5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

花茣蓙

2019-04-23 21:42:30 |  文化・芸術

「汝矣島の桜もいつしかその花を散らし、ほんの数日前まで足の踏み場もなかった輪中路は閑散としている。華やかさが消えた後はいかにも侘しい。美しい桜だが散るのが速すぎる。だから日本人はこの花を人生の歓びや無常のシンボルとして譬えるのだ」

お仲間韓国人Jさんの最近のブログの書き出しだ。最近起こった韓国二大航空会社の会長人事について書いたもの。一人はアメリカで客死し、もう一人は経営責任を取って辞任した。ことの是非は別にして二人の散り方を見て残念なことだと彼は言う。こういう書き方をするJさんも年を取ったということだろう。数年前なら汝矣島の夜桜は楽しかったと書いただろうが。

さて、そんな韓国の桜について、今日の夕刊「世界の街海外リポート」に、中日ソウル特派員氏は「花見にあうのは何色」という短文を載せている。

ソウル支局の特派員氏の新参後輩が「ソウルの夜桜がLEDで派手に彩色されていたのに驚いた」と言ったことについて、闇の中に浮かんだ淡いピンク色を愛でるのが夜桜の良さだと感じる日本人と、韓国人とはもともと色彩感覚に違いがあるのだと断定している。もっとも、ソウルの桜名所が全部がLED彩色というわけではないらしい。

韓国人も花見は大好きだから、シーズンになれば花見前線の行方が天気予報で知らされるし「花見に行ったか」というのがこの季節の挨拶にもなるという。ツイッターを読んでも、インスタグラムの流行もあってか、桜花のピンクをバックにして花見写真を撮るのが世界的なトレンドになっているのだ。

しかし桜花の下で酒食管弦の宴を張って騒ぐのはどうやら日本人たちだけ。酒好きの韓国人たちであっても花の下の狼藉は善しとしないようだ。散策をしながら写真を撮ったり語らったりといかにも健康的。そういえば、Jさんの過去ブログにも「汝矣島桜の下で酒盛り」という箇所は見当たらなかった。

ソウルのLED彩色夜桜について知り合いの韓国人に話した特派員氏、逆に「桜下の宴にどうしてブルーシートを拡げるのか」と訊ねられたという。派手な原色の青ビニールを敷いたのでは、せっかくの淡いピンクが死んでしまうぞというご指摘なわけだ。一本やられた彼は「業務用のブルーシートがデカくて安いからかな」というへたくそな答えを返したらしい。

彼は若いからご存知ないようだが、昔の花見の宴席には「花茣蓙」とか「花筵」とよぶ種々の色染をしたイグザで編んだござやむしろを敷いていたのである。畳の上敷きで代用することもあった。落語の「長屋の花見」にもでてくるが、なかなかに優雅である。それがブルーシートに駆逐されたのはいったいいつ頃のことなのか。

「花見にあうのは何色だろう」と特派員氏は考えたというが、元号が代わって令和の御代には、日本人はいったいどんな敷物の上で花見酒を飲む(飲まされる)ことになるのだろう。1960年代の日本経済について書いた笠信太郎の〈花見酒の経済〉という本のことを想い出している。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