訳
ハヤカワ文庫

金子三勇士のリサイタルで度々、シャネルネクサスホールを訪れるようになり、
このようなコンサートがシャネルのファウンダー、ココのスピリットに基づくと知った。

今週末の映画の封切りを前にこの本を手に取った。
熟読したとは言えない。
上巻はココの履歴、戸籍や住民票の検証のような記述が続く。
読後に知った事なのだが、シャネルは自身を偽る言葉を多く残していて、
この本の中で著者はその生い立ちや環境を現地に出向き調査、
真実の究明に筆を費やしたようだ。

好んだ黒白のモチーフ、孤児院の制服であり、世話をする修道女達の制服から、
インスパイヤーされたシンプルさの象徴であったこと、
5という数字へのラッキーナンバーとしてのこだわり。

上巻の最後、始めてココの素顔が窺えた。
それは、愛する男性の突然の事故死、知らさせた時も涙を見せることはなく、
遺体のある場所に駆けつけるがすでに封棺されたと知ると、
葬儀も墓地への出席もこばみ、そして事故現場に行き、人知れず泣き崩れる。

二度の大戦をはさんだ激動の時代。
芸術においてもアールデコ、ヌーボー、キュビズム、シュールレアリズム、
移り変わりが激しかった。
経済的にも景気の大暴落や、ストライキ。
数々の身近の人に裏切られたり、また反対に自ら利用したり。

芸術家達との係わりの部分では彼女自身もクリエーターであり、
自然と友好を暖めるようになる。
また自分は職人であると思い、アーティストに対して尊敬の念も持っていたようだ。
亡命してきた作曲家を自宅の一つに住まわせたり、
バレー演出家に匿名を条件に援助したり。
多くの収入を得ているココが志は高く、才能はあっても
ビジネスに繋がらない芸術家への援助は当然と思っていた節がある。

愛する人の急死という出来事を二度も経験し、
また、ストライキにより自分の物と信じていた会社から締め出された事、
シャネルのNo.5を巡っての調香師側との長く続いた裁判。
戦後、戦犯として追われる危惧。
このことは、ココにとって最も大きな打撃だったと察する。

しかしながら戦争中にシャネルのとったドイツ側との接触、
イギリス首相チャーチルとかつて同じ別荘地で過ごした事から、
独断で自分が和平交渉について物事を動かせると本気で考えていたなど、
理解に苦しむ言動も多い。

特筆すべきは、晩年だろう。
スイスでの隠遁生活を経て、70歳を過ぎたココはパリに戻る。
かつて宛てになっていた人脈はもうない。
自分の中での創作意欲も衰えている。
その時代の流行からも遠ざかっている。
それでもコレクションを再開。

酷評され、自分でもそれを当然と受け入れるがアメリカでは高い評価を受ける。
その後も作品制作、コレクションの発表を続け、
88歳の死の当日もいつも通り日曜の朝の散歩の後、
自宅にしていたホテルリッツに戻り、ベッドで息を引き取る。

老境に入ったシャネルは昼間は忙しく仕事に励んだが、
夜は夢遊病の発作を起こしホテル内を歩き回ったりすることもあったようだ。
最後の言葉が「苦しい・・・」「殺される・・・」
「人はこうやって死ぬのね。」

メイドに看取らるだけでこのような言葉を残して亡くなった彼女を
華やかな世界に身を置きながらも不幸な女性だったと簡単に括れるだろうか。
最後まで鋏と針と糸を手放さず、70歳過ぎてから復活し、戦い続け、
88歳まで現役を貫いたココ・アバン・シャネル。

映画では監督がアンヌ・フォンテーヌ、そして主演は『アメリー』のオードレイ・トトゥ。

He can sing!!!

2009-09-15 09:35:12 | Weblog
エリックベネイファンクラブのお馴染みのメンバー、Gabriellから、
「ちょっと聴いてみて。
私も10年以上、エリックの曲を他の人が歌うの聴いてきたけど、
今までで、1番、巧いよ。」と教えてくれた。

見た目は普通の男性(どちらかと言えばあまりぱっとしない・・・)が、
キッチンでEric Benet"Spend My Life With You"
このブログ、音を出さないで読んでいる人は「?」と思うでしょう。
でも、ほんとに巧いんです。

エリック・ベネイによく似ている声で、そしてサビの部分など、
完璧に自分の歌にしている。
この曲がほんとに好きなんだなぁと納得。

我こそはと思わん方は、ぜひ自分で歌ってYoutubeにアップ、
チャレンジしてみませんか?

