アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

「生徒諸君!」―安倍政治悪乗り教育ドラマとしての側面

2007年05月13日 00時15分50秒 | 映画・文化批評
 お手盛り改憲投票法案(国民投票法案)が5月11日に参院の憲法調査特別委員会で可決されました。予定では14日の参院本会議にも、この悪法案は可決・成立させられてしまうでしょう。審議すればするほどボロが出るデタラメ法案で、無理やりでっち上げられた地方公聴会ですら124人の公述人のうち108人までが今国会での採決に反対している法案を、中央公聴会すら開かずにドサクサに紛れて強行採決されたのです。

 この悪法案に基づくお手盛り改憲投票は、公布から3年後の2011年に施行されます。それまでの3年間の間に、護憲派(反改憲派)との間で勢力が拮抗している今の状況を変えるべく、改憲派は権力とマスコミを総動員して、民主勢力の運動を弾圧し孤立させようとしてくる事が、もう目に見えています。それを阻止する為にも、今後3年間の間に施行される衆参両院の国政選挙が、改憲阻止の天下分け目の闘いとなります。

 そういう大変な政治状況であるにも関わらず、日本のマスコミのこの異常な沈黙ぶりは一体何なのでしょうか。この間の国会の動きや反対運動の未曾有の広がりを全然報道せず、しても市井の三面記事と同程度にしか取り上げないのは、どう見ても異常です。教育基本法のやらせ改悪の時もそうでしたが、命令放送や捏造問題を口実にした番組介入・報道管制が、国民の目から隠蔽された所で、強力に行われているのではないでしょうか。

 それでマスコミはと言えば、こちらも社会の木鐸とは名ばかりの、もう時流に阿り悪乗りするような報道や番組ばかりが、やたら幅をきかせ始めているような気がして仕方がありません。これは何も別に、産経・読売の体制翼賛報道や、「あるある大事典」などのやらせ番組だけに限った事ではありません。スポーツ新聞の三面記事の紹介に終始するだけのバラエティ番組の時事解説や、視聴率稼ぎの魂胆が見え見えのお涙頂戴リポート、CM前後でチャンネルを切り替えさせない為の「焦らしのテクニック」に汲々としている様など、報道のレベル・モラルの低下は、もう覆うべくも無い惨状を呈しています。

 そんな中で何と、この安倍改憲政治を、側面からヨイショしているとしか思えない教育ドラマまで登場しています。朝日放送系列で4月20日以降の毎週金曜日に21時から放送している、「生徒諸君!」というテレビドラマがそれです。このテレビドラマは、元々は70年代に少女雑誌に連載されていた漫画を、現代風にアレンジしてテレビドラマにしたものですが、そのアレンジの仕方が、もうどうみても、安倍マルコスの教育反動に阿り悪乗りしたものにしか思えないのです。

 このドラマのあらすじは、内山理名が扮する新米女性教諭の北城尚子が、教師不信の塊と化した御園中学2年3組の担任として、3TDと呼ばれるゲシュタポ紛いの番長グループが支配するクラスや、事なかれ主義の校長たちや、問題児排除に走る教育委員会のメンバー(椎名桔平が扮するイケメン教育委員の日向悠一郎)と、丁々発止を演じるというものです。その中学生というのがまた揃いも揃って、現実離れしたほどひねていて、まるで高校生みたいな中学生ばかりなのですが。

 そして、そのイケメン教育委員がよく登場するのが、何と、例の文部科学省の教育再生ナンチャラにそっくりな会議の席なのです。私が見た5月4日放送の第3話でも、この教育再生ナンチャラもどきの席で、イケメン教育委員がキャリアとして文部官僚をフォローする場面が登場していました。
 その第3話のあらすじと言うのが、北城尚子が担当する2年3組の生徒が教師不信に陥るキッカケとなった、ある過去の出来事を取り上げたものでした。―集団登山でクラスごと遭難した時に、前担任の教師が、生徒の食糧を奪って自分だけ助かろうと下山した。生徒はこの時のトラウマが基で教師不信に陥った。その前担任が、何と文部省事務次官の御曹司で、今も別の中学校で教師をしているのを、北城尚子が捕まえてクラスの生徒の前で謝罪させようとするも、前担任と先のイケメンに裏切られて、尚子は余計に生徒から恨まれる―という、救いようの無い話です。

