島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

71.若あゆ

2024-08-04 | 菓子たくさん

 中学高校同級生の友達は、自分の町内の放下鉾のちまきと若あゆを、律儀にも毎年くれます。

島に行ってる間も、京都が恋しいだろうと、わざわざ送ってくれた時もありました。

今年は麻雀の時に貰いました。(また役満もして勝ってしまいました)

 

 創業1855(明治18)年の大極殿本舗は、長崎にカステラ修行に行き、京都にカステラを流行らせた店と言われてます。

 カステラ生地で求肥の餅をつつみ、桂川で泳ぐ若鮎の形を模したそうで、飽きが来ない私好みの美味しい和菓子です。

 友人から貰ったばかりですので、価格ははっきり書けませんが、納得のいく価格のお値打ちのお菓子です。

  また来年もよろしくね!

 

 昨日は突然の夕立5分ほどで、また暑くなりましたが、今日は降るぞ降るぞと思ううちに降ってきて、ブログ書いてる間も降り続いてますので、少しは過ごしやすい夕方になりそうです。

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志賀山越5.

2024-08-02 | 京都へ、京都から

 竹内康之著「京へと続く街道歩き」から又また無断借用した地図ですが、荒神口から始めて、青〇印の山中越道標にいます。

 東大路通と東一条通が交差する角に、南西から志賀越道が交わってきました。

この東北角の京都大学の塀沿いに、志賀越道標が立ってます(写真の横断歩道の奥です)。

現在の道とは45度ずれて立ってるのは、志賀越道が斜めに通てた道だったことを立証していますし、ここから道は京大構内をつき切ってたのです。

 左 百まんへん(百万遍) 右 さかもと・からさき・白川(坂本・唐崎・白川)

宝永6年(1709)建立、京都で3番目に古い道標らしく、鉄枠で補強もされていました。

建立の頃は、富士山の宝永の大噴火に続いて、阿蘇山・浅間山・岩木山・三宅島と、噴火が日本各地で続いてた頃です。

今これだけ続いたら、ちょっとビビりますよね。

 斜めにつき切れないので、京大に沿って直角に迂回していきます。

写真は京大正門と、東大時計台ほどは有名でないですが京大の時計台です。

 我々いわゆる全共闘世代の時代、この京大時計台も全共闘によって占拠されていましたが、私もこの辺のデモに参加中に、味方の投げた投石が頭に当たって、1~2針縫合処置を受けました。

傷跡は少し禿げて残りましたが、今は禿げも全体に広がってきたので、ほぼ目立たなくなっています。

  阪神夢のような巨人戦圧勝の3連勝!!!!!

昨日の3戦目は、ゆっくり安心して観戦出来た試合で、笑いが止まりませんよ!

  でも、勝っても かぶっても 兜の緒を締めろ ですよ。

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志賀山越4.

2024-07-30 | 京都へ、京都から

 少し間が空くと、どこまで行ったか分からなくなる「京都へ、京都から」ですが、やや想い出話のような3回が終わった荒神口 志賀山越、いよいよ本格的に地図青矢印に沿う志賀越道(シガゴエミチ)を進みます。

 荒神橋を渡ってすぐ、稲盛財団記念館の北西の角に、青●印の牧畜場記念碑が判りにくくありました(右の黒いほうです)。

1872(明治5)年、地方公共団体が作った牧場としては第1号の官立京都牧畜場が、北海道や岩手県ではなく、こんな場所にあったのですね。

と言うことは、鴨川を越えたこの辺り一帯は、明治の初め頃までは何もないだだっ広い田舎と言うか原野だったのですかね。

 地図青矢印の如く、ここからちょっと北上してすぐに、京都では異質な感じの斜めの道に入ります。

これが昔からの道 志賀越道、もう完全に洛外と言うことで、田んぼ(原野)の中をまっすぐ斜めに通っていた道だったんでしょうね。

 この志賀越道が東大路と交差する少し手前の東一条通角にあるのが 私の母校のYMCA橘井寮(キッセイリョウ)の古い建物です。

同級生の寮生の部屋で、二級酒を飲みながら朝まで、人生・政治・宗教・宇宙や女の子のことも話して、大人になった気分に浸っていました。

前回紹介した映画「ヒポクラテスたち」でも、ここでロケしたシーンが沢山あったので、懐かしかったです。

もう青春は戻ってきませんね。

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4Kテレビ

2024-07-28 | ノンジャンル

 パリオリンピックが始まりましたが、テレビ欄のパリオリンピックを必ずパラリンピックと読んでしまう私です。

 14年ぶりの買い替えで、4Kテレビ55型を買いました。

有機テレビは10万円ほど高いので諦め、展示品で安くなってますよの一言で買った、液晶の4Kテレビです。

 早速開会式を録画で観ましたが、録画機は4Kでないので、残念です。

 4Kテレビを買った理由は、NHKBSが変な番組改正で、4Kでしか観れない番組が増えたせいも有ります。

本当の4Kの写り具合は、こんなもの、まあ鮮明ではありますね。

撮ってる写真機の解像率は、4Kより上なのかどうか知りませんが。

WOWOWばかり観てる人生なので、これぐらいの贅沢は許しています。

 4Kではないですが、綺麗で鮮明な画面で観ても、競馬は獲れませんね。

せめて阪神は鮮明画面の元で勝ってほしいですが。

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フーク命日

2024-07-26 | 犬のフーク

 本日7月26日(金)は、フークの命日です。

ほっておいた台所出窓に置いてる骨壺と遺影の周りも、少し掃除しました。

 満1歳になってたフークは、残念ながら盲導犬の試験に合格できなかったので、落第生を育てるには適してる我が家に、2002年1月に引き取られました。

 1歳4ケ月ぐらいの写真ですが、その頃から右股関節はちょっと悪かったようですね。

 どちらかと言えば猫派であった私たちを、すっかり犬好きにしてしまったフークは、奈留島にも一緒に行ってくれて、島では島内一賢い犬のレッテルも貼ってもらい、皆様に可愛がられ、私も「犬先生」と子供から呼ばれるようになっていました。

 奈留島の奈留病院官舎の定位置ソファーで、いつものように丸まって全裸で眠るフークです。

 福江島の富江に連れて行った頃には、もうあまり車にも乗らず、官舎の庭や近くを散歩するだけになっていましたし、死ぬ2ヶ月前ぐらいには、こんな座り方しか出来なくなっていました。

2015年7月26日、私が外来診察中に、家内に看取られて富江病院官舎で亡くなりました、14歳9ケ月です。

 私の人生にとっては、フークに会えたことは素晴らしい事でしたが、私の人生を良い意味で狂わせてくれたフークはもういませんし、家内は病人になりました。

 フークが天国で、ボールをくわえて疾走してることを祈ります。

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