大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

浪華仮病院跡

2020年04月24日 | 史跡
買い物前に楠木大明神に出会った日の帰途、上本町4丁目バス停前の大福寺門前に浪華仮病院跡の石碑がありました。
境内に入ってみますと、立派な石碑の上部に「大坂の仮病院跡」の記載があり両脇に顔が刻んでありました。

浪華仮病院跡
大福寺(慶長年間(1596~1615)の創建)には、明治元年暮れから明治2年秋まで大坂の仮病院にあてられ、大阪大学の医学教育は始まった。

明治元年3月、ようやく平和を回復した大坂の街に、明治天皇は行幸された後恵まれない人のために病院を建てるべきとの御沙汰書を出された。
明治政府と大阪府は直ちに準備に取り掛かり、大福寺の建物を利用して診療を始め、緒方惟準(写真上右側)は恩師蘭方医ボードウイン(写真上左側)とともに診療と医学教育に専念した。

その後、現在の国立大阪医療センターの地に大坂医学校(明治2年11月開校)と病院ができたので、大福寺の役割は終わった。
この碑は、100年の歴史をかえりみて建てられた。

その時の明治天皇の行幸の聖躅(せいちょく)碑が、国立大阪医療センターの北東角に建てられています。
明治天皇聖躅碑・・・1920年代後半に大阪市青年聯合団が建立。大阪市内には、約30か所あります。
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