島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

44-3吉備内親王

2019-02-03 | 天皇陵巡り
    
 吉備内親王(キビナイシンノウ)(686?~729)は草壁皇子と第43代元明天皇との間に産まれた次女で、第44代元正天皇と第42代文武天皇は同母兄姉ですので、かなり高貴な生まれです。
 前回の44-2長屋王に嫁ぎ、3人の息子を産んでいます。
 夫の長屋王墓から歩いてすぐの民家の間の石段を登ります。
     
 夫の長屋王も、第40代天武天皇の長男高市皇子を父に、母も第38代天智天皇の皇女御名部皇女ですので、吉備内親王の3人の息子は当然皇孫待遇となり、天皇になる資格を充分持っていることになります。
     
 その頃の天皇第45代聖武天皇は、母は藤原不比等の娘宮子、妃も不比等の娘光明子で、女系に民間人が入りすぎてる観がありました。
そして、藤原一族の期待を一身に集めて産まれた息子基王(モトイオウ)は1歳にならずに死んでしまいます。
 不比等の死後も政治の実権を握ろうとした藤原四兄弟の多分陰謀だと思いますが、偽りの密告の下、聖武天皇(甥)・太上天皇としての元正天皇(姉)・舎人親王(同じ皇族)がいたのにもかかわらず、長屋王の変(729年2月)として、夫や息子3人と共に吉備内親王は自殺しました。
      
 変の翌日には、吉備内親王は無罪宣告を受け、長屋王と不比等の娘との間の子は難にあわずに行き残っています。
半年後、光明子が皇族以外で初めて皇后になったことからも、長屋王の変は藤原氏の陰謀説がかなり有力です。
これでは長屋王は祟るでしょうね。
    
 拝所から振り返って平群を見下ろします。
 高貴で有能な夫と大邸宅、3人の子にも恵まれた吉備内親王の死を、実姉の太上天皇の元正天皇は止められなかったのでしょうか。
一説には、同じ姉妹でも向こうは幸福、私は一生独身で中継ぎ天皇なんていう役をやらされてるという思いが、この悲劇に一役買ったという話もあります。

     返事
花水木さん:長屋ですか!思っても見なかった発想ですね。
    その辺の花水木さんの視点が好きです。
     ララメ[トはスーパーではなくアウトレットですよね。

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2 コメント

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Unknown (ヌカタさんと呼んでほしかった、追っかけ)
2019-02-05 19:42:57
歴史は、大の苦手ですけども、この辺に、額田王って出て来ませんでしたっけ?わたくし、その名前をモジったペンネームで小説教室に通っていた昔がありまして、先生から、ヌカダはん、と呼ばれておりました。いやいやいや、ヌカタさんなのに。。。名前はもちろんオキミ。
どんだけ名前があるねん!いう話ですけども。。。
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Unknown (花水木)
2019-02-04 09:16:48
ララメ[トって、行った事はないですが、沼津はいろいろな複合施設になるらしいです。
地元の水産会社もでるそうですが、家賃や敷金が高く、更に売り上げからも取るとかで、出店者が少ないと聞いてます。前は老人施設と幼稚園だけしかなかった周辺に、ニトリ、幸楽苑、スーパー、家具店、セブンに牛丼、回転寿司、とんかつやと次々に出店してます。

いつの世も、私利私欲に走る様は見苦しいですね。
姉妹は、良い時は良いけど、嫉妬はあるかも。
知人の姉妹でも、嫉妬絡みの話を聞きました。
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