今後紹介予定の第34代舒明天皇(ジョメイ)の押坂内陵(オサカノウチノミササギ)は、奈良県桜井市の南、忍阪街道(オツサカカイドウ)沿いにあります。
この辺りは、近江の豪族で天皇家とも深くつながっている息長氏(オキナガウジ)の大和での拠点だったと考えられています。
この陵の手前より、右の方に続く道がありましたので、これを進みます。
ここは万葉の香り溢れる場所で、万葉ファンのレジェント犬養孝(イヌガイタカシ)さんの歌碑があったりしますが、私にとっては単なる畑のある山道でした。
鏡女王墓を通って山道を登っていくとすぐに、植林された木々の間から鳥居が見えてきました。
欽明天皇皇女大伴皇女(オオトモノヒメミコ)の押坂内墓(オサカノウチノハカ)です。
誰もいない里山の中にあるという感じで、「三方山囲み」の南面する地形に造られた終末期古墳の可能性があるという円墳です。
大伴皇女は特に何をしたと言う人でもなく、誰を産んだとも知れない、欽明天皇の最大28人もいた子供の中の一人にすぎません。
何故欽明天皇陵内のこの地に、立派に残された墓があるのか判りませんでした。
28人の子供のうちの13人を、大伴皇女の母親で蘇我稲目の娘である堅塩媛が産みましたので、名前が皆判ってるので列挙すると。
長男;第31代用明天皇(ヨウメイ)で聖徳太子の父親です。
長女;磐隈皇女(イワクマノヒメミコ)、伊勢神宮に仕えましたが、異母兄の茨城皇子(ウマラキノミコ)に犯されて解任されています。
二男;臘嘴皇子(アトリノミコ)
二女;第33代推古天皇(スイコ)で異母兄の第30代敏達天皇(ビタツ)の皇后でもあります。
三男;椀子皇子(マロコノミコ)
三女;大宅皇女(オオヤケノヒメミコ)
四男;石上部皇子(イソノカミベノミコ)
五男;山背皇子(ヤマシロノミコ)
四女;この大伴皇女になります。
六男;桜井皇子(サクライオウジ)、娘が吉備姫王(キビヒメノオウキミ)で姫の孫の第38代天智天皇に繋がって、かろうじて女系ですが蘇我の血が、今の天皇家に流れています。
五女;肩野皇女(カタノノヒメミコ)
七男;橘本稚皇子(タチバナノモトノワカミコ)
六女;舎人皇女(トネリノヒメミコ)
以上七男六女の13人を11歳から40歳以上にかけて産み、その間夫の愛を繋ぎとめていた母親の堅塩媛の方が大伴皇女より偉いでしょうね。
この第28代欽明天皇皇后堅塩媛は、蘇我家繁栄の絶頂期に死んで、夫の欽明天皇の墓に追葬されているようですが、蘇我家を歴史から消したかった勢力があったのかどうか、欽明天皇陵の制札にその名はありません。
大伴皇女の墓の前に立って周囲を見渡しました。
犬養孝さんはこの高見に立って、「こんにちの大和では珍しく、ただ一軒の家もなしに、・・・・」と書いていますが、そのこんにちからだいぶ経つ今日は、ゴミ焼却所らしき煙突が見えていました。
返事
花水木さん:天邪鬼な私は、短いと言われたら、
長い名前だけを列挙する文にしてしまいました。ごめんなさい。
五島のTVを観ると、いつも涙も出ますが、
「ちょっと違うぞ」と思う時も有ります。