島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

121-2孝明天皇女御九条夙子

2023-06-17 | 天皇陵巡り

 何かの間違いか、閉店セールや廃線になる列車が賑わうのと同じなのか、この天皇陵巡りも最終回に近づいた今、天皇陵巡りでは初めての、1日のアクセス100越えになりました。ありがとうございます!!!  と思ってたら今日はいつもの数字に戻ってましたが、

 九条尚忠(ヒサタダ)の長女九条夙子(クジョウアサコ)(1834~1897)は、12歳で統仁親王(オサヒト)の妃となり、統仁親王が第121代孝明天皇(1831~1866)(在位1846~1866)となったので、入内して女御宣下されました。

  孝明天皇陵の後月輪東山陵と同じところにある後月輪東北陵(ノチノツキノワノトウホクノミササギ)です

 1850年に第1皇女を1858年に第2皇女を夙子は産みましたが、いずれの皇女も夭折してます。

それで、1860年典司中山慶子(ヨシコ)(1836~1907)が産んだ孝明天皇の第2皇子祐宮陸仁親王(サチノミヤムツヒト)を実子としました。

  一部木の塀と門に囲まれています

 夫孝明天皇が急死し、この陸仁親王が第122代明治天皇(1852~1912)(在位1867~1912)として即位したので、夙子は皇太后に成り、64歳で亡くなると英照皇太后の追号もうけて、後月輪東北陵(東山区今熊野泉山町)に葬られました。

  残りあと3代になりましたよ!

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121-1l孝明天皇

2023-06-14 | 天皇陵巡り

 第120代仁孝天皇(1800~1846)(在位1817~1846)の第4皇子である幼名煕宮(ヒロノミヤ)、母は正親町実光(サネミツ)の娘雅子(ナオコ)(1803~1856)ですが、仁孝天皇の正妃である鷹司祺子(ヤスコ)(1811~1847)の養子となり儲君治定、親王宣下もうけて統仁親王(オサヒトシンノウ)として立太子しました。

  写真は、泉涌寺北にある後月輪東山陵(ノチノツキノワノヒガシヤマノミササギ)への参道の石柱です

 父仁孝天皇の崩御にともない即位した統仁親王は、第121代孝明天皇(コウメイ)(1831~1866)(在位1846~1866)と成りましたが、その治世の20年間はまさに幕末動乱期にあたりました。

  参道左に第86代後堀河天皇の観音寺陵を見ながら、写真の参道を進みます

  すなわち 

 1853年;ペリー浦賀来航

 1854年;日米和親条約

 1860年;桜田門外の変

 1862年;14代徳川将軍家茂に孝明天皇異母妹和宮の降嫁

 1863年:8月18日の政変で七卿の都落ち

 1864年;第1次長州征伐

 1866年;薩長連合

と、その間孝明天皇は一貫して佐幕攘夷でした。

  陵前は広く、ここまで車で入れるのは、皇族の方々が良く参拝に来られるからかもしれません

 孝明天皇の女御としては、九条夙子(アサコ)(1834~1897)がいましたが、産んだ2皇女はいずれも夭折、典司中山慶子(ヨシコ)(1836~1907)の産んだ第2皇子祐宮(サチノミヤ)(後の明治天皇)を実子としています。

