5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

秋はすぐそこ

2011-08-18 22:39:16 | 自然
深い霧が立ち込める「蒙霧升降」とは、今日から始まった立秋末候を言うことば。霧は大気温が何らかの理由で下がった時に発生するのだから、そろそろ北の冷たい空気が下がってくるこのタイミングを指したものなのだろう。週末の天気予報では暑さがすこし遠のくはずだという。

金田一春彦の「ことばの歳時記」。8月18日と19日は、それぞれ「朝顔」と「けさの秋」と題されている。

「朝がほや 一輪深き 淵の色」

金田一先生は、この蕪村の句を引用して、早朝の庭のひんやりとした空気の中に、朝顔が青く赤く、露を含んで咲いているのをみると、秋の訪れを感じるという。 朝顔ははかない命を象徴する花で、朝咲いて一日持たずに萎れる。

「あるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず」というのは、鴨長明の「方丈記」のなかの世の無常について書かれた冒頭の一文である。

万歩途中で路地にはいると、長屋の玄関口には蔓ものを這わせて「涼」を呼ぶ仕組みが見られる。朝顔が主流だった去年までと違って、今年はゴーヤの「グリーンカーテン」が多いようだ。生育が早く、世話が楽で、おまけに食べられるという特徴が、「省エネの夏」向きだというわけだろう。

「土近く 朝顔咲くや 今朝の秋」

これは、虚子の句だが、朝顔が涼風に揺れながら咲き、どこかから虫の声も聞こえるといった、早朝の感じを表す季語が「今朝の秋」だ。歳時記にはこの季語を使った句がたくさんみられる。

季節の変わり目にことさら意識の動く日本人、過ぎ去る季節と迎え入れる季節とのはざまで揺れるそこはかとない気分。四季の変化が目で追える風土に暮らすわれわれに、優れた歌や句が多いのは当然のことだと、金田一先生はおっしゃる。

秋はもうすぐそこにある。









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