愛知県内のコロナ感染では18人が確認されたと発表。名古屋市で8人、岡崎市で5人、その他市町村で5人(我が町の1人も加わる)。累計はこれで5569人となった。
机上の暦によると今日の日の入りは17時22分だった。「秋の日はつるべ落とし」とはよく言ったもので、気が付けば周りはすでに薄暗い。夕焼けに染まった西空の茜色だけが明るく太陽の在り処を示している。
金田一春彦先生の「ことばの歳時記」10月の項には「夕焼け小焼け」というものがある。
「夕焼けはいいとして小焼けってのはどういう意味だ」というのが先生が投げかける疑問点。やはり国語学者の視点だ。
今日のような曇り空に現れたちょっと小振りな夕焼けのことなのか。いや、そうではない。「小」という接頭語をこういう位置につかうことばは多い。「おお寒小寒」がいい例だと先生は言う。
先生が子供だった大正時代の東京本郷には「おしりの用心小用心」という子供の遊びがあったという。
着物の裾を股にはさんで前に持ち、相手の尻をめくろうと仕掛ける遊び。自分の尻がめくられたらもちろん負けだ。子供たちが裾のある着物を着ていた時代だからできた遊びだ。洋服世代の我々が「尻めくり」といえば、女の子の半スカートをめくる悪餓鬼の遊びだったが、今なら教師や親たちが問題視しそうだ。
こうした場合の「小」は、同じ形を重ねて調子のよさを楽しむときに使うもので、特に意味はなさそうだ。今では聞くこともないと思うが、先生が挙げる例は「高手小手に縛り上げる」という表現。
「高手」とは二の腕のこと、「小手」は手首のあたりのことだと辞書にはあるが、これは間違いで、「高手に縛る」は「高く手を縛る」ことで「小手」は意味のない「小」をそえて口調をよくしたものと考えるのがよかろう。後ろへ高々と手を縛りあげるという意味だろうと言う。
学研「四字熟語辞典」の「高手小手」の説明では、罪人が逃亡できないように両手を後ろに回し、首から肘、手首に縄をかけて縛り上げることとあって、後ろ手に縛り上げるという意味では先生の解釈と同じだ。だが「小」は口調をよくしたものという説明はない。
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