5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

明治天皇の御製

2016-01-01 22:01:10 |  文化・芸術
昨日の大晦日の熱田神宮参拝に続いて、元日の今日は知立神社に初詣。去年と同じコースである。良く晴れた一日で家族連れの参詣人たちがやって来ている。限られた駐車場はどこもいっぱい。大きくもない境内の広場は人々でいっぱい。それでも、列をつくることなく拝殿で簡単に参拝を済ませられた。

社務所の前は人垣ができている。お札を受ける人はもちろんだが、多いのはおみくじを引く若いカップルたち。拝殿前ではおとなしいが、おみくじを読みながらキャッキャと賑やかである。

去年のブログにも、急に信心深くなった訳でもないだろうに元日から参拝人が多いと書いたが、今年は、やはりあたたかい天気に誘われてといったことだろう。それに景気が少し良くなっているということもあるかもしれない。

昨日の熱田神宮のように中国人観光客たちの姿はもちろんないが、居住しているブラジル人たちの姿は見られたようだ。異教徒の彼らにとっては、日本の土俗宗教の風習を見ることは異文化学習のチャンスになるはずだ。

おみくじも屋台も興味のないこちらは、混み合う表を避けて裏道を抜けようとカキツバタの畑のある庭に回った。とうぜん今は花の時期ではないから、見るべきものはないのだが、途中に歌碑があるのに気が付いた。

「かきつばた にほえる池は かけわたす 橋こそ花の たえまなりけり」

これは明治天皇の御製で、前書には「池杜若」とある。WIKIで調べると、明治31年(1898)陛下45歳の作。在位後30年以上が経過している。

乗馬と和歌を好んで文化的な素養にも富んでいたといわれる明治天皇。残すべき文化は残し、取り入れるべき文化は取り入れるという姿勢の開明派だった。御製は多く、その数なんと93000首を超えると言われる。

「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらん」

などという、軍国イメージの御製も多いが、このかきつばたの句は逆にいかにもやわらかだ。伊勢物語に採られている在原業平の有名な歌にちなんだ八橋がイメージされているのが素人にもすぐ分かる平明な御製である。

明治23年(1890)に陸海軍合同大演習が西三河で行われた折、明治天皇はこの地を訪れられた記録がある。業平ゆかりの無量寿寺も訪ねられ、かきつばたをご覧になっていたのかもしれない。

歌作の年、明治31年は日清戦争と日露戦争の間にあって一年で内閣が3度も入れ替わる慌ただしい政治の年だった。悩みを抱えながら、以前に訪れた三河路を想いながらの吟詠だったろうか。

歌会始は1月中旬の宮中行事。ももともと明治時代に始められたのだから、明治天皇もそれには深くかかわられたことだろう。若し天皇が存命だったとするなら、今年の勅題の「人」をどういった形で表されるのだろうか。今上天皇とお歌との違いがどれほどになるのか、考えてみるだけでも興味が湧いてくる。






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1 コメント

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今上天皇の御製 (ゆうぜん)
2016-01-15 09:20:17
今年の「歌会始」は1月14日だった。お題は「人」。天皇陛下の御製は≪戦ひに あまたの人の 失せしとふ 島緑にて 海に横たふ≫ 昨年四月に訪れたパラオ・ペリリュー島で眺められた海の情景である。
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