島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

118-1後桃園天皇

2023-03-01 | 天皇陵巡り

 

  写真は高校同窓会の立食パーティーで、最後になってあわてて取りに行ったケーキですので、やや寂しい絵になりました、そして寂しいで人気の月輪陵(ツキノワノミササギ)です。

 第116代桃園天皇(1741~1762)(在位1747~1762)と、関白一条兼香(カネカ)の娘一条富子(トミコ)との間の第1皇子として産まれた英仁親王(ヒデヒトシンノウ)は、産まれて間もなく儲君治定(チョクンジジョウ)親王宣下も受け、次期天皇になることを約束された身でした。

  写真は何回も見てきた月輪陵正門です

 しかし、父桃園が21歳の若さで亡くなった為、まだ4歳の英仁親王が天皇になるには、あまりにも幼過ぎると言うことで、伯母にあたる智子内親王(トシコ)が中継ぎとして、第117代後桜町天皇(1740~1813)(在位1762~1770)と成りました。

 1770年、後桜町天皇の譲位を受けて、路線通り英仁親王は即位し、第118代後桃園天皇(ゴモモゾノ)(1758~1779)(在位1770~1779)になれました。

 でも、後桃園天皇はそもそもが病気がちで、在位10年にもならずに、父と同じく22歳にして崩御してしまいました。

この時、欣子内親王(ヨシコ)(後の光格天皇皇后)しか子供がなかったので、7親等も離れてる(曾祖父の弟の子・父のまた従兄弟)閑院宮典仁親王(カンインノミヤスケヒト)の息子祐宮(サチノミヤ)を急遽養子に迎えて、第119代光格天皇にする、綱渡り的な皇位継承になりました。

 現在も、もし秋篠宮家に男子が生まれていなかったら、今の天皇から見て曾祖父にあたる大正天皇には大人に育った兄弟はいないので、その前の明治天皇の兄弟の直系男子(13~4親等は離れてる)を、男子が産める次の天皇として探さなければならないことに成ります。

今の世の中、これで選ばれた人に世間が納得するか、まあ指名された人も辞退するでしょうから、秋篠宮家に最後に生まれた第3子が男の子で、ホンマに綱渡りですね。

 こうして世継ぎをもうけることなく、若くして亡くなった後桃園天皇は、月輪陵(東山区今熊野泉山町)に葬られ,写真の長い制札の天皇12番目として眠っています。

コメント (4)
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