島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

駐c城跡

2011-05-19 | 播州
     
 5月14日(土)晴れ、前回桜の季節で、山道の入口から車が連なって行けそうになかった駐c城址に再チャレンジすべく、朝早めに出発。
 運良くか悪くかJR播但線の踏み切りで汽車を待つ間、見上げると山の上に石垣が見えました。
      これが駐c城址
   
 狭い道を対向車が来ないことを祈りながら進み、中腹の駐車場に車を停めて、急だが短い兎さんコースを登ります。 結構急!
 この城を攻める兵隊は大変だし、もし住んでいたなら、お姫さんはどうして登ったのでしょうね?
     
 登りついた駐c城址、1450年ごろに築城され、関ヶ原の1600年頃にはもう廃城となった山城遺構です。
 西方を見下ろすと、播但連絡道の綺麗なアーチ橋が目に付きます。
大胆な人妻は石垣のふちに立っていますが、私はそこまで行けません。
      
 古城山(353,7m)の山頂部がお城です。
一番高いこの天守跡は三角点にもなっていました。
石垣は有名な坂本の穴太積みです。
     
 天守跡には木のはしごで登ります。
ここから南千畳を眺めると、天空の城、日本のマチュ・ピチュと言われている意味がわかります。
相ノ浦に有った奈留町墓地→町ぼち→マチボチ→奈留島のマチュ・ピチュより少し大きいスケールです。
     
 逆に首を振って北千畳を眺めると、南北400m・東西100mの山の稜線に建つ細長い山城であることがわかります。
 桜の木も多く、桜の名所ですが、今は新緑でした。
       
 東側眼下に、駐cの町並みと円山川が光っています。
これだけの城がどれだけ役に立ったのかどうかは知りませんが、山城としては結構綺麗に残っている駐c城址、秋は雲海に浮かび虎臥城(とらふすじょう)とも呼ばれています。
 再挑戦したかいのある但馬和田山にある山城跡でした。
   皆さんもぜひどうぞ!

  返事
喜珍さん:奈留島でネクタイしていたの私だけでしたね。
花水木さん:シャツとチョッキが同系色だったのは、本日たまたま。
    白衣のャPットには筆記用具・聴診器・メモ帳など、いつも重いです。
    ャPットに物を詰め込むタイプなので、いつも怒られています。
ひなたさん:奈留島ならなんと言っても奈留島121ヶ所ゴミ箱霊場観光巡り、121ヶ所以上の見所が有ります、
    ’8年8月~’10年8月のブログを参考にして下さいと言ったら、怒られますかね。
    歩くのはつらいので、何とか奈留島の知人を見つけて下さい。
    私はゴジラの出る野首が好きですよ!
   奈留病院近かくの「みかんや」のちゃんぽん食べてみて下さい、和さんの知人なので色々教えてくれると思います。
    私が居れば、案内できたのに残念です!私も行きたいですよ!
コメント (6)
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