島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留町銅像巡り 3

2008-09-15 | 奈留島

 3連直3日目、チョット退屈、チョットお疲れです。
台風がゆっくり近づいていますが、直撃ではなさそうです。 雨。

   
 奈留小学校(今年からは旧奈留小)の校庭道路側に建つ、「考える人」のこれはセメントですか、石膏ですか?
 作者は、さすがに<b>佐藤敬助</b>さんではなく、ロダンさんのレプリカです。
 昭和34年卒業生の贈り物です。
何故?二宮金次郎ではなく、「考える人」なのでしょうか?
 そういえば、あの頃(私は昭和35年小学校卒)は、ロダンの人気があった頃ですかね。(それでもハイカラ)
 京都国立博物館の庭にある「考える人」より、かなり小さ目ですが、道路からは寂しげな背中が良く目に付きます。
    
 像のわりには立派な台座ですが、元々は「宿輪卓爾」さんの胸像が置かれていた台座だったようです。
 前回の宿輪静磨さんのお父さんで、慶応3年(1867)生まれの、奈留の元の元を造った人のようです。
 この親子2代の頑張りで、奈留は精神的にも文化的にも繁栄したようです。
この胸像は、太平洋戦争時に供出され、台座だけが残りました。
 近所の私より少し年配の方は。「台座の上に登ってよく遊んだ」と言われました。
この像が向こうを向いていて、地獄ではなく「焼肉や」を見下ろしていれば、ロダンももっと喜んだかもしれません・・・。

 フークの散歩の範囲内で見る銅像は、これくらいだとを思うので、銅像巡りの旅は早くも終了です。
  又他を考えよう! 121ヶ所にあきたわけでは有りませんが。
コメント (3)
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