島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

82-2後鳥羽天皇皇女尊称皇后昇子内親王

2021-02-26 | 天皇陵巡り
 
 第82代後鳥羽天皇(1180~1239)は沢山の妃にたくさんの皇子女を産ませていますが、奥さんで宮内庁治定陵に上がってる人は誰もいません。
しかし、皇子女は次期天皇に成った二人も含めると、8人もの治定陵墓がありますので、ここは一応順次巡って行きます。
  ここは昇子内親王墓と言われている、あくまでも陵墓参考地ですが、浄菩提院塚陵墓参考地(ジョウボダイインツカリョウボサンコウチ)(伏見区駐c小屋ノ内町)
 
 後鳥羽天皇の唯一の皇后は、摂政関白九条兼実(カネザネ)(1149~1207)の娘九条任子(クジョウタエコ・ニンシ)で、産まれたのが、立っても座っても光ってると言われた第1皇女昇子内親王(ショウシ・ノボルコナイシンノウ)(1195~1211)です。
  名神高速京都南ICの南、城南宮の近くの小さな空き地が陵墓参考地でした
 
 第74代鳥羽天皇皇女しょうし内親王(八条院)の猶子となったので(生後すぐ)、莫大な八条院領を譲られ(1才)、異母弟第84代順徳天皇の准母ともなっていて(13才)、春華門院という院号も宣下されています(14才)。
でも、義母となった八条院が亡くなって5カ月後に、昇子内親王は17歳で亡くなったので、八条院領はそのまま順徳天皇に相続されたそうです。
順徳天皇も1221年の承久の乱で佐渡に流されたので、八条院領は誰のものになったんですかね。
  聡恍シ後なのか、綺麗でした
 
 
 浄菩提院塚陵墓参考地辺りは、鳥羽離宮があったので、白河・鳥羽・近衛天皇陵も近くですが、現在は名神高速道路京都南ICがあって、誰かは不明ですが後宮塚(コウキュウヅカ)・中宮塚(チュウグウヅカ)陵墓参考地もありました。
 このゴミ捨て場のようにも見える後宮塚陵墓参考地は、本当にラブホテル街の真ん中にあって、塚の前の道の両側ともにラブホテルでしたので、一人で訪れるのは恥ずかしかったです(と言っても、この年では二人で訪れるのはもっと恥ずかしいかもしれませんが)。

      返事
Toyさん:トップにならないように(成れないか)生きてきましたので、
    たった二人になった我が家でも、トップは家内です。
花水木さん:人の目の基準が変わってきてるだけのような気はしますが、
    若い時の思い込みは、なかなか断捨離出来ません。

コメント
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