藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

神のお告げとうそぶいて 悪魔の行為

2016年07月28日 | 雑感
  

 もう衝撃が強くて、しばらく書けなかったです。 


 19人を殺害。


 あの「帝銀事件」で13人が殺害されましたが、あれは毒を一斉に飲ませるという手口でした。

 
 ナイフを使った犯行で思い出すのは、池田小学校の襲撃事件ですが、被害者の数からいえば今回はさらに異常だと言わざるをえません。

 
 私が恐れるのは、連鎖的な<模倣犯>の登場です。

 テレビは今回の犯人が車で現れる防犯カメラの映像を流しました。 そして新聞も、持っていた凶器や侵入経路などを報じました。

 もちろん、これ自体には問題はないのですが、世の中にはこれを学習材料にしてしまう人間がいるかも、という恐ろしさです。


 どうか、同様のことが起こりませんように・・。



 犯人は、ヒトラーに感化されたという情報もあります。

 いったいどのような心理過程を辿って、障がい者を亡き者にしようと決めたのか、今の時点では私にはわかりません。

 思い通りに動けない人を、どうして何回もナイフで襲えるのか、しかも19人も。犯人は、殺人を犯しても、精神鑑定で無罪になると踏んで、

 自分の、自分が思っているだけの「正しい行為」を実効したのかもしれません。



 私は、死刑廃止に賛成の人間です。

 犯人を死刑にしても、亡くなった人は戻ってこない。スッキリした、と感じるより、大きな虚しさが続くと思うからです。


 でも、そんな私が一瞬思いました。「万死に値する行為だ!」と。


  言うまでもありませんが、障がいの有無は人間の価値を決めるメジャーではありません。

 障がいがあろうが無かろうが、一つの命です。 他人が奪って良いはずがありません。どこにそんな権利があるのか。


 テレビでコメンテータが話します。

 「ほかの施設も安全をどう確保するか、考えるところですね。」

 確かにそうです。さっき私が思ったように、悲しいけれど、模倣犯が出る可能性がありますから。


 でも、もうひとつ。


 今学校では、「特別支援教室」を整備して、障がいのある子どもの、「一人ひとりに合った教育を行う」ことを進めていますが、

 どうぞ、忘れないでもらいたい。

 「分ける」ことによる、デメリットもあるということを。


 「別の種類の人間」と、お互いに認識させてしまうことのないように。




 すべての子どもたちに教えてほしい。


 一人ひとり違って見えるけど、持っている魂・命はどの子のもかけがえのないもので、同じ価値のものであることを。

 
 そのことが、きちんと心に入れば、イジメや差別や虐待は、今よりはずんと少なくなると、私は思っているのです。
コメント
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