この人のプロフィールを見ると、その他に
Musiq Soulchildの"So Beautiful"もあり。

Spend my Life With You Eric Benet feat Tamia



Silky Soul Music Tribute To Maze Frankie B

2009-09-14 07:59:31 | Weblog
日本国内9/29発売予定のメイズ、フランキー・ビバリーのトリビュートアルバム、
Silky Soul Music: All-star Tribute To Maze Featuring Frankie Beverly
アマゾンかHMVで購入するつもりでいた。

昨夜、夫がMacに向かいながら、良い感じの曲を聴いているではないか。
何とiTuneで、このアルバムを購入したと言う。
「えっ、私、これアルバム発売されたら買うつもりでいたのよ!」

しかし、アルバムとは順序が違い、いきなりMusiq Soulchild "Silky Soul"
から滑らかに始まる。
どうします? nkmrakikoさん、etsuさん。
Musiq Soulchild ファンのお二人、これを待てますか、9月末まで?!
どの曲もそれぞれのアーティストのフランキーの曲に対する思い入れの深さを感じる。
MAZE、いかに後輩のアーティストに愛されているかが慮られるアルバム。
iTuneの曲は下記のアルバム曲より一曲多い。
"Joy And Pain"フランキーのテイク、ほんのちょっと入っている。
それにしても、誰がどの曲をパーフォームするかって、
どうやって分けたのかな?

1 Joy and Pain - Jamie Foxx
2 Before I Let Go - Mary J. Blige
3 Golden Time of Day - Kem
4 Back in Stride - Mint Condition
5 Happy Feelings - Ledisi
6 Never Let you Down - Kevon Edmonds
7 We Are One - Raheem DeVaughn
8 "I Wanna Thank You - Clark Sisters, Kierra ""Kiki"" Sheard, J. Moss"
9 Silky Soul - Musiq Soulchild
10 Can’t Get Over You - Joe

Eric Benet 「ひたすら水を飲むのみ」

2009-09-13 09:07:26 | エリックベネイの日々&KyteVideo
エリック・ベネイ、5日間のライブが続いた。
サクラメント、オークランド2日間、サンフランシスコ2日間のYoshi's。

日本のビルボード、ブルーノートの1日2ショウ。
かなりきついだろうと思っていたら、
Yoshi'sは昨年の最終日は3ショウの日があった。

昨年、3日間、7ショウを観たファン達がいて、
「へとへとになった。エリックのたいへんさがわかった。」と聞いた。
映像では4日間で10ショウも・・・と言っているので、
今回もYoshi's、3ショウの日があったようだ。

休憩中にペットボトルの水をたっぷりのみ、
喉を常に乾燥させないように、気をつけている、とエリック。
しかしながら、エリックがステージ上で水を飲むのを見た事は、
まだ一度もない。

今頃この5日間を終えて、次の9/18の故郷ミルウォーキーでのコンサート、
9/23、NYCの屋外ライブまで、エリックベネイ、家で一息、ついている頃では。
それともこの時間を利用して次のアルバムへと、制作活動中かな?
9/23は、キャロル・キングも出る公園での無料ライブ。
入場人数の制限があるようだ。
こういうのが地元の人じゃないと、1番行くのが難しそうなコンサート。

Eric Benet talks about staying moist......

Miyuji Kaneko on Youtube

2009-09-12 08:46:23 | ピアニスト 金子三勇士
録画したハイヴィジョンの映像を画像安定装置でパソコンで読み取れるDVDに。
それをダウンロードするソフトをまずダウンロード。
そしてDVDをパソコンのファイルへダウンロード。
今度はそれをYoutubeにアップロード。
アップロードをしたものを処理作業をして完了。
再生できる動画になった。
http://www.youtube.com/watch?v=I7Bkh4ZuldU

一つ一つにすごく時間が掛かった。
私がするわけじゃなくて、パソコンがデータを読み込むのに、
時間が掛かってしまった。
きっともっと簡単にできる方法があるはず・・・
知っている方がいらしたら、教えて下さい!

アップしてすぐにアメリカの人からコメントが付いた。
慌てて、プロフィールに英語の説明を加える。
すると、今度はハンガリー人から英語でコメント。
ここまではお返事を書いていた。

次はハンガリー語の長いコメントが。
どんなことが書かれているのやら。
ぜんぜん、ワカリマセ~ン。

自動翻訳ソフトを使って、ハンガリー語から日本語へ。
「心からお祝い申し上げます。
素晴らしい気分は、この優秀なハンガリー語の男性の血液など。
おそらくこれは、さらに。
また、感じの才能を少し、その成功。
あなたの健康とより多くの幸運。
ゾルタンバモスバモスとは、家族全員。」

何だか良く分からないけれど、たぶん、
「ハンガリーの血を引くあなたの事を誇りに思っている。
これからの活躍と健康を家族全員で祈っている。」
みたいな良い事を書いてくれたのだと思った。

次にまたハンガリー語のコメント。
これは、日本語に変換すると、ちょっと危ない気が・・・
「やあ!非常にさて、あなたは非常にいいプレーをやった!
私は何が必要なのかはわからない。
非常に長い時間前に私たちが出会った、
私は、もう一度、もっと希望に接続します。
の幸運以下ね! Hotziパンニ」

もう一度、今度はハンガリー語→英語にしてみた。
"Hi! Very Well done, you play incredibly well!
I do not know what is required.
A very long time ago we met,
I hope, and then once more connects.
Good luck in the hereafter! Hotzi Panni"
英語で読むとますます怪しい?!
何だか良くわからないけど、とりあえず誉めているような感じ?
微妙なところだ。

