5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

メテオと星崎の名の由来

2008-11-25 22:38:20 | 自然

NBCのポッドキャスト、今日のニュースで面白かったのは、先週木曜(20日)の夜、カナダ・アルバータ州のエドモントン市(といっても800キロメートル周の広大なエリア)で目撃されたメテオ(隕石)のはなし。昨日、コペルニクスのことを書いたせいでもなかろうが。

帰ってからテレビの映像で確認する。警察車輌が偶然に記録した映像らしいが、落下する大きな火の玉がはっきりと写っている。キャスターのB.ウイリアムズの表現だと、大きさはトラクター・トレーラー大で、その明るさは電球にして億ワット級だというが、目撃したカナダ人たちに言わせれば、まんざら誇張でないのかも。落下地点の探索は週があけても続けられているようだ。

いつものウイキ知識で云うと、46億年前に太陽系ができた頃の物質をそのまま集めた「始原的な隕石」なら鉄やニッケルを含んだ巨大岩石が、太陽系の何処か遠くから飛来したということになる。

さらにウイキ情報で、おもわず「ああそうだったのか」と膝をたたいたのは、日本の隕石信仰の例として挙げられていたのが、昨日も万歩のルートで通過した名古屋市南区の「星崎」地区の名前の由来だ。

飛鳥時代、舒明天皇の御世にこの地に星が降って、それを祀るために7世紀半ばに創建されたと伝えられるのが、星崎の駅の西に建つ星の宮社で、祭神は天津甕星(あまつみかぼし)。

[いにしえの天津みか星この地の崎に影向す]という社伝があったり、8世紀や13世紀にも星が降ったという言い伝えもあったりで、このあたりが「星崎」という名前になったというわけである。おまけに、駅のすぐ横には石神社という祠もあるところからして、結構、隕石の降って来やすい場所なのかもしれない。

時は1000年流れて、江戸の初期のこと。

星崎の駅より少し南東、国道一号線を越えた先にある喚續神社の古文書によると、寛永9年(1632年)の8月に、このあたり、旧南野村に隕石が落ちたとあり、その隕石は長く社宝として奉られていたという。

1976年に国がこの1Kgほどの石を隕石と正式に認定して「南野隕石」と命名。日本で2番目に古い隕石として、現在は国立化学博物館が所蔵しているのだという。これで、さらに「星崎」の名前が正当化された訳だ。

笠寺観音から大江川緑地経由で大同町までぬける、南区指定の「歴史と緑のみち」沿いにある星の宮社や喚續神社。今までは通り抜けるだけだったのだが、こうした由緒を聞いたからには、次回から立ち止って拍手をうつことにしよう。

「おかしなことが次々起る今の世の中。カナダのメテオが悪いオーメンになりませんように」と。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