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綏靖天皇の一人息子師木津日子玉手見命(シキツヒコタマデミノミコト)は、父の綏靖天皇の崩御に伴い、片塩浮穴宮(カタシオノウキアナノミヤ)で即位し、第3代安寧(アンネイ)天皇となりました。
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母の兄の娘アクトヒメを妻に迎えましたから、従姉同士の結婚ですし、3人の子ももうけています。
古事記には49歳で亡くなり、畝傍山の陰処にあたる場所に陵があると記されています。
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初代神武・2代綏靖陵を巡ってから、畝傍山に沿って左回りにぐるっと、やや迷いながら自転車を走らせ、この地元の薬屋さんの看板の向こうの道沿いに見つけました。
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近鉄電車に積んで輪行で持ってきた自転車と共に写った、安寧天皇の
畝傍山西南御陰井上陵(ウネビヤマヒツジサルノミホトノイノエノミササギ)です。
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陵の看板、内容は皆どこも同じですが、書体はそれぞれ違います。
ここの字は、微妙の部類に入る字体でした。
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奈良のこの辺りの道端にはこんな案内道標がありまして、安寧天皇陵の目の前にもありました。
次はこの道標に従って第4代天皇陵を目指しますが、下調べではこの近くに安寧神社があるはずなんですが、近所の人3人に尋ねても行きつけませんでした。
返事
花水木さん:結局この話も、後妻の子供が先妻の子である、
異母兄を殺して皇位についたという、今の北朝鮮の様な話を堂々と正史に書いている。
あの頃の感覚は今とは違うようですね。
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