翻訳ソフトの項目を見ながら、世界にはいろいろな言語があるのだなぁと感心。
ヨーロッパの小さな国々でもそれぞれ独自の言語を持っている。
ベルギーのように国内で三ヶ国語に分かれている国もある。

金子三勇士、ハンガリーでそうとうな知名度、人気があるようだ。
昨日からは、ハンガリーからチェコに移動。
演奏会や親善の会をこなしている。

Eric Benet Interview at the 19th Annual NAACP

2009-09-11 09:16:09 | エリック・ベネイ関連インタビュー
エリック・ベネイの8/31、NAACPのイベントに参加した時の映像がアップされた。
レッドカーペット上でもう3年近い付き合いになるマニュエラと写真撮影。

エリックは、写真を人前で撮られるのが、写真を撮るために待たされるのが、
余り好きではないらしい。

もちろん一人でPR写真、ジャケット用の写真撮影の時は仕事だし、
たくさんのショット、自然体でいるところをいくつも撮って貰えるから問題ない。
記念写真用に笑顔を作ったりするのは、実はとっても苦手だ。
この日も「笑って!」「もっと楽しそうに!」なんて注文を付けられている。

エリックベネイ中心の写真が撮れるようにと脇に離れようとしたマニュエラを、
自分の方へと引き戻している。
マニュエラはエリックの2007年の来日に同行し、
その後もメールでやりとりをしたが、とても謙虚で誠実な人。
こういう公式の場に出る支度は女性にとって凄くたいへんだそうだ。
ヘアメイク、そしてドレスアップするために数時間を要する。
グラミー授賞式の前後にはパーティーが続き、大勢の人とも会うので、
疲労困憊したらしい。

レッドカーペットの撮影後、エリック・ベネイのインタビュー。

今、何をしているの?
「去年発売したCD、"Love&Life"の次のアルバムの製作をスタジオで始めている。
"Love&Life"も引き続き、売り上げが好調だよ。みんなどうもありがとう。
今日はこうしてNAACP
(National Association for the Advancement of Colored People)
の式典に招待されて、とても嬉しいよ。」

"Love&Life"はどんなアルバム?
「古き良き時代のR&Bへのオマージュ。70'80'90'のね。」

若いアーティストでは誰のファン?
「今日、来ている後ろにいるLedisiとChrisette Michele、
二人ともなかなかいいと思うよ。」

NAACP、前年度の活躍が認めらたアフリカ系のアーティストが選ばれる。
エリックは2000年に"Spend My Life With You"で受賞。
今年はグラミーにノミネートされたので、NAACPにもノミネーションを期待したのだが。

写真撮影では硬い表情だったエリック、インタビューではリラックスしている。
Newアルバムの話が進んでいるとは聞いていたが、とうとう録音の段階へ入ったようだ。
このペースで行けば、来年早々には新しいCDを聴くことができるかな?

Eric Benet Interview at the 19th Annual NAACP Theatre Awards August 31, 2009



Eric Benet 9/4 Yoshi's in San Francisco

2009-09-08 10:28:28 | エリック・ベネイライブ(日本以外)
Black Pearlは、サンフランシスコ郊外の町に住んでいる。
サンフランシスコに向かうために通る一つの橋が通行止めになっているため、
たいへんな遠回りをして、かなりな距離を運転し、サンフランシスコに着く。
通勤帰りの人達の交通渋滞に巻き込まれたくなかったので、
彼女は10時からのセカンドショウに行くために、3時にはフリスコに着いた。

話がちょっと脱線するが。
彼女が「フリスコ」と表現している。
レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」の中で、タクシードライバーが、
「自分がフリスコにいた頃・・・」と話すと、
主人公の探偵、フィリップ・マーローは「サン フランシスコだろ?」と訂正する。
すると、タクシードライバーは、新しい表現を使う気はない、
今までどおり、フリスコでいいんだ、と答える一節がある。
50年以上前に書かれた小説で、「フリスコ」と言われたサンフランシスコ。
今でも、「フリスコ」と呼ぶ人がいるんだなぁと。

さて、フリスコに着いたブラックパール、店の近くで友人と夕食を済ませ、Yoshi'sへ。
エリック・ベネイのショウは、"When You Think Of Me"から始まる。
エリックのショウを7/3のエッセンスで2ショウ、
そしてオークランドのフォックスシアターでも、彼女は観ている。
それでも、いつも新鮮で感動があると改めて思う。

デモンテがいない事に気づく。
後でマネージャーのケビンに聞くと「休暇中」とのことだった。
そしてボビー・コードウェルの"What You Won't Do For Love"
エリックはスキャットもはさんで歌った。

「僕のライブ、初めての人は?」とエリックが尋ねると、
何と60パーセント近くの人が手を挙げた。
「あんたたち、今まで、どこに行ってたの?!」とブラックパールは叫ぶ(爆)