  この陵は一部塀と門に囲まれていました

 孝明天皇は幕府の開国方針には反対(攘夷)でしたが、徳川幕府そのものは否定せず(佐幕)、公武合体して鎖国の方針を取り戻すのが基本方針でした。

また仁孝天皇の遺志を継いで、学習所を設立したり、歴代天皇陵修復事業なども進めました。

 この神州日本を信じ、佐幕攘夷思想でがんじがらめになった天皇ですが、結局36歳で痘瘡で突然亡くなりました。

あまりに突然だったため、岩倉具視などによる毒殺説が根強く残っています。

沢山の江戸時代の天皇が眠る月輪陵とは離れて、少し山際の後月輪東山陵(東山区今熊野泉山町)に葬られています。

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60.待酔

2023-06-10 | 菓子たくさん

 父の日のお祝いに、息子夫婦から貰った酒まんじゅう、さすがに長い付き合いの息子なので、父の好みは知っています。

 小さいですが綺麗でしっかりした箱を開けると、綺麗な紙に包まれた4個の饅頭。

 「待酔(マツヨイ)」

創業1677年の酒家山本本家と創業1689年の聖護院八ッ橋総本家のコラボ商品の酒まんじゅうです。

 息子夫婦からのプレゼントなので、価格ははっきりは言いませんが、1箱4個入りで1000円以上はします。

小さい真っ白な綺麗な饅頭ですが、箱代やデザイン料も含んでいるのでしょうね。

 一口食べると、フルーティーな日本酒の香りが口中に拡がりましたが、二口で終わりました。

 前回で紹介した福井県三国の酒まんじゅうと並べてみると、その大きさは四分の一とは言いませんが三分の一以下の「待酔」は、1個の価格は倍です。

 どっちが良いとは言いませんが、まあ良い意味でも悪い意味でも京都らしいお饅頭です。

 でもでも、息子夫婦の父の日のお祝いですので、父の日を待たずに美味しく完食いたしました。

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59.酒まんじゅう

2023-06-07 | 菓子たくさん

 以前紹介した三国祭、三国駅に着いたときに配っていたのが、三国名物 酒まんじゅう です。

 早速食べて美味しかったので、祭り見物中に見つけた「にしさか」で、売るほど買ってしまいました。

 1個160円です。

 さすがの私も30個をいっぺんには食べきれず、また1泊して帰った時にはもう少し硬くなってた 酒まんじゅう ですので、冷凍にしてちょびちょび食べています。

 焼き印の「長」は大正10年(1915年)創業の「にしさか」の創業者が西坂長次郎だからです。

 固くなったら天ぷらにしたら美味しいと書いてありましたが、家内はフライパンに油を敷いて焼いてくれました。

焼き印がカリカリと香ばしくなって、なかなか美味しいですよ。

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三方五湖

2023-06-04 | 

 福井県の三方五湖(ミカタゴコ)、2ヵ月ほど前に湖畔の 年縞ねんこう博物館 に行って感激したのですが、雨台風の跡ですが北の方は天気になりそうなので行ってみました。

 昔々レインボーラインがまだ有料道路だった頃にも行ってますが、今は通行料は無料ですが、山頂公園は1000円(リフト・ケーブル乗車料込み)です。

 山上公園は三方富士と言われてる梅丈岳(バイジョウダケ)(401ⅿ)に有り、海抜0ⅿから車で登ってきて、45度ぐらいの急斜面をリフトか小さなケーブルカーで登った所ですので、かなり高く感じますが、全く歩くことなく天上テラスに到着です。

 土曜日ですので、昨日は大雨だった割には人はいましたが、砂時計で10分間だけ占拠できるソファーにも、待たずに寝そべることが出来ました。

 家内に、顔が見えないように三方五湖も入った掲載用の写真を撮ってもらいましたが、この方向、頭が薄くなってるのが気になります。

 バラ園も有って、ツツジも満開です。

背景は日本海の若狭湾です。

 三方五湖全景:

左隅が日向湖(ヒルガコ)で塩水湖

左上が久々子湖(クグシコ)で汽水湖

右の大きいのが奇跡の湖水月湖(スイゲツコ)で汽水湖

水月湖の奥に湾状に見えるのが菅湖(スガコ)で汽水湖

右上隅にちょっとだけ見えるのが最大の三方湖で淡水湖

右下隅は家内の帽子です。

 地図で見る限り日向湖は別物で、湖ではなく単に「入り口の狭い湾でしょう」と言いたくなりますし、菅湖は水月湖の一部の様で、三方五湖ではなく三方三湖でしょ、と茶々を入れたくなりました。

 奇跡の湖の水月湖の向こうの三方湖の左湖畔に 年縞博物館の長細い建物が何とか見えます。

水月湖の奇跡;直接流入する河川がない・湖底に生物が住めない(酸素がないため)・少しずつ沈降してる。

 この為7万年分の年縞が綺麗に採れました。(2ヵ月前のブログ参照してください)

 2か月前の感激した年縞を思い出しながら、2ヵ月前に食べた店の味にも想いをはせて、同じ店に寄りました。

甘海老は甘いからその名が付いたのを実感する甘さの刺身盛り合わせ、前の魚も美味しいです。

 そしてここの鰻は少し甘めのたれが私好みで、美味しいですし、今時うな重上は5000円以上はする所が多いのに、3000円台で食べられますよ。

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