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高野山のトロッコ道でSDG’sについて考える

2022年05月03日 22時35分00秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
5月2日の公休日に高野山森林鉄道の跡をたどって来ました。高野山の麓の九度山から、今の南海高野線に沿って、極楽橋の先の方まで、明治末期から昭和30年代まで森林鉄道(トロッコ)が走っていました。そのトロッコ道の跡を南海電鉄と地元の九度山町がハイキングコースとして整備しています。鉄ちゃんしか知らない地味な観光コースですが、どうせ私達はGWも仕事だし、まだまだコロナが終息しない中で、三密回避の手頃なレジャーで息抜きするには丁度良いので行って来ました。
 
和歌山県九度山町は、真田祭(5月5日の武者行列)や丹生川渡し(川の上に巨大な鯉のぼり)、町家の人形巡り(町家の玄関先に飾られた雛人形を巡るイベント)、慈尊院(女人高野の世界遺産)などの観光に力を入れています。トロッコ道のハイキングコースも、その流れの中で整備が進められて来ました。しかし、前者とは違い鉄ちゃん限定の地味ネタなので、九度山駅にも案内のパンフやチラシは置いていませんでした。幸いその日は世間は平日だったので、町役場が開いており、そこでチラシをもらって来ました。
 
左は丹生川渡し、右は町家の人形巡り。
 
そのチラシを片手に、まず高野線上古沢の駅に向かいました。トロッコ道のハイキングコースは、九度山から上古沢まで約7.6キロあります。どちらから辿っても良いのですが、私は下る方が楽だろうと思い、上古沢から高野下まで歩く事にしました。
 
案内チラシは上古沢駅に置いていました。駅は崖の中腹にあり、そこから上古沢の集落を見下ろしながら、ひたすら紀の川支流の不動谷川に沿って、国道370号線の対岸を下ります。この辺一帯は線路だけでなくハイキングコースもスイッチバックと急カーブ、急勾配の連続です。その急勾配たるや、生駒山地の暗峠にも匹敵する程です。
 
上古沢の駅舎も急峻な崖上の猫の額ほどの狭い土地にあるせいか、若干傾いているように見えました。上古沢駅は、隣の紀伊細川や紀伊神谷の駅とは違い、秘境駅ランキングにこそ載っていないものの、秘境感においては前者に引けを取りません。
 
傾いて見える上古沢の駅舎と、そこからの眺望。
 
まず最初に中古沢橋梁を観に行きました。この橋梁は南海高野線の下古沢と上古沢の間にあります。山陰本線の餘部鉄橋がコンクリート製に作り替えられた後は、この鉄橋が全国唯一のトレッスル橋になってしまいました。トレッスル橋脚とトラス橋桁が組み合わさった珍しい形で、南海高野線の通称・山線(橋本~極楽橋間)の駅とともに、近代化産業遺産に指定されています。
 
南海高野線の中古沢橋梁。深い谷に鉄道を通す為に、苦心惨憺の末に、ようやく1927年(昭和3年)に完成。
 
それにもましてハイキングコースのややこしい事。要所ごとに案内の道標が設置されていますが、それでもややこしいのです。もう廃線になって約60年経過し、鉄道の痕跡がほとんど残っていない上、生活道路や林道、獣道が次々と現れ、廃線跡と見分けがつかないからです。迷子にならない鉄則は次の4つ。①必ず道標の指し示す方の道を行く。②それでも迷ったら、自分がトロッコの運転手になったつもりで、出来るだけ平坦な道を行く。急勾配には線路は敷けない。③基本は上古沢から九度山に下るルートを辿る。上りはキツイ。下るルートも実際はアップダウンで上りもあるが、それでも逆よりはマシ。④落ち葉が道を覆いぬかるんでいる所も多い。軽装や強行軍で挑むべからず。
 
左なぞ一体どちらに進んで良いのか一瞬迷う。そこかしこに道標が設置されているがそれでも迷う人も決して少なくない。
 
途中で隧道跡と思しき手掘りトンネルを2箇所くぐります。そして、途中でハイキングコースは国道370号線に合流します。片側一車線の狭い「酷道」にも関わらず、自動車は割と通るので、安全には気を使います。それでも、森林鉄道の橋脚の跡や、地滑りから鉄道や道路を守る為の構造物を見る度に、先人の苦労が偲ばれ、心が打たれます。
 
トロッコ道の隧道として使われていたトンネル。今でも通れるが見通しは悪い。道路も落ち葉に覆われ、ぬかるみが目立つ。
 
左は森林鉄道の木製電信柱の跡か?右は橋脚の跡。
 
左は水を流す為の砂防堰堤。小さな流れなので、橋なぞかけず、道路の上に直接水を流して谷に落とす仕掛けになっていた。右は土砂崩れの跡。2018年台風21号の爪痕か?この時は南海高野線も約2週間不通になった。
 
切通しの跡。小さな山なら、このようにトンネルを掘らずに山を崩して森林鉄道を通した。
 
ウクライナの世界遺産で、列車が1日3本しか通らない、森に囲まれた鉄道線路があり、そこが恋人のデートコース(愛のトンネル)として有名になりましたが、このトロッコ道も、ひょっとしたら、それに匹敵するのではと思ってしまいます。
 
左は「愛のトンネル」っぽい。右はまるでスイッチバックのようなトロッコ道のヘアピンカーブ(トロッコと言えども一応は機関車。それが果たしてこんな急カーブを曲がれるのか?)
 