"Chocolate Legs"
エリックは「ホワイトチョコ、ダークチョコ、キャラメルチョコ、
そしてチェリー入りのチョコレートもいいね。」女性たちは狂喜する。
"Don't Let Go"
ブラックパールはずっとどの歌も口ずさんでいたのだが、
一緒のテーブルの男性は嫌そうにしていた。
Yoshi'sは、テーブル席で相席するスタイルのライブハウス。
その時、携帯が鳴り、その男性は話し始める。
ブラックパールの連れ、カティーが「電話を切ってちょうだい。
これはエリックのショウだから。」と注意する。
ブラックパールは心の中で「カティー、良くやった!」と拍手。

デビッド・フォスターのメドレー。
Earth Wind & Fireの"After The Love Has Gone"
チャカ・カーン"Through The Fire"
EW&F"September"
そしてデビットがプロデュースしてくれた曲が、
「ハリケーン」のアルバムにある"The Last Time"と説明。
ブラックパールは何度もエリックのコンサートに行っているが、
この曲をライブで聴くのが初めてで感激。

「みんな、スパニッシュフライていう媚薬知っている?」とエリック。
「僕は使ったことないけれど。」
「だって、いらないでしょ!」と思わずブラックパールは叫ぶ。
エリックと観客は爆笑。でもほんとうにそうだと思わない?とパール。
Eric Benet"Spanish Fly"を歌う。

「僕のファンはこの中にいるの?」とエリック。
たくさんの人が手を挙げる。もちろんブラックパールたちは「ファンクラブメンバーよ!」
「それじゃあ、昔の歌を歌うね。みんな、わかるかな?」
一人の女の子がステージに上り、次にエリックが歌う曲を知っていると言う。
「私はどの歌もみんな、知っているの。」

「よし、それなら試してみよう。」とエリックは、"True To Myself"
コーラスの部分で彼女にマイクを向けたが、歌詞が出てこない。
「ほらね。これは知らなかったでしょ。」とエリック。
"Spiritual Thang"が続く。

"Femininity""Spend My Life""You're The Only One"
アンコールの"Geogy Porgy"でエリックは客席を廻り、みんなと歌ったり踊ったり。
バンドメンバーの紹介。ベースマンのグレッグがまた渋い喉を聴かせる。
マイケル・ジャクソンへのトリビュート、「ビリー・ジーン」
ドラムスのウェスを紹介、「彼はね、失恋したばかりなんだよ。」
デモンテはいなかったが、代わりのキーボード奏者もとても上手で、
みんなは満足していた。

その後、楽屋に会いに行くとエリックは微笑みながら、テーブルの前に座っている。
「ヘ~イ、TEBFs!」とエリックは、立ち上がりハグしてくれた。
「エリック、見せたいものがあるのよ。」
ブラックパールは2000年に姪と一緒にエリックと撮った写真を見せる。
エリックはドレッドヘア、面白がったエリックは部屋のみんなに写真を見せた。
友人のカティを紹介。
エリックは「デイブ・コズのカリブ海ジャズクルーズの時も、君は来てくれてたね。」

ブラックパールはドラムのウェスに年を聞く。
「27歳」と答えたので、「私の娘、24歳なんだけど、どう?」

彼らがサクラメント、そしてサンフランシスコで4回のショウ、
(Yoshi'sは、日本と同じスタイルで1日、2ショウ、
それどころか、3ショウの日も)
疲れているのがわかったので、その辺で失礼する事に。

さてどうやってサンフランシスコを出るか。
橋はその時間はもう使えない。
お店の人に聞き、フェリーを使い、心地良い疲れと共に家へと向かった。

以上、エリックベネイファンクラブメンバーのBlack Pearlのライブリポート。

Miyuji Kaneko in Tokyo International Forum

2009-09-07 08:57:36 | ピアニスト 金子三勇士
8/11、12、東京国際フォーラムで行われた「はじめてのクラシック チャイコフスキー」
12日にテレビ収録が行われ、9/5、19時よりBS朝日で放映された。

録画した映像をYoutubeにアップロード。
ハイビジョンの映像をパソコンで読み取れるように変換、
それをダウンロード、そしてYoutubeへ。
Miyuji Kaneko in Tokyo International Forum 8/12 2009


クラシックに全く馴染みのない水泳部の生徒、
チャイコフスキーのことも知っていて、クラシックも演奏しているが、
実際の音楽会には行った事のない吹奏学部の生徒、
和楽器、お囃子を地域でやっているが、クラシックとは無縁の少年少女。
彼等が実際のクラシックコンサートを体験して、どのように感じるか、
というテーマ。

三枝成彰が学校に出向き、チャイコフスキーについて説明する。
母国ロシア、日本、アメリカでは人気があるこの作曲家。
その他のヨーロッパ諸国では余り人気がなく、評価が低いと話す。
理由としては、ストレートで楽しくてわかりやすくて、
難解な部分がなさすぎるからだそうだ。

