1014. 旭川・史跡として 残し置かれしもの 2006-11-06 17:11:04 | Weblog ① 春光町住宅地、道沿いの朽ちかけた年代物のコンクリート塊は、何だ、こりゃ?! ② そばに、自然石に埋め込まれた由緒書きがあり。 ふむふむ・・・。 ③ 厳めしい門だった様が偲ばれるが、今、門内を覗くと高層住宅のベランダにこんな布団が広げられていて、往時の様を想像し重ね合わせながら、隔世感禁じえず。 ④ おや、錆びた鉄枠の門燈内に、秋だというのにタンポポが咲いて・・・。 #写真 « 1013. 旭川・道端の枯れ秋草 ... | トップ | 1015. 旭川・あの落葉松林 や... »
20 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (みかんアイス) 2006-11-06 18:46:22 まりあさん、お久しぶりです。すっかり寒くなりましたね。そちらは初雪は降りましたか?マンションのベランダからこの厳しい門が見えるのは住民としてはいかがなものなのでしょうね・・。ちょっとおどろおどろしい感じがしますね。 返信する かわいい! (花梨) 2006-11-06 19:11:34 ④の鉄枠とタンポポ。。。対比がグット、半分、影が、又いいデス! 返信する 不似合いな遺跡? (ryo) 2006-11-06 19:43:05 折角の高層住宅の、前にいかにも,不似合いな、コンクリートの残骸、遺跡を読むと旧陸軍の史跡保存会なんて、今でもあるのには、びっくり!旭川は旧陸軍、日本一の規模を誇る土地だったのですね。何故か、一輪だけ咲いている、タンポポがほっとさせてくれます☆ 返信する みかんアイス さんへ (まりあ) 2006-11-06 20:25:18 寒々しくなりましたね。旭川気象台発表の初雪は、ありました。11/1の4:40に、チラチラ初雪が舞ったそうです。暗くて写真も撮れなかったのでしょう。文字だけの新聞記事でしたよ。この遺跡、こんな形で残ってますが、ちょっと違和感のある残し方ではあります・・・。 返信する Unknown (Takuya) 2006-11-06 21:02:35 たんぽぽは大変な場所に咲いてしまいましたね。見ているほうはなんだか和やかな気分になりますが。(笑 返信する あぁ~ (fumi-basan) 2006-11-06 21:27:29 なんでこんな風に残してあるんでしょうね?なんかで読みましたが、昔の位のある身内たちが多く徴兵と言う形でいたような・・・。たんぽぽののびやかさがなぐさみですね。 返信する タンポポ (michioaruku) 2006-11-06 21:32:59 旧陸軍の司令部の門の朽ちかけた柱を住宅地を造る時にそのまま残して居るんですね。 ベランダに干されている布団との対比が面白いですね。この秋は暖かいので、まだあちこちでタンポポを見変えますが、旭川でもまだ咲いているんですね。それにしても良くこんな所でタンポポを見つけましたね。 返信する 北の守り (tetu) 2006-11-06 21:45:23 かなり陳腐な言葉ですが「つわもの共の夢の跡」的気分です。夢はどうだったか判りませんが、新兵さんが、また寝て泣いた事でしょう。 師団司令部があって、軍都だったとは初めて知りました。 いつも拝見している美しい景色が軍靴に踏まれていたんですね。 しかし、どんなことがあっても自然は裏切りませんね。毎年タンポポが咲くのでしょう。 普通の団地が何のこだわりもなく、平和な暮らしがここにあるのも、幸せなことです。 この次に危機が迫ると、何処に司令部が出来るのでしょうかねえ。 返信する 北海道にも。。 (くまたん) 2006-11-06 22:07:43 戦争の痕跡があるんですねぇ。。ここ千葉も海岸沿いは上陸に備えた跡があったりして。。ホントに日本は戦争を国全体でやってたんだなって思っちゃいます。。こんな田舎町ですら機銃掃射があったらしいし。。ちなみに母は集団疎開児でしたよ! 返信する こんな所にも (kitaguni) 2006-11-06 22:29:28 旧陸軍・・・例の八甲田雪中行軍の時代ですね・・・。日露戦争の装備とかの訓練だったようですが、旭川にも有ったんですね。北の要だったんでしょう・・・ほんとに「兵どもが夢のあと」ですね。出来たら公園にでもすれば良かったのにね・・・。朽ち果てるまでこのままなんでしょうかね。何か寂しくなるね。 返信する 花梨さんへ (まりあ) 2006-11-07 00:50:43 廃墟の花は、ちょっとドラマチックです。半分が陰になっているので、翌日撮り直しに出かけたら、もうシボミになっていましたよ~。(泣)でも、半分陰の方が、いい感じだったかも~? 返信する ryo さんへ (まりあ) 2006-11-07 00:57:58 ここにあったのだという場所の特定が、重要に考えられたのかもしれません。この由緒書きがついているだけで、夏は草むらの中に、冬は積雪の中にガラクタという感じで埋もれています。 写真撮ってる私が、怪訝視されましたヨ~。 返信する Takuya さんへ (まりあ) 2006-11-07 01:01:46 国破れて山河あり城春にして草木深しの雰囲気を見ましたヨ~。 