23日は二十四候にいう「大暑」だった。
ことばの印象ほど暑くなかった所為か、気にも留めずに過ごしてしまった。今日は明るく晴れて、気温も上がり、青い空に白い積雲がたくさん浮かぶ夏日、梅雨明けを思わせる午後だった。それでも、気象台は依然として梅雨明け宣言をしていないが、南の台風6号が抜けていくのを待ちたいという所為だろう。
さて、大暑の日が命日なのが作家の芥川龍之介。昭和二年(1927年)七月二十四日。服毒による突然の死だったからか、文筆仲間たちによる追悼の歌が命日あたりになると繰り返し詠まれているのは、大暑という、それこそことばの印象もあってのことなのではないのだろうか。関森勝夫編の「文人たちの句境」にはそうした追悼歌が多く載せられている。
「芥川龍之介仏大暑かな」
いかにもそっけないこの句を遺したのは久保田万太郎。常識的な追悼句にしないように作者の周到な計算が働いた句だと関森は云う。万太郎らしい。
「年毎の二十四日の暑さかな」
この菊池寛の句は、炎暑と文豪の死とがシンクロして感じられると龍之介のことを偲んでいる。
「河童忌の夜風鳴りたる端居かな」
内田百閒はこう詠んだ。大暑の昼の熱も退いた縁側を吹き抜ける風の音に、龍之介の無念の声を聞いたような気がしたのかもしれない。
小島政二郎は、上の三句とは違って、彼自身の老いの速さと、龍之介が死んですでに十四年が経過したという時の流れの虚しさをあわせながらの感懐句だ。
「河童忌やわれ老いらくの歯のゆるみ」
まさに今、歯間ブラシをシーシーやりながら、このブログを書いている自分にもあてはまりそうで可笑しかった。
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