コンサート会場でも三枝氏、会場の人々に、
「音楽が癒しになると思う人は?」と挙手させ、私を含めて多くの方が、
手を挙げた。すると「西洋の人はそのようには考えません」と。
三枝理論では、クラシック音楽はドイツが中心、
そしてヨーロッパにおいては、音楽は自分を高める糧になるものであるべきで、
「チャイコフスキーは例えれば、ケーキのように甘いだけで、内容がない、
ためになるものとは違う。」と判断され、単純明快すぎるゆえ、嫌われると。
その辺りについては、それぞれの解釈があると思う。

テレビ放映では「チャイコフスキーをどう思うか、そこに君達のアイデンティティーがある」
と結んでいた。

金子三勇士、インタビューも自然体で、簡潔にチャイコフスキーについて、
そして表現者として自分がどう捉え、またこの日の観客に楽しんでもらえるためには、
今回の演奏へと向け、どのように取り組んだかと話す。
冒頭の部分でのインタビューでも、緊張を解いて、体感して欲しい、と話していた。
インタビューを含めて、ピアノ協奏曲第1番、20分余り、放送された。
会場で観るのとはまた違った角度からの表情や鍵盤に向かう様子が映し出される。

招待された生徒達は、前方の視界も音も良い席でクラシックを体感し、
「うっとりした」と素直な発言。
「これからの自分のお囃子にも、この日の経験が生きる。」と感慨深そう。
それぞれ満足感を得て、家路についたようだ。

このテレビ番組のテーマとは外れるが、この日に来た少年少女たちに、
一つ考えてみてほしいことがある。
テレビでは、あくまでも生徒達は観る人、金子三勇士は演奏者、
別の立場として描かれていた。
そういう構成であったので、当然なのだとは思う。
しかし彼も君達とほとんど年が違わない生身の人間で、この日の演奏に向けて、
どれだけの努力、そして緊張したり悩んだり、またわくわくドキドキしながら、
この日を迎えて、一日を終えたということ。
そんなことも、後になってからでも、ふと気づいてくれたら、嬉しい。

金子三勇士 本日19時よりBS朝日に登場

2009-09-05 08:47:18 | ピアニスト 金子三勇士
8/11、12日に行われた「はじめてのクラシック・チャイコフスキー」
12日にテレビ収録があり、金子三勇士、ミニインタビューも行われた。

本日、BS朝日にて夜7時より一時間枠の放送。
3時間余りのコンサート、どのようにまとめられ三勇士の出番はどれくらいあるか。
エリック・ベネイの2007年、東京ジャズフェスティバルのNHKハイヴィション放映、
あの時も同じような気持ちで待っていた。

BSはけっこう観られないという人がいる。
また観られるけれど録画はできないという人も。
家も2年前のエリックの放映時に両方整えた。
ところが、ハイヴィジョンの放送はコピーワンスでガードされていて、
それ専用のディスクに1回しか録画できない。
そのディスクに録画したものはダビングもできなければ、パソコンでも読み取れないし、
アメリカとはリジョンコードが違うので日本でしか見られない。
アメリカのファン達にエリックのテレビ映像を見せたくて、
DVDを改造する「画像安定装置」なるものを秋葉原で買うことになった。

ということで、一応準備万端なのだが、
私はとんでもないドジをやりかねないので、友人にバックアップで録画を頼む。
エリックベネイの時も彼女と上の弟にも頼んだ。

金子三勇士、本人は家でこのテレビ放映を観ることはない。
昨日、ヨーロッパに向けて旅立った。
チェコとハンガリー、両方で演奏会、日本との親善のイベントなどに出席。
ピアニストとして活躍する一方、国際交流の民間大使としての役割も担っている。
9月22日で二十歳になる三勇士、これからが益々楽しみだ。

ラストセールinShanghaiTang

2009-09-04 20:31:21 | 私の日々
上海滩、Shanghai Tang、香港ブランドだが日本では銀座にブティックがある。
2年前に友人から教えてもらい、その後、買物をするようになった。
皮、シルク、カシミアなどの高品質素材、
あるいは手刺繍や翡翠にレリーフなど細工の凝ったもの、
仕立てもいくつか段階があるようで、とても手が出ない商品もあれば、
リーズナブルな価格のTシャツやセーター類もある。
思いのほか安い物もあれば、上質の素材に手仕事が込んでくると高額になる。
また輸入する際に確か皮製品、靴などは税金が割高になるのでは。

コートやカーディガン、ジャケットの裏に鮮やかな色、
また華やかな柄物のシルク素材の裏地、見た目も綺麗で暖かい。
ウールやコットンにカシミアやシルクがブレンドされているものなどは、着心地が良い。
だんだんとファンになっていった。

8月の終わりごろ、上海滩から丁寧な封書が届いた。
実はちょっと嫌な予感がしていた。
その前の週に銀座のお店を見た時に、何となくそんな気配があった。
閉店のお知らせだった。

80%オフの閉店セールが9/3、11時よりと書かれていた。
友人でバーゲン会場が得意な人が何人かいる。
嬉々として自分に似合ったもの、お買い得なものを人込みに紛れながら引っ張り出す。
私はそういう才能がなくて、既に20歳前から自分はバーゲンに向いていないと気がついた。