返信する ふみさんへ (まりあ) 2006-11-07 01:11:12 元軍のいろんな施設で、まだ現役で使用されているものは多々ありますが、こんな史跡として残っているのは、これだけのようです。終戦以前は、練兵場と言われた広大な土地は、今はフェンスに囲まれて自衛隊第2管区になってます。 毎日ヘリコプターの発着音が、バタバタバタバタうるさいうるさい。 返信する michioaruku さんへ (まりあ) 2006-11-07 01:17:56 タンポポは、春に咲いたものの種が、ここに飛んできて今年2度目として、この秋に咲いたものなのでしょう。灰色の瓦礫の中に明るく咲くタンポポは、目につく光景ですから~! 返信する tetu さんへ (まりあ) 2006-11-07 01:33:13 旭橋、彫刻美術館(偕行社という将校クラブだった)、春光台配水場、兵舎、官舎、北鎮小学校、など、今も残り、使用されてます。春光台には、演習地としての壕跡なども見ることができます。駅前の、今は平和通り買物公園は、当時は師団通りという名前でした。決して戻ってはもらいたくない時代です・・・。 返信する くまたん へ (まりあ) 2006-11-07 01:51:20 師団があったので、全国から集積していたようです。春光町、春光台一帯は、兵舎、官舎、学校、病院、演習場など、軍の施設でビッシリでした。今、花咲町の国立道北病院になっているところは、当時は陸軍病院でした。私は、子どもの頃、払い下げられた陸軍病院の刻印のある国防色(と言った)の毛布でオーバーコートを作ってもらって、寒さを防いでいたそうです。 返信する kitaguni さんへ (まりあ) 2006-11-07 01:56:23 道端に置くだけでいい施設なので、こうして残し置くことになったのでしょうかね~。 他に土地確保とかがいらないから~。自然崩壊で、自然消滅するのでしょう・・・。 返信する 第七師団 (ブラック・ジュッキ) 2006-11-07 22:12:02 私の父も第七師団に徴兵されました。日露戦争の奉天の戦いから始まって、ノモンハン、ガダルカナル等と北辺の精強を誇る兵士は戦いを続けましたが、最後は沖縄で果てました。沖縄の地上戦に送られた日本軍兵士の60%は旭川第七師団から送られたものでした。私の父の同世代の人もここで多く落命しました。沖縄戦を経験した米軍の退役者にとっても沖縄の戦いは普通に言われているよりも苦しくトラウマだったもののようです。犠牲は双方に大きかったのです。思えば旧日本政府は精強な軍隊の使い方を知らなかったのだと思います。その第七師団の末裔が今ミシガンからここに書いているのも因果なものです。つわものの遺跡に敬礼! 返信する ブラック・ジュッキさんへ (まりあ) 2006-11-08 06:35:30 語れば長し・・・。今、沖縄にある「平和の礎(いしじ)」には、その方たちのお名前も刻まれていることでしょう。語り継ぎながら、歩みを進めなければ・・・。ミシガンのBJさんにエールをおくってますヨ。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
すっかり寒くなりましたね。
そちらは初雪は降りましたか?
マンションのベランダからこの厳しい門が見えるのは
住民としてはいかがなものなのでしょうね・・。
ちょっとおどろおどろしい感じがしますね。
半分、影が、又いいデス!
何故か、一輪だけ咲いている、タンポポがほっとさせてくれます☆
旭川気象台発表の初雪は、ありました。
11/1の4:40に、チラチラ初雪が舞ったそうです。
暗くて写真も撮れなかったのでしょう。文字だけの新聞記事でしたよ。
この遺跡、こんな形で残ってますが、ちょっと違和感のある残し方ではあります・・・。
見ているほうはなんだか和やかな気分になりますが。(笑
なんかで読みましたが、昔の位のある身内たちが多く徴兵と言う形でいたような・・・。
たんぽぽののびやかさがなぐさみですね。
ベランダに干されている布団との対比が面白いですね。
この秋は暖かいので、まだあちこちでタンポポを見変えますが、旭川でもまだ咲いているんですね。
それにしても良くこんな所でタンポポを見つけましたね。
師団司令部があって、軍都だったとは初めて知りました。
いつも拝見している美しい景色が軍靴に踏まれていたんですね。
しかし、どんなことがあっても自然は裏切りませんね。毎年タンポポが咲くのでしょう。
普通の団地が何のこだわりもなく、平和な暮らしがここにあるのも、幸せなことです。
この次に危機が迫ると、何処に司令部が出来るのでしょうかねえ。
ここ千葉も海岸沿いは上陸に備えた跡があったりして。。
ホントに日本は戦争を国全体でやってたんだなって思っちゃいます。。
こんな田舎町ですら機銃掃射があったらしいし。。
ちなみに母は集団疎開児でしたよ!
日露戦争の装備とかの訓練だったようですが、旭川にも有ったんですね。
北の要だったんでしょう・・・ほんとに「兵どもが夢のあと」ですね。
出来たら公園にでもすれば良かったのにね・・・。
朽ち果てるまでこのままなんでしょうかね。
何か寂しくなるね。