夕食に柏餅がひとつ出た。明日は子供の日だからという。爺でもこどもの日の余禄にあずかれるとは嬉しいと、食べてはみたが、味の感じがちょっと違うのはなぜだろうか。
柏葉の香りが餅に移ってというのではないようだ。餅自体に味を付けたようなおかしな感じがしたのは、こちらの舌の所為だろうか。もし合成フレーバーだったとしたら寂しかろう。
家の裏には4階建てのマンションが建っている。駅に近いせいか空室はないようだ。移り住む住民たちも若い家族が多く、当然子供も小さい。それでも時の流れに合わせて赤子は幼児になり、やがて小学校に入学していく。
五月になると我が家に向かったバルコニーから鯉のぼりが揚げられることで、その家族の様子が想像できる。幟のあがるバルコニーが時とともに移動していくのである。
もちろん土地付き一戸建てではないのだから、庭にポールを高く建てて大きな鯉たちを泳がすわけにはいかない。普段は布団乾燥用の手すりに短い支柱をくくりつける、ちょっと情けないスタイルだが、それでも風があれば、鯉はしっかりと泳いでくれるのだ。
子供たちの記憶には両親が揚げてくれた鯉のぼりは、いったいどんなイメージとして残るのだろうか。
「屋根より高・・くない、こいのぼり、室内用が出世」という見出しの朝日デジタルの記事がある。
タワーマンションの時代の風を受け止めて、屋外用に迫る勢いで室内用の鯉のぼりが売れているというのだ。小さいものだとポールが75センチ、真鯉の体長が20センチだというから、卓上飾りということだろう。
これで8万円近くするというから値段は一丁前ではないか。風を受けているように見せようとステンレスの棒で体を支えるというのだから、男の節句のシンボルとしてはちょっと情けない。
百貨店でも小型の鯉のぼりの絵付け実演があって人気だったと記事にはある。幟業者にも小型化は避けて通れないハードルということなのだろうか。
「屋根より低い鯉のぼり」という語で検索をかけてみると結構なヒット数がある。子供を持つ親たちはそれぞれに限られた条件で立派に鯉のぼりを上げてやろうと必死になっているのがよくわかる。
今日は雨だったが、明日5日は晴れの予報だ。裏のマンションのバルコニーで泳ぐ鯉たちの姿を楽しみにしていよう。
柏葉の香りが餅に移ってというのではないようだ。餅自体に味を付けたようなおかしな感じがしたのは、こちらの舌の所為だろうか。もし合成フレーバーだったとしたら寂しかろう。
家の裏には4階建てのマンションが建っている。駅に近いせいか空室はないようだ。移り住む住民たちも若い家族が多く、当然子供も小さい。それでも時の流れに合わせて赤子は幼児になり、やがて小学校に入学していく。
五月になると我が家に向かったバルコニーから鯉のぼりが揚げられることで、その家族の様子が想像できる。幟のあがるバルコニーが時とともに移動していくのである。
もちろん土地付き一戸建てではないのだから、庭にポールを高く建てて大きな鯉たちを泳がすわけにはいかない。普段は布団乾燥用の手すりに短い支柱をくくりつける、ちょっと情けないスタイルだが、それでも風があれば、鯉はしっかりと泳いでくれるのだ。
子供たちの記憶には両親が揚げてくれた鯉のぼりは、いったいどんなイメージとして残るのだろうか。
「屋根より高・・くない、こいのぼり、室内用が出世」という見出しの朝日デジタルの記事がある。
タワーマンションの時代の風を受け止めて、屋外用に迫る勢いで室内用の鯉のぼりが売れているというのだ。小さいものだとポールが75センチ、真鯉の体長が20センチだというから、卓上飾りということだろう。
これで8万円近くするというから値段は一丁前ではないか。風を受けているように見せようとステンレスの棒で体を支えるというのだから、男の節句のシンボルとしてはちょっと情けない。
百貨店でも小型の鯉のぼりの絵付け実演があって人気だったと記事にはある。幟業者にも小型化は避けて通れないハードルということなのだろうか。
「屋根より低い鯉のぼり」という語で検索をかけてみると結構なヒット数がある。子供を持つ親たちはそれぞれに限られた条件で立派に鯉のぼりを上げてやろうと必死になっているのがよくわかる。
今日は雨だったが、明日5日は晴れの予報だ。裏のマンションのバルコニーで泳ぐ鯉たちの姿を楽しみにしていよう。
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