ハノイから30分ほどのバッチャン村は、ベトナムを代表する陶器造りの里です。
「バッチャン焼きは2回焼いてるから丈夫です」と、私の目の前の陶器茶碗を2個強くぶっつけて、高い金属音だけで割れないので、少々驚いた私は、いかにもベトナム陶器らしい柄のマグカップを買ってしまいました。
3日目はハノイ市内の観光です。
文廟(ブンビョウ)は孔子を祀る目的で1070年に建立された廟で、これが入り口の第1の門文廟門です。
たくさん門が有りますが、一番有名な奎文閣(ケイブンカク)を裏側から見た絵は、ベトナム紙幣100000ドンにも書かれてると説明されました。
ベトナムの高額?紙幣は紙ではなく、ペラペラのツルツルの合成樹脂を使用したャ潟}ー紙幣というものです。
*私がかざしてる100000ドン、0を二つとって2で割るとだいたい日本円になるそうなので、日本円にして500円です。
ここはベトナム最古の大学があって、3年に一度の科挙合格者の名前が刻まれた石碑があり、受験生が合格祈願にこの石碑をなぜてお願いするという、日本の天神さんで石の牛をなぜるのと同じ風習があるそうです。
ガイドさんの説明には孔子の話はあまり出てこず、大学卒業生にしては若すぎるような学生が、卒業式のような正装で記念写真を撮っていました。
11~19世紀に栄えたベトナム王朝の城、タンロン城遺跡も市街にありました。
敬天殿の龍の階段も残っています。
ここはベトナム戦争時にベトナム人民軍の司令部が置かれていたそうですが、北爆では潰されなかったのですかね。
私にとってはある時期ホーチミンさんは英雄でした。
その遺体が眠るホーチミン廟にも行けました。
すごい行列に並びましたが、ちょっと写真を撮った人がベトナム兵士に横に連れ出されたり、帽子を取るようにや2列にきれいに並べなどと、きちっとした行列はどんどん進んで、ホーチミン廟の中に入ります。
暗く冷房された中央に、4人の儀仗兵に囲まれて、ホーチミンさんの遺体は安置されていました。
合掌などで停まれる余裕もなく、列はどんどん進み、あっという間に廟の外でした。
ガイドさんは「昨年見た時より少し頬が落ちている」と言ってましたが、遺体処置はどんなふうにしてるのですかね、ガラスで密閉ではなかったです。
まあベトナムに行った第1目的は達成しました。
隣にあるホーチミンさんが過ごしていた室内には、マルクス・レーニンと思われる写真ンと共に、何故か日本人形が飾ってありました。
一柱寺(イッチュウジ)は1本のセメント柱の上に楼閣がある仏教寺院です。
蓮の花を模して作られたそうで、その柱の周りの池には、本物の紫色の蓮の花が咲いていました。
旧市街にはこんな教会もありましたが、キリスト教徒は少ないそうです。
旧市街をブラブラガイドさんと共に散策して、ホアンキエム湖周囲の公園も歩き、休憩は湖畔の喫茶店。
最後はガイドさんのおごりで(チップをお腹の子の分もと言って、はずんだせいか)、チョコアイスばかりのベトナムパフェをいただきました。
タイル壁画が並ぶ道を通って空港に到り、ハノイを後にしましたが、中央線を露骨にはみ出して追い抜きをかける車(右側通行なので余計浮ュ感じる)、車の両脇に連なって走る2人・3人乗りのバイク、勇気がないとベトナムは運転できません。
でもバイクの交通事故はしょっちゅうあるようです。
返事
花水木さん:私には白い靴の流行した記憶はありません。
ベトナム戦争後約45年、太平洋戦争後約75年、
残念ながら人は忘れるものなんですね。
大雪男さん:元旦朝5時頃五島上空を飛んでいました。
あの頃の気持ちを今は忘れてしまっていますが、
ハノイに北爆の爪痕らしきものは見れませんでした。
にわかラグビーファンの皆さまも、
野球中継はだるいなあと言ってるので、
プロ野球中継ももう少し考えて、大きな視野で写した方が良いと思います。
トイテンラびいさん:片岡知恵蔵主演の探偵映画、
ある時はセムシ男、またある時は・・・。
七つの顔を持つ男、多羅尾伴内です。
アイスのパフェ、完食したのでしょうか?