 この番組ストーリーの荒唐無稽さも然る事ながら、私が一番作為を感じたのが、このドラマの新番組予告編の際のナレーションなのです。「虐め、給食費の未払い、不登校、云々・・・この現実にどう立ち向かうか、云々」という感じのナレーションだったのですが、これではまるで、今の安倍マルコスの進める教育反動路線に、無批判に阿り悪乗りして、その上で安易にストーリーを組み立てているだけでしょう。
 確かに、私利私欲に走る文部事務次官の御曹司やイケメン・キャリアは出てきますが、それに抗う北城尚子も、教育反動化を進める安倍や伊吹からすれば、教育再生ナンチャラの葵のご紋を背景に、小役人の悪事を暴く「九の一」でしかない訳です。もっと言えば、中国の毛沢東時代の女紅衛兵や、小泉が抵抗勢力に差し向けた刺客みたいな役回りです。

 しかし、私に言わせれば、「給食費の未払い」などというデマゴギーや(これが何故デマゴギーなのかは別の記事を参照の事)、「虐め、不登校」云々で、教育再生ナンチャラと同じ土俵の上に立ち、それを無批判に受け入れた上でドラマを組み立てている時点で、完全にアウトなのです。これでは、形を変えた安倍教育反動のプロパガンダだといわれても、仕方がないでしょう。
 何故なら、「虐め、不登校」の最大の元凶が、差別・競争の学力テストや国家・企業にのみ奉仕する「勝ち組」教育を推し進め、通常授業を潰しての学力テスト対策や、成績の悪い子は無理やり欠席させてまでテストの平均点を上げる事に汲々としている、そういう状況にまで教育現場を追い詰めているのが、当の安倍や伊吹や教育再生ナンチャラの面々である事に他ならないからです。そんなマッチポンプを恰も既成事実であるかのように無批判に受入れられる、そういう感性の鈍感さには呆れざるを得ません。

 しかもご丁寧な事に、同番組のHPには視聴者向けアンケートとして、「自分と他人、どっちが大切?」なんてものまで用意してあります(「ThemeBBS」>「バックナンバー3」のページ)。しかし、これも私に言わせるならば、無意味な選択にしか他なりません。だってそうでしょう。「イザとなったら、自分の命を捨ててまで子どもを守れるか?」なんて質問、答えようがないですもの。そんな質問は「自分の命と親の命、どちらか捨てろと言われたら、どちらを捨てるか?」という質問と同じですから。
 それに対する私の答えは「どちらもゴメン蒙る、そんな悪魔の選択を強いられるような状況に陥らないように、それまでにあらゆる手立てを尽くす」です。それを安易に「自分の命を捨てても子どもの命を守る」と言えるのは、私からすれば「ウソ」以外の何物でもありません。その人は、「何も考えていない」か「偽善者」であるかの、どちらかです。

 もう見え見えなのです。「自分も他人もどっちも大事」など、その他の選択肢を最初から奪っておいて、そんな中で「自分と他人、どっちが大切?」と悪魔の選択を迫り、踏み絵を踏ませる。そうして、抗う事の出来ないような雰囲気の中で、一方的な滅私奉公に誘導しようとしているのが。
 第2次大戦中の沖縄戦では、米軍の艦砲射撃や日本軍の住民見殺しの中で、心ならずも教え子を見捨てざるを得なかった教師の悲劇が伝えられています。また、終戦直前の満州でも、関東軍から見捨てられた住民が、必死の逃避行の中で、自分の子どもを置き去りにしなければならなかったという、中国残留孤児の悲劇があります。そうせざるを得なかった当時の沖縄の教師や満州開拓団の住民の行為を、エゴとして切捨てる事が出来ますか? そんな事よりも、沖縄の教師や満州開拓団の悲劇を引き起こし、数千万以上の中国・アジア人民を虐殺した、その張本人の末裔どもが、自分たちのしでかした行為を棚に上げて、人に一方的に悪魔の踏み絵を踏ませる事の方が、私にはよっぽど許せない事だと思うのですが。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小・中学生の作文 | トップ | ここまで来た権力による陰湿... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画・文化批評」カテゴリの最新記事