一河会謡曲大会 ’17一河会謡曲大会 2月、高岡能楽会総会(発熱のため欠席。野○さんの初舞台だけ見学)が今年の謡の会の幕開け、3月に「蒼山会」、4月に「芙蓉会」と謡曲の会が続き、......
👆は、昨年のブログです。5月は連休の後すぐに「一河会」です。「一河会」とは、約30年前、私の謡の師匠である山崎先生たち、当時新進気鋭の若い能楽師さん達が新たに立ち上げられた謡曲の会だそうです。
「蒼山会」からは、素謡、仕舞を数曲ずつ、連調連管「船弁慶」を発表しました。「船弁慶」の連調連管は初めての挑戦です。囃子の「舞働き」に”イノリ地”と言う手が入ります。そう難しくはないのですが、慣れていないからか私は何か所も失敗しました。
以下、「蒼山会」を中心に紹介します。
👇 連調連管「船弁慶」。連調連管としては初めての曲です。囃子の「舞働き」の打ち方が少し異なり、皆、緊張しました。
👇 仕舞「猩々」
👇 仕舞「杜若」
👇 仕舞「西王母」
👇 独鼓「田村」
👇 仕舞「融」(まだ見ていませんが、Ki新聞の紹介記事も「融」だったそうで、プロはどのポーズを撮っているか見るのが楽しみ)
👇 仕舞「実盛」
👇 山崎先生の 番外仕舞「経政」
最後に、「船弁慶」について少し書きます。👇は、頼朝に追われ西へ逃れようと船を出す義経一行(作り物の船に乗っている)に、平知盛の亡霊が海から現れ襲いかかる場面の絵図です。連調連管では、この場面を謡と囃子で演じます。
物語:平家追討に功績をあげた源義経(子方が演じます)でしたが、頼朝に疑惑を持たれ、鎌倉方から追われる身となります。義経は、弁慶や忠実な従者とともに西国へ逃れようと、摂津の国大物の浦へ到着します。義経の愛妾、静(しずか)も一行に伴って同道していましたが、女の身で困難な道のりをこれ以上進むことは難しく、弁慶の進言もあって、都に戻ることになりました。別れの宴の席で、静は舞を舞い、義経の未来を祈り、再会を願いながら、涙にくれて義経を見送ります。
静との別れを惜しみ、出発をためらう義経に、弁慶は強引に船出を命じます。すると、船が海上に出るや否や、突然暴風に見舞われ、波の上に、壇ノ浦で滅亡した平家一門の亡霊が姿を現しました。なかでも総大将であった平知盛の怨霊は、義経を海底に沈めようと、薙刀を振りかざして襲いかかります。弁慶は、数珠をもみ、必死に五大尊明王に祈祷します。その祈りの力によって、明け方に怨霊は調伏されて彼方の沖に消え、白波ばかりが残りました。
この曲では、前場のシテは美しい白拍子、後場のシテは恐ろしい怨霊、まったく異なった役柄を演じ分けます。優美さと勇壮さの対照が面白く、前場には優美な舞が、後場では薙刀を振るう荒々しい舞働が見られます。謡い・囃子の強弱、緩急も全く異なった変化に富む大変劇的な曲です。
また、舞台が「大物の浦」の船宿から大海原へ展開していく様子は、作り物の舟だけで見せていきます。ここは、間狂言の船頭の腕の見せ所で、船をこぎながらのワキ(弁慶)とのやりとりや嵐が始まってからの棹さばきなど、本当に荒れ狂う海が見えるかのような所作が見られます。(以上ネットから)
👇は、富山薪能での家元がシテを演じられた能「船弁慶」の様子です。
https://blog.goo.ne.jp/67kiyoh/e/04fa05a5b37a3bf7b608a221c52701fe
なお、明日5/20(日)は、午後1時より高岡瑞龍寺法堂で「燭光能」(能は”阿漕”)、3時半より高岡青年の家能舞台で「高岡定例能」(能は”熊坂”)が演じられます。時間のある方、興味のある方は観にお越しください。
なかなか素敵な紹介をありがとう!
私も前半の写真を撮ったのですが、すっかりブログをサボっていますのでせめて写真だけでもと思いながら実現していません。
見ないで帰りましたが松原さんや米先生や山崎先生のお姿が素敵です。
前のブログも見ましたが「船弁慶」のお能は素晴らしいですね。
今朝の新聞に「瑞龍寺の燭光能」と「高岡定例能」の記事が出ています。明日でも切り抜きますね。
今度,いつ会えるでしょうか。
昨夜はお電話をいただきながらこちらが長話になりすみませんでした。
定例能の記事もKI新聞には掲載されたのですね。上田先生がインタビューを受けておられたのですが、富山新聞にはなかったので…。また見せてください。
「船弁慶」は好きなお能です。前シテ(静御前)と後シテ(知盛)の演じ分け、弁慶と知盛の闘いが面白いです。それを連調連管で表現するので楽しみでした。が、この日は私らにとって初演、滅茶苦茶合わなかったです。
でも、20日はバッチリでした。もしいつかまた演奏することがあっても、きっともう大丈夫。
レパートリーが一つ増えました!