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徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人世界放浪昼寝旅ーネパール・カトマンズ徘徊その1ー4月9日~14日

2012年04月17日 | 南アジア
カトマンズは辻辻に社などあり、徘徊していて楽しいが、
その辻から枝分かれした道に入り込むと、方向感覚を失ってしまう。
ガイドブックを持たないワタシなど、何度も道を間違え、ホテルに
辿りつけなくて焦ったりした。
     
     
     
     
     

   で、さまよい歩いていたら「おふくろの味」という日本食屋があった。
     
     天麩羅蕎麦を註文した。久しぶりだな~~~~。300円。

     ちなみに、ネパール・ルピー 1ルピーが日本円96銭だから
     1ルピー=1円と考えた方が分かりやすい。

  目玉寺で有名な「スワンブナート寺院」にも足を延ばした。
     
     寺院まで登る石段は400段あった。
     
     石段を登りきると
     
     こうやって記念写真を撮る人が多い
     
     
     
     
     寺院ではお参りする人たち
     
     
     お参りの後は、みんなで持参の食べ物を楽しく食べる

     ネパールの食事は「米食」が主流だ。
     だから
      
      野菜2品にダール(スープ)、ダヒー(ヨーグルト)、漬物、
      パーパル(パパド、せんべい)にご飯だ。
      これで安い所で170円くらいだ。

     ある夜、ホテルの近所の高いレストランに入ってみた。
     早めの時間帯は団体旅行の客が入り満席になる。

     遅い時間帯に行くと
      
      客は数組!
      ネパール民族舞踊のライブだ(笑)
      
      
      1曲 5分くらい。で3曲で「ライブ」終了。
      踊る方だって、客が8人くらいじゃ、やる気が出ないってもんだ。

      料理の値段が、これが高い!
      
      一品が300から500ルピーだ。
      
      ネパールの地酒(焼酎)がサービスで「おちょこ」に一杯。
      ビール2本 飲んで 2300ルピー!
      まあ、2300円だから安いといえば安いのだが、
      地元感覚で言えば「高け~~~!」
      
     
      

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ーインドからネパール・カトマンズにー4月9日

2012年04月17日 | 南アジア
インディラ・ガンディー・国際空港の両替カウンターで
インド・ルピーをUSドルに変えようとした。
 
  一応、最初にインドに入国する時に空港で両替したレシートと
 各地のCITI BankのATM で引き落としたレシートを持っていた。

 で、両替しようとしたら、銀行、または空港の旅替カウンターで両替した
 金額の10%しか、再両替できないと言う。
 市中のATMなどで引き出した時のレシートでは再両替はできないという。

 ワタシは2万ルピーも持っているのだ!

 ましてや、インド・ルピーは「国際通貨」として認められていないので
 海外で両替ができない。

 いくら、インドの首相が、
 「今やインドは中国と並ぶ国際社会でリーダーたる国だ」と言ったって
  通貨が国際的に通用しないのだから、お話にならない。
  中国通貨など、今やどこの国に行っても「両替」できる。

 なおかつ、ネパールではインド・ルピーが通用するが、
 500ルピー紙幣と1000ルピー紙幣は通用しない。
 その理由は「偽札」が多いからだと言う。

 このことは両替所のスタッフも知っていて、ワタシが文句をたらたら言うと
 100ルピー紙幣に3000ルピー分だけ交換してくれた。

 今回もジェット・エアーでカトマンズまで飛ぶのだが、チェックインしようと
 したら、乗る予定の便より、1時間早い便に乗ってくれませんかと言われた。
 早く到着する分には、全然問題ないので「いいよ」と言うと
 お礼に「機内食のミールクーポン」を差し上げますだって!
 「乗る!乗る!」

 デリーからカトマンズは国をまたぐので国際線だが、
 機内では「ビールの販売もない」

 国内線の感覚なのだろうね~~~。

 それもネパールはインドの属国くらいにしかインド人は考えていないからね。

 カトマンズでの最初の3日間は中級クラスのホテルにした。

 それでも1泊3000円くらいだ。

 バスタブが付いていて、熱いお湯が出た。

 3日間、朝夕、お風呂に入って、垢を流した。

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ーインド・作家カーシーナート・シン氏に会うー4月8日

2012年04月16日 | 南アジア
ベナレスでは、もうひとつ、目的があった。
それは作家のカーシーナート・シン氏に会う事であった。

 これは、デリーでカーシーナート・シン氏がまだ存命(笑)であることを知り
 生きているうちに、お会いしなければと、急きょ、ベナレスに行く目的の
 ひとつに付けくわえた。

  カーシーナート・シン氏はヒンディー語作家で、30数年前、
  彼の作品が邦訳されている。
  邦題は『わたしの戦線』(出版社:めこん)荒木重雄訳 だ。

  その後、1981年に日本の「アジア・アフリカ作家会議」の招きで来日し、
 「被差別と文学」などについてシンポジウム(正式な題名は忘れた)などに
  参加し、大阪では解放同盟の人たちとも懇談した。
  その折、通訳として一緒に行動をともにしたのがワタシだった。

  ワタシのその後はもっぱら「仕事」に忙殺され、ヒンディー文学の世界とも
 疎遠になっていたが、今年75歳になられたカーシーナート・シン氏は
 今年の「文学アカデミー賞」を受賞し、
 彼の作品「カーシー・カ・アッスィー」は映画化されて、完成直前だった。

 前日、彼の勤務していたバラーナス・ヒンドゥー・大学のヒンディー学部の
 事務所に行き、彼の住所を尋ねると、快く教えてくれた。
 その足で彼の家に向かったが、「撮影立ち会い」で不在だった。

  そして、今日、空港に向かう前に彼の家を訪ねた。

  31年ぶりの再会に、彼は心から歓待してくれた。
    
   「31年たっても、お前、よくヒンディー語忘れないな~~~」
   「Aさんは元気か?出版社のKさんは元気か、Sさんはどうしてる?」
   「この前、作家のだれそれに会ったら、お前はどうしてるって訊かれたよ」
   矢継ぎ早の質問に
   インド関係から遠ざかっていたワタシとしては答えようがなかったが、
   31年の空白が少しずつ埋められてくるような気がした。
   「ご飯食べて行け」
   「泊まって行け」と言われても
    今日、旅立つワタシでありまして、
   「それなら、これを持って行け」と飾ってあったガネーシュの置物を
   呉れそうになったので、荷物になるから要らないと断り、
   「作家から頂くのは著作だけで、胸がいっぱいになります」などと
   ヨイショし、
   小説を2冊貰ったのでした。

    それでなくとも、昔からワタシはモノを貰うので有名でした。
   一般的に日本人はインド人知人の家を訪れる時、日本茶などの
   お土産を持参しますが、
   「S(ワタシのこと)は、なんにも土産を持ってこないで、逆に
    あっちこっちから土産を貰って帰る」と有名だったのです。

   さて、時間が来たので、カーシーナート・シン氏の家を辞す時
   奥さんも玄関まで見送ってくれ、カーシーナート・シン氏は
   待たせてあったタクシーに乗り込むまで一緒に付いて来て
   最後は両手でワタシの手を包み、
   「また、会おうな」と言ってくれたのでした。
   彼 75歳、 ワタシ 63歳。
   
   もう再会することはないであろう。

   こうして、ベナレスを最後に、インドでの2ヶ月の旅を終え
   デリー経由で次の旅先のネパール・カトマンズに向かったのでした。

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ーインド・ガンジス河で精霊流しー

2012年04月16日 | 南アジア
実は、今回、インドを放浪するにあたって、ガンジス河で「精霊流し」をすることが
目的のひとつでもあった。

  昨年の1月に長兄が「食道癌」で死去、3月は東北大震災の津波で
  親戚が5人亡くなった。
  これらの霊の慰霊と亡くなった知人・友人たちの霊の慰霊も行いたかった。

   夕方、人力車でゴドリヤに向かった。
   

   折から、「満月」だ
   

  ガートに降りる際に、精霊流し用の飾り花船(葉っぱの中に花とろうそく)を
  5個買い求めた。
  おばちゃんの精霊流し売りは「10個にしてよ」と言うが
  意味があっての5個だから、意味も無く10個買う必要はない。

   
   もう、ガンガでは精霊流しが始まっている。

   ワタシはガートで昼に声を掛けておいた
   若いブラーフマンのドゥーベ君に会った。
   彼に、5個の精霊流しの意味を伝える。
   1個はワタシの一族、
   2個目は妻の一族、
   3個目は津波で亡くなったワタシの親戚とその津波で亡くなった人々、
   4個目はワタシの友人たち
   5個目はワタシの知人
   これらの霊を慰めるため精霊流しを行うのだと。

  ドゥーベ君は、うなずくと、ワタシをガンガの水際の石段に座わらせ
  1個づつ精霊流しを行う前に、精霊流しをワタシが手に持ち
  ドゥーベ君の唱えるサンスクリット語のお経を一行ごとに復唱する。
       ビシャバ・パーパ
       ビシャバ・ドゥカ
       なんたらかんたら

  ワタシの足をガンガの水が洗う。これも「沐浴」のうちにしようと思う。

    「祈り」は5個だから、5回行う。
    そして、5個目を流し終えると、
    5分間精霊流しの流れて行く様子を見つめ、
    思っていることをお祈りしなさい、
    私は上で待ってますと言って去った。  
   
   
   なにも考えなかったが、淀みでなかなか流れて行かない様を見ていると
   不覚にも涙が頬を伝った。
   なんの罪もなく亡くなったみなさんに対して
   ここにいるワタシは
   実に「ビシャバ・パーパ」(罪深い人間)なのだ。(笑)
   
   超異常現象か?画像にモヤのようなものが・・・・

   
    精霊流しを終えた証拠写真

   で、この後、まだまだお経が続く
   
    椰子の実を手に持ち、またお経の復唱をする。
    今度は亡くなった人たちではなく、生きている家族の平穏の
    為にもお祈りする。

    ここで「奥さんの名前は?」 
       「S子」
       「子供たちの名前は?」
       「子供はいない」
       「えっ!子供いないのですか?」
       「いいから、いいから、先に進め」
      と言う事で、無事「精霊流し供養」を終了
    
    で、やはり「タダ」と言う訳にはゆかないので、今日はそれなりの
    お布施を用意してきた。
    ドゥーベ君は「4000、3000、1000、お金がなければ
    タダ」とまで言った。
    今日だけは「タダ」は祖先や今精霊流しを行った御霊に申し訳が
    立たない! 
    で、1000ルピープラス習慣に従って100ルピー払った。

    なんだか、心が軽くなった気がした。
    ドゥーベ君に「明日、ムンダン(剃髪)するぜ」と言うと
    「本当ですか!見たいから明日も来てください。一緒にお茶でも」

    お布施の1000ルピーが妥当だったかどうかはワタシには分からない。

    ガンガでは、最近は毎晩「プージャー」(祈り)の集会みたいなのが
    行われ、まるで劇場化しているようだ。
      
     
     今夜は満月なので
     
     
      人ではいつもより多いそうだ。

    ワタシは宿に帰り「精進落し」でビールなど飲もうとしたが
    「胃」の調子が悪い。
    結局、食欲がないので夕飯も「パス」した。

    翌朝、散髪に行くため外に出た。
    なじみのリキシャワラー(人力車夫)が近寄って来たので
    「床屋に行きたいんだ」と言うと
    金は取らないから乗れをいうので乗った。
    「床屋はスタンダードとジェンツ・パーラーがあるが、どっちがいいですか」
    と訊くので、
    「もちろん、スタンダードさ」
    ワタシは「スタンダード」とは、一応、店の床屋だと思った。
    
     が、が・・・・
    リキシャワラーが連れて行ってくれたところは
     
     こんな道端の「床屋」でした!
     「ムンダン」(剃髪)ではなく、少し短めに散髪してもらった。
     剃髪などしたら、今度、生えて来る保障がないくらい
     薄い髪なのだから・・・・
     床屋は散髪代を「50ルピー」と言ったので
     30ルピーを渡して「本当は20ルピーなんだろ」と言うと
     苦笑いした。
     リキシャワラーは「旦那はプラーナー・ヘイ」
     (「古くからインドに居た人だからなんでも知ってるよ」くらいの意味)
     と言って笑った。   

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ーインド・ベナレス徘徊、その2-

2012年04月16日 | 南アジア
ベナレス(ワラナシ)の街では、毎日が祭りだ。

 ガンガに通じるゴドリヤ交差点界隈では
 ガンガの運ばれてくる葬送の列や、なにかしらの祭りの行列に出くわす。
    
    今日も祭りだ。
    
    太鼓を打ち鳴らし
    
    壺を抱えて
    
    
     行列は進む
    
     インド歴の新年の新月から14日目だかの満月の日なので
     なにかの祭りだ。行列はガンガに向かって進む。

  ワタシは夕方に再びガンガに来なければならないので、
  後をついて行くことは断念した。

   ゴドリヤ交差点から少し入った、中庭のあるレストランで
    
     昼食を取り、宿に戻った。
   
    
    

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