ベナレスでは、もうひとつ、目的があった。
それは作家のカーシーナート・シン氏に会う事であった。
これは、デリーでカーシーナート・シン氏がまだ存命(笑)であることを知り
生きているうちに、お会いしなければと、急きょ、ベナレスに行く目的の
ひとつに付けくわえた。
カーシーナート・シン氏はヒンディー語作家で、30数年前、
彼の作品が邦訳されている。
邦題は『わたしの戦線』(出版社:めこん)荒木重雄訳 だ。
その後、1981年に日本の「アジア・アフリカ作家会議」の招きで来日し、
「被差別と文学」などについてシンポジウム(正式な題名は忘れた)などに
参加し、大阪では解放同盟の人たちとも懇談した。
その折、通訳として一緒に行動をともにしたのがワタシだった。
ワタシのその後はもっぱら「仕事」に忙殺され、ヒンディー文学の世界とも
疎遠になっていたが、今年75歳になられたカーシーナート・シン氏は
今年の「文学アカデミー賞」を受賞し、
彼の作品「カーシー・カ・アッスィー」は映画化されて、完成直前だった。
前日、彼の勤務していたバラーナス・ヒンドゥー・大学のヒンディー学部の
事務所に行き、彼の住所を尋ねると、快く教えてくれた。
その足で彼の家に向かったが、「撮影立ち会い」で不在だった。
そして、今日、空港に向かう前に彼の家を訪ねた。
31年ぶりの再会に、彼は心から歓待してくれた。
「31年たっても、お前、よくヒンディー語忘れないな~~~」
「Aさんは元気か?出版社のKさんは元気か、Sさんはどうしてる?」
「この前、作家のだれそれに会ったら、お前はどうしてるって訊かれたよ」
矢継ぎ早の質問に
インド関係から遠ざかっていたワタシとしては答えようがなかったが、
31年の空白が少しずつ埋められてくるような気がした。
「ご飯食べて行け」
「泊まって行け」と言われても
今日、旅立つワタシでありまして、
「それなら、これを持って行け」と飾ってあったガネーシュの置物を
呉れそうになったので、荷物になるから要らないと断り、
「作家から頂くのは著作だけで、胸がいっぱいになります」などと
ヨイショし、
小説を2冊貰ったのでした。
それでなくとも、昔からワタシはモノを貰うので有名でした。
一般的に日本人はインド人知人の家を訪れる時、日本茶などの
お土産を持参しますが、
「S(ワタシのこと)は、なんにも土産を持ってこないで、逆に
あっちこっちから土産を貰って帰る」と有名だったのです。
さて、時間が来たので、カーシーナート・シン氏の家を辞す時
奥さんも玄関まで見送ってくれ、カーシーナート・シン氏は
待たせてあったタクシーに乗り込むまで一緒に付いて来て
最後は両手でワタシの手を包み、
「また、会おうな」と言ってくれたのでした。
彼 75歳、 ワタシ 63歳。
もう再会することはないであろう。
こうして、ベナレスを最後に、インドでの2ヶ月の旅を終え
デリー経由で次の旅先のネパール・カトマンズに向かったのでした。
それは作家のカーシーナート・シン氏に会う事であった。
これは、デリーでカーシーナート・シン氏がまだ存命(笑)であることを知り
生きているうちに、お会いしなければと、急きょ、ベナレスに行く目的の
ひとつに付けくわえた。
カーシーナート・シン氏はヒンディー語作家で、30数年前、
彼の作品が邦訳されている。
邦題は『わたしの戦線』(出版社:めこん)荒木重雄訳 だ。
その後、1981年に日本の「アジア・アフリカ作家会議」の招きで来日し、
「被差別と文学」などについてシンポジウム(正式な題名は忘れた)などに
参加し、大阪では解放同盟の人たちとも懇談した。
その折、通訳として一緒に行動をともにしたのがワタシだった。
ワタシのその後はもっぱら「仕事」に忙殺され、ヒンディー文学の世界とも
疎遠になっていたが、今年75歳になられたカーシーナート・シン氏は
今年の「文学アカデミー賞」を受賞し、
彼の作品「カーシー・カ・アッスィー」は映画化されて、完成直前だった。
前日、彼の勤務していたバラーナス・ヒンドゥー・大学のヒンディー学部の
事務所に行き、彼の住所を尋ねると、快く教えてくれた。
その足で彼の家に向かったが、「撮影立ち会い」で不在だった。
そして、今日、空港に向かう前に彼の家を訪ねた。
31年ぶりの再会に、彼は心から歓待してくれた。
「31年たっても、お前、よくヒンディー語忘れないな~~~」
「Aさんは元気か?出版社のKさんは元気か、Sさんはどうしてる?」
「この前、作家のだれそれに会ったら、お前はどうしてるって訊かれたよ」
矢継ぎ早の質問に
インド関係から遠ざかっていたワタシとしては答えようがなかったが、
31年の空白が少しずつ埋められてくるような気がした。
「ご飯食べて行け」
「泊まって行け」と言われても
今日、旅立つワタシでありまして、
「それなら、これを持って行け」と飾ってあったガネーシュの置物を
呉れそうになったので、荷物になるから要らないと断り、
「作家から頂くのは著作だけで、胸がいっぱいになります」などと
ヨイショし、
小説を2冊貰ったのでした。
それでなくとも、昔からワタシはモノを貰うので有名でした。
一般的に日本人はインド人知人の家を訪れる時、日本茶などの
お土産を持参しますが、
「S(ワタシのこと)は、なんにも土産を持ってこないで、逆に
あっちこっちから土産を貰って帰る」と有名だったのです。
さて、時間が来たので、カーシーナート・シン氏の家を辞す時
奥さんも玄関まで見送ってくれ、カーシーナート・シン氏は
待たせてあったタクシーに乗り込むまで一緒に付いて来て
最後は両手でワタシの手を包み、
「また、会おうな」と言ってくれたのでした。
彼 75歳、 ワタシ 63歳。
もう再会することはないであろう。
こうして、ベナレスを最後に、インドでの2ヶ月の旅を終え
デリー経由で次の旅先のネパール・カトマンズに向かったのでした。