島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

76-1近衛天皇

2021-01-09 | 天皇陵巡り
 
 鳥羽上皇(1103~1156)第8(9)皇子の体仁親王(ナリヒトシンノウ)は、鳥羽が寵愛した得子(トクシ)(美福門院)(1117~1160)を母として産まれました。
すぐに異母兄第65代崇徳天皇(1119~1164)の皇太子に立ち、父鳥羽上皇は実の子ではないかもしれない第1皇子の兄崇徳を強引に皇位から引きずり落とし、体仁親王がわずか3歳にして即位、第76代近衛天皇(コノエ)(1139~1155)(在位1141~1155)になりました。
 
 12歳で藤原頼長(ヨリナガ)の養女多子(タシ)17歳が、同じく藤原忠通(タダミチ)の養女呈子(テイシ)20歳が入内し、それぞれが女御→中宮にも成り、競い合ったのが保元の乱の一因にもなっていますが、子はどちらにも出来ていません。
 
 近衛天皇は在位の間も父鳥羽上皇の院政下に置かれ、眼病の為にわずか17歳で崩御しました。
 父鳥羽が母得子の為に建てた安楽壽院内の三重塔に、得子は入るのを拒み高野山に葬られたので、替わって1163年に近衛天皇の遺骨はここ安楽壽院南陵(アンラクジュインノミナミノミササギ)(伏見区駐c内畑町)に納められています。
故に近衛天皇陵は、歴代天皇陵では唯一の多宝塔形式です。
 
 近衛天皇火葬塚は、天皇陵よりははるか北の、北区紫野花ノ坊町の細い路地の奥にありました。
 
 金閣寺にも近いこの辺りは、この頃の皇族の火葬塚も多い所です。
近衛天皇火葬塚は、可愛いですがこんな立派な堀もある塚でした。
 
 火葬塚の目と鼻の先に京都ライトハウスが建っています。
我田引水ですがお許しください。
この京都ライトハウスを創立し、初代の館長だった盲人の父と言われてる鳥居篤治郎は、私のなじみ深かった伯父になります。
「盲人は不自由なれど不幸にあらず」と言ってた言葉通り、私の親類では一番心が綺麗な偉人ですが、子供心にも全く盲人感も無く普通の人でした。
その影響か、大学時代私も少しエスペラント語も習いに行きましたが、しょせんは凡人の私、今は全く忘れています。

       返事
花水木さん:確かに、耳が悪くなったのか、
    脳が悪くなったのか、分からないぐらい、
    聞き取り力落ちましたね。
     尿意は老々男女同じで頻回ですが、
    男はくしゃみで漏れる心配はあまりありません。
    その替わり排尿の後に、よく振っておかないと、
    ちょろっと内腿を尿が伝うことはあります。

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1 コメント

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Unknown (花水木)
2021-01-09 20:09:07
「盲人は不自由なれど不幸にあらず」
その通りですね。
目の不自由な方は他が研ぎ澄まされ、感が鋭いです。
立派な自慢の伯父さんですね。

歴代の天皇や縁者の年表みると、短命ですよね。
今は100歳が8万人超え。
明日、姑が満100歳を迎えます。

大正と昭和一桁が長生きですね。
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