世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

悪徳自民の米国、霞が関への抵抗が懐かしい(笑) 小沢を抜けば腑抜けの民主党

2011年10月22日 | 日記
100年予測―世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図
ジョージ フリードマン,George Friedman
早川書房



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悪徳自民の米国、霞が関への抵抗が懐かしい(笑) 小沢を抜けば腑抜けの民主党


  カダフィ大佐がリビア国民によって殺された。否、正確には欧米の軍事介入によって排除、最後のトドメにリビア人に手を汚させ、リビアの自由・民主主義を演出したと云うだけだ。「アラブの春」などと云う「美しき国日本」みたいな名前が付き、如何にも素敵なことが起きている印象だが、内実は生々しい欧米の形振りかまわぬ、生き残りの醜い姿である。

 チュニジアのジャスミン革命でベン・アリ政権が倒され、エジプトではムバラク政権が倒され、ヨルダン、バーレン、イエメン、サウジ、シリアと火種だらけになっている。その間に、パキスタン国内でアルカイダの司令官・ビンラディンが米国の劇場型暗殺の中で殺された。

 何とも奇妙な按配で世界に火が着いている訳だが、常に欧米イスラエルを中心とする勢力が介在している。血生臭さこそないのだが、我が国においても欧米勢力の日本国家の再占領のような動きが加速している。史実的にいえば、日本は明治維新以降、「追いつき追い越せ」を合言葉に、知らず知らずに、あらゆる分野において欧米の真似事をしているうちに、実は欧米システムと資本の呑み込まれ続けたわけで、特に今さら再占領だと騒ぐまでもない。しかし、何故か民主党政権以降、この動きが加速し、嘗ては“見えざる手”によって、徐々に米国に隷属する巧妙な手順があったのだが、今やそれも省かれ、露骨に「言うことを聞け!」と云う姿を現している。

 今にして思うと、09年の衆議院選において民主党は想像以上の圧倒的勝利を得たのだが、選挙制度(小選挙区比例代表並立制)の所為だとか、自公政権に辟易としたとか、小沢の選挙上手が功を奏した等々、色々と取り沙汰されたが、決め手と言えるほどのもはなかった。この頃の、マスメディアの論調を思い出すと、朝日新聞を中心に民主党贔屓が優勢だった。米国も自民党政権の崩壊阻止に積極的行動を起こしたとは言い難い。つまり、米国も霞が関もどちらかと云うと、“一つの例外を除いて”、民主党政権の方が良い(与しやすい)と判断したような流れがあった。

  “一つの例外を除いて”と云うのは小沢一郎のことだ。この一人の民族派保守政治家を除いた民主党は非常にグッドだと認定していたのだろう。故に、極めて単純に“小沢一郎を貶める事件”を画策したことになる。キャラクター・アサシネーション(人物破壊)を武器に大衆を扇動しておけば、後は得意の“闇の中司法”の枠内で、一人の邪魔者政治家を封殺出来るとした。このキャラクター・アサシネーションを一身に受けた小沢一郎と云う政治家の政治力は、必ずしも彼らの思惑通りには凋落していない点で、不満はあるだろう。

 ウッカリ間違えて、東京地裁の裁判官が小沢一郎に対して“無罪”等と云う判決を出したら、小沢一郎を封殺しようとした意図が頓挫するし、与し易しと政権につかせた民主党と云う政党が、自公政権以上に厄介な存在になる危惧は今でも共通認識となっているだろう。米国の欺瞞だらけの血で汚れた手で行われる民主主義・自由主義は、何てことないグローバル資本主義の奴隷だと云う事なのだが、意外に見落としてしまうトラップが存在するようだ。

 そのトラップは、資本主義の中では、人間が動物的本能にのみ生きるに非ずと云うトラップだ。人間が生きる為に最低限必要とする“衣食住”の充足などは当然の事で、その周りを着飾るフリンジ・ベネフィットにこそ、現代人の生きる価値があるが如き幻想を抱かせることに長けている。飢餓に苦しむアフリカ難民が聞いたら気が狂わんばかりに怒りそうな価値が、先進諸国では当然の権利の如く語られている。

 少々横路に逸れたが、“民主主義・自由主義は、何てことないグローバル資本主義の奴隷”と云う獣道に迷い込んでいるのだ。先進各国は、後進国まで食い物にして、この“グローバル資本主義の奴隷”を継続しようとしている。実際は、継続したいと望んでいると云うよりも、“グローバル資本主義の奴隷”の道から逃れられなくなっていると考えるのが妥当だろう。“衣食住”の充足などは当然の事で、その周りを着飾るフリンジ・ベネフィットを謳歌する愉しみを自らの国民に与えてしまった為政者は、そのジレンマから抜けきれず、より一層酷い“グローバル資本主義の奴隷”に拍車をかけることになる。

 自民党には、善かれ悪しかれ派閥や族議員や政治プレッシャーグループの代表が存在し、“霞が関のやりたい放題”に横槍を入れる仕組みがあった。故に改革等々が口だけ改革に終わり、骨抜き法案がまかり通ったわけだが、今回のTPP問題などを論議するシチュエーションにおいては、その方が一気に国体の体質をチェンジしてしまう速度を緩める効果はあっただろう。正直、小沢一郎を除いた民主党は政権運営に疎く、学級委員会レベルの政治手法しか知らない。そう云う人間達は、礼儀正しく、煽てながら語られる論理的説得法(役人が得意とする戦法)に矢鱈弱い人種でもある。知的でありたいと思う心情が仇になるのだ。政治は知性より胆力・権力実現である事、彼等は知らない。


自民党政治の終わり (ちくま新書)
野中 尚人
筑摩書房


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