しかし現実は厳しいものです。この付近は中央構造線の辺縁部にあたり、地盤が脆く、いつも土砂崩れや鉄砲水に悩まされて来ました。それを避ける為に、硬い岩盤に杭が打たれている所や、沢水を逃す為の簡易砂防ダム(?)、それでも残る土砂崩れの跡がそこかしこに目に付きます。
 
硬い岩盤に杭が打たれている所。ここでは岩の間からしみ出てくる水を壁の穴から外に逃がす水平ボーリングが行われている。
 
下古沢駅の近くにOLD STREAM(オールド・ストリーム)という名の喫茶店がありました。廃園になった幼稚園の建物を利用して、村おこしの為に、有機コーヒーを提供し、産地直売や工芸品販売を行っています。隣の元小学校も集会所として活用されていました。こんな山奥で果たして商売が成り立つのか心配ですが、最近はお客も徐々に増えているそうです。
 
OLD STREAMの外観と店内の様子。
 
私もここで応援の意味を込めてコーヒーとサブレを注文しました。コーヒーはとても美味しかったです。でも、サブレとコーヒーだけで650円。はっきり言って割高です。これだけあれば、あいりん地区では弁当2個買えます。皆さんどちらを選びますか?大抵の人は後者を選ぶのではないでしょうか。
 
左:私がOLD STREAMで注文したコーヒーとサブレのセット。右:私が西成に来た頃によく食べていた300円弁当。
 
昨今、経済成長一辺倒に対する反省から、SDG’s(エス・ディー・ジーズ)と言う事が盛んに言われます。SDG’sとはSustainable Development Goals(サステナブル・ディベロップメント・ゴールズ)の略で「持続可能な開発目標」という意味です。貧困撲滅や格差是正、地球温暖化防止などの17の目標を掲げ、これを2030年までに達成しようと、国連や各国政府が呼びかけています。私の会社も、その一環として、使い捨てカイロを集めて水の浄化に役立てようとしています。
 
SDG’sのシンボルマークに描かれた17の目標
 
でも、政府が実際やっている事は防衛費のGDP比2パーセント突破などの軍備拡張に原発再稼働。安倍元首相なぞは核武装まで主張する始末。言っている事とやっている事がまるで正反対。それに有機栽培は金がかかる。貧乏人はバカ高い有機栽培のコーヒーなぞ買えない。そんな物買うぐらいなら、あいりん地区の300円弁当を買う。
 
しかし、だからと言って、今のままでは確実に地球は滅んでしまうし、人類も遅かれ早かれ滅亡してしまう。その為にもSDG’sは私は必要だと思います。問題はそれを自己責任だけで賄わせようとする所にあります。金持ちだけでなく貧乏人も含めてSDG’sを達成出来るようにしなければなりません。それは政府にしか出来ない事です。その為にこそ政府は存在するのです。もし、今の日本政府にその気がないなら、それをやり切る為の政府に変えなければなりません。
 
それは最後の高野下駅でも痛切に感じました。昔の森林鉄道は高野下駅の下を潜って九度山まで続いていました。当時の九度山や高野下駅周辺は、木材の集散や高野山に向かう参拝客で賑わいました。駅構内には当時の写真が一杯飾られ、さながら資料館のようでした。
 
駅舎の柱にも当時の古レールが使われ、カーネギーなど当時の鉄鋼メーカーの社名がレールに刻まれています。駅舎自体も近代化産業遺産に指定され、駅舎ホテルとして活用されようとしています。
 
左:高野下駅ホームに残る昔のレールの柱。説明書きには1902年英国キャンメル社製とある。右:ホテルに生まれ変わった高野下の駅舎。
 
ところが、その駅舎ホテルの宿泊料が半端ではありません。2名用(ダブルベッド1個)の部屋「天空」で一泊1万8千円、4名用(同2個)の部屋「高野」ともなれば一泊3万2千円もするのです。そんなバカ高いホテルに一体誰が泊まるのか?一部の金持ちだけじゃないですか。少なくとも、青春18きっぷでしか旅に出られないような人には縁のないホテルである事は確かです。
 
左が駅舎ホテル「天空」、右が同じく「高野」の部屋の写真。
 
幾らエコでピースだと言っても、結局は金持ちの浪費のおこぼれにあやかろうとするだけ。そんな姿勢で、本当に貧困撲滅や格差是正、環境保護が達成出来ると思うのでしょうか?先の東京オリンピックでも、環境保護を謳いながら、実際は巨大スポーツ施設の造成で、自然を破壊しているではないかと、痛烈に批判されました。単なる「金持ちの道楽」で終わらせずに、もっと誰でも実践できる形のSDG’sにしなければならないと感じました。そして、もう16時半を回っていたので、九度山駅まで下るのは諦め、高野山駅から電車に乗って帰りました。
 
当時の森林鉄道は、この高野線のガードや高野下の駅舎の下をくぐり、さらに九度山の貯木場まで続いていた。

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