5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

かるた取り

2020-01-05 21:20:29 |  文化・芸術

「かるた取り」という正月の習わしはいまでも続いているのだろうか。

かるたといえば、子供用の「いろはがるた」もあったし、大人用の「小倉百人一首」もあった。昭和時代の我が家には他の家庭同様に「いろはがるた」も「小倉百人一首」も備えてあり、女系家族の我が家だから「百人一首」は女たちの正月用知的ゲームだったという記憶がある。

「ことばの歳時記」の正月の項には「百人一首」が出ている。

金田一先生は「百人一首をおばけの名前だと思った子供がいたそうだ」と面白い書き方をしている。胴体が百あって首が一つだけというのなら、まちがいなくおばけだ。八岐のおろちの逆ではないか。

「百人一首」とは藤原定家という大歌人が百人の歌人の和歌を一つづつ選んでまとめたものなわけだが、この言い方はやはりおかしいと金田一先生は指摘する。

「万世一系」とか「千載一遇」とかいう言い方とおなじ構成になるのだから、これらを手本に考えるとすれば、百人一首とは百人の歌人が一堂に集まり、「僧正遍照は上の句を考えろ、在原業平が下の句をつくる。文字は小野小町に書いてもらえ」といったふうにして一つの歌を作り出した、という意味になりそうだ。

もし「百人一首」という言い方が正しいのなら「百戦百勝」は「百戦一勝」というべきだろうし「百発百中」は「百発一中」ということになるというわけだ。もちろんこれは金田一先生のこじつけだろう。

百人一首、精確にいえば《小倉百人一首》は、70歳を超えて嵯峨の小倉山荘に隠棲した藤原定家が、同じ嵯峨に住む宇都宮頼綱の中院山荘の襖障子に貼る色紙形に染筆するために選んだ〈百人秀歌〉をもとにえらんだといわれる。

万葉時代から新古今時代までの五百数十年間、和歌の最もよき時代の歌人百人をえらび、いかにもその人らしい歌一句づつを並べた、きわめてコンパクトなアンソロジーだ。江戸時代以来、歌かるたになって全国に流布、庶民の教養の欠かせない中心となって今日に至っていると、中公新書〈百人一句〉で高橋睦郎が書いている。

「あまつ風 雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」遍照
「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」業平
「花のいろはうつりにけりな いたづらに わが身 世にふるながめせしまに」小町

中学生の頃にはしっかり覚えていた百句だが、今では上の句を云われても下の句はなんだったかと考え込むばかりである。

 

 


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