ミサイルを発射しまくってる国とか、軍事力を急速に強大化して近隣をどんどん支配下に置こうとしてる国に囲まれてて、戦争とか軍隊とかいう言葉を、けっこうひんぱんに聞くようになった気がするよね。宗教としては、戦争をどう考えるんだろう。軍隊って、あってはいけないものなのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『愛、悟り、そして地球』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
特に何か合理的な理由がある場合、たとえば、ある国で非常に悪い独裁政治が行なわれていて、人びとが何百万人も何千万人も殺されており、それを救うために国連軍などが行かなくてはならないというような場合は別にして、他の国を侵略したり植民地化したりするような戦争行為は、一般的に肯定できません。
しかし同時に、他の国によって自国が植民地化されることを容認するような政治外交的態度も、容認できません。外国を植民地化すべきではないと同時に、自国も植民地化されてはなりません。これが、政治家が軍事・外交的な面で考えておくべきことなのです。
したがって、外国に出ていき、軍隊を使って、いろいろなものを取ってこようとする考え方をすべきではありません。
しかしながら、〝絶対平和主義″と称して、「どうぞ自由に日本の国を攻めてください。財産を持っていっても結構です。婦女子を連れて行っても結構です。日本国民を強制労働に使っていただくのも自由です」と言うような政治家でも、やはり困るのです。
要するに、「侵略はしないが、させもしない」──ここに中道を求めるべきです。すなわち、悪に対しては、きちっとした戦いをすべきですが、みずからが悪になるべきではありません。ここに中道を求めるべきであると私は考えています。
それが極端すぎると、どちらも幸福になりません。帝国主義的な植民地支配は、犠牲になる方がたの上に築かれた繁栄でしょう。そうかといって、自虐的で外国に翻弄されるような国家に生まれ、そこで生活している国民も不幸です。そのような不幸を国民に強制すべきではありませんから、政治家は毅然とした態度をとらなくてはなりません。この中道にこそ、政治・軍事的な考え方を求めるべきだと思います。
(71~74ページ)
帝国主義的な植民地支配は、犠牲者の上に築かれた繁栄であるし、かといって、自虐的で外国に翻弄されるような国に生まれ生活している国民も不幸であある。
侵略はしないが、させもしないこと。
この中道にこそ、政治・軍事的な考え方を求めるべきである──。
そして、大川隆法先生は、戦争とか国防とかの問題については、「侵略はしないが、させもしない」というのが「中道」だ、と教えられます。
この「中道」というのは、仏教でとても大事な考え方の一つです。
極端な考え方のいずれにも偏らない、そのときそのときで最も正しい一点、というような意味で理解すればいいのだろうと思います。
ということは、やはり軍隊というのは、国を守るために(自衛のために)必要なものと考えるべきだ、ということでしょう。
うーん、大川隆法先生のお教えは、とてもクリアだし、合理的に理解できる当然の考え方でもあるのだなあ、と改めて私は思っているのです。
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『愛、悟り、そして地球』
大川隆法著
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