藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

伝わった、かな?

2012年06月02日 | 日々の活動
  今の私の仕事は、精神に障害を持った方達と、様々な作業をする、というものです。

 一週間のスケジュールが大体あって、隣接する「茶房」(ここでも精神の方達が働いています)で提供する食材やみんなで食べるお昼を作ったり、お菓子の納品をチェックしたり、箱やリボンなどを用意したり。あと、私が参加してから、牛乳パックでコースターを漉いて茶房で使ったり。

 それで、いろんな作業をいろんな症状の人とやるんですが、その時に気をつけることは、
 「わかるように伝える」ことなんです。

 たとえば。

 きゅうりを四等分に切ってもらうとします。

 きゅうりを渡しただけではもちろんいけません。袋から出す。そのためにはハサミを出してきて使うこと。そして洗ってからまな板にのせる。包丁を用意する。

 ここから始めます。

 そして、実際に切って見本を見せる。

 でも、気になるのですね。真ん中がどこか、切ってふたつになったきゅうりを、又半分づつにするとはどういうことなのか。

 「何をいってんだ。そんなこと。」と思われるかもしれないけれど、先ほど言ったようにいろんな人がいるのです。そこをすっ飛ばしちゃいけない。

 入所当時は、袋に入ったきゅうりを前にたたずんでいた人が、しばらくするとさっさとまな板を出してとんとんと刻むようになるのです。
 でも、調子が悪くなると、又袋の前にたたずむようになってしまう。その時はまた、最初から思い出してもらえばよいのです。
 又、ハサミをだすところから始め、四等分のやり方を思い出してもらいます。

 又、「お醤油をあと少しいれてね。」では、ダメ。
 「お醤油を小さじ一杯いれてね。」と正確に言わなければ迷います。
塩をひとつまみ、も三本の指で持った分で、とか。


 日頃の生活の中での<あいまいさ><よいかげん>では済まない仕事場で、形が揃っていない野菜を<等分>にするための説明をいかに理解してもらうか。なかなか大変というよりは、私にとってはおもしろいです。


 さて。

 「わかるように伝える」という点では、べつに障害の有無にかかわらず、相手のことを考えて、相手の立場に立ってみることが必要ですね。そして、本当に伝わったのか、共通理解できたのかを、確認する必要がありますね。


 いったい。

 大飯原発の再稼動に関して、関西連合が「容認した」と解釈してよいのか。橋下大阪市長みたいな発言内容が動くケースは信じられないけれど、自分の都合のよいように物事を解釈してしまい、「そう言っただろ!」などと威圧するようなことは、良くないね。

 電気代の値上げも、消費税率アップも、原発容認も、それより災害地の復旧にもっと力を入れるべきじゃないのか、と私は思う。いくら値上げや再稼動の「説明」を聴いても、ちっともその必要性がわかんないのは、私の頭のぐあいのせいか、それともいろいろ決められる権力をもっている人間が、国民に対して「わかるように伝える」気持ちをはじめっから持とうとしていないせいか。
コメント
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