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沖縄スパイ戦史の悲劇を再び繰り返すな

2018年08月07日 23時42分58秒 | 映画・文化批評

 

先日、大阪・十三の第七藝術劇場で映画「沖縄スパイ戦史」を観てきた。第二次大戦で沖縄では県民の実に4分の1が亡くなった。その理由は、地上戦の戦場となった上、住民が日本軍の盾として利用された挙句、スパイ容疑で虐殺されたからだが、現実はもっと悲惨なものであった。

戦場の様相は「悪いのは戦争指導者や軍で、住民は犠牲者」という単純なものではなかった。日本軍によって送り込まれたスパイによって、住民がスパイの指揮するゲリラ戦に駆り出され、住民自身も米軍のスパイと見なした人物の処刑に積極的に加担せざるを得なかったのだ

沖縄本島南部のひめゆり部隊や鉄血勤皇隊が表の戦闘組織なら、北部でゲリラ戦を展開した護郷隊は裏の戦闘組織だ。そこでは軍は住民を護郷隊という自衛組織に編成し、山中のジャングルを拠点に少年兵にゲリラ戦の訓練をさせ、海岸部の米軍陣地に奇襲や夜襲をかけさせた

護郷隊を組織したのは陸軍中野学校でスパイ養成訓練を受けた特務兵だ。彼らは、丸刈りの軍人ではなくイケメンの民間人を装い、軍人と悟られない様に秘密裏に、住民を破壊工作のスナイパー(狙撃手)に仕立て上げていった。

しかし、「護郷隊」と言っても決して郷土を守る為に作られた訳ではない。軍隊が守るのはあくまで国家権力だ。住民や郷土は、むしろ戦争の盾として、とことん軍隊に利用され搾り取られた挙句、足手まといになれば使い捨てられる運命にあった。

米軍の侵攻を食い止める為に本島の橋は全て護郷隊によって爆破されたが、米軍の工兵部隊が爆破した尻から仮設の橋を架けた。橋の爆破で逆に日本軍自身の補給路が断たれ、自分で自分の首を絞める事になってしまった

米軍の侵攻により、本島北部の山岳地帯に追いつめられた護郷隊は、食糧難や疫病の流行に悩まされる中で、次第に疑心暗鬼に陥っていった。その中で、軍役に携わる中で軍の機密にたまたま触れた人や、米軍スパイ容疑をかけられた人が、次々と処刑されていった。

戦争の悲劇は、戦場になった沖縄本島や慶良間諸島だけでなく、戦禍を免れた八重山諸島でも起こった。波照間島では山下虎雄という教員を装った軍のスパイによって、マラリア感染地帯の西表島に全島民が強制移住させられた。これが有名な「戦争マラリア」の悲劇だ

熱血教師の山下虎雄として波照間に赴任した男の正体は陸軍中野学校の特務兵、酒井清だった。酒井は戦争が始まるや、いきなり軍刀で島民を脅迫し、家畜の牛や馬を住民の手で処分させ、嫌がる島民を無理やり西表島に移住させ、次々とマラリアに罹患させていった

米軍侵攻に備えて波照間島民を西表島に疎開させるというのが、強制移住の表向きの理由だ。しかし実際は、波照間島民を西表島に駐留する日本軍の監視下に置き、米軍への寝返りを避ける為と、島民の家畜を軍の食糧として没収する為だったと言われる

結果的に波照間島の住民1590人のうち、1587人がマラリアに感染し、477人が死亡。実に島民の3割の命が失われました。島民の方は言います。『私たちは沖縄戦の捨て石にされた』と。こうした過去の体験は、沖縄の方たちの国に対する強い不信につながっているように感じます」波照間島の知られざる「戦争マラリア」の悲劇。沖縄戦で島民絶滅の危機にhttps://www.huffingtonpost.jp/tomoko-nagano/hateruma-malaria_b_5696798.html


八重山平和祈念館のリーフレットに掲載された「戦争マラリア」概要図

また、沖縄本島の今帰仁(なきじん)村では軍の手で「国士隊」という監視組織が作られ、住民同士で互いに監視・密告させる様に仕向けられた。拒否した者は米軍のスパイとして処刑された。単に日本軍に迫害させられただけでなく、住民自身もスパイ冤罪に加担させられたのだ。

悲劇はそれだけに止まらない。護郷隊には第一護郷隊と第二護郷隊の2つがあり、村上治夫が前者、岩波壽(ひさし)が後者の隊長を務めた。特に後者では食糧が公平に分配された。それを恩義に感じる住民も少なくない。しかし、その後者の岩波隊長ですら敗残兵は見捨てざるを得なかった。

同じ事は今帰仁村の国士隊にも言える。国士隊ではスパイリストを基に住民虐殺が行われたが、その下でも「この人には世話になったから」という事で、スパイリストに載った女性が処刑を免れた。代わりに処刑されたのは戦前に住民運動を弾圧した巡査だった

沖縄では、住民自ら住民虐殺に加担しただけでなく、この様に被害者と加害者が交互に入れ替わる「虐殺の連鎖」が繰り返されたのだ。 それに対し、日本本土では空襲で主要都市が焼け野原になったが、沖縄の様な「虐殺の連鎖」は起こらなかった。それでも300万人以上の日本人が亡くなった。その6割は戦死ではなく餓死だった。

もし本土決戦になっていたら犠牲者はもっと膨れ上がっていただろう。長野県の松代では大本営の地下壕が秘密裏に造られ、本土各地にも陸軍中野学校の特務兵が派遣されていたのだから

これは決して過去の話ではない。それが証拠に、戦時中の野戦マニュアルが今も陸上自衛隊の教本に受け継がれ、そこでは住民に軍事協力させる事が謳われている。しかし、自衛隊が守るのはあくまでも国家組織や社会秩序であって住民ではない。住民は足手纏いになると判断されれば簡単に見捨てられる

現在の秘密保護法も戦時中の軍機保護法が原型だ。戦時中は軍機保護の名目で天気予報さえ禁じられた。その為、戦争末期には台風や地震で大きな犠牲が出た。自衛隊が守るのはあくまで国家権力であって住民ではない。災害派遣はそれをカモフラージュしているだけだ。戦争の脅威に騙されてはいけない

安倍政権が中国封じ込め政策を採る中で、沖縄の八重山・先島諸島がその最前線基地として重視されるようになった。今や自衛隊関連施設が続々とこの地に作られようとしている。他方で反基地運動も存在するが沖縄本島ほど強くはない。同じ住民が基地賛成派と反対派に分かれ争う現状は、まるで戦時中の「虐殺の連鎖」を想起させる

今の自衛隊は過去の専守防衛、災害派遣や人命救助だけを主任務とする過去の自衛隊ではない。集団的自衛権行使によって、世界のどこにも米国の先兵として駆け付ける侵略の軍隊に変貌しつつある。このままでは再び護郷隊、国士隊、戦争マラリアの悲劇を繰り返す事になる。果たして本当にそれで良いのか?

戦後、護郷隊の元隊長が隊員慰霊の為に植えようと試みた本土のソメイヨシノは、沖縄の亜熱帯の気候に適応できず、遂に花を咲かす事は無かった。他方で、第二護郷隊の生き残りが同じ目的で植えたカンヒザクラは、沖縄の風土にもなじみ、やがて花を咲かせ実を結ぶようになった。元隊長の送った「同期の桜」が実を結ばず、元隊員が植えた地元種の桜だけが芽吹いたのも、「何があっても絶対に死ぬな。そうなる前に戦争になるのを食い止めろ」というメッセージの現れではないか。

 

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