ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



守護霊って、魂の兄弟が順番に務めてるんだって記事がありましたけど、でもそれって、どういうことなの? って疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『説法自由自在③ 真理の発見』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 物理的に何人かがいて、そのうち一人が出るというかたちではないということなのです。そうしたものではない。これはあくまでも、私たちのこの三次元での感覚に訴えて、わかるようなかたちでの説明にしかすぎないのです。
 では、これをどのように比喩するか難しい問題がありますが、たとえば、私の魂というものを人体でたとえますと、頭、右手、左手、両足、それから胴体、これでできあがっております。しかし、じっさい地上、すなわち現象界に出ている部分というのは、結局、この右手なら右手を水のなかにつけた、その部分が出ているということなのです。水のなかに手をつけて、水底にあるいろいろな物をつかんでいるわけです。ただ、他の部分との感覚がずいぶん違うわけです。水の抵抗があったり、さまざまな妨げがあり、それで違和感があるのだけれども、私の全体のなかの一部分が現象界に出ていることは事実なのです。
 このように、バラバラの五人、六人がいるというよりは、全体でひとつの魂で、その一部が出てくる、そういう感じなのです。ただあなた自身、いまこの三次元にいて、それでどうなっているのだろうかと想像するから、その視点がなかなか理解しがたいのです。じっさいは、水槽のなかなら水槽のなかに手を入れて、それで右手で金魚を追いかけているような感じがこの三次元の生活なのです。
 ところが、手には手の意識というのがあって、たとえば水のなかへ右手を入れたら、はっきり自分の右手の感覚というのがわかるわけです。水槽のなかに手を入れると、ぜんぜん感じが違うでしょう。他の左手とか足とかほかの部分とぜんぜん違って、手ざわりに水の感じがありますね。そして、長時間水のなかに手を入れて金魚を追い回しているうちに、右手だけが独特な感覚を持つのです。水のなかの冷たい感じ、独特の抵抗のある感覚、これに慣れてくると、右手だけが何か意識を持って、考えているような感じになってきます。しかし、それはやはり錯覚であって、本来はこの水槽から手を抜いたときに、やっと自分のからだらしくなるのです。
 また、その水槽のなかに手を入れて、これを横から見るとどうなるかですが、光の屈折というものがありますね。水のなかに入っている手は曲がって見えます。自分の手であって、自分の手ではないように見えますね。こういう不思議な感覚なのです。たとえて言えばそういうものです。この世的に説明しているのでわかりにくいのですが、これがいちばんわかりやすい比喩です。
(77~79ページ)

霊界の真実って、とても複雑で、理解するのに時間がかかりますよね。

でも、やはりこういう世界を実感をもって説明できる方こそが、やっぱり「仏」なんではないでしょうか。

そう私は改めて強く強く感じているのです。

 

 

『説法自由自在③ 真理の発見』

 大川隆法著

 

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