今日は24節気の「大暑」である。そういわれただけでも暑いが、名古屋地方の最高気温は36.9Cもあった。暑いわけだ。
大暑の句にはこんなものもある。
「芥川龍之介仏大暑かな」
これは久保田万太郎が昭和3年の7月24日に詠んだ句で、芥川龍之介が死んでからちょうど一年が経過したあとだった。センチメンタルな要素のまるでない句だが、これは久保田の計算で、生半可な表現をしても、感傷的で常識的な追悼句になってしまうだけだとよく知っていたからこうなったのだというのは「文人たちの句境」の関森勝夫。
突然自死をした龍之介の葬儀は「大暑」だったが、この「大暑かな」の詠嘆は炎暑の事実報告ではなく、猛暑が人々を打ちのめし、それが故人の大きさをひときわ実感させると云うのである。この暑さには龍之介の激しい思いが篭って、残った者を激励しているのだというのかもしれない。
「山茶花の莟こぼゆる寒さかな」
これは、生前の龍之介が、浅草から田端に移り住んだ久保田に贈った冬の句があり、久保田はこの「寒さ」に対する「暑さ」を詠うことで、返句をしたのだとも、関森は書いている。
明日は河童忌。龍之介の86回目の命日になる。
大暑の句にはこんなものもある。
「芥川龍之介仏大暑かな」
これは久保田万太郎が昭和3年の7月24日に詠んだ句で、芥川龍之介が死んでからちょうど一年が経過したあとだった。センチメンタルな要素のまるでない句だが、これは久保田の計算で、生半可な表現をしても、感傷的で常識的な追悼句になってしまうだけだとよく知っていたからこうなったのだというのは「文人たちの句境」の関森勝夫。
突然自死をした龍之介の葬儀は「大暑」だったが、この「大暑かな」の詠嘆は炎暑の事実報告ではなく、猛暑が人々を打ちのめし、それが故人の大きさをひときわ実感させると云うのである。この暑さには龍之介の激しい思いが篭って、残った者を激励しているのだというのかもしれない。
「山茶花の莟こぼゆる寒さかな」
これは、生前の龍之介が、浅草から田端に移り住んだ久保田に贈った冬の句があり、久保田はこの「寒さ」に対する「暑さ」を詠うことで、返句をしたのだとも、関森は書いている。
明日は河童忌。龍之介の86回目の命日になる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます