「公設市場」という言葉を新聞で見つけたのは久しぶりだ。
今日の中日夕刊、社会面の記事には、「公設市場とは、市民が日用品を安定した価格で購入できるように、自治体が設置した小売市場のことだ」とあった。記事の内容は、名古屋市内に残ってきた公設市場も寄る年波。最近では食料品店が相次いで閉店してしまい、老人たちの買い物難民が増えるのではないかというものである。
たしかに、我が町にも公設市場はあったが、時代とともに客嗜好や流通システムが変化した結果、街区の区画整理事業のタイミングであっという間に消えてしまった。もう30年ほど前になるだろうか。名古屋市内の住宅区域には必ずといっていいほど公設があり、こちらも行きずりの消費者として結構な頻度で使わせてもらったものだ。
名古屋市では米騒動への応急対策として大正7年(1918年)に設置がされたと記事にある。市は土地を貸すだけで、市場に入る民間企業には補助金などは出ない。現在の政令指定都市では名古屋市だけに残存しているのが珍しい。
100年の歴史のある流通サービスだが、この歴史的な「庶民のスーパー」の機能がいよいよ停るかもしれない。主テナントの生鮮食料品店が「不採算」や「経営者の高齢化」で閉店を余儀なくされているのがその予兆だ。
しわ寄せは、長年の食糧調達基地をなくした近隣の年寄たちに来る。一日たりと食べ物を切らすわけにはいかないのだから、彼らは必然的に最寄りのスーパーに出向くしかないのだが、頑健な者は別にして、往復を歩くには体の負担が多いとなげく老人たちも多いのであろう。息子や娘たちと同居するならまだしも、独居が多数派となれば、自分で車を運転して出かけるということは難しい。
スーパーまで歩くにしても、歩道のない生活道路は雨降りの時など走り抜ける車両を避けるのにせいいっぱい。神経をすり減らす。蓋のない側溝、道路の僅かな起伏も転倒のリスクだ。自動車優先都市名古屋の幅の広い道路はオタオタしていれば1信号で渡り切れない。真夏の炎天を歩いて毎日スーパー通いをせねばならないとは何の因果がと恨み節もでそうだ。
先月は港区で二軒、緑区で一軒が閉店して、食料品店があるのは市内全六市場のうちの二市場だけになった。名古屋市では後継店舗を募集中だというのだが、どうやら具体的な話はないようだ。特別な補助がないとなれば、一般客の入りにくい地元年寄専用の公設市場では、民間事業者が食指を動かすとも思えない。結局は、一つ減り二つ減りで、いつのまにか、誰もいなくなるということになるのではないか。
生活弱者の年寄たちが、自分の足で買い物にでかけられる、高齢化時代に対応した地域環境づくり。明日はいよいよ参院選挙だが、この中日記事に積極的に反応しそうな、愛知県の候補者はいったい誰なのだろうか。訊ねてみたい。
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