![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/fa/b7e77fc1d8d5c2b8083f3456fdea205b.jpg)
① 2010.2.9 市の中心部の常磐公園。 北海道100年記念事業として本郷新、本田明二製作のブロンズ像『風雪の群像』。
3人の若い男性とアイヌの老人、若い女性の5人の群像。
1970年5月、作品構想が公開されるとアイヌ老人のフォルムを差別にあたるとする公開質問状が出され、論争が起こった。
1970年8月、作品は構想通りに製作され除幕された。
1972年10月、ある過激集団により作品が爆破されたが、この暴力行為は作品の是非を論議していた両者から非難された。
1977年、『風雪の群像』は復元され現在にいたる。
作者側のこの作品が復元されるまでの経過、論争内容など
☆ 爆破事件について(ウイキペディア記事)
追加 ☆ 抗議側の内容、経過など
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/d3/0e88508fba07623dbe4f1f1c5e3b7347.jpg)
② 2010.2.9 冬は雪に埋もれて短靴では近くに行くことができない。 左手の建物は道立旭川美術館。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/a0/df9b543ab7ca07b39bcf963501665d2a.jpg)
③ 2009.10.14 紅葉真っ盛りには、こんな景色だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/6f/e3b96685642beabc7067248c77a10768.jpg)
④ 2009.10.14 北海道100年記念事業『風雪の群像』全体像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/d0/ad259ac624bb963d8b3645d870174d68.jpg)
⑤ 台座についている『建立趣旨』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/c5/449b57aa9254d665624d886bdf23c7da.jpg)
⑥ 2010.10.14 作品の一部拡大。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/33/77c2d5a209e3762cf6ec1fe239aef074.jpg)
⑦ これも台座についている一節『風雪百年』
この写真を撮ったことで、私もあることを考えるきっかけになりました。
写真ブログとしてスタートして、できれば文章なしの写真だけでいきたいという思いだったのですが、そうはいかないな~・・、です。
そういえば、そんなご指摘がありましたね。
私は「是々非々」、まちがいの指摘はありがたいことです。
「栄」じゃなく「永」、確かに。
またもありがと~!
年とともにこれからますます多くなることでしょう・・。 頼りにしてます。(笑
この像の建立時に差別論争があったことに触れるのなら、ことの推移を知らなければ感情論に流れてしまうのではないかと思うからであり、私の記憶を再確認するためでもありました。
アイヌの老人像は試作段階のデッサンでは両膝をつき、次に片膝、そして腰掛けの姿勢と変化していきます。三好さんの公開質問よりも前に「群像を作る旭川市民の会」内部からも疑問の声が出たからです(1970年5月18日朝日新聞夕刊に詳しい経緯が載っています)。
同年5月27日北海道新聞夕刊に本郷、三好両氏の意見が載っていて、当時高校生だった私は「5人とも立っていたんじゃ変化に乏しくて像として様にならない」などと愚かしくも思ったものでした。「差別意識はない」と口では言っても「北海道旧土人保護法」がまだ生きていた時代(廃止されたのは1997年)、そんな法律の存在を許すこと自体が差別そのものでした。
「『アイヌを見たい』と言ってやってくる旅行者をわたしは本気で叱る。『アイヌ人に会いたい』と言い直させたいのである」と書いた三好文夫さん。立場の弱い人たちを思いやれる、心の優しい人だったのでしょうね。
立場により意見の違いはあるでしょうが、こんなにも考えさせられる像が身近にあるというのは(皮肉でなく)本当に素晴らしいと思います。
このブログでまりあさんの文章を見ていて「調べたり教えたりするお仕事をなさっているのか、そういう訓練を受けた人なのだろうな」と思っていました。そうであれば些細なミスでも、たとえ周囲が気付かなくても本人が納得しないのではないか、と勝手に決めつけて過去二回「市立大学じゃないよ」「雪像の雪の量が違うよ」と揚げ足取りみたいなコメントを書きましたが、気を悪くなさらないで下さいね。まりあさんだから指摘したのです。
で、「2446.残雪模様の地面」にもあり、ずっと気にもなってるのですが、緑橋通りの東にあるのは「栄」じゃなくて「永」隆橋通りなんですが…(えらく長文になったけれど、実はこれを言いたかっただけだったりして)。
当初札幌に建つ計画だったようですが・・。
道が建てたケプロンと黒田清隆の2つの功労者個人像が札幌だったので、これは旭川にとなったようです。
本郷新さんは札幌出身で、よく知られた作品が多数ありますね。
氷雪の門(稚内公園)、泉の像(札幌大通公園)、嵐の中の母子像(広島記念公園)、わだつみの声、などなどです。
風雪の群像は、はじめに建てられたものと同じに復元されたようです。
この論争や爆破事件を知って、この像を見ると、立場によって、あるいは立場を越えて、いろいろな思いがそれぞれあることでしょう・・。
風雪に打ち勝って生き抜く様子が見事に表現されていると思います
北海道らしさにあふれる力強い作品ですね
私は 実際に見たことはありませんが その存在は知っていました
『 東アジア武装戦線 』によって爆破されたことは知りませんでした(忘れてしまった?)
1972年というと私が札幌に居た時期です
記事投稿時にいろいろ検索したのですが、抗議側の主張がわかるものを見つけることができませんでした。
故郷を遠く離れて さんのご指摘をいただき、再度時間をかけてウエブ検索し、リンクをもう1か所追加しました。
ついでに判ったことがあります。
公開質問状を出した旭川在住作家の三好文夫さん(故人)は、いっしょに仕事をしたことがある知人です。
質問状の内容と本人は、私の中でもさもありなんとしっかり結びつく方です。
再度ありがとうございました。
この像の背後にあるものとしてもう1つリンクを追加しました。
お読みいただければとおもいます。
本郷新、淳さん親子はお2人とも亡くなってますね。
リンク先の記事ではそのことに触れていませんが、それに応えて切り株に腰を下ろす姿勢に変更したという経緯があったのです。作者としてはそれで十分配慮したということなのでしょうが抗議した側は納得しなかったと言うことです。
のか分かりませんが、躍動感があって素晴
らしいと思います。本郷新さんは俳優の
本郷淳さんのお父さんですよね。
③の紅葉の写真は、芝生の緑と様々な
色を見せる木々との色合いが実に素晴らしい
ですね。風雪の群像も存在感があります。
開道100年時、北海道主導でケプロン像と黒田清隆像が札幌大通公園に建立され、
民間人の力で名もない民間人の像が旭川常磐公園に設置されたものです。
切り株に腰を下ろしている老人がアイヌです。
再建後は穏やかに時が過ぎているようです。
衣服を着ている姿を想像するとして、どんな衣服がふさわしいのでしょう、イメージが広がりません・・。(笑
「風雪の群像」歴史の証人のお一人ですね。
私は当時旭川ではなかったので、新聞TVで見聞きしただけでした。
この群像のブロンズ像が大破したそうですから、それなりの大きな爆発だったのでしょう。
東光からも感じられたそうで・・。
私は最近になって「これがあれなのか・・。」とじっくり見入った次第。
今は公園の中の彫刻群のひとつとして目立たずにポツンと知る人ぞ知るという感じで存在してます。
ひげの濃い人物がアイヌでしょうか。彼の指先から見ると、他の人たちに案内をしているようですね。
裸じゃあ寒いですね。魂が燃えているのか。
実際に差別の歴史があったようですから~・・。
ブロンズ像 立派ですねー