欲しいと思っていたサンダルがシャンハイタンにあった。
履き心地も良かった。
でも値段は¥40,000を越えている。
靴に凝って散在する女性、靴が趣味の人がいる。
私はとてもそんな金額を靴に払う気持ちにはなれない。
でも80%オフなら、その靴が¥8,000。
それなら買える、行ってみようと思う。

愛着があったブランド、スタッフの方たちとも心安くしてきた。
その閉店セールに出かけるのは寂しさと気が引ける部分もある。
11時に入店し、お別れのご挨拶などして、12時にはお店を出ることになると思っていた。

11時数分過ぎ、店の前で私は仰天した。
長蛇の列。整理券も配っている。

この店は2階建てだがお客はいつも2~3人しか見かけなかった。
店内一部セールという時も、決して混雑はなかったそうだ。
後で知り合い、話をした常連客、空いている時に2階でスタッフと話したりするのが、
癒しになっていた、新店舗の案内状かと思ったら、愕然としたとか、
恋人から別れの手紙を突きつけられた気がしたとか。

30名ずつ、30分毎に入店させていくという。
私が入店できるのは12時半頃とのこと。
したがって整理券を受け取った後、食事や席を外しても順番に入店できる。
お腹も空いていないし、思ったよりも早く入店できそうにも思えるので、
そのまま待ってみることにした。
あきらめようという気持ちも起きたのだが、その日は1日休みの日、
この状態、シャンハイタン・ジャパン最後のセールを見届けたいという思いもあった。

入った人達はいっこうに出てくる気配がない。
ようやく入店することができて状況がわかった。
一階は買物をする人、レジに並ぶ人でごった返し、たった一台のレジ、
それに買物をする人は商売をするのではと思うほどの荷物を抱え行列は増える一方。
スタッフのOさんに「あの靴ある?」と聞くと、「ごめんなさい。もう売れちゃった」
Wさん、「Aさん、これどう?」
パープルのロングカーディガンでマオカラー。裏は鮮やかな柄のシルク。
「同じので黒持ってるし・・・」と断ってしまったが、
その後、店内を物色した所、それは最もお買い得な商品だったと知ることになる。
あ~あ、取り合えず預かっておけばよかった・・・

Tシャツやリーズナブルなセーターなど一つもない。
残っているのはLLサイズ、子供サイズ。
鮮やかな柄物や赤やオレンジ、紫、コバルトブルー。
いかにものチャイナドレス。
これはもう出ようと思った。

しかし、少しするとレジで気が変わってキャンセルする人や、
違うところにお客が移動した商品が戻ってきたり。
もうちょっと見てみることにする。
2階のメンズのコーナーに白のコットンのマオカラーのTシャツ、発見。
80%引きなので¥3,000余り。
スタッフのIさんに聞くとそれはレディースだという。
誰かが手放して置いて行ったのだろう。
それを手に取る。

残っているパンツ類を薦められるが試着ができないので、
買ったことがないだけに不安。
白のカシミア、ポンチョ風のカーディガンを見つける。

目の前にあるメンズから夫の物を捜すことにする。
夫に買物をして喜ばれたことは一度もない。
趣味がはっきりしているし、着心地とかサイズにこだわりがある。
見ているだけでは分からないので、自分でメンズのジャケットを着てみる。
ジャケットは袖丈とかあるからやめたほうがよさそうだ。
袖の折れるニットジャケットとシャツを手にとった。
長袖シャツは¥4000、これはつぶしが利きそうだし、今の時期にちょうど良い。

ニットジャケット、マオカラー、これは迷った。
Wさんに相談する。スタッフの男性は皆忙しそうだし、
買いに来た男性も物色に必死だ。
Wさん、「だいじょうぶ、暇で1階のレジが空くのをここで待っている人がいるから。」
身長172センチ、スポーツマン体型の男性が着てくれる。
その人には似合うけど、夫にはどうかなぁと迷っていると、
その男性は、次々と他の女性に夫や彼のための試着をと頼まれ、
ショウモデル状態になり、ウエストサイズ、体重まで聞かれていた。

1階の状況はレジの混雑がひどくなる一方。
現金で支払う人用にもう一台のキャッシャーが特設された。
キャッシャーなんてものではない、お金を受け取りお釣りを渡している。
現金払いの人は整理券を貰い席を外すこともできることになった。
カードの人はそれはなしとのこと。収集がつかなくなるからだろう。
今にして思えば、整理券を貰って現金を降ろしに行くこともできたんだなぁ。

広島から来たという女性が山のように品物をゲットし、
商品棚に積み上げていた。業者の人らしい。
その人はスタッフに「お取り置きはできません」と言われたが、
「預かっておいて。低血糖だからお昼食べないと倒れちゃう。」と出て行った。

