昨夜(9月21日)床に入って、睡眠薬代わりのラジオをオン。NHKのラジオ深夜便を聞くともなく聞いていてあれれと思った。
宇田川清江アナ(アンカーと言うのだろうか)のレポートする「日本列島くらしのたより」の部分で、彼女は「亡くなったモモイロペリカン・カッタ君のお別れ会が宇部市で開かれます」とアナウンスしたのだ。
ひっかかったままでは寝られない。起き上がって「亡くなる」を広辞苑を引いてみた。「人が死ぬことを婉曲にいう語」だとある。やっぱりだ。
お別れ会が開かれるほどに、その人懐こさで子どもたちの気持を引き、カッタ君という名前ももっている位だから、ニュースを書いた地方のプロデューサーは、ここで敢て「亡くなった」と使いたかったのかもしれないが、やはり、正しい日本語ではないのだ。動物の死は死である。
それに、標準日本語の熟達した使い手の筈のNHKシニアアナウンサーが、至極当然の言葉の約束に気づかず、きわめて自然に「ペリカンが亡くなった」と読んだことが、なんとも気に入らない。
WEBで調べると、同じNHKの「ことばおじさんの気になることば」でも、「ペットが亡くなる!?」というテーマで、これはペットに使うべき言葉ではないとしているのだから、NHK内部での日本語の乱れも相当なものなのではなかろうか。
今日の昼のTVは、東京池袋のサンシャイン水族館から逃げ出したアリクイのタエちゃんが見つかったというニュース。ここでは、アナウンサーが「タエ」と呼び捨てにする一方、インタビューに応じた若い飼育員はアリクイのことを「本人」と表現した。オヤオヤここでもか。
カッタ君とかタエちゃんとか、本人とか、亡くなったとか、してあげるとか。それに常套句の「カワイイ~」。
身近なペットや動物園の動物を、これほどまで擬人的に扱う国民性というのも、どこか気持がわるい。この「動物擬人化」は、本来が自分の友人や子供に向かうべきエネルギーが方向を変えて、ある種の代替行為として表現されているのかもしれない。こうなると国民のビョーキに近い。
福岡の小学生殺人の犯人は、本人の母親だったという。おかしな言い方になるが、ペットをカワイがるようにしか、生身の子供を扱えない母親だったとすると「死んだ」その子は「亡くなった」ペリカンよりずっとずっと惨めである。
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