5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

熱田の大祓

2012-12-31 22:23:26 |  文化・芸術
今日は平成24年(2012年)、壬辰の年最後の一日である。さいわいに太平洋岸は陽光に恵まれた大晦日だった。神棚、仏壇を清めてから、万歩をかねて恒例「お礼参り」に熱田神宮に出かけた。

域内周辺の道路には初詣客めあての屋台がずらりと並んで、深夜からの売り込み準備に大童だった。そんな商売人の間を抜け、ショートカットで拝殿前を目指す。ご祈祷用の社殿「神楽殿」が真新しく改築されているのに気付いた。神宮のWEBページによると、すでに平成21年の創祀千九百年の記念事業で造営されたものらしい。

白布で仮設された初詣用の賽銭受けの一部が除けられてそこから拝殿前に出られるようになっている。賽銭を出し帽子を脱いで拝殿へ進み、二礼二拍手一礼で、一年の息災を感謝した。カメラを持った隣の若い女の子たちがびっくりした顔で、拍手を打つこちらを眺めている。中国人の観光客らしい。

「神楽殿」と同様にまあたらしい「社殿」も2年間の修造を終えて、創祀千九百年の新春を迎えるというわけだ。古い社殿も「神さびて」いて、それこそ神社らしいが、白木の色鮮やかな社殿もまたすがすがしい気分にしてくれる。

拝礼を終えて振り向くと右側の祈祷殿前に人だかりがしている。十数人の神官が数百人の祈祷客たちと対面して着座している。一番上手に座った乳白色の装束を付けているのが宮司だろう。祈祷客たちの前で禰宜が祝詞を読み上げているが、遠くて声は聞くことが出来ない。

やがて祝詞が終わると、全員がちいさな祓串をそれぞれに持って、神官の一人が持ちまわる三宝の上に置いていく。もうひとりの神官が白い布を手で細く引き裂き、集まった祓串の山にむかって、祓うしぐさを繰り返す。祓串は櫃に納められ神官が担いで退席してゆく。この間、神官は一言も発しないのは神式の約束だが、最後に祝詞を奏上した禰宜が「これで大祓の儀式を終わります」と宣言した。なるほどこれを「おおはらい」というのかと、その時初めて知った。

帰ってからWIKIを調べると、大祓は、6月と12月の晦日に行われる、知らず知らずふりかかった罪、穢れを祓い去る儀式であり、6月の大祓を夏越の祓、12月の大祓を年越の祓という。「夏越」は輪くぐり祭とも呼ばれると書かれている。

幣(ぬさ)は神官が「祓」に使う道具のひとつで、榊の枝か白木の棒の先に紙や麻をつけたものだが、白木でつくったものが祓串と呼ばれる。神官の白い布を裂く動作は、この「幣」をつくるという意味かもしれないし、参列者全員が持った祓串は悪霊などがとりつた依り代を表わしているのだろう。

参拝客たちもみな面白そうにこの儀式が進行するさまを眺めていたが、その中には外国人たちも多かったようだ。しかも中国人の団体がいる。尖閣の問題もあって中国人は少ないのかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。考えてみれば当然のことで、尖閣問題は政治問題。外国を旅したいひとびとの気持ちとはまるで係わりはないのだ。明るい顔と声で笑いながら異国の文化を楽しむ彼らにも幸せな2013年がくるようにと、途中の熱田末社のひとつで祈った。



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