1階を覗くが恐ろしくて降りていけない。
かといってゲットした商品を破棄するのも。
二階の椅子に座り、外を見るとますます行列は膨らんでいる。
私と同じようにして待っている男性が一人いて、お話しをする。
その方が先ほどの男性より夫の体型に近いのでニットジャケット、着てもらう。
OK! 夫にも合いそうだ。
目の前にあるルームキャンドル、「これって80パーオフだと数百円ですよ。」
3つしか残っていないので、そのうちの一つ、Summer Palaceを取る。
絵柄の付いた大きな灰皿、取り合いになっている。
80パーオフという言葉が呪文のように聞こえ、これもゲット。
かなり重い荷物となった。

スタッフが忙しそうなので、残っている商品を目立つ棚に移動したり、
ストックされていたルームコロンを物置から出してきて並べたり、
商品の説明や値段について答えたり。

彼は「そのコロンもうないのなら、テスター出しておかないほうがいいよ。」
とか、私がカウンターに陳列したボストンバッグの向き、
「もうちょっとこっちに向けたほうがいいですね。」なんて。

残っていた女性のグループはレジへと向かった。
男性がもう一人、待ち組みに加わる。
私が陳列した旅行カバン、そしてその中にゲットした商品がたくさん。
水色のスウェードのジャケット、とてもよく似合いそうだ。
「よく見つけたわねぇ。」
「入ってくるなり、Wさんが『これ!』って渡してくれて。」
私も頂いておけばよかったのになぁ。
3人で立って、商品確保しつつ1階を見に行く人の荷物番をしたりしながら、世間話。

店内の売り物はほとんどない状態。
映画「ラストコーション」に出てくるようなマージャンテーブルがあった。
黒で彫刻が施され、小さな引き出しが四隅に付いている。
買い手がついた。これは備品なので2万円だそうだ。
こんな素敵なテーブル、そして同じ彫刻が背についた椅子も4客売れた。
コーナーテーブル、背が高い物と低い物、翡翠がついたランプシェード2つ。
何もかもなくなっていく。

「あっ、これどうですか?」と先ほどの男性。「ぼくはもう持ってるから。」
リバーシブルのカシミアニットのマフラー。
昨年、夫の誕生日にプレゼントしようとして正札をみてあきらめた。
しかし80%オフなら買える。
「どうしてこんな物が出てきたの?」
「誰かが今、戻しに来て、置いていきました」

一人の若い女性が入ってきた。
壷を見たいと言う。奥から3つの壷が。
二つは鮮やかな柄。最後の壷は赤で金の縁取り。
男性二人が3つめのは景徳鎮、100万近い品だと言う。
中がすべて金張りだそうだ。
二人ともやたら詳しい。
彼女は赤い壷を選んだ。
約9万円也。

びっしりとレリーフが刻まれた大きな長持ち。
もし、これから新居に移るなら、あれをソファーの前のテーブルにして、
ダイニングテーブルは麻雀卓、ランプシェードは翡翠。
壷を棚に並べたら、完璧だろう。

時計を見ると3時を周っている。
喉もカラカラ。気分が悪くなりそう。
階下に行くと依然としてすごい列。
外もまた大行列。
「レジを待っているんだけど、外に飲み物を買いに行きたいんだけど?」
近くに自販機がないそうで、中のスタッフルームでお茶を飲ませてもらい、
化粧室もお借りして、また男性二人のところに戻る。

「これって仕事じゃなくて、遊びなのよねぇ・・」とため息。
二人とも笑っている。
「ずっと立ち通し、飽きちゃうから手伝ったり、メンズモデルやったり」
スタッフの人達も2階に来ると、ほっとするのか、「だいじょうぶ?
ごめんね~」と声を掛けてくれるので、こちらこそ、「がんばってね。」と労う。
私達もスタッフもお昼抜き。信じられない状況だ。
いや、最近、こういう経験をした。
ルイジアナスーパードームでマックスウェルを待っていた時だ。

4時半になった。
「5時に仕事を終えた女性達が来ると、更にレジは込むだろうから、
そろそろ行きましょう」と。

3人で下に下りる。人込みの中、「前を失礼いたします」
「恐れ入りますが、後ろを通ります」などと声を掛けながら、
「最後尾の方はどなたですか?」と聞くと「私です」と若い女性。
4人で会話が始まる。
皆、入店は同じくらいの時間だが、彼女は30分くらい遅かった。
手に取ったのはコロン一つ。
「後から、ストックを出して今、上にあるよ。」と男性が教えてあげる。
「ほんとですか?場所とって置いて下さい。」と彼女は2階へ。
戻ってきた彼女、男性一人の山のような荷物を「持ちましょう!」
朝、ヨーグルトを食べただけで彼女もランチ抜きだそうだ。

ハンガーを持っている人達がいる。
ハンガーも持ち帰りOK、箱もどうぞ、と出てくる。
ハンガーは重いので3つほど取る。
箱をたくさん取った女性が何度か落としてしまい、先ほどの若い女性が、
拾ってあげる。
「ビニール袋でもあるといいんだけどねぇ。」と私が言うと、
前に並んでいた男性が自分のスーツをくるんである袋を出して差し出した。

コロン、2つだけしか買えなかった女性に2階で一緒だった男性が
ルームコロンを、一個譲る。
彼女は一つ残っていたベビー帽、友人の赤ちゃんにと手に取る。
先ほどの箱をたくさんゲットした女性、私達の話を聞いていて、
「この箱に入れてプレゼントすれば?」と差し出す。
みんな、それぞれ自分に似合いそうな物を手に並んでいる。
ふくよかで華やかな女性は赤のジャケットを二つ、抱えていた。
入店の際に見かけた人もまだ、何人も店内にいる。

レジには1時間ほど並んだだろうか。
「一人だったら、きっと耐え難い時間だったと思うけれど、
こうやってお話してて気が紛れて、ほんとに良かった」
とお馴染みになったメンバーにお礼を言う。

スタッフの二人、接客に現れないと思ったら、
ず~とレジだった。顔が憔悴しきって表情もない。
それなのに最後に別れの挨拶を丁寧にしてくれる。

ようやく馴染んできて自分なりの着こなしのできるようになった上海滩。
無くなってしまうのは寂しい。
お世話になっていたOさんと別れを惜しむ。
店長にも挨拶。
待ち時間を和やかにしてくれた方たちにも感謝。
みんなで「お疲れさまでした!」
一期一会というのだろうか。ほのぼのとした出会いだった。
こんな素晴らしいスタッフと顧客に恵まれていたシャンハイタン。
ぜひ、再オープンして欲しい。

外に出ると5時半。もう薄暗くなっている。
長くて不思議な1日が終わった。
立ち通しで足腰は重い。でも心はなぜか軽やかだ。

Eric Benet&Gerard 9/18 in Milwaukee

2009-09-03 07:08:53 | エリック・ベネイライブ(日本以外)
かつてエリック・ベネイがミルウォーキー時代、
20代前半にグループを組んだいたGerard、
彼らの多くはその後も地元に留まり音楽活動を続けている人もいれば、
別の道に進んだ人もいる。

9/18に昨年の7/2の"Love&Life"のプロモーション以来、
エリックがこの町を再び訪れ、Gerardとコンサートをすることになった。
ミルウォーキーのラジオ局のインタビューでエリックはこの経緯や、
コンサートの内容を語っている。
http://www.jammin983.com/Concerts/2242582
下から2人目にエリックのコンサートの案内があり、ラジオインタビューも聴ける。

GerardのメンバーだったBeceeが肺癌と診断され治療を受けていること、
コンサートの収益のすべてはベッキーの治療費に充てられること、
ライブの前半はGerardとそしてエリックの姉リサや従兄弟のジョージ・ナッシュと
80年代、90年代始めの曲、リサと二人で組んでいたBenet時代のアルバムの曲、
"I Want To Be With You"やカーペンターズのカバー"Rainy Days Monday"
などのパーフォーム、後半は最近の自分の曲も入れたエリック自身のライブになるそうだ。

インタビュー中、エリックはかつてGerardは、ミッドウェスト最高のバンドだったこと、
そしてメンバーは家族のように親しくしていたこと、
ベッキーは他のために尽くす優しい人柄なので、今度は彼女のために皆で何かしたい、
故郷のミルウォーキーに愛着があること、お母さんの76歳の誕生日なので、
ハッピーバースデイと言うね、と。

DJの女性から、コンサートの様子は録画されること、
ぜひ、もっと度々、ミルウォーキーを訪れて欲しいなど。
また再度、出演メンバーの確認。
地元のアーティスト、そしてその後EW&Fに移ったジョニー・ジョンソン。
ミルウォーキー人で今はエリックの付き人をしている、ケビン・スーカー。
男性DJからは、エリックがミルウォーキー出身なのを誇りに思っていること、
いつでも、スタジオに寄って、だってここは君の古里なんだから、と言われる。

そして80年代後半から90年代にかけての曲をやるコンサートなら、
ヘアスタイルも昔風にゴージャスに、アイラインも入れて、足は裸足だね、とジョーク。
エリックは「あいにく最近は、アルマーニの靴を履けるようになってね。」
と笑いを取る。
エリックは90年代後半、素足で唄っていた時期があり、この印象が強い人が多い。

最後にエリックは「ベッキーのコンサートのEメールアドレスを言ってあげて。」
DJはBeceeのメルアドとコンサートチケットの予約連絡先を再度、
アナウンスして、番組は終了した。

地元のエリックベネイとなじみの深いアーティストたちが参加。
そしてリユニオン、エリックにとって家族や古い友人達の集まりになる身内のコンサート。
エリックの20代前半のヒット曲も聴ける。
こういう機会は二度とないかもしれない。
行けるものなら、行ってみたいが、「何にもないところ」の例えによく使われる
ミルウォーキー、交通の便が悪く日本からは行くのにはかなり難易度が高い。

エリック・ベネイの生まれ育った街、Milwaukee、たとえ何もないところでも、
いつかは訪れてみたい。