島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

118-2後桃園天皇女御近衛維子

2023-03-04 | 天皇陵巡り

 前回肝心の天皇名の桜と桃を間違うと言う、大失態をやらかしてしまい、あろうことか一番見つけられたら困る人に見つけてもらいました。

 コーヒーと抹茶クリームあんみつのセットで、月輪陵(ツキノワノミササギ)をまた開始しますことで?お許しを。

 関白太政大臣近衛内前(ウチサキ)の娘 近衛維子(コノエコレコ)(1760~1783)は、9歳で11歳の英仁親王(ヒデヒト)のもとに行き、英仁親王が即位し第118代後桃園天皇(1758~1779)(在位1770~1779)となったので、女御宣下も受けました。

 1779年に第1皇女欣子内親王(ヨシコ)が産まれましたが、同じ年に後桃園天皇が亡くなってしまいましたので、傍系から閑院宮典仁親王閑院宮(カンインノミヤスケヒトシンノウ)の第6皇子を養子に迎え、第119代光格天皇として即位させ、維子は皇太后と成りました。

 しかし、実の娘欣子内親王が養子にした光格天皇に入内する前に、維子は24歳で亡くなってしまい、月輪陵(東山区今熊野泉山町)に葬られていますので、制札には後桃園天皇女御尊称皇太后維子月輪陵とありますし、隣には光格天皇皇后欣子内親王の名前も有りました。

コメント (2)
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