島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

大原街道2.

2024-04-19 | 京都へ、京都から

  パソコン画面から写し取った出町の地図ですが、寺町今出川角の大原口道標から少し西、青〇印の細く狭く車も人もあまり通らない道にあるマンホールの蓋から、出町散策を始めます。

  (年 五 正 大)と(水 下)と右から書いてあるマンホールの蓋です。

京都最古のマンホールの蓋のようですが、あまり車や人に踏まれない道にあった為か、100年以上経ってるのに表面があまり摩耗せず生きています。

調べてみると、明治27年(1894年)に始まった京都の下水道事業計画も、実際始まったのは昭和9年(1934年)からのようですので、マンホールが大正5年(1946年)には無かった気がするのですが。

誰かがシャレでこんな蓋を作って埋め込んだにしては、手が込み過ぎてる感は有りますが、100年以上この場所にあったのかは、やや疑問でも有ります。

 最近明治生まれの最後の日本人男性が亡くなったそうで、明治は本当に遠くなりましたが、あと15年経ったら大正も遠くになりにけりになりそうですね。

 私の目標は、明治・大正生まれの人が全員亡くなってから死ぬことですが、明治はクリア(男性だけですが)しましたので、あと15年で大正もクリア・・・、はちょっと無理な気がしてます。

 写真は大正15年のマンホールの蓋の少し南、青✖にある看板です。

西郷隆盛は絶対にこのマンホールの蓋を踏んでいませんが、湯川秀樹(その頃は小川秀樹)(1907~1981)も2歳の頃の住んでいただけなので、この蓋を踏んでないようですね。

 看板の下にあった石柱、この少し北側に相国寺七重塔跡があるようですが、上・下塔之段町と町名が残るだけで、何の痕跡も有りません。

 リーフレット京都No336から無断借用した大塔比較図です。

一番左が今回の相国寺七重塔、次が今の京都市動物園にあっただろう法勝寺八角九重塔、真ん中は今もある中で一番高い東寺五重塔です。

 1400年頃の4年間だけ、ここに高さ36尺(約109ⅿ)の日本建築史上最も高い建物があったのなら、出町もすごい場所ですね!(東寺五重塔は56ⅿです)


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6 コメント

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Unknown (Toitenlabee)
2024-04-19 16:44:03
マンホールのフタといえば、こった絵柄というか、ご当地の絵柄?があって、水道局かどこかでそのカードが貰えるかなんかて、集めているオタクもいるとか…。そのマンホールのフタ、かなり珍しいですよね。
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Toitenlaさん (島の医者になって)
2024-04-19 17:01:35
 マンホールカードと言う領域まであるようで、高値で取引されてるようですが、この古いマンホールの写真では値打ち有りませんね、カードも有るのでしょうかね。
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とんでも無い高さですが (Unknown)
2024-04-21 09:00:50
たった4年間とか勿体無い。
戦乱で焼け落ちたのでしょうか?
マンホールの蓋は結構楽しめますよ。
広島はカープ坊やのがありました。
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UNKNOWNさんへ (島の医者になって)
2024-04-21 10:39:33
 単なる火災のようですが、日本の木造大建築は落雷にも弱かったようです。
 マンホールの蓋も色々あって面白そうです。
カープ坊や?もしかして淡路島でマジックさんですか?
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Unknown (花水木)
2024-04-21 12:26:00
明治生まれか、みなさんあちらへ。
大正は、なかなか、遠くならないかも。

家のお姑様、大正10年1月10日生まれの満103才で、担当して下さるお医者様は、大概カルテを二度見します。

日本に、106㍍の塔は、どのような施工だったのでしょうね。
先日の新プロジェクトXで、スカイツリー放送していましたが、想像を絶する至難の連続でした。
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花水木さんへ (島の医者になって)
2024-04-21 12:43:07
 明治生まれの女性はまだ残ってるようですよ。
私の部品はそろそろ賞味期限を越えてきました。
 法勝寺八角九重塔は立てられそうな形ですが、相国寺七重塔は立った途端壊れそうな形ですよね。
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