7日(日)は良い天気なので、高島から朽木を回って、車窓から満開の桜を楽しみました。
朽木の道の駅の裏手の土手の桜を楽しんだ後、発酵食品がメインの店でランチ。
もう5年ぐらいたってる店ですが、内装は新品の様で、スタッフの女性も慣れてない感じのままです。
私の桜花賞は散りました。
8日(月)の夕方は雨も上がり、家内と初めて宝ヶ池球技場1周散歩に挑戦、1km弱を桜を見ながら休み休み歩けました。
公園の桜はちょうどまさに満開。
夕方、曇天の下の満開ソメイヨシノはなんかぞっとするような美しさが有りますね。
桜の下に死体が埋まってると言う話が納得できますし、なんか狂気を産みそうな感じがしますね。
これでもかと言うぐらい満開です。
桜の木は何でこんなにたくさん花をつけるのですかね?受粉することが短時間で出来るのですかね?鳥は寄ってくる気はしますが、昆虫も来てるのですかね?そもそも桜はさし木で増えるそうで、種なんていらないでしょう?サクランボが出来るか。
9日(月)雨と風が有りました。
老人ホーム玄関前の桜は満開を過ぎて、散り始めていました。
診療所前の庭の枝垂れ桜もほぼほぼ満開です。
通勤の鴨川沿いの桜も満開で、先週とは景色が変わっていました。
この日は雨はやみましたが風が強いせいか、満開なのに先週より歩いてる観光客は目立ちませんでしたので、渋滞も少なく帰れました。
晩年になると、後何回桜を観られるだろうかと、ため息つく人も。
晴天の桜と曇天の桜、同じ桜でも、曇天の時に観る桜は何となく儚く寂しさを感じます。
そして、観る時の自分の心境にも左右されると思います。
花を見た時の自分自身の心境ですね、平安神宮の桜が今まで見た櫻で一番綺麗だったと思ってましたが、それは若い時の数少ない女の子とのデートの時だったからでしょうね。
年とってからはいつも櫻に、哀れとか、散りゆくものを重ねてしまいます。
ふりゆくものは わが身なりけり です。
私が見た一番綺麗な桜は、国際会議場の、風に舞う花びらです。
一番(私の)いい時代に見たんでしょうね。
願わくば 花のもとにて 春○なん、、、
如月じゃなくて、弥生がいいけど。
これが当たりなら、私は名探偵ですね。
私はいい時代より、今の方が桜が綺麗に見えます。
Toitenlaさんで思い出しましたが、「姥桜」の真の意味は「女ざかりを過ぎても、なお美しさや色気が残ってるいい女」の誉め言葉らしいですよ。女ざかりを過ぎてばかりが強調されて、やや誤って使われてるそうですよ、姥桜さん。