徘徊老人のひとりごと

地球上を徘徊する75歳のボケ老人のひとりごと

徘徊老人世界放浪昼寝旅ーインド・ラダックのレーまで苦難の旅・・・3月23日

2012年04月09日 | 南アジア
デリーでの滞在については、後で書こう。

 3月23日の朝7時10分発のエアー・インディアでラダックのレーに
 行くことになっている。

 ラダック地方とは、インドの北部、ジャンム・カシミール州にあり、
 周囲はパキスタン・中国などの国境があり、紛争地帯だが、
 最近の印・中・パの緊張状況が緩和したため、
 外国人でも無許可でこの地方に入ることができるようになった。

 中国領になったチベットより、チベット文化が保存されている場所だ。

 カシミールやラダック方面に向かう飛行機の乗客のチェックイン・タイムは
 通常は1時間前だが、この地方に向かう乗客は2時間前からチェックインだ。

 印パ国境に近い関係でセキュリティー検査を厳しくしているのだと言う。

 つまり、7時10分発と言う事は、空港に午前5時10分まで来なくては
 ならないということだ。
 と、言う事は、朝3時半には起きて、身支度をして、午前4時半には
 知人宅を出なければならない。

 ワタシは知人に迷惑を掛けたくないので、
 前日に空港の近所のホテルに移動した。

 夜、ホテルのレストランに行った。

 客は誰も居ない。  

 ガランとしている。

 暇そうなスタッフに「ビール飲めるかい?」と訊くと
 「客がいないので、ビール飲んでもいい」と言う。

 チキンカレーを注文して、缶ビールを2本飲んだ。

 部屋に戻って、テレビを観ているうちに、お腹が膨張してきて
 胸がムカムカして来た。

 これは異常だ!

 ワタシはバスルームに駆け込み、トイレの便座を上げた瞬間
 激しく嘔吐した。

 トイレの水を流して嘔吐物を処理し、ミネラルウオーターで「うがい」をし
 薬を飲んだ。

 だが、その1時間後から、今度は激しい下痢になやまされることになった。

 一時間に1回はトイレに駆け込む。

 下痢止めの薬を飲んでも効かない。

  そのうちに朝がやって来た。

  バッグパックを背負うのに力を入れることはできない。

  そろりそろりと持ち上げ肩に担ぎ、タクシーで空港に向かった。

  厳しいチェックがあるという荷物検査も簡単に済んだ。

  チェックイン後、早速、空港のトイレに駆け込む。

  ニューデリーの空港も新しくなったので空港のトイレもきれいだ。

  移動の時は、少々体調が悪くても、「気合いだ!」と心で念じて移動するが
  今回ばかりは「気合い」を入れると、「気合い」が下から漏るので
  気合いも入れられない。(笑)

  今回の飛行機はエア・インディア。
  CIはサリー姿だ。
  サリー姿のCIなんてもう珍しくなったもんだ。

  観光シーズンではないので、乗客に外国人はいない。

  11月から3月まで、陸路ラダックまで行くには雪で道が閉ざされているので
  地元民も「空路」を利用する。
     
     朝食にスナックが出たが、もちろんワタシは手を付けない。(笑)
     
     飛行機の窓からは雪山が見えて来た。
     
     
     
     6千メートル級の山々だ。

     飛行機は1時間ちょっとでレーの空港に着陸した。
     外の気温マイナス2度!
     標高海抜3300メートル!
     荷物が出て来る前にレーの空港のトイレに駆け込む。 
     トイレはアジア式で、黄金の左手で水処理しなければならない。
     その水の冷たいこと冷たいこと!
     その冷たさに、肛門がキュッと絞まる。(笑)
     そして、「ホテルに到着するまで我慢だ」と
     我が水戸黄門さまにお願いする。

     ホテルやゲストハウスも通年で営業しているところは少ない。

    ガイドブックで通年営業している、少し高いゲストハウスに
    タクシーで向かう。
     
     
      Sia-la-Guest House だ。
      暖房なしで1泊800ルピー。
      暖房付きだと 1泊1000ルピー。

     ワタシは迷わず、暖房付きの部屋を要望した。
      
      暖房とはガスストーブのことだ。
      
      昔、「氷枕」に使用した、これに熱湯を入れて「湯たんぽ」だ。

     寝不足で体調の悪いワタシは、即、ベッドに倒れこんだ。

     4時間ほど眠っただろうか。

     ゲストハウスの奥さんが心配して見に来てくれたが、
     ワタシは大丈夫と言って起き上り、
     ゲストハウスの位置関係を確かめるためと、ちょっとした
     食糧調達のために、外に出ることにした。

     ところが、少し歩くと、頭がズキンズキン痛む。
     呼吸が苦しい。大きく息を吸い、酸素を取り込む。

     体調が悪いために軽い高山病にもかかったかもしれない。

     観光シーズンではないのでほとんどの店が閉まっている。

    雑貨屋でビスケットとミネラル・ウオーターとコーラを買う。

    ゲストハウスに戻り、またベッドにもぐりこむ。

    ゲストハウスでは朝食は可能だが、夕飯は作らない。
    つまり、外に出かけなければならない。

    ワタシは、今日はもう外に出ないことにして、
    ビスケット数枚とコーラで、胃の具合を見ることにした。

    下痢の方は大分治まって来たが、なんとなく胃が重い。

    ニューデリーの知人の家では酒は飲まなかった、
    いや、ベジタリアンの家庭なので、酒はおろか、肉も食べない生活だ。

    だのに「なぜ?」

    昨夜の「チキンカレー」が原因かもしれなかった。

    冷蔵庫に何日間も保存していた売れ残りのチキンだったかもしれない。

    うとうとする度に夢を見る。

    松尾芭蕉ではないが
     「旅に病み
          夢は枯野を
               駆け巡る」だ。

     友人の夢も見た。

    一瞬、俺もこうして終わるのかのかな~~などと考えたりする。
      
      

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徘徊老人世界放浪昼寝旅ーインドの貧困などー3月某日

2012年04月09日 | 南アジア
インドを旅していても、テレビや新聞などはよく見る。

 最近のインドのテレビチャンネルは数えきれないほどチャンネル数があり
 ニュース・チャンネルだけでも相当数あるのだ。
 インドの各言語のニュース・チャンネルのほか、英語のニュースもある。

 それらを見て、インドの国内事情を知る手掛かりとするのだ。

 3月20日のラジャスタン州の新聞『ダイニック・バースカル』紙には
 インドの貧困層が減少したとの見出しがあった。

 貧困の基準(貧困ラインとでも呼ぶか?)は
  農村部では 1ヶ月の収入が672ルピー(1344円)以下の者
  都市部では 1ヶ月の収入が859ルピー(1718円)以下の者

   これを貧困ラインと呼び、この貧困ライン以下の生活をしている者の人口は

  なんと、3億4千4百万人もいるのだ!

  日本の人口の3倍の人々が上記の収入以下の生活をしているのだ。

 それでも、インド政府は「2010年度は貧困層が減少した」と明言している。

 でも、逆の言い方をすれば、約10億の人々が貧困ライン以上の生活を
 しているという言い方もできるわけだ。

 また3月13日付けの全国紙『ナブ・バーラト』には

  ビハール州での
  2010年12月から2011年11月までの1年間の女性関連事件の統計が
  発表された。

  それによると
     持参金問題関連での殺人事件    1286件
     持参金問題での喧嘩沙汰      2612件
     強姦                868件
     女性を拉致監禁事件        2697件
   この数字は、ビハール州だけの数字だ。

  特に最近テレビニュースでも取り上げられるのは「拉致」だ。

  「若い女性」「男女を問わず子ども」が狙われており、
  デリーなどでも、相当数の「行方不明者」がいる。

   子どものいる家庭では、なるべく「ひとり」で外に遊びにださない
  ようにしている。

  それは「ちょっと目を離したスキにさらわれた」という発言が多いからだ。

  殺人事件も毎日起きている。

  毎日の新聞記事には殺人事件は10件以上載っている。

  日本では報道されていないと思うが、ケララ州の漁船がイタリアの船に
  ぶつけられて沈没し、漁民が亡くなった。
  イタリア政府の陳謝はなし。

  それと関連してか、左翼ゲリラ(毛派)がイタリア人旅行者2名を拉致監禁する
  事件も起きている。

  これらの状況から、開発が進んでも、変わらぬ人心や
  インド全体の治安状況が低下していることが見えてくる。
     
 

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