古事記の反正天皇の欄は、わずかに一頁ぐらいです。
でも、履中天皇欄で紹介したように、仁徳天皇と磐之媛命との間に産まれた4人の息子の三男として、長男のイザホワケノミコトを助けて次男のスミノエノナカツミコを謀殺し、長男を第17代履中天皇にさせた立役者なので、長男履中の信頼を得て皇太子となり、やがては第18代反正天皇(ハンゼイ)となりました。
幼名蝮之水歯別命(タジヒノミズハワケノミコト)である反正天皇は、兄弟で天皇になった(しかも同母兄弟です)最初の天皇です。
身長は9尺2寸半(約2.8ⅿ)(3.04ⅿと書いてあるのも有り)もある大男で、容姿美麗で今で言うイケメンだったようです。
日本書紀では、何故か淡路島で産まれたと書いてあります。(母の磐之媛命も淡路島に行っていたことになりますね)
多治比(タジヒ)の柴垣宮(シバガキノミヤ)(大阪府羽曳野市)で即位し、ツノヒメ・オトヒメの姉妹を妻とし、3人の皇女と1人の皇子をもうけましたが、60歳で崩御し、子供が継ぐことはなくて弟の4男允恭が第19代天皇になりました。
陵は父仁徳天皇の大きな陵の北にあって、比較的小さめの百舌鳥耳原北陵(モズノミミハラノキタノミササギ)で、正式には田出井山古墳(タデイヤマコフン)で、墳丘は148ⅿ、かっては二重の濠があったようです。
久しぶりに南海電車に乗って、南海高野線の堺東駅で降り、住宅地の中を歩いて行くとすぐに見つかりましたが、写真の如く、完全に周囲を比較的高級そうな住宅で囲まれていました。
返事
大雪男さん:ペナントレース終盤で、しかも消化試合でない時に、
阪神が巨人を潰したなんて、珍しいのでうれしい限りですし、ホットもしてます。
花水木さん:この辺からますます婚姻関係がややこしくなって、
系図表にしたいのですが、ブログで系図の作り方を知りません。
余計分かりにくい文になりますが、自分で系図表を作ると分かりやすいですよ。
先日、私の友人がご実家のお墓を移転しました。
長野の由緒あるお墓から横浜の新興のお寺へ。
敷地も狭く、墓石も小さくてお値段だけは目が出る程。
兄夫婦の諸般の事情ですが、友人がなんだか寂しいと言ってました。狭い日本、団塊の世代が高齢化に向かい、介護施設とかお墓の事情とか、問題が山積み。
我が家も子供のいない叔父のお墓も預かっていますが、そんな事まで子供に負担を鰍ッたくないので、他人事ではありません。
系図・・・自分の家系すらよく解らないので、先ずは自分の周辺から?