5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

鼻の先だけ

2016-12-13 21:44:58 | ことば
今日はみぞれが降って寒い一日だった。鼻水がでそうになる。

帰りの電車の前の席に座った若い男がポケットから小箱を出し、そこから左手の上に振り出した黒い粉を片方の鼻の孔から啜りこんだ。怪しげな薬かと思ったが嗅ぎたばこだろう。若いものにはこういう古い煙草の飲み方が流行っているのだろうか。

鼻水や鼻孔ということから、芥川龍之介のこんな俳句を頭に浮かべた。

「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」

いろいろ考え込んでいると水洟がしきりに落ちる。知らぬ間に時が過ぎて外は暮色が迫っていて、部屋はすっかり暗くなっていた。窓明かりに顔を向けると、自分の鼻の先だけが暮れ残っている感じがしたというのだ。

「文人たちの句境」で関森勝夫がこう解釈をしている。部屋の暗さは人生上の解決されない様相と胸中の混沌を託したもので、いわば龍之介の自画像といってよいともある。

「自分の死後の姿をこう描いてみたのか、それとも単に自嘲しただけか」とは室生犀星の評だという。龍之介が自殺をする直前に託した色紙に書かれていた因縁のある句で、彼の辞世の句だと云われていたから犀星はこうコメントしたのかもしれない。

「鼻」は龍之介が夏目漱石に褒められて世に出た作品だから、死に臨んで意識したのが自分の鼻だったというのも見逃せない。龍之介が実際にこの句作をしたのは大正八~九年ころだったという。自死するのは昭和二年だから、10年の間、龍之介は自分の死のことを心の奥に置き続けていたのだろうか。

おもえば「ものすごい」句である。「自分の死面を描いたのだ」という犀星のひとことに頷